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51〜55話まとめ|聖書を知り、「神の子」と知り、受け取ったものを次の世代へ。


51話から55話まで。


振り返ってみると、この5話は最初から一本の物語だったかのようにつながっていた。

聖書って、結局なんなのか。

「神の子」って、なんなのか。

神の子に与えられた「権威」って、なんなのか。

なぜ、御言葉にとどまるのか。

そして、

受け取った御言葉を、誰へ渡していくのか。

5つの問いを追いかけていったら、最後にたどり着いたのは、

「イエス・キリストの弟子として生きる」

という、とてもシンプルな場所だった。

第51話|聖書って、結局なんなの?


私は以前、聖書をほとんど知らなかった。

Buddhaの弟子として生き、スピリチュアルや量子力学、引き寄せ、スターシードなど、目に見えない世界の答えをいろいろな場所に探していた。

そんな私が聖書を読むようになり、この一冊の中で初めて知ったことがある。

私は、

「神の子」として生きることができる。

聖書は、ただの古い宗教書ではなかった。

私にとってそれは、天の父からのラブレターであり、人生の説明書であり、神の子として生きるためのSpecial Bookになっていった。

そして、Speedy UJから水のバプテスマの時に贈られた『現代訳聖書』、God Spell Music、最初に作った『KAMINOKO』。

バラバラだった出来事が、御言葉によって一本につながり始めた。

51話 聖書って、結局なんなの?|この一冊で、私は「神の子」だと知った。


第52話|「神の子」って、結局なんなの?


「神の子」。

この言葉を聞いた時、私が最初に思い浮かべたのは、聖書ではなかった。

格闘家の山本“KID”徳郁。

「神の子KID」だった。笑

でもSpeedy UJから創造主のこと、イエス・キリストのこと、そして「神の子」というアイデンティティーについて聞くようになり、この言葉の意味が少しずつ変わっていった。

神の子であるということは、自分が神になることではない。

父がいるということだった。

私は2歳頃に両親が離婚し、父という存在をほとんど知らずに育った。だから聖書が語る「アバ、父」という関係は、私自身の人生の深い場所につながっていった。

※「アバ、父」とは、聖書に出てくる言葉で、神様を「お父ちゃん」「パパ」と親しく呼ぶ言葉です。アラム語の「アバ(お父さん)」とギリシャ語の「パテル(父)」を合わせた表現で、神様と人間のとても近い関係を表します。


頑張って価値を証明してから愛されるのではない。


まず、愛されている子として生きる。

私は「神になりたい」と探し続ける必要はなかった。

私は、

神の子として生きればよかった。

52話 「神の子」って、結局なんなの?|最初に浮かんだのは、格闘家のKIDだった。

第53話|神の子に与えられた「権威」ってなんなの?


神の子だと知った。

では、

神の子には何が与えられているのか。

ここで出てきたのが「権威」だった。

私は以前、権威と力の違いすらよく分かっていなかった。でも警察官が自分の筋力で大型トラックを止めるのではなく、その背後にある権威によって止めるように、聖書が語る権威も「自分がものすごく強くなる」という話ではなかった。

イエスさまは、すべての権威が与えられていると語られた。

そして弟子たちは、聖霊を受け、イエス・キリストの御名によって遣わされていった。

そこで私は、祈り、御言葉のつるぎ、聖霊、見えない世界、そして昔信じていた「引き寄せの法則」についても改めて考えた。

私が現実を支配するのではない。

神様の御心を求め、祈り、委ね、実を見て感謝し、また祈る。

私たち夫婦が呼んでいる、

「神サイクル」。

そしてロギオンが語る、

「引き寄せではなく、引き上げの法則」。

私が神になる必要はない。

私は神の子として、父の権威の中を歩めばいい。

53話 神の子に与えられた「権威」ってなんなの?|祈り、御言葉、そして目に見えない世界。

第54話|なぜ「御言葉にとどまる」の?


