だからこそ、この季節は忘れられない【10】#創作大賞2025 #恋愛小説部門
第4話 夏:ひまわりの中で①
(小説:すれ違う季節)抜粋
真昼の太陽がじりじりとアスファルトを焦がす午後。地面を覆う空気が陽炎のように揺らめいていた。遠くに見えるビルも、まるで幻のように揺れて見える。
足元がふらつき、そのまま私は道の真ん中で崩れ落ちた。
視界がゆがみ、世界の音が遠のいていく。かすかに聞こえるのは、誰かの声。
「大丈夫ですか?」
涼やかな声とともに、腕が私の体をしっかりと支えた。
ぼんやりとした意識の中、ふわりと柔軟剤の香りが鼻をかすめる。
—これが、いわゆる“恋のきっかけ”ってやつ?
そんな淡い考えを抱いた瞬間、私の意識は暗闇へと飲まれていった。
30時間前――
「ここ、イマイチね」
「…やっぱり」
ついに、先輩が後輩イケメンを男として意識し始める…いわゆる“恋のきっかけ”という名の胸キュン盛り上がりポイント。でも、仕上げたネームを見た浮田先輩の反応は、案の定、辛辣なコメントだった。
「先輩、そもそも人を好きになる“きっかけ”ってどんな状況です?」
「…小林」
眼鏡越しに私をじっと見た先輩は、眼鏡を外し、眉をひそめ静かにガンを飛ばしてきた。
いや…。なんとなく気が付いてましたけど、絶対元ヤンですよね先輩…。
「あんたね、それでも恋愛作家と世間に言われる身なの?」
「恋愛小説家と言われる自分にピンときてません」
「そんな堂々と言うことじゃないでしょうが」
「だって、知ってますよね?恋愛経験ほぼゼロって」
「恋愛作家さんがみんな恋愛豊富なわけないでしょ」
「…まあ。それはそうなんですけども…」
「ほら見なさい。自信ないから、こんな中途半端なシーンになるのよ」
「…うう、すみません…。助けて先輩…」
「コッチが助けて欲しいわ!」
「でもでも、苦手だったはずの後輩イケメンに、急に心ときめくって、どの瞬間でそうなるんです?感情のスイッチがどこで入るのか、わからないんですよ―」
先輩は盛大にため息を付きながら、私を睨んだ。
「えっと…、あっ“嫌い”が“好き”に変わる、その瞬間のキラキラって感覚。それは掴めてるんですよ?だけど“人”ってなると…急にわからなくなると言うか…あははは」
「あんたの作品しょ?初心にかえりなさい!恋愛マンガ、恋愛ドラマ、恋愛小説――片っ端から読み漁るの。24時間ぶっ通しで、恋愛という名の沼に沈んできなさい。答えはそこにあるわよ」
「えっ、先輩、ちょっ…もうちょっと教えてくださいよ!」
「出直してきなさい」
こうしてその日の夜から、24時間恋愛漬け耐久マラソンが幕開けした。
甘いセリフ、劇的な出会い、胸が高鳴るシーンの数々で―どれも絵に描いた展開ばかり。気付けば朝日が差し込んでいた。
「こんなの、現実に起きるわけないじゃん…」
そう自嘲しながらも、私は24時間ぶっ続けで恋愛を研究し、ついに限界が来た。体中の水分が奪われ、空腹に耐えられなくなった私は、財布を握りしめ、フラフラとコンビニへ向かった。
だが、そこまでたどり着くことはできず…目の前がぐらりと揺れ、足元が崩れるような感覚になった。
「大丈夫ですか?」
ぼんやりとした意識の中、私を支える腕の力強さとその甘く優しいボイスが耳に届く。
男性だということは分かったけれど、顔はよく見えない。ただ、腕はしっかりとしていて、その声には不思議な安心感があった。その腕に守られながら、私は意識を手放した。
***
目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
「あれ…? さっきの人は…?」
私はふらふらと起き上がり、近くにいた看護師さんに尋ねた。
「ああ、付き添ってくださった方ですか? 先ほどまでいらっしゃったんですけどね。だぶん帰られたのかと…」
病院まで送り届けて、すぐ帰らず、付き添ってくれていた!?どれだけいい人なの!
――これ、見逃したら後悔するやつじゃない?
