第48話 インターステラーと、イエス・キリスト。
何十年離れても、父は娘を忘れなかった。
「帰ってくる。」
父は、娘にそう約束した。
でも時間は残酷だった。
父にとっての数時間が、娘にとっては何十年になる。
幼かった娘は大人になり、やがて父親と同じくらいの年齢になっていく。それでも父は帰ってこない。
「お父さんは、私を忘れたの?」
そんな思いが心に残ったとしても、不思議ではない。
でも映画を観ている私たちは知っている。
父は、娘を忘れていなかった。
むしろ、時間も宇宙も越えて、ずっと娘へ届こうとしていた。
今回取り上げる映画は、
『インターステラー』。
壮大な宇宙映画でありながら、その中心にあるのは、私は「父と娘の物語」だと思う。
そしてこの物語を改めて振り返ったとき、私は自分自身の人生と、ものすごく重なるものを感じた。
なぜなら私も、
長い間、
「父はいない。」
と思って生きてきたからだ。
人類が、地球に住み続けられなくなる未来
『インターステラー』の舞台は、近未来の地球。
環境は悪化し、作物は次々と育たなくなっている。巨大な砂嵐が町を襲い、人類は、このまま地球で生き続けることができるのかというところまで追い詰められていた。
主人公は、ジョセフ・クーパー。
かつてNASAのパイロットだった男だが、今は農場で暮らしている。
彼には息子トムと、娘マーフがいる。
そしてこの映画で特に大切なのが、父と娘、
クーパーとマーフの関係だ。
娘の部屋に現れる、“ゴースト”
幼いマーフは、自分の部屋に「ゴーストがいる」と言う。
本棚から、なぜか本が落ちる。
砂埃が、不思議な形に並ぶ。
何かが自分へメッセージを送っているように見える。
でもクーパーは、それをただ「幽霊だ」と決めつけず、何らかの法則があるのではないかと調べ始める。
そして砂に現れた情報を読み取った先で、クーパーたちは秘密裏に活動していたNASAの施設へたどり着く。
人類を救うため、父は宇宙へ行かなければならなくなる
NASAでは、人類を救うための計画が進められていた。
地球に残された時間は長くない。
そこで土星付近に現れたワームホールを通り、人間が住むことのできる新しい惑星を探そうとしていた。
そして、元パイロットであるクーパーに白羽の矢が立つ。
宇宙へ行ってほしい。
人類の未来を探してほしい。
でもクーパーにとって、それは単なる仕事ではなかった。
宇宙へ行くということは、
子どもたちを地球へ置いていくということだった。
「帰ってくる」と約束した父
マーフは、父に行ってほしくない。
当然だと思う。
人類を救うと言われても、幼い娘にとっては、
「お父さんがいなくなる。」
ということの方が大きい。
クーパーは、娘に帰ってくると約束する。
そして二人は、それぞれ時計を持つ。
いつか再会したとき、
どれくらい時間が経ったのか比べるために。
でもマーフは、父を笑顔で送り出すことができなかった。
怒りを抱えたまま、
父は宇宙へ旅立ってしまう。
宇宙では、“同じ時間”が流れていなかった
『インターステラー』で最も衝撃的な設定の一つが、時間だ。
クーパーたちは、巨大ブラックホール「ガルガンチュア」の近くにある惑星へ向かう。
強大な重力の影響によって、そこでは遠く離れた地球とは時間の進み方が大きく異なる。
映画の設定では、
その惑星での1時間が、
地球では約7年。
クーパーたちは惑星へ降り、巨大な波に襲われ、予定以上の時間を費やしてしまう。
彼らからすれば、
ほんの数時間。
でも宇宙船へ戻ったとき、
そこには何十年という時間が流れていた。
父の数時間は、娘の何十年だった
クーパーのもとには、地球から送られてきた大量のビデオメッセージが届いている。
彼はそれを見る。
幼かった息子が成長する。
大人になる。
結婚する。
子どもが生まれる。
そして、
幼かったマーフも大人になっていく。
父親自身は、ほとんど年を取っていない。
でも地球では、
子どもたちだけが人生を進んでいる。
あの場面は本当に切ない。
父は娘を忘れて宇宙を楽しんでいたわけではない。
帰りたい。
でも帰れない。
時間そのものが、
父と娘の間に巨大な距離を作っていく。
「帰ってくる」と言ったのに
マーフは成長し、科学者になる。
