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アドラー心理学の「課題の分離」を仕事の現場で使うとどうなるか考えてみた

仕事で消耗する場面を振り返ると、自分でコントロールできないものに、自分のリソースを使っていることが多い。他人が動かない、評価が思ったほど上がらない、組織の方針が変わる。本記事では、この消耗の構造を、いくつかの具体場面に当てはめながら深掘りする。その上で最後に、ここまでの整理を踏まえて、こういう考え方もある、という形で一つの距離の取り方を書く。


本記事では「コントロールできるもの/できないもの」と、アドラー心理学(岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』)の「課題の分離」という考え方を、仕事の構造を見る道具として使う。一般論としては既に多く語られている領域だが、本記事の主眼は概念の解説ではなく、仕事の具体的な場面に当てはめた上で、一つの距離の取り方を示すことにある。

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第1章:仕事で消耗するパターンに、共通の構造がある

仕事で消耗する場面には、共通の構造があるのではないか。

  • 部下や同僚が動かない、それに対して自分のエネルギーを使う

  • 上司の評価が思ったほど上がらない、それを上げようとして頑張る

  • 会社の方針が変わる、その方針に合わせて自分の動きを変え続ける

  • ステークホルダーの期待がぶれる、それを埋めようとして走り続ける

これらに共通しているのは、自分ではコントロールできないものに、自分のリソースを使っているという点だと思う。他人の動き、他人の評価、組織の方針、期待値。どれも自分の意志でどうにかなるものではない。

それでも引き受けてしまうのは、それらを「自分の問題」として扱っているからではないか。本来は他人の問題、組織の問題、会社全体の問題であるものを、自分が解決すべきものとして抱え込む。すると当然、解決できないことに対して責任を感じ続けることになり、消耗が続く。

なぜ消耗するのか、もう一歩分解してみる。コントロールできない対象を「自分の問題」として背負うと、成果が自分の努力に対応して予測できなくなる。努力したのに動かない、丁寧にやったのに評価されない、という事態が繰り返される。すると「自分の動きが結果につながっている」という感覚(自己効力感)が削られていく。そこに「もっと頑張れば」という前提が乗ると、努力の量を増やすことで対応しようとする。これが消耗の循環だと思う。

この構造を整理するために、次章で「コントロールできるもの/できないもの」「課題の分離」という二つの考え方を整える。


第2章:二つの考え方 ── コントロールできるものと、課題の分離

コントロールできるもの/できないもの

世の中の物事は、自分の意志で動かせるものと、動かせないものに分けられる。自分の判断や行動など内側にあるものは前者、他人の動き・評価・組織の方針など外側のものは後者にあたる。動かせないものを動かそうとすると、第1章で書いた消耗の循環に入る。逆に、動かせるものに集中していれば、努力が結果に対応するので、循環は起きにくい。

これを仕事に当てはめると、こうなる。

自分でコントロールできるもの:

  • 今日、自分が何をするか

  • 自分の能力をどう使うか

  • どこまで関わって、どこから降りるか

  • 自分の時間とエネルギーをどう配分するか

自分でコントロールできないもの:

  • 他人の動き(部下、同僚、上司、ステークホルダー)

  • 会社の業績、組織の方針、評価制度

  • 他人の評価、期待値

  • 自分が関わっていないところで起きる事象

課題の分離

「コントロールできるもの/できないもの」と近い角度から、対人関係を扱った概念がアドラー心理学にある。岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社、2013年)で広く知られるようになった「課題の分離」だ。本書の第3夜「他者の課題を切り捨てる」で扱われている。ここまで「自分の問題」「他人の問題」と書いてきたが、アドラー心理学では同じ意味を「課題」という言葉でもう少し厳密に扱う。

「その課題の結末を最終的に引き受けるのは誰か」を基準に、課題が誰のものかを分ける、という考え方。仕事に当てはめると、

  • 自分が何をするかは、自分の課題

  • 他人がそれをどう評価するかは、他人の課題

  • 他人が動くかどうかは、他人の課題

  • 会社の業績は、会社全体の課題

これを混同すると、他人の課題まで自分の責任として抱え込むことになる。逆に、他人の課題に踏み込もうとすると、他人を操作しようとすることになる。どちらも自分のエネルギーを消耗させる。

