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第63話 「覚醒」って、結局なんなの?|「次元上昇」を求めていた私が、イエスの「新しく生まれる」を知った。


「もっと、目覚めていたい。」


前回は、ブッダの教えとイエス・キリストについて書いた。私はなぜ、「悟り」ではなく「救い」で満たされたのか。

私は以前、ブッダの教えを学びながら、スピリチュアルの世界にも深く触れていた。ただ、当時の私は「覚醒」という言葉を頻繁に使っていたわけではない。

それでも、

もっと目覚めていたい。

もっと意識を高くしたい。

お互いに高め合っていきたい。

そんなことは、常々口にしていた。

世界の真理を知りたい。本当の自分を知りたい。目に見えない世界を知りたい。そして、宇宙とつながりたい。

私は、この世界で普通に生きているだけでは見えない「何か」を、ずっと探していた。

石から、力を受け取ろうとしていた。


当時、妻はクリスタルヒーリングを学び、それを仕事にしようとしていた。妻には、人を癒やしたいという純粋な思いがあった。

私も妻の影響を受けて、さまざまな石に興味を持つようになった。ラピスラズリやスカルの形をした石など、ありとあらゆるクリスタルに魅力を感じていた。

この石には、この力がある。この石を持つと、エネルギーが整う。そんなことを信じながら、石とつながり、そこから力を得ようとしていた。

満月の夜には、石を月の光に当てた。

「月光浴をさせて、石を浄化するんだ。」

そんなことも夫婦で楽しみながらやっていた。

今の私は、それを偶像崇拝だったと受け止めている。でも、当時の私たちは、ふざけてやっていたわけではない。

本気だった。

人を癒やしたかった。自分たちも癒やされたかった。目に見える世界だけでは説明できない何かがあると、本気で信じていた。

そして実際に、石を持ったりクリスタルヒーリングを受けたりする中で、心や身体が楽になったように感じることもあった。

何より、夫婦で同じものに興味を持ち、同じ方向を見ながら活動する時間は楽しかった。妻が人を癒やしたいと願っていたことも、夫婦で協力していたことも、その時の私たちなりに真剣だった。