でも心には、
父への傷が残っていた。
帰ってくると言った。
なのに帰ってこない。
幼い頃には、
父に捨てられたように感じたこともあったのだと思う。
一方でクーパーは、遠い宇宙から娘を思い続けている。
同じ父と娘なのに、
見えている現実が違う。
娘から見れば、
「父はいない。」
父から見れば、
「娘を忘れたことなど一度もない。」
このすれ違いが、
私にはとても印象的だった。
人間は、死を恐れると嘘をつくことさえある
クーパーたちは旅の途中で、マン博士という人物のもとへ向かう。
彼は自分のいる惑星が、人間の住める可能性のある場所だというデータを送っていた。
ところが、その情報は正しくなかった。
彼は、
生きたかった。
誰かに迎えに来てほしかった。
孤独と死の恐怖の中で、偽りの情報を送ってしまった。
この映画は、壮大な宇宙を描きながら、人間の弱さも描いている。
どれだけ頭の良い科学者でも、
死への恐怖を前にすると、
自分を守るために間違った選択をすることがある。
そして父は、ブラックホールの中へ
物語の終盤。
クーパーは仲間を先へ進ませるため、自分の機体を切り離し、ガルガンチュアの中へ落ちていく。
普通なら、
ここで終わりだと思う。
でもクーパーは、
「テッセラクト」と呼ばれるような不思議な空間へたどり着く。
そこには、
娘マーフの部屋が、
さまざまな時間ごとに広がっていた。
幼いマーフ。
本棚。
時計。
過去の出来事。
クーパーは、
時間を外側から見るような場所にいた。
“ゴースト”の正体
そしてクーパーは気づく。
幼い頃のマーフが、
「部屋にゴーストがいる。」
と言っていた。
本を落とした存在。
砂にメッセージを残した存在。
あれは、
自分だった。
未来にいる父が、
過去にいる娘へ届こうとしていた。
マーフには父が見えない。
声も聞こえない。
でも、
父はそこにいた。
父は、娘を忘れていなかった
クーパーは、ブラックホールから得た重要な情報を、マーフへ届けようとする。
直接会うことはできない。
声も届かない。
だから、
かつて娘へ残した時計を使う。
時計の針を動かし、
必要な情報を送る。
そして大人になったマーフは、
ついにそれに気づく。
幼い頃から起きていた出来事。
父が残した時計。
“ゴースト”
全部が一本につながる。
父は、
いなくなっていたのではなかった。
娘を、
忘れていたのでもなかった。
何十年の時を越えて、父と娘は再会する
やがてクーパーは救出される。
そして目を覚ました彼を待っていたのは、
驚くべき未来だった。
娘マーフは、
人類を救った人物として知られる存在になっていた。
そして、
ついに父と娘は再会する。
でもクーパーの目の前にいる娘は、
もう幼い少女ではない。
自分よりもはるかに年老いた、
一人のおばあさんになっている。
父は、
娘の人生のほとんどに直接立ち会うことができなかった。
それでも、
二人をつないでいたものは消えていなかった。
私も、「父」という存在をずっと求めていた
この物語を改めて振り返ったとき、
私は自分自身のことを思い出した。
私は2歳の時に両親が離婚し、
地上の父を知らずに育った。
父親というものが、
自分にはよく分からなかった。
でも、
何とも思っていなかったわけではない。
むしろ心の奥にはずっと、
説明できない穴のようなものがあったのだと思う。
26歳、私は父に会うためテレビ番組に出た
26歳の頃。
私は、徳光和夫さんの「会いたい」というテレビ番組へ出演する機会を与えられた。
目的は、
一度も会ったことのない父に会うことだった。
出演者の方々からも、
「この人なら会わせてあげたい。」
と背中を押していただき、
ついに対面の瞬間を迎えた。
カーテンが開けば、
父がいる。
そう思っていた。
でも、カーテンの向こうに父はいなかった
カーテンが開いた。
でも、
父はいなかった。
そこには手紙が残されていた。
今は、
会うタイミングではない。
そんな内容だった。
正直、
「え?」
となった。
「会えたからといって、ハッピーエンドではない」
番組のスタッフの方からは、事前にこんな話もされていた。
もし父に会えたとしても、
必ずしも思い描いているような再会になるとは限らない。