ただし、岸見・古賀の両氏が後に補足しているように、課題の分離は対人関係のスタート地点であって、最終目標ではない。岸見・古賀対談記事(ダイヤモンド・オンライン、2025年12月)では、課題に境界線を引いて終わらせず、対話と理解を通じて、必要なときは「共同の課題」に育てることが重要だと語られている。本記事では、消耗の構造を整理するために「線を引く」側面に焦点を当てるが、線を引いた先に何もしない、という話ではないことは押さえておきたい。

出典:
岸見一郎・古賀史健——『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社、2013年12月)。「課題の分離」は本書第3夜「他者の課題を切り捨てる」で扱われている
https://www.diamond.co.jp/book/9784478025819.html

「【岸見一郎×古賀史健対談】アドラー心理学の重要ポイントとして最も有名なのに、最も誤解されている『教え』とはなにか?」(ダイヤモンド・オンライン、2025年12月22日公開)
https://diamond.jp/articles/-/379139


第3章:仕事の現場で見える「他人の課題」の構造

ここまでで整理した二つの考え方そのものは、一般論として広く語られている。本記事の主眼はここから先にある。仕事の現場で実際にある場面をもとに、より深掘りしてみる。いずれも、自分でコントロールできないものや他人の課題を、自分の問題として引き受けると消耗する、という構造の具体例として読める。

場面1:組織のコミュニケーション文化で消耗しているとき

Slackで通知が鳴る。Teamsでメンションが飛んでくる。深夜のメールにも誰かが反応している。即レスをしない時間が続くと、評価に響くのではないか、と気になり始める。

ここで起きているのは、組織のコミュニケーション文化に、個人の動きを合わせすぎる動きだ。「即レスする人が仕事ができる」という言説は、組織の中で繰り返し語り直されている。この文化が個人の意思で変えられるかというと、ほぼ変えられない。即レス文化は、組織のコミュニケーション設計、評価制度、上司の好み、業界全体の慣習に支えられている。個人が「私は即レスをやめます」と宣言しても、評価に響く可能性がある。

それでも、個人の課題として完全に引き受けて即レスし続けると、自分の時間とエネルギーが他人の都合に削られ続ける。自分にできるのは、即レス文化そのものを変えることではなく、自分のレスポンスの範囲を決めることだ。緊急性の高いものに絞る、決まった時間にまとめて返す、自分の集中時間を確保する。これは自分の課題として運用できる範囲だと思う。

範囲を決める運用にも評価リスクは残る。即レスを期待されている場面で自分の集中時間を優先すれば、ネガティブな反応が返ってくる可能性はある。ただし、「文化を変える」が組織全体を相手にする戦いなのに対して、「範囲を決める」は自分の判断で運用できる。リスクがゼロになるわけではないが、自分のコントロール下にある分、まだ動ける余地がある。

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場面2:個人の頑張りで結果を出そうとして消耗しているとき

プロダクトの改善を重ねている。新機能を出している。営業との連携も丁寧にやっている。それでも事業の数字は伸びない。「自分の動きが足りないのではないか」と思い始め、さらに時間を投下する。

ここで起きているのは、事業全体の結果を、個人の動きで動かそうとする動きだ。事業が伸びるかどうかは、プロダクトの市場適合、組織の機能、商習慣、人材インセンティブなど、個人の手の外にある変数で決まる部分が大きい。現場の個人がどれだけ動きを磨いても、これらの構造の問題が解消されない限り、事業は伸びない。それでも「自分が何とかしなければ」と引き受け続けると、構造の責任を個人で背負うことになる。当然、消耗する。

ここでも線引きが必要になる。プロダクトを良くする努力(自分の課題)と、売れる組織を作る課題、市場に合った商品設計の課題、商習慣に乗る販売チャネルを作る課題(別レイヤーの課題)を分ける。混同すると、自分の役割を超えた領域まで「自分の責任」として抱え込むことになる。

