第55話 「霊的父」って、なんなの?|父から子へ。受け継がれていく御言葉と、イエスさまの弟子訓練。
霊的父。
以前の私には、ほとんど馴染みのない言葉だった。天の父がおられるのに、人間にも「霊的な父」がいるとはどういうことなのか。イエス・キリストを信じ、弟子として歩み始めた頃の私は、その意味をほとんど理解していなかった。
でも聖書を読み、JTMという神の家族の中で育てられるうちに、少しずつ見えてきたものがある。
父から子へ。師から弟子へ。そして、その弟子から次の弟子へ。
御言葉、信仰、愛、使命が、一人のところで止まらず流れていく。考えてみれば私は、聖書を知る前から、そんな物語に何度も心を動かされていた。
オールマイトからデクへ。受け継がれたのは「力」だけではなかった。
以前、『僕のヒーローアカデミア』の記事で、オールマイトとデクについて書いた。
個性を持たなかったデクが、オールマイトからワン・フォー・オールを受け継いでいく。ワン・フォー・オールは、一人のところで終わる力ではない。先代から次の継承者へ、さらにその次へと受け継がれてきたものだ。
でも私がこの物語で好きなのは、単純に「強い能力をもらった」というところではない。
デクは、受け取った瞬間に完成したヒーローになったわけではなかった。訓練し、失敗し、自分の身体ではまだ扱いきれない力に何度も傷つきながら、それをどう使うのか、何のために使うのかを学んでいく。
そしてオールマイトも、ただ力を渡して終わったわけではない。見守り、教え、育てていく。
受け継ぐことと、弟子訓練はつながっている。
これは、私が霊的父というものを考える時にも、とても分かりやすい。何かを「もらう」だけではない。受け取ったものを担える人へ、育てられていく。
▶ 第25話 僕のヒーローアカデミアと、イエス・キリスト。|師から弟子へ、受け継がれていく使命
聖書にもあった。エリヤから、エリシャへ。
そして聖書には、私が大好きな師弟の物語がある。
エリヤと、エリシャ。
列王記第一19章。エリシャは、もともと畑を耕していた。そこへ預言者エリヤが現れ、自分の外套、マントをエリシャへ掛ける。
大勢の観衆がいるわけではない。派手な任命式が開かれるわけでもない。畑を耕していた一人の人に、先を歩く者の外套が掛けられる。
そしてエリシャは、それまでの生活を離れ、エリヤについて行くようになる。
でも、マントを掛けてもらった瞬間に、すべてを受け継いだわけではない。
そこから、ついて行く。仕える。見る。学ぶ。同じ時間を過ごし、弟子として育てられていく。
そして列王記第二2章。エリヤが取り去られる時、エリシャは「あなたの霊の二倍の分」を求める。その後、エリヤが落としていった外套をエリシャが拾い、その外套を持ってヨルダン川の前へ立つ。
最初に掛けられたマント。そして最後に拾い上げるマント。
私はこの流れが、本当に好きだ。
もちろん、マントそのものが魔法のアイテムだったという話ではない。私がそこに見るのは、使命が次へ渡されていく姿だ。
師から弟子へ。
父から子へ。
▶ エリヤとエリシャ。|師から弟子へ。受け継ぐのは、力ではない。
そしてイエスさまは、「弟子をつくる弟子」を育てた。
ここから新約聖書を見ると、さらに大きな流れが見えてくる。
イエスさまは十二弟子を呼ばれ、一緒に歩き、一緒に食べ、御言葉を教え、祈る姿を見せ、人を愛する姿を見せた。弟子たちが理解できなければ教え、間違えば正し、やがて彼ら自身を遣わしていった。
弟子訓練とは、知識だけを渡すことではないのだと思う。
生き方を見せる。そして、一緒に生きる。
イエスさまは復活された後、弟子たちへ大きな使命を託された。
「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
マタイの福音書28章19節
ここは、JTMでも本当に大切にしている御言葉だ。イエスさまが命じられたのは、単に自分のことを知っている人を増やすことではなかった。
弟子とすること。
救われ、御言葉を知り、イエスさまについて行き、育てられる。そして今度は、自分も誰かへGood Newsを伝え、育てていく。
弟子から、弟子へ。
つまり弟子訓練には、最初から「次」がある。
パウロからテモテへ。そして、その先へ。
この流れは、パウロとテモテの関係を見るとさらに分かりやすい。
パウロはテモテを、「信仰による真のわが子」と呼んでいる。
信仰による、真のわが子テモテへ。父なる神と私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。
テモテへの手紙第一1章2節
血のつながった息子ではない。でもそこには、父と子のような関係があった。
さらにテモテへの手紙第二2章2節では、パウロがテモテへ伝えたことを忠実な人々へ委ね、その人たちがさらに他の人々を教えられるようにする流れが書かれている。
パウロ。
テモテ。
忠実な人々。
さらに、その次の人々。
一人のところで終わっていない。
御言葉が、世代を越えて流れていく。
では、「霊的父」とは何なのか。
ここは、私が大切にしているからこそ、誤解のないように書きたい。
