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第65話 「祈り」って、結局なんなの?|宇宙へ願いを投げていた私が、「父なる神」と話すようになった。


昔の私は、「祈り」をあまり重要だと思っていなかった。


前回は、「天国って、死んだ後に行く場所なの?」という話を書いた。

父なる神とともに生きる御国のいのちは、死ぬまで待たなくても、今ここから始まっている。

では、その父なる神と、私たちはどうやって関わるのだろう。

その一つが、

祈りだった。

日本には昔から、豊作祈願やさまざまな神事があり、「祈る」という行為そのものは、それほど珍しいものではないと思う。私の母方の祖母も創価学会で、毎日のように「南無妙法蓮華経」と唱えていた。

子どもの頃の私は、それを見ながら、

「何やってるんだろう。」

くらいにしか思っていなかった。

神社へ行けば手を合わせて「ありがとうございます」と言うこともあった。でも、祈りが人生にとってそんなに大切なものだとは、全く思っていなかった。

今の私からしたら、

真逆です。

祈り、

めちゃくちゃ大事です。

私は、宇宙へいろんなものを投げかけていた。


イエスさまを知る前の私は、「祈る」というより、何かを見えない世界へ投げかけていた感じだった。

宇宙に感謝する。自然に感謝する。石に感謝する。精霊や妖精のような存在にも感謝する。高次元の存在や、当時触れていたいろいろな「神様」にも言葉を向けていた。

「ありがとうございます。」

という言葉は、本当にたくさん口にしていた。

でも今振り返ると、一つ大きなことが分かっていなかった。

私は、

誰に話しているのか分かっていなかった。

感謝している。願っている。何かとつながろうとしている。でも、その相手が誰なのか、その源が何なのかはよく分からない。

祈りというより、

見えない世界への「投げかけ」だった。

瞑想すると、確かにスッキリした。


瞑想もよくやっていた。

できるだけ無になる。天から光が自分の身体へ差し込んでくるようにイメージする。そして身体の中にある黒いものが、その光によって浄化されていく。

「ありがとうございます。」

「感謝します。」

そんな言葉を繰り返しながら、仕事の合間に5分、10分やるだけでも、確かにスッキリした。

身体が軽くなったように感じる。心が落ち着く。当時の私は、それを「宇宙とつながっている」「浄化されている」と受け止めていた。

今でも、静かになることや、自分の心を落ち着かせる時間そのものを悪いと言いたいわけではない。

ただ、私は後になって知った。

静かになることと、

父なる神と話すことは、

同じではなかった。

引き寄せも、本気でやった。


お金。仕事。幸せ。健康。人間関係。成功。

引き寄せの法則も、本気で実践した。

良いことを考える。感謝する。願っている未来をイメージする。良い波動を出す。そうすれば、自分の人生にも良いものが引き寄せられてくる。

そう信じていた。

では、実際に引き寄せられたのか。

正直に言います。

全然でした。笑

お金も。仕事も。理想の人間関係も。俗に言う成功も。

私が願ったような形では、全然やってこなかった。

何とかして、自分が望む未来をこちらへ引き寄せようとしていた。

でも、

人生は私の思い通りにはならなかった。

そして初めて、「父」に話しかけた。


イエス・キリストを知った後、ある時私は、自分のスタジオで祈ってみた。

祈り方なんて、よく分からない。

だから普通に話した。

「神様、私はどうしたらいいんですか。」

「私は何をしたらいいんですか。」

「あなたの愛を、私に分かるようにしてください。」

そんな感じだったと思う。

10分くらい祈っていただろうか。

身体がポカポカしてきた。

そして、

涙が溢れてきた。

私はその時、

「あ、本当にいるんじゃん。」

と思った。

ずっと心の中に空いていた、「父」という場所。

自分でも何が欠けているのか分かっていなかった、その穴が埋まっていくような感覚だった。

そして私は、泣きながら神様にこう話した。

「お父さん。ラップがしたいです。」

ここから、私の音楽も再び始まっていった。

イエスさまは、「父」に祈るよう教えられた。


聖書を読んで、私は驚いた。

祈る相手が、

ちゃんと書いてあった。

イエスさまは弟子たちに、こう祈るよう教えられた。

「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。』」

マタイの福音書6章9節

出典:聖書 新改訳2017


宇宙よ。

高次元の存在よ。

名前もよく分からない何かよ。

ではなかった。

「私たちの父よ。」

だった。

ここは私にとって、本当に大きかった。

私は父を知らなかった。

でも、

私には父がいた。

私を造り、私を知り、私を愛してくださっている天の父がいた。

だから祈りは、

遠くにいる何かへ願いを飛ばすものではなくなった。

父との会話になった。

格好いい言葉なんて、いらなかった。


今の私は、いろいろなことを祈る。

家族のこと。神の家族のこと。誰かから「祈ってください」と頼まれたこと。

母のことも祈る。

苦しんでいる母を見て、以前の私なら、自分の正しさをぶつけていたかもしれない。

「こう考えた方がいい。」

「こうしなきゃダメだよ。」

でも、人の心は、私の言葉だけでは変えられない。

だから、

祈る。

「神様、母を助けてください。」

「心に平安を与えてください。」

「あなたが触れてください。」

自分で無理やり何とかするのではなく、

天の父に話す。

そして祈りは、お願いだけじゃない。

「神様、ありがとうございます。」

「今日も守ってください。」

「これ、どうしたらいいんですか。」

時には、

「主よ、なんで今こんな状況なんですか。」

「祈り、聞いてくださってるんですよね?」

そんなことだって言う。笑

愚痴みたいになる時もある。

でも、

それでいいと思っている。

関係性は、父と子だから。

不思議と、答えが返ってくる。


祈った瞬間、毎回天から声が聞こえる。

そんな話ではない。

でも、祈った後に聖書を読んでいたら、ある御言葉が心に入ってきたりする。誰かとの会話だったり、日常の何気ない出来事だったり、ロギオンやSpeedy UJから聞く言葉だったりする。