神の子。

権威。

祈り。

御言葉。

でも、ここでまた一つ疑問が出てくる。

なぜ、そんなに御言葉にとどまる必要があるのか。

この問いを考える入口になったのが、『チェンソーマン』だった。

欲望。

支配。

恐れ。

誘惑。

誰かに無理やり命令されなくても、人は「欲しいもの」や「怖いもの」によって動かされることがある。

考えてみれば、私たちの周りにも無数の声がある。

もっと成功しろ。

もっと認められろ。

もっと持て。

お前には価値がない。

失敗するな。

嫌われるな。

そして時には、自分自身の心から出てくる声さえ、傷や恐れによって歪んでいることがある。

だから私は、御言葉へ戻る。

御言葉にとどまることは、誰かに支配されることではない。

私にとってそれは、

恐れよりも、父の声を選ぶこと。

嘘よりも、真理を選ぶこと。

そして、

愛にとどまることだった。

54話 なぜ「御言葉にとどまる」の?|チェンソーマンを見ながら考えた、誰の言葉を信じるのか

第55話|「霊的父」って、なんなの?


御言葉にとどまる。

では、その御言葉は、

どうやって次の世代へ受け継がれていくのか。

55話では、「霊的父」と弟子訓練について考えた。

『僕のヒーローアカデミア』では、オールマイトからデクへワン・フォー・オールが受け継がれていく。

聖書では、エリヤからエリシャへ。最初に掛けられたマントを、最後にはエリシャ自身が拾い上げる。

パウロからテモテへ。そしてテモテから忠実な人々へ、その人々からさらに次の人へ。

そしてイエスさまは、

すべての国の人々を弟子とするよう命じられた。

弟子訓練とは、誰かのコピーを作ることではない。

御言葉にとどまり、生きる姿を見せ、愛し、育て、受け取ったものをまた次へ渡していくこと。

私自身がJTMの中で大切に受け取っている霊的な流れにも、

Benson Idahosa

Pastor Chris

Uebert Angel / Ra‘ah

Yoshiki Okano / Logion



Davy

という流れがある。

でも大切なのは、名前ではない。

何が流れてきたのか。

御言葉。

信仰。

祈り。

愛。

Good News。

弟子を育てること。

私はDavyを育てているつもりだった。

でも気づけば、

私自身も父から育てられている。

父でありながら、子でもある。

弟子を育てながら、自分自身も弟子として育てられている。

そして私がDavyへ本当に残したいものは、私自身でも、仕事でも、財産でもない。

イエス・キリストだ。

55話 「霊的父」って、なんなの?|父から子へ。受け継がれていく御言葉と、イエスさまの弟子訓練。

5話をつなげると、一つの道になった。


51話。

聖書を知った。

52話。

自分が「神の子」だと知った。

53話。

神の子に与えられた権威を知った。

54話。

その権威を自分勝手に使うのではなく、御言葉にとどまり、誰の声を信じて生きるのかを考えた。

55話。

そして受け取った御言葉を、自分のところで止めず、次の弟子へ渡していくことを知った。


聖書。

神の子。

権威。

御言葉。

弟子訓練。


一見、別々のテーマに見える。

でも私にとっては、

全部つながっている。


私は誰なのか。

誰のものなのか。

誰の声を信じるのか。

誰から受け取ったのか。

そして、

それを誰へ渡していくのか。


その中心にいるのは、

いつもイエス・キリストだ。

Buddhaの弟子から、イエス・キリストの弟子へ。


以前の私は、真理を探していた。

いろいろな世界を歩き、見えない世界の仕組みを知ろうとし、自分の人生を自分で動かそうとしていた。

でも今は、

全部を支配しなくていい。

天と地に、父がいる。

御言葉がある。

そして、

ついて行く方がいる。


イエス・キリスト。


51話から55話までを書きながら、私自身もまた一つ確認した。

私は「何かの宗教に所属する人」で終わりたいわけではない。

私は、

イエス・キリストの弟子として生きたい。


そして、受け取ったGood Newsを、

次の一人へ。


父から子へ。

弟子から弟子へ。


この物語は、

まだ続いていく。


Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。

痛みは証に。光は闇に勝つ。


Blessings to you.

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