私は慌ててベッドから飛び出し、廊下へ駆け出した。けれど、それらしい男性は見当たらない。
「顔も名前も、分からないし…」
漫画やドラマなら、ここで名刺が入っていたり、スマホがすり替わっていたりするはずなのに。財布には、何の手掛かりもない。
――やはり現実はそう甘くはない…。
肩を落としながら待合室に戻ると、スーツ姿の男性がこちらに歩いてくる。私より少し年上の落ち着いた雰囲気の人だ。
「あの、もう体調は大丈夫ですか?」
——えっ、この人が…?
「えっと、もしかして、助けてくださった方、ですか?」
「助けたっていうほどではありませんけど…。倒れていたので、念のため病院に。頭を打っていたかもしれないと思ったので…」
「そ、そうだったんですね。ありがとうございます。おかげで生きてます」
整った顔立ちではないけれど、落ち着いた雰囲気と穏やかまなざしに、なぜか心がほっとする。
この人…絶対いい人だ!ドラマで言うと“当て馬”役であるが、現実世界では、絶対にこの手のタイプが正解なんだと思う。
「もしよければ、助けてもらったお礼に夕食をご馳走させてください!」
「え?」
「迷惑でしたか…?」
「いや、そんなことは。ただ、体調は?」
私を気遣う優しいまなざし!その瞳の奥に濁りのかけらも一切無し。
「おかげさまで、もう大丈夫です!」
彼は少し困ったように笑った後、静かに首を振った。
「でも、無理はしない方がいいですよ。倒れたばかりですし」
優しいけれど、どこか芯のあるその言葉。私は、この人がくれた一瞬のぬくもりが、「恋のはじまり」を体験させてくれる予感がした。
「それなら、後日でも…。このバーにいるので、よかったら来てください!」
財布からルイのバーの名刺を取り出し、彼に手渡した。
彼は少し迷いながらも、受け取り、静かに頭を下げた。
「当たり前のことをしただけなので、お気になさらず。お体には気を付けてくださいね」
そう言って、彼は背を向け、ゆっくりと歩き去っていった。
***
翌日、開店準備中の静かなバーで、私はカウンター越しのルイをジーっと見つめる。
その視線に気づいたルイは、眉をピクリと上げた。
「何よ、何か言いたげね~」
「へへ」
「へへじゃないわよ、なに?キモイわ」
「ルイちゃん?どうして今日に限って女装バージョンなのかな?」
「なに?なに?なに?イケメン来るの?」
察しのいいルイは、私のメイクから足元のサンダルまで、目を細めて舐めるようにチェックしてくる。
「めっずらし~じゃな~い?今日はずいぶん気合いはいってるじゃないの~!ってことは、やっぱり来るのね?いい男が。あら、やだ!しっかりメイクしなおさないと」
「ルイ、だめー、今日は私のアシストに徹して!」
「え~?どういうことよ?」
「今日、運命の相手と再会を果たすシーンなの」
「運命の相手?」
「運命の……え、え?ええええ?リコちゃん?」
「なに?」
「いや?ちょっと待って…。運命?いや、いいのかしら?えっと、あ、そーなんの?ああ、そういうことなのね?…うーん?」
ルイは動揺しながらも、こちらを疑うような顔でジーっと見て、うんうんと妙に納得した様子で頷いている。
私は、バーの扉が開くたびに振り返ってはがっかりし、また振り返ってはため息をついていた。
来ると信じているのに、入ってくるのは常連客や知らない顔ばかり。一向に現れない「運命の相手」。
「はあ…」
また漏れたため息に、ルイがチラリとこちらを見て言う。
「リコちゃん、ため息、やめなさいよ。お客様が逃げてくわ~」
もうすでに3時間が経過…。さすがに今日は来ないかもしれない…。
カラン、と軽い音とともに扉が開いた。
「いらっしゃーい…って、あら」
振り返った私の目に飛び込んできたのは――カイだった。
「おう」
軽く手を上げ、カウンターに向かって歩いてくる。
「…カイか」
思わず出た声は、自覚のない落胆が混じっていた。
「なんだよ、俺じゃ不満かよ」
カイが面倒くさそうに眉をひそめる。
「別に、悪いってわけじゃないけどさ…っていうか、勉強しなくていいわけ?大学生さん」
「は?もう夏休みだし。ってか何なんだよ?その気合入った感じ」