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場面3:自分の手の届かない外側の力学で消耗しているとき

社内の上層部で経営方針の議論が動いている。組織の再編で自分の所属チームが変わる。会社の戦略が変わって、それまで進めていたプロジェクトが急に止まる。自分が関与していないところで前提が変わり続け、その変化への対応に追われる。

この場面は、厳密にはアドラー心理学の「他人の課題」というより、コントロールできないものに近い。経営判断や組織再編は個人間の関係ではなく、組織全体の意思決定として動くからだ。本記事では二つの考え方を併用しているので、ここではコントロールできるもの/できないものの軸で見ていく。

個人を取り巻く外側の力学は、組織の中で完結するものだけではない。たとえば、システム開発の現場で個人がコントロールできる範囲を完全に超えているものとして、以下のような構造がある。

  • 商習慣として固定化された多重下請構造

  • 国主導で運用される公定価格や共通基盤

  • ビッグテックなどプラットフォーマーの方針転換

これらは規模が大きいほど、個人の意志からは遠くなる。

社内の力学であれ、業界レベルの力学であれ、これらを「自分の問題」のように引き受けようとすると、無理が出る。ここで起きているのは、自分の手の外で動く力学に、自分の問題として対応しようとする動きだ。経営方針の変更に振り回されて何度も計画を作り直す、規制改正のたびに対応を迫られる、業界の取引慣習に乗れずに営業が苦戦する。個人の努力で動かせるものではない。

ここで自分にできるのは、外の力学を変えることではなく、把握することだ。把握することの目的は、コントロール不能な範囲を見えるようにすることであって、そこを支配することではない。この区別がついていないと、「もっと頑張れば変えられる」という思い込みにとらわれて消耗する。

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3つの場面に共通する構造

3つとも、外の構造を個人で引き受けようとすると消耗が始まる、という共通点を持つ。個人にできるのは、構造を把握したうえで、自分の課題として動ける範囲を見極めることだと思う。このパターンを「課題の分離」という考え方で見ると、構造の問題と個人の課題を分けやすくなる。


第4章:人を巻き込む仕事ほど、課題の分離を強く意識する必要がある

ここまで「課題の分離」を構造を見るための切り口として使ってきたが、職種によってこの線引きの難しさは違う、と思う。特に、人を巻き込まないと成立しない仕事ほど、課題の分離を強く意識する必要があると考えている。PM(プロジェクトマネージャー)・PdM(プロダクトマネージャー)はまさにその典型で、自分もその立場にいる。

人を巻き込む仕事の構造

PM・PdMの仕事は、自分一人で完結しない。エンジニア、デザイナー、営業、CS、経営、ステークホルダー。多くの人を巻き込んで、合意を取って、動いてもらって、初めて成果が出る。「人を動かすこと」が仕事の中心だと錯覚しやすい。

しかし、構造的に言えば、人にお願いしても、それ通りに動いてもらえるとは限らない。期待値を共有しても、相手がそれ通りに動くとは限らない。説得・調整・働きかけのコストを払っても、結果は保証されない。「動かそうとする」と「動かすのは無理」の間で揺れ続けると、消耗する。

自分にできるのは、動きやすい環境を作ることまで。動くか動かないかは、相手の課題。期待の対象を変えて、自分がコントロールできる範囲(環境づくり、情報提供、依頼の仕方、合意形成のプロセス設計)に絞る必要がある。

この区別を持たないと、PM・PdMは消耗装置になる

逆に言うと、この区別を持たないと、PM・PdMの仕事は消耗装置になりやすい。

  • 相手が動いてくれない → 自分の責任として引き受ける → 働きかけの努力を倍にする → それでも動かない → 自分を責める

  • 成果が出ない → 自分のマネジメントの問題として引き受ける → 個別の働きかけを増やす → 自分のリソースが枯渇する

  • 評価が下がる → 評価者の判断に合わせようとする → 自分の判断軸がぶれる → 何を作りたいのかわからなくなる

この連鎖は、人を巻き込む仕事ほど起きやすい構造だと思う。だからこそ、PM・PdMをはじめとする「人を巻き込む仕事」では、課題の分離を強く意識する必要があると考えている。