だから私は、過去のすべてを「何の意味もなかった」とは言いたくない。

ただ今振り返ると、私たちは一番大切なことを知らなかった。

私たちは、いったい誰とつながろうとしているのか。

その力の源が何なのかを、確かめていなかった。

地球と一緒に、次元上昇したかった。


当時よく耳にしていた言葉が、「アセンション」だった。日本語にすると、次元上昇。

私が持っていたイメージは、地球全体が、より高い次元へ上昇していくというものだった。人類の意識が変わり、地球そのものが新しい段階へ進んでいく。

そして私は、そこから置いていかれたくないと思っていた。

できるなら、自分もその上昇に加わりたい。それだけではなく、自分の意識や行動が、地球の次元上昇にも良い影響を与えている。

どこかで、そんなふうにも考えていた。

今振り返ると、ずいぶん大きなことを考えていたと思う。

私は地球の次元上昇に貢献している。

私は、目覚めている側の人間だ。

はっきり口に出していなくても、心のどこかに、そんな高慢さがあったのかもしれない。

ありとあらゆるものに、感謝していた。


瞑想もした。ブッダの教えも学んだ。引き寄せの法則も実践した。宇宙に感謝し、自然に感謝し、石に感謝した。

時には、精霊や妖精のような存在にまで感謝していた。

斎藤一人さんや小林正観さんの話も、本当によく聞いた。私の中では、当時の二大トップと言ってもいいほど、大切に聞いていた。

特に、

「感謝することが大切だ。」

という教えには、強く影響を受けた。

車を運転しながら一時間、「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と言い続けたこともある。

感謝すると、確かに心が穏やかになる。見える景色が変わる。不平不満ばかりを口にするより、「ありがとう」と言った方がいい。

そのこと自体は、今でもそう思う。

でも当時の私は、

誰に感謝しているのかが、分からなくなっていた。

宇宙。自然。石。精霊。目に見えない存在。

ありとあらゆるものに感謝しているうちに、結局、私は誰に向かって話しているのだろう。何とつながろうとしているのだろう。

その境界が、だんだん曖昧になっていった。

「自分は、分かっている側だ。」


普段の私は、自分が人より優れているとは、そこまで思っていなかったかもしれない。

でも、お酒が入って気持ちが大きくなった時などに、その心が表へ出ることがあった。

目の前の人の生き方を見て、

「この人は、全然分かっていないな。」

と思う。

「そのままの生き方じゃ良くないよ。」

「もっと、こう考えた方がいい。」

説教というほどではなくても、自分の知っていることを相手に教えようとしていた。

私は目覚めている。この人は、まだ目覚めていない。私は知っている。この人は、知らない。

そのように、人との間に見えない高さを作っていた。

真理を探していたはずなのに、知識が増えるほど、私は人の上に立とうとしていた。

今思えば、本当に申し訳なかったと思う。

それでも、何も解決していなかった。


ブッダは、人間の苦しみとして、老いること、病むこと、死ぬことなどを見つめた。

けれど私の中では、それらの問題が、本当の意味で解決されてはいなかった。

心には、ずっと埋まらない穴があった。

今振り返れば、そこには「父の不在」が大きく関係していたのだと思う。

両親が2歳で離婚し、父の記憶はそこからない。

そして、父なる神も知らなかった。

自分を造り、初めから愛してくださっていた父の存在を、私は知らなかった。

だから、父がいないことが当たり前になっていた。自分に何が欠けているのかさえ、分かっていなかった。

孤独感もあった。罪悪感もあった。鬱を抱える母との関係は悪く、いつも怒っていた。一番近くにいる妻の気持ちさえ、本当には理解できていなかった。

その一方で私は、心を整える方法を学び、メンタルトレーナーのような立場で、人に教えることまでやっていた。

人の心を整えたい。人を癒やしたい。

そう願いながら、

自分の心が、まったく満たされていなかった。

知識は増えた。実践もした。感謝もした。瞑想もした。

でも、

何も根本的には解決していなかった。

そんな私が、「神の子」を知った。


イエス・キリストに出会った時、私が最初に受け取った大きなものは、「覚醒した」という感覚ではなかった。

神の子という、アイデンティティだった。

私は、初めから愛されていた。

愛されるために次元を上げる必要はなかった。特別な能力を身につける必要もなかった。もっと意識の高い人間になることで、神様に近づく必要もなかった。

神様が、

先に私を愛してくださっていた。

そして、自分が愛されていることを知らなければ、本当の愛を人へ流すことはできない。そのことを知っていった。

それまでの私は、愛そうとしていた。癒やそうとしていた。良い人になろうとしていた。

でも、自分自身が父なる神から愛されていることを知らなかった。

「新しく生まれなければならない。」


聖書には、夜の暗闇の中でイエスさまを訪ねた、ニコデモという人物が登場する。

彼は、宗教について何も知らない人ではなかった。むしろ、よく学び、よく知っている人だった。

そんなニコデモに、イエスさまは言われた。

「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

ヨハネの福音書3章3節

出典:聖書 新改訳2017


もっと知識を増やしなさい。もっと修行しなさい。もっと意識を高めなさい。

そうではなかった。

新しく生まれなければならない。

そして聖書には、こうも書かれている。

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

コリント人への手紙第二5章17節

出典:聖書 新改訳2017



最初の私は、この意味がよく分からなかった。

「いや、昨日までの自分と、そんなに変わっていないけど。」

そんな感覚だった。

自分の過去も覚えている。性格も、すぐに全部変わったわけではない。

一体、何が新しくなったのか。

すぐには腑に落ちなかった。

まず、信じることから始まった。


御言葉を通して、神様は「あなたは新しくされた」と語っていた。

Speedy UJもロギオンも、それを分かりやすく、かみ砕いて教えてくれた。

これまで自分の中に積み上げてきた常識や情報を、いったん脇へ置く必要がある。そして、聖書が語っている新しいものを受け取っていく。

でも私にとって、それは簡単ではなかった。

ブッダの教え。スピリチュアル。引き寄せ。アセンション。クリスタル。宇宙。

これまで信じてきた世界観が、私の中にはたくさん残っていた。

それらを手放して、父なる神、イエス・キリスト、聖霊様という、聖書が示す神様を信じる。

最初は、そんなに簡単には切り替えられなかった。

頭では聞いていても、まだ心の中で混ざっていた。

ファイヤー。


大きな転機になったのは、水のバプテスマを受ける少し前だった。

Speedy UJに祈っていただく中で、私は聖霊のバプテスマを受けた。

その時、

私の中で何かが、バチーンと切り替わった。