私がロギオンを霊的父として慕っているからといって、ロギオンを神様だと思っているわけではない。私の父は天の父であり、私の主はイエス・キリスト。そして土台は、聖書の御言葉だ。
人間が、その場所へ入ることはできない。
その上で私が霊的父という関係に見ているのは、御言葉をどう生きるのかを、人生を通して見せながら育ててくれる存在だ。
パウロもコリントの教会に対して、キリストにある養育係が大勢いたとしても父が多くいるわけではなく、自分が福音によって彼らを生んだという趣旨のことを書いている。
たとえあなたがたにキリストにある養育係が一万人いても、父親が大勢いるわけではありません。この私が、福音により、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。
コリント人への手紙第一4章15節
血のつながりだけではない。
福音によって生まれ、育てられていく父と子のような関係。
私は、その姿を聖書の中にも見る。
私は、ロギオンの「言葉」だけを見ているわけではない。
私がロギオンのもとにとどまりたいと思う理由は、話が上手だからでも、有名だからでもない。
何を語っているのかと同時に、何を生きているのかを見ている。
ロギオンとエリカ牧師の夫婦。家族をどう愛しているのか。子どもたちとどう関わっているのか。人にどう仕えるのか。御言葉をどう優先しているのか。
さらに、その上の世代にいる俊之牧師、めぐみ牧師たちの歩みもある。
私は、言葉だけではなく、その実を見ている。
イエスさまも、実によって見分けることを語られた。
あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。
マタイの福音書7章16節
だから私にとって弟子訓練は、情報を集めることではない。
関係の中で、御言葉を生きる人の姿を見ることでもある。
霊的父は、「自分のコピー」をつくるための存在ではない。
ここも、とても大切だと思う。
オールマイトからワン・フォー・オールを受け継いだデクは、オールマイトそのものになるわけではない。エリシャも、エリヤの外見や性格をコピーするためについて行ったわけではない。
弟子訓練とは、コピー人間をつくることではない。
私もロギオンと同じ服を着て、同じ話し方をすれば弟子になれるわけではない。そしてDavyにも、「チャンティ2号」になってほしいわけではない。笑
ラップを続けてもいい。別の道へ進んでもいい。性格も、賜物も、歩む道も違っていい。
でも願っていることがある。
イエス・キリストの弟子として生きてほしい。
パウロも、自分に倣うようにと言いながら、その前提として自分がキリストに倣っていることを書いている。
コリント人への手紙第一11章1節
結局、弟子が見ている先には、イエス・キリストがおられる。
父という言葉が、「支配」に変わってはいけない。
前回、第54話では『チェンソーマン』を入口に、「支配」と「愛」について書いた。
だから霊的父というテーマでも、ここは外せない。
霊的父という言葉が、人を支配するために使われてはいけない。聖書より人間の言葉を上に置くことでもない。御言葉に反することまで、人から言われたという理由だけで従うことでもない。
まして暴力や虐待、不正を、「とどまることが大切だから」と我慢する話でもない。
すべては御言葉に照らす。
その上で、愛の関係の中で育てられていく。
父は、子を自分の所有物にするために育てるのではない。成長した子が、また誰かを愛せるようになるために育てる。
私は、そういう父と子の流れを見ている。
私たちが受け取っている、霊的な系譜。
JTMの中で、私自身が大切に受け取っている霊的な流れがある。
Benson Idahosa。
Pastor Chris。
Uebert Angel、Ra‘ah。
そして、Yoshiki Okano、ロギオン。
その流れの中で、私も育てられている。
Benson Idahosa
↓
Pastor Chris
↓
Uebert Angel / Ra‘ah
↓
Yoshiki Okano / Logion
↓
私
↓
Davy
ただし、これを「私はすごい人たちにつながっている」という自慢にしたいわけではない。
重要なのは、名前ではなく、
何が流れてきたのか。
御言葉。信仰。祈り。愛。Good Newsを伝える情熱。弟子を育てること。そして、受け取ったものを次の世代へ渡していくこと。
私は、この流れの中に自分も置かれていると受け取っている。
『KAMINOKO』で、「DNA脈々と流れる」と歌っていた。
ここでまた、私がGod Spell Musicで最初に作った『KAMINOKO』へ戻る。
この曲には、
「Jesus Christ あなたの弟子
DNA脈々と流れる」
という言葉が入っている。
当時の私は、今ほど聖書を理解していたわけではない。ロギオンから語られる御言葉にとどまり、その中から言葉を受け取りながら歌詞にしていた。
でも今、「DNA脈々と流れる」という言葉を見ると、父から子へ流れていくものを思う。
もちろん、肉体のDNAという意味ではない。
御言葉。信仰。愛。使命。生き方。