後になって、

「ああ、これだったのか。」

とつながることがある。

そうすると、

祈りが楽しくなる。

「神様、これだったんですね。」

って。

祈りは一方的に願いを投げる時間ではなくなった。

父に話し、

父から教えていただきながら歩く時間になった。

「絶えず祈りなさい。」


聖書には、とても短くて、ものすごくシンプルな御言葉がある。

「絶えず祈りなさい。」

テサロニケ人への手紙第一5章17節

出典:聖書 新改訳2017


最初に読んだら、

「ずっと祈るって、どういうこと?」

と思うかもしれない。

でも今の私は、少し分かる気がする。

祈りが「儀式」だと思えば、ずっとなんて無理だ。

でも、

祈りが「会話」なら、

できる。

車を運転しながら。

仕事をしながら。

スタジオで。

家族と出かける前。

何か嬉しいことがあった時。

困った時。

「お父さん、ありがとうございます。」

「お父さん、どうしましょう。」

そう話しかけられる。

祈りって、

生活から切り離されたものではなかった。

私の人生の後ろには、祈りがあった。


振り返ると、私の人生の大きな変化の後ろには、祈りがあった。

妻は、ずっと私のために祈ってくれていた。

その私は、30年近く吸っていたタバコをやめた。お酒もやめた。Buddhaの弟子だった私が、イエス・キリストの弟子になった。

夫婦関係が回復した。家庭が変わった。母との関係も変わった。

そして私は、

もう一度音楽ができるようになった。

ラップをして、ステージに立つようになった。

人をすぐ裁くのではなく、愛したいと思うようになった。

「今日は誰かにGood Newsを伝えられたらいいな。」

そう祈って出ていったら、本当に神様について話せる流れになることもあった。

そして、

「ちょっと信じてみようかな。」

と言ってくれた人と、一緒に祈ることもできた。

私は、

祈りの「実」を見てきた。

でも、祈ったら何でもすぐ叶うわけじゃない。


もちろん、祈ったことが何でもすぐに、自分の思った形で叶うわけではない。

そんなことは、

全然ない。

今だってそう。

特に、お金のこと。

生活するにも、神様から与えられている働きを進めるにも、お金は必要だ。

だから私は普通に祈る。

「主よ、お金が必要です。」

「今、必要なんです。」

「与えてください。」

でも、すぐに状況が変わらないこともある。

あります。

だからこそ、この御言葉にも支えられる。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」

ピリピ人への手紙4章6節

出典:聖書 新改訳2017



願いを言っていい。

必要を伝えていい。

困っていると言っていい。

でも、

一人で思い煩い続けなくていい。

父に話せるから。

状況がまだ変わっていなくても、

不思議と平安へ戻されることがある。

不安がやって来る。

でも祈る。

すると、

「大丈夫。神様がいる。」

そこへ戻ってこられる。

問題が消えたから強いのではない。

問題の中でも、

一緒にいてくださる方を知っているから強い。

私の感覚なら、

スーパーサイヤ人です。笑

聖霊の加護、

レベル99。

「引き寄せ」と「祈り」は、中心が違った。


以前の引き寄せでは、中心にいたのは基本的に「私」だった。

私はこうなりたい。

私はこれが欲しい。

私はこういう人生を送りたい。

だから、

それを引き寄せたい。

でも祈りを知ってから、少しずつ変わっていった。

もちろん今でも、自分の願いは伝える。

「こうなったら嬉しいです。」

「これが必要です。」

普通に言う。

聖書にも、

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」

マタイの福音書7章7節

出典:聖書 新改訳2017



とある。

求めていい。

でも同時に、