ただし、線を引きすぎる難しさもある

ただし、課題の分離を機械的に運用すると、別の問題が出る。

PM・PdMの責任範囲には「他人が動きやすい環境を作ること」が含まれている。これを「他人の課題だから」と完全に切り離してしまうと、役割を果たせなくなる。

評価制度の中で働く以上、「評価は他人の課題」と完全に切り離すと、現実的な不利益が出ることもある。「自分に直接迷惑がないことには関わらない」を貫きすぎると、組織の中で信頼を失う場面もある。

線を引く強度は、状況によって調整する必要がある。「課題の分離=他人と関わらない」ではなく、「他人の課題を自分の課題として抱え込まない」という距離感の話だと思う。

線を引いた上で、「共同の課題」に育てる

第2章で触れたように、課題の分離は対人関係のスタート地点であって、線を引いた先に「共同の課題」に育てる対話が必要な場面もある。

「共同の課題」に育てるとは、相手の課題に踏み込むのとは違う。相手の課題は相手のものだという前提を保ったまま、こちらの課題と相手の課題が交わる地点を、対話を通じて共通のものにしていく動きだ。PM・PdMの仕事で言えば、「あなたが動くべきだ」と相手の課題に踏み込むのではなく、「これは我々が一緒に取り組む課題だと認識を合わせる」「そのために何が必要かを一緒に決める」という運用になる。線を引いた上で、必要な場面でだけ橋を架ける、というイメージに近い。


第5章:責任の置き場所を、極論まで振り切って整理する

第4章までで「課題の分離」を切り口に、仕事の具体場面に当てはめてきた。ここからは、その整理を踏まえて、こういう考え方もある、という形で一つの距離の取り方を書く。

これから書くのは極論であり、読者によっては反発を覚える内容かもしれない。それは承知の上で、こういう考え方もある、という一つの距離の取り方として読んでほしい。わたし自身が、このように考えるようにしようとしている、という現在進行形の試みでもある。第4章までが実務運用の話だったとすれば、ここからは内面側からの整理になる。これは岸見・古賀両氏の議論からそのまま出てくる話ではなく、本記事独自の整理だ。

線を引きすぎる難しさや、「共同の課題」に育てる対話が必要な場面があることを前提として残しつつ、思考の幅として読んでほしい。この章で扱うのは「責任を減らす」話ではなく、「責任の置き場所を整理する」話だ。コントロールできるものに責任を集中し、コントロールできないものへの過剰な責任感を手放す、という距離の取り方を考えている。具体的に何にどう責任を集中するのかは、後段で改めて整理する。

そもそも仕事すら「自分の課題」ではない

仕事は普通、「自分の課題」として扱われがちだ。

  • 自分の成果を出さねば

  • 自分のチームをうまく回さねば

  • 自分の評価を上げねば

  • 自分が責任を持たねば

この前提でいると、仕事のあらゆる場面が「自分の課題」になり、コントロールできないことにも責任を感じてしまう。他人が動かない、思い通りに進まない、評価が思ったほど上がらない、すべてが自分の問題として降ってくる。

でも、極論を言えば、仕事すら自分の課題ではない。

  • 会社の業績は会社の課題

  • チームの動きはチームの課題

  • 他人の評価は他人の課題

  • 期待に応えるかどうかも、自分が選ぶ範囲

自分の課題として残るのは、第2章で挙げた範囲(今日何をするか、能力の使い方、関与範囲、時間とエネルギーの配分)に絞られる。

これは「仕事を投げ出す」ということではない。「仕事の結果や評価を、自分そのものと重ねすぎない」ということだ。

  • 仕事はする

  • でも、結果は自分のものとして抱え込まない

  • 評価されなくても、それは会社の判断の課題

  • 自分の価値は、仕事の結果と切り離れたところにある

評価のために仕事をするというのは、自分の軸を評価者に預けている状態だ。評価者は、自分の好みで評価する。自分の事情で評価する。評価基準も評価のタイミングも、自分でコントロールできるわけではない。