そして今、この『KAMINOKO』を私は自分の息子Davyと一緒に歌っている。
「神の子」となり最初に歌った一曲を、今度は父と子で歌っている。
当時の私には、この未来は見えていなかった。
▶ KAMINOKO feat.Davy|Pistiss feat.Davy
息子を弟子訓練していると思ったら、私も弟子訓練されていた。
私はDavyへ、祈ることを伝えている。御言葉を伝える。一緒に賛美する。一緒にステージへ立ち、Good Newsを伝える。
父親である私が、息子をイエスさまの弟子として育てている。
でも、ある時気づいた。
私自身も、ずっと育てられている。
私がDavyへ祈ることを伝える時、私自身も天の父から祈ることを教えられている。私がDavyへ御言葉にとどまることを伝える時、私自身もロギオンや神の家族を通して、御言葉へ戻されている。
私がDavyへ人を愛することを伝える時、一番愛することを学ばされているのは、私かもしれない。
父でありながら、子でもある。
弟子を育てながら、自分自身も弟子として育てられている。
この構図が、私はとても好きだ。
ワン・フォー・オールでも、エリヤのマントでもない。私が渡したいもの。
オールマイトからデクへは、ワン・フォー・オールが受け継がれた。
エリヤからエリシャへは、外套が象徴するような継承の物語があった。
では私は、Davyへ何を渡したいのか。
超能力ではない。有名な名前でもない。私の仕事でもない。財産だけでもない。
私が本当に残したいもの。
それは、
イエス・キリストだ。
御言葉だ。
天の父の愛だ。
私がいつかこの地上を離れた後も、Davyが御言葉にとどまり、父を愛し、人を愛し、Good Newsを伝える弟子として歩んでほしい。
そして、Davyのところで終わってほしくない。
「すべての国の人々を弟子としなさい。」
ここで、もう一度イエスさまの言葉へ戻る。
すべての国の人々を弟子とする。
これは、一人の有名な伝道者が世界中を回れば完成する、という話だけではないと思う。
一人が救われる。その一人が弟子として育つ。御言葉を受け取り、愛される。そして今度は、その人が目の前の一人を愛し、Good Newsを伝える。
また一人が弟子となる。
そして、その人がさらに次へ。
父から子へ。
弟子から弟子へ。
町を越え、国を越え、民族を越えていく。
二千年前、イエスさまが弟子たちへ託した御言葉が、こうして今、日本にいる私のところまで届いている。
考えてみれば、それだけでもすごい。
まとめ|受け継ぐのは、力ではなく、イエス・キリスト。
51話から、私は聖書について書いてきた。
51話では、父からの御言葉である聖書を知った。52話では、「神の子」という自分のアイデンティティーを知った。
53話では、神の子としての権威が、自分を大きくするための力ではなく、誰に属しているのかという話だと知った。
54話では、この世界にあふれる無数の声の中で、誰のことばにとどまるのかを考えた。
そして55話。
受け取ったものを、誰へ渡すのか。
オールマイトからデクへ。
エリヤからエリシャへ。
パウロからテモテへ。
そして弟子から、また次の弟子へ。
私は、大きな系図を自慢したいわけではない。誰とつながっているかを、ステータスにしたいわけでもない。
私が見ているのは、そこを流れてきたものだ。
御言葉。愛。信仰。Good News。
Benson Idahosaから。
Pastor Chrisへ。
Uebert Angelへ。
ロギオンへ。
そして私も、その流れの中で育てられている。
今、私の隣にはDavyがいる。
私は彼に、私自身を残したいのではない。
イエス・キリストを伝えたい。
そして、その先へ。
また、その先へ。
父から子へ。
弟子から弟子へ。
これは、二千年前に終わった物語ではない。
今も続いている。
私は、イエス・キリストの弟子だ。
そして、
弟子をつくる弟子として生きていきたい。
「すべての国の人々を弟子としなさい。」
その御言葉は、今、私たちのところまで届いている。
だから次は、
私たちが届ける番だ。
Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。
痛みは証に。光は闇に勝つ。
Blessings to you.
── 関連記事 ──
▶ 第25話 僕のヒーローアカデミアと、イエス・キリスト。|師から弟子へ、受け継がれていく使命
▶ エリヤとエリシャ。|師から弟子へ。受け継ぐのは、力ではない。
▶ 第30話 イエス・キリストの弟子とは何か?
▶ 第51話 聖書って、結局なんなの?|この一冊で、私は「神の子」だと知った。
▶ 第52話 「神の子」って、結局なんなの?|最初に浮かんだのは、格闘家のKIDだった。
▶ 第53話 神の子に与えられた「権威」ってなんなの?|祈り、御言葉、そして目に見えない世界。
▶ 第54話 なぜ「御言葉にとどまる」の?|チェンソーマンを見ながら考えた、“誰の言葉を信じるのか”。
▶ KAMINOKO feat.Davy|Pistiss feat.Davy
▶ 特別編 イエス・キリストと十字架。|救いの核心