ファイヤー。

本当に、そんな感覚だった。

次の日から、これまでのものをいったん全部置いてみようと思った。

父なる神を信じてみよう。イエスさまを信じてみよう。聖霊様を受け入れてみよう。聖書が言っていることを、まず信じてみよう。

そう決めた。

それまで大切にしてきたブッダの教えや、四諦、八正道、スピリチュアルの知識も、忘れてしまうくらいの勢いで手放していった。

誰かから無理やり捨てさせられたわけではない。

私の内側が、

もう以前と同じものを求めなくなっていた。

霊の内側が、まるごと新しくされたような感覚だった。

覚醒ではなく、新生だった。



次元上昇を求めていた頃の私は、自分の力で上がろうとしていた。

もっと感謝しよう。もっと瞑想しよう。もっと学ぼう。もっと実践しよう。もっと意識を高めよう。

いろいろな教えを組み合わせ、自分を何とかして上へ持っていこうとしていた。

努力だった。

もちろん、努力すること自体が悪いわけではない。

でも私には、どこまで上がれば十分なのかが分からなかった。今日より明日。明日より、もっと上。

いつまでも続く階段だった。

でも、聖書が語る新生は違った。

自分で天まで登るのではない。

上から、いのちを受け取る。

自分の内側に眠っている何かを、努力によって目覚めさせるのでもない。

聖霊によって、

新しく生まれる。

私は古い自分をアップグレードしたのではなかった。

イエス・キリストにあって、

新しいいのちを受け取った。

引き寄せるのではなく、引き上げられる。


以前の私は、良いものを自分のところへ引き寄せようとしていた。

良い言葉を使う。良い波動を出す。感謝する。願いを放つ。そして、自分の望むものを引き寄せていく。

でも聖書を知ってから、私は自分の力だけではどうすることもできないことを知った。

罪から自分を救うことはできない。自分で自分を新しく生まれさせることもできない。

ロギオンは、これを「引き上げの法則」という言葉で教えてくれた。

自分の力で何かを必死に引き寄せるのではない。神様の御言葉を信じることによって、神様に引き上げていただく。

聖書には、こう書かれている。

「しかし、私たちの国籍は天にあります。」

ピリピ人への手紙3章20節

出典:聖書 新改訳2017



昔の私は、地球の次元上昇から置いていかれないように頑張っていた。

今の私は、

すでに天に国籍があるという御言葉を信じている。

頑張って天に所属するのではない。

キリストにあって、

すでに天に属する者とされた。

高い場所から、見下ろすためではない。


ここにも、大きな違いがあった。

以前の私は、自分は人より目覚めている、自分は分かっている側だと考えることで、人との間に高さを作っていた。

でも、天に国籍があると知った今は、人を見下したいとは思わない。

むしろ、

愛したいと思う。

なぜなら、私自身も何も分からず、さまよっていたからだ。

いろいろなものとつながろうとしながら、自分が何を求めているのかさえ、本当には分かっていなかった。

そんな私のところへ、イエスさまが来てくださった。

天の栄光におられたイエスさまは、高い場所から私たちを見下して終わらなかった。人となり、私たちのところまで降りてきてくださった。

だから、本当の霊的成長とは、人より高い場所へ行くことではなかった。

イエスさまのように、

愛を持って、人の隣に立つことだった。

「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」

「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」

マタイの福音書22章37節、39節  

出典:聖書 新改訳2017


あなたは、何とつながろうとしていますか。


今も、覚醒やアセンションを求めている人はたくさんいると思う。

タロットカード。占い。チャネリング。クリスタル。宇宙。高次元の存在。

私たち夫婦も、いろいろなものに触れてきた。

だから私は、それらに関わっている人を、頭ごなしに否定したくない。

人を癒やしたい。自分自身も癒やされたい。目に見える世界だけではない、本当の答えを知りたい。

そんな純粋な思いから始めた人もいると思う。

私たちも、そうだった。

でも、

一度だけ立ち止まって考えてみてほしい。

私は、

誰とつながろうとしているのだろう。

それは、どこから来ているものなのだろう。

私は当時、それを確かめていなかった。見えない世界で何かを感じれば、「きっと良いものだ」と受け入れていた。

でも聖書は、見えない世界にあるものを、何でも同じものとして扱ってはいない。

だからこそ、何が真理なのかを見分けるためにも、聖書を一度、開いてみてほしい。

あなたが探しているものは、ここにあるかもしれない。


私は、イエス・キリストが何者なのかさえ知らなかった。

「キリストって、名前じゃなくて称号なんだ。」

本当に、そのくらいのところから始まった。

キリスト教徒になろうとしていたわけでもない。聖書の神様を探していたわけでもない。

私は、ブッダの教えやスピリチュアルの世界で、答えを探していた。

それでも、

イエスさまは私を見つけてくださった。

そして今では、「イエス様」と呼びたいほど、この方を愛している。

言ってしまえば、イエス様の推し活をしているようなものだ。

記事を書く。曲を作る。証を語る。家族で福音を伝える。

なぜ、そこまでするのか。

イエスさまが、私にどれほど良くしてくださったのかを知ったからだ。

この「今の私」が、一番の証だ。

Buddhaの弟子だった私が、今では、イエス・キリストの弟子として生きている。

神様がくださったのは、新しいいのちだった。


私は以前、地球と一緒に、もっと高い次元へ行きたいと願っていた。

もっと目覚めたい。もっと意識を高くしたい。もっと宇宙の真理を知りたい。

自分の力で、何とかして上へ行こうとしていた。

でも、

神様がくださったのは、

古い私のアップグレードではなかった。

新しいいのちだった。

私は、

次元上昇したかった。

でもイエスさまは、

私を新しく生まれさせてくださった。

もっと高い場所から、人々を見下ろすためではない。

愛を持って、

その人の隣に立つために。

私は、覚醒したから愛されたのではない。

愛されていたことを知って、

目が開かれた。

父なる神がいた。

初めから、

私を愛してくださっていた。

そして今、私は一人で天へ登ろうとしていない。

イエスさまと、一緒に歩いている。

では、イエスさまが言われた「神の国」とは、一体どこにあるのだろう。

死んだ後に行く場所なのか。

それとも、

今ここから始まるものなのか。

次回は、私が知った「御国」について書いてみたい。

Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。

痛みは証に。光は闇に勝つ。


Blessings to you.


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