病気になっているかもしれない。
介護が必要な状態かもしれない。
認知症になっている可能性もある。
残された時間が短いことだってあり得る。
それでも会いたいですか。
私は、
「会いたいです。」
と答えた。
どんな状態でもいい。
自分の中にずっとあった、
正体の分からない「父」という存在に、
一度会ってみたかった。
父には会えなかった。でも、別の回復が起きた
結果として、
私は父に会うことができなかった。
でも不思議なことに、
その番組出演をきっかけとして、
約10年間断絶していた兄との関係が回復することになる。
父に会いに行ったはずなのに、
兄との和解が与えられた。
今振り返ると、
あの出来事も無駄ではなかったと思う。
このことについては、過去の記事にも書いている。
そして父についても、
私はその後、
「もういいや。」
と思うようになった。
諦めたつもりだった。でも、穴は残っていた
自分では、
もう父親を求めていないと思っていた。
それでも私は、
今も携帯電話の番号を変えていない。
いつか、
もしかしたら、
父から連絡があるかもしれない。
そんな思いが、
どこかに残っていたのかもしれない。
表面では、
「もういい。」
と言っている。
でも心の奥には、
ぽっかりと空いた場所が残っていた。
そして、思いもしなかったところから「父」が現れた
それから長い時間が経ち、
私はイエス・キリストに出会った。
聖書を学び始めた。
そこで、
私はあることばに出会う。
「天の父。」
最初、
衝撃だった。
「え?」
「天のお父さん?」
イエス様が、
神様を父と呼んでいる。
そして、
私たちもその方を、
父として呼ぶことができる。
「お父さん、いたの?」
私は本当に、
そんな感覚だった。
地上の父には会えなかった。
もういいと思っていた。
父親という存在を、
諦めたつもりだった。
でも、
「天のお父さん」
ということばを聞いた瞬間、
魂が震えるような感覚があった。
「私が求めていたの、
これじゃん。」
そう思った。
私は、
父がいないと思っていた。
でも、
こんなに近くにおられたの?
私も「天のお父さん」と呼んでいい
イエス様は、弟子たちへ祈りを教えるとき、
「天にいます私たちの父よ」
と語られた。
マタイの福音書6章9節。
そして聖書には、
私たちは神様を、
「アバ、父」
と呼ぶことができると記されている。
ローマ人への手紙8章15節。
※アバ父(アバ、父よ)」は、新約聖書の『ローマの信徒への手紙』や『ガラテヤの信徒への手紙』に登場する言葉で、神を親しみを込めて「お父さん」「パパ」と呼ぶことを指します。
私は、
この方を受け入れたいと思った。
「天のお父さん。」
「会いたかった。」
「あなたを知りたい。」
自分の中で閉じていたはずの場所が、
一気に開いていった。
そして数日後、私の“過去”まで変わって見え始めた
天の父を知ってから、
私は自分の人生を振り返るようになった。
すると、
いくつもの出来事が思い出された。
4歳頃。
兄と喧嘩をし、ガラスを拳で割って手首から大量に出血した。
意識が遠のく中、
自分自身を上から見ているような不思議な体験までした。
でも、
私は生きていた。
高校生の頃、バイクで大きく転倒した
15歳、16歳頃。
バイクで転倒し、
体が前転するほどの事故を起こしたことがあった。
バイクは壊れた。
それでも、
私は大きな怪我をしなかった。
さらに別のバイクでも転倒した。
それでも、
また大きな怪我をせずに済んだ。
小学2年生の時、私は川へ行くはずだった
そして、
今の長男と同じくらいの年齢だった頃。
小学1年生の頃は学校へ十分に通うことができず、
2年生になってようやく、大切な親友ができ、学校が楽しくなった。
ある日、
その友達が私の家へ遊びに来た。
二人で、
川へ遊びに行こうとしていた。
ところがその日に限って、
普段あまり怒らない母が、
「今日はダメ。」
と強く止めた。
母ともめたが、私は行かなかった。
その後すぐに、
その友達は川で溺れて亡くなった。
子どもの私は、
「なんなんだ、この世界は。」
と思った。
でも今振り返ると、
もし私も一緒に行っていたら、
何が起きていたかわからない。