誰しも、評価してもらいたいからそのために頑張る、というのはあると思う。でも、それは消耗の原因になる。コントロールできないことだし、他人軸だからだ。自分ができることをやって、それで評価されればよいし、されないならしょうがない、という距離の取り方の方が、消耗しにくい。

責任の重心を、自分の判断と行動に置く

冒頭で「責任の置き場所を整理する」と書いた。これを具体的に展開するなら、こうなる。「会社の中の評価」ではなく、自分の能力をどう使うか、自分の判断と行動をどう積み重ねるかに、責任の重心を置く。

  • 会社の評価は、コントロールできない他者の判断であり、ここに責任の重心を置くと消耗が止まらない

  • 自分の判断と行動は、コントロールできる自分の課題であり、ここに責任を集中すれば、評価とは独立して積み重ねが残る

会社に所属せずフリーランスとして働くと、この構造はより明確に見える。働きの中身を決めるのは自分であり、その結果としてクライアントに価値を提供している。会社員でも、構造は同じだと思う。

自分が満たされていることが、人に返せる前提になる

責任を自分のコントロール下に戻すと、自分の足場が保たれる。そして、足場が保たれているからこそ、周りに何かを返せる。「自分を満たしてから他人に注ぐ」というメタファーは、英語圏でも"You cannot serve from an empty vessel"(Eleanor Brownn、「空の器からは他人に注ぐことはできない」)や"You can't pour from an empty cup"(「空のカップから注ぐことはできない」)といった表現で語られてきた。この順序を階層構造の比喩で具体化したのが、マツダミヒロ氏が提唱したとされる「シャンパンタワーの法則」だ。一番上のグラスを自分、その下を家族・同僚・顧客と階層に置く。一番上の自分のグラスから満たしていけば、溢れた分が下の階層に流れていく。自分のグラスが空のまま下の階層を満たそうとしても、結局誰も満たせない。

他人を満たすために自分を空にする順序ではない。自分のために動いた結果として、他人にも影響を与えられる、という順序だ。

この距離感を持てると、仕事で消耗しにくくなる。期待に応えようと走り続ける必要がなくなる。コントロールできないことに振り回されなくなる。

むしろ、仕事のパフォーマンスは安定する可能性がある。消耗しにくいから持続しやすい。過剰な期待を抱えないから、現実的な判断がしやすくなる。相手をどうにかしようとしないから、ストレスが減りやすい。

振り切ってから、戻ってくる

ここまでは極論として書いてきた。実際に仕事をするときには、もう少し柔らかい運用に戻ることになる。線を引く強度は状況によって調整するし、相手の課題に「あなたが動くべきだ」と踏み込まない範囲で、「これは一緒に取り組む課題だ」と認識を合わせる場面もある。

結局のところ、責任の置き場所は時と場合で使い分けるグラデーションの話だと思う。極論まで一度振り切ることで、そのグラデーションのどこに今の自分がいるのかが、見えやすくなる。

出典:
Eleanor Brownn——「休息とセルフケアは大切だ。心を満たす時間を取れば、溢れた分から他人に与えられるようになる。空の器からは他人に注ぐことはできない」(本人ブログ、2013年9月4日)。原文は"Rest and self-care are so important. When you take time to replenish your spirit, it allows you to serve others from the overflow. You cannot serve from an empty vessel."
https://eleanorbrownn.wordpress.com/2013/09/04/rest-and-self-care-are-so-important-when-you-take-time-to-replenish-your-spirit-it-allows-you-to-serve-others-from-the-overflow-you-cannot-serve-from-an-empty-vessel/

マツダミヒロ——「シャンパンタワーの法則。」(マツダミヒロオフィシャルブログ、2023年9月12日)。階層構造の比喩で具体化した提唱者本人による解説
https://ameblo.jp/mihiro/entry-12820248923.html


2026年5月

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