「神様はどうしたいんですか?」

と聞くようになった。

私の思い通りに世界を動かしたい、

ではない。

父の御心を知りたい。

そして、

その御心の中を歩きたい。

ここが、

私にとって「引き寄せ」と「祈り」の大きな違いだった。

1に祈り、2に祈り、3に祈り。


昔の私は、祈りの重要性なんて全然分かっていなかった。

でも聖書を学び、ロギオンやエリカ牧師、Speedy UJたちの歩きを見ながら、祈りがどれほど大切なのかを学んでいった。

1に祈り。

2に祈り。

3に祈り。

「祈っていきましょう。」

ファイヤー。

聖霊のファイヤー。

そんな世界だった。笑

でも、だんだんその意味が分かってきた。

目に見える状況だけが、すべてではない。

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」

ヘブル人への手紙11章3節

出典:聖書 新改訳2017


だから、目に見えるものを見てすぐに諦めるのではなく、

祈る。

そして私は、祈りによって状況だけではなく、

自分自身の心も変えられていくことを体験してきた。

祈れない日があっても、自分を責めない。


ここも、大事だと思っている。

毎日必ず何時間祈らなければダメ。

今日は祈れなかった。

私は信仰が弱い。

そんなふうに、

また努力と自己採点の世界へ戻る必要はない。

できない日だってある。

疲れている日もある。

祈りが出てこない時もある。

そんな時に、

自分を責めない。

祈りは、

神様に愛してもらうためのノルマではないからだ。

もう、

愛されている。

だから、苦しくなったら、

「お父さん。」

と言えばいい。

嬉しい時には、

「ありがとうございます。」

と言えばいい。

祈りって、

もっとシンプルでいいんだと思う。

一度だけ、祈ってみてほしい。


この記事を読んでいる人の中には、一度も父なる神に祈ったことがない人もいると思う。

「神様なんて本当にいるの?」

そう思っている人もいるかもしれない。

私も、

そこから始まった。

だから、難しい言葉はいらない。

こんなふうに、一度だけ話しかけてみてほしい。

「神様。

本当にあなたがおられるなら、

私に分かるようにしてください。

あなたの御心を、

私に教えてください。

私があなたを信じられるように、

私の心を開いてください。

そして、

私に平安を与えてください。」


それが長く感じるなら、


「神様、私に神体験させてください。」


それだけでもいい。

私は祈り方の技術なんて知らなかった。

ただ、

話した。

そして、

父がいた。

祈りは、「願いを届ける行為」ではなくなった。

以前の私は、宇宙へ願いを投げていた。

いろいろな存在へ感謝していた。瞑想して、自分を浄化しようとしていた。引き寄せによって、未来を変えようとしていた。

でも今、私の祈りはまったく違う。

私を造った父なる神に、

話している。

私の過去も、弱さも、失敗も、願いも、必要も、全部知った上で愛してくださっている方に話している。

だから祈りはもう、

願いをどこかへ飛ばす行為ではない。

父との会話になった。

朝も。

車の中でも。

スタジオでも。

家族と一緒でも。

苦しい時も、嬉しい時も。

いつでも、

「お父さん。」

と呼べる。

私には、

父がいる。

その事実を知ったことが、

私の人生を変えた。


宇宙へ願いを投げていた私が、

今は、

父なる神と話している。

祈りとは、

遠くにいる神様へ、

必死に声を届けることではなかった。

すでに私を知り、

私を愛してくださっている父との、

会話だった。



Buddhaの弟子から、キリストの弟子へ。

痛みは証に。光は闇に勝つ。


Blessings to you.


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