20代には、本当に愚かなこともした
若い頃の私は、
今振り返れば本当に危険で、
愚かな運転もしていた。
疲れ切った状態で、
しかも飲酒したまま運転したことさえあった。
これは決して正当化できることではない。
ある時、
私は運転しながら眠ってしまった。
そして、
気づかないうちに反対側の車線へ向かっていた。
その時、
助手席にいた後輩が、
「ここアメリカじゃないから!」
と、芸人さんがやるツッコミのように声をかけてくれた。
私は、
「うわっ!」
と目を覚ました。
もし、
あの声がなかったら。
対向車が来ていたら。
今の私は、
ここにいなかった可能性がある。
本当に小さなことまで、思い出された
寝ている間に、
ベッドから落ちたこともあった。
落ちる瞬間、
反射的に手をついた。
そして目を開けると、
顔が落ちるはずだった場所のすぐ近くに、
角の尖った物があった。
「あぶな……。」
と思った。
当時は、ただの偶然として、
もしくは、もしかして私って凄い?
で終わっていた。
でも天の父を知ってから、
私にはそれらの出来事が、
以前とは違って見えるようになった。
「もしかして、ずっと守ってくださっていたんじゃないか」
私は、
そう思うようになった。
もちろん、
一つ一つの出来事について、
「これは絶対に、この理由で神様が起こされた。」
と私が証明できるわけではない。
でも私自身は、
自分の人生を振り返る中で、
何度も命が守られてきたことに気づき、
そこに父なる神様のあわれみと恵みを見るようになった。
私は、
見捨てられていたのではなかった。
マーフも、“後から”父がいたことを知った
ここで、
『インターステラー』へ戻る。
幼いマーフには、父が見えなかった。
帰ってこない。
何年待っても、会えない。
だから、
「父は私を置いていった。」
と感じた。
でも後になって知る。
“ゴースト”だと思っていたもの。
時計に送られたメッセージ。
幼い頃から起きていた出来事。
その向こう側に、父がいた。
私も、後になって気づいた
私は、
「父はいない。」と思っていた。
地上の父には、今も会えていない。
でも聖書に出会ってから、
私は過去を振り返り、
思った。
「天のお父さん、
ずっと一緒にいてくださったんですね。」
私が知らなかった。
私が見えていなかった。
でも、
見えなかったからといって、
いなかったのではない。
「主が良くしてくださったことを、何一つ忘れるな」
聖書には、
私が大切にしている御言葉がある。
「わがたましいよ、主をほめたたえよ。
主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
詩篇103篇2節。
私は、
忘れたくない。
命がここまで守られてきたこと。
妻が与えられたこと。
子どもたちが与えられたこと。
壊れかけた夫婦が回復へ導かれたこと。
神様の家族が与えられたこと。
そして、
イエス・キリストに出会ったこと。
以前の記事でも、
父を知らずに育った私が天の父の愛を知るまでの証を書いている。
→ 天の父の愛について書いた過去記事
見えないものは、“存在しないもの”ではない
聖書には、
「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。」
とある。
コリント人への手紙第二4章18節。
もちろん、
これは何でも見えないものを信じればいいという意味ではない。
聖書は同時に、
霊を吟味するようにも教えている。
でも私は、
「目に見えないから、存在しない。」
とは言えないことを知った。
愛も、
信頼も、
希望も、
目では直接見ることができない。
そして神様も、
私たちの肉眼には見えない。
でも、
私はその方の働きを、
自分の人生の中で知るようになった。
クーパーは時間に縛られていた。でも神様は、人間の父とは違う
ここで一つ、
映画と聖書を同じにしないために大切なことがある。
クーパーは、
人間だ。
娘を愛している。
でも、
時間に縛られている。
距離に縛られている。
自分の力では、
簡単に娘のもとへ帰ることができない。
父なる神様は、
人間の父親とは違う。
神様は、
「遠すぎてあなたへ行けない。」