その微妙な空気を感じとったルイが口をはさんで説明してくれる。
「リコちゃんね、運命の相手が来るのを待ってるらしいのよ、昨日倒れたところを助けてもらったっていう王子様をね」
その言葉に、カイの表情がわずかに変わった。隣に座る彼が、不意に私の肩に手を置き、心配そうに覗き込んでくる。
「おい、大丈夫かよ」
「え?何が?」
「だって倒れたんだろ?」
不意打ちの優しさに戸惑っていると、ルイがニヤリと微笑んで言う。
「あらっ」
ルイは口に手を当て、私たちをニヤニヤと見ながら、そっとテーブル席の客へと向かっていった。
「もう平気だって」
「どっか悪かったのか?」
「いや、べつに。飲み食いしないで、24時間過ごして、そのまま暑い外に出たらグラングランしちゃっただけ」
「…食えよ、飲めよ、ちゃんと寝ろよ、バカかよ」
呆れたように言うカイの声には、どこか優しさが滲んでいる。
「でも、ほら。そのおかげで“恋のはじまり”みたいな展開があってね。アクシデントからの出会いって、まさにドラマの世界でしょ?」
「はあ?…で、そいつに惚れたわけ?」
カイの視線が一瞬で変わった。心配そうだった目が、鋭く冷たいものに変わる。なぜか尋問を受けているような気分になり、居心地が悪い…。
「う…うん?いや、なんというか“恋の体験学習中”っていうか?」
言葉に詰まる。自分でもよくわかっていないくせに、私は必至にその感情を説明しようとしていた。
「ふーん。男に惚れるとか、そういうのと一生無縁な女だと思ってたけどな、リコは」
その言い方。“女”という言葉にトゲを感じる。
「そう、まさに無縁。だから24時間恋愛耐久マラソンの成果がでたというか?修行の果てにたどり着いたスーパーサイヤ人状態的な?」
ふざけて笑いながら話す私をカイは黙って見つめていた。その視線が、徐々に蔑むような目に変わっていくのが分かる。
「…、はあ、くだらな」
低く吐き捨てるような声。
「くだらないって…そんな」
「俺、帰る」
短く言い捨て、カイは立ち上がった。
「まだ飲んでないのに…」
「興味ない」
「わかった、じゃあ駅まで送る」
「は?」
機嫌が悪いカイをこのまま帰らしてはいけないような気がして、私も立ち上がった。
「いいじゃん、いいじゃん」
そう言って、カイの後ろをついて歩く。バーの扉を開けると、まだ梅雨明けしたはずなのにムワンとした夜風が、カイの香りと一緒に鼻にふわりと入り込む。
「なんで送るんだよ」
カイは、振り返りもせず、つぶやく。
「まだ人多いし、イケメンを外に放り投げるほど、冷たくないんです。カイ様を無事にお見送りせねば」
軽口を叩いてみるけれど、カイは特に反応せず、ただ前を歩き続ける。その背中を見ながら、私は無言で追いかける。
――いつもの調子、いつもの距離。
そう思い込もうとした時、カイが突然立ち止まった。
気が付かずに歩いていた私は、その背中にぶつかってしまう。
――あっ、カイの香りだ。
心の中で思った瞬間、慌てて一歩後ろに下がる。
「ごめん。ぶつかっちゃった。メイク、ついちゃったかも」
そう言いながら、カイの背中を軽くパタパタと叩く。
その時、カイは無言のまま振り返り、私をじっと見つめた。
目が合う。
言葉が止まる。
時が止まる。
――1秒、2秒、3秒、……、
「…7秒」
「え?」
カイは、きょとんとした表情で私を見る。
「目が合って、7秒見つめ合うと、恋が芽生えるんだって。どっかの恋愛ハウツー本に書いてあったのよ。…カイの目、すっごいね。真っ茶色で、光吸ってる」
カイは何も言わず動かなくなり、私はカイの顔の前で手を振った。するとようやく声を出した。
「カイ?」
「…リコは、真っ黒だな、瞳」
「でしょ、純日本人だからね。でもさー、好きだったら目をそらしちゃうもんじゃない?」
「そうか?」
「だって、好きだったら恥ずかしくて見てられないでしょ?」
そう言いながら、カイは私に向き直り、再び私の瞳をじっと見つめてくる。
――ビー玉みたいで、きれいな瞳。
吸い込まれそうな目を、私はただ見つめ返すことしかできなかった。
瞳の奥にある何かに触れた気がして、鼓動がゆっくりと、でも確かに強くなるのがわかった。