という方ではない。
私たちが神様へたどり着いたのではない
私は以前、
真理を探し続けていた。
Buddhaの教え。
瞑想。
スピリチュアル。
量子力学。
さまざまな知識。
私は、
自分の力で答えのところまで行こうとしていた。
でも福音は、逆だった。
私が神様のところまで登っていったのではない。
神様の方から、
私のところへ来てくださった。
父なる神様は、ひとり子を送られた
聖書には、
こう記されている。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」
ヨハネの福音書3章16節。
父なる神様は、
神様から離れてしまった私たちを、
「勝手に帰ってくればいい。」
と遠くから見ていたのではない。
イエス・キリストを、
この世界へ送ってくださった。
イエス・キリストは、私たちを父のもとへ連れ戻すために来られた
人間には、
神様との間に罪という問題がある。
誰かを傷つけたこと。
嘘をついたこと。
人を憎んだこと。
自分を神様より上に置いて生きてきたこと。
私にも、
たくさんあった。
だからイエス・キリストは、
ただ、
「神様はあなたを愛していますよ。」
と言うためだけに来られたのではない。
私たちの罪を、
ご自分で背負うために来られた。
十字架で、帰る道が開かれた
罪のないイエス・キリストが、
私たちの罪を負い、
十字架で命を与えられた。
そして三日目、
死を打ち破って復活された。
ここに、
私たちが父なる神様のもとへ帰る道が開かれた。
地上の父に会うため、
私はテレビ番組へ出た。
でも、
天の父に会うために、
私が何か大きなことを成し遂げる必要はなかった。
イエス・キリストによって、
すでに道が開かれていた。
「お父さん、ずっといたんですね」
私が天の父を知ったとき、
人生の見え方が変わった。
過去は、
消えなかった。
父に会えなかった事実も変わらない。
亡くなった親友が戻ってくるわけでもない。
自分の愚かな過去が、
なかったことになるわけでもない。
でも、
そのすべてを振り返る場所が変わった。
「私は一人だった。」
ではなく、
「私は、知らなかっただけで、
神様はずっと共にいてくださったのかもしれない。」
そう受け取るようになった。
そして、その愛は十字架へ続いていく
なぜイエス・キリストは、
私たちのために十字架へ向かわれたのか。
なぜ約2000年前の十字架が、
今を生きる私たちの「救い」になるのか。
そして、その愛が、
私自身と私の家庭に何を起こしたのか。
続きはこちらに書いている。
→ 特別編 イエス・キリストと十字架。
見えなくても、父はあなたを忘れていない
マーフは、
父がいないと思った。
でも、
父は娘を忘れていなかった。
私も、
父はいないと思っていた。
でも、
聖書を通して天の父を知った。
そして今までの人生を振り返ったとき、
私は、
ずっと一人だったのではないと知った。
もしかすると、
今これを読んでいるあなたも、
神様が見えないと感じているかもしれない。
祈っても、
何も起きない。
ずっと待っている。
答えが来ない。
「神様は、
私のことなんて忘れているんじゃないか。」
そう思う夜があるかもしれない。
でも、
見えないからといって、
いないとは限らない。
答えがまだ見えないからといって、
あなたが忘れられたとは限らない。
父なる神様は、あなたを愛している
私は、
地上の父に会うことができなかった。
でも、
その穴の中へ、
思いもしなかったところから光が差し込んだ。
「天のお父さん。」
その方を知ったとき、
私は、
自分がずっと求めていたものに気づいた。
そしてその父なる神様は、
あなたを救うために、
ひとり子イエス・キリストを与えてくださった。
遠く離れたあなたを、
忘れていなかったから。
あなたを、
父のもとへ連れ戻したかったから。
私は今日も言う。
天のお父さん。
ここまで守り、
導いてくださって、
ありがとうございます。
あなたが良くしてくださったことを、
私は忘れません。
愛しています。
天のお父さん。
その愛を、
私に教えてくださった方。
その方の名は、
イエス・キリスト。
Blessings to you.
