だからこそ、この季節は忘れられない【1】#創作大賞2025 #恋愛小説部門
≪あらすじ≫
女性嫌いの大学生・カイ(20)は、年上の女性・リコ(30)と出会い、心の距離を少しずつ縮めていく。やがて二人は“セフレ”という形で曖昧な関係を結び、春、夏、秋…と季節を重ねるが、リコは冬に突然姿を消した。
5年後、事故で死を覚悟した瞬間、カイの脳裏によぎったのは、彼女の笑顔だった。そんな中、彼は『すれ違う季節』という一冊の小説に出会う。それは、リコが、カイとの日々を綴ったものだった――。
過去に交わされた“言葉にならなかった想い”の意味を知ったとき、カイはもう一度、彼女を探す旅に出る。
これは、すれ違いの果てに灯る、静かで熱い愛の物語である。
≪主な登場人物≫
■藤沢カイ(20) 女性嫌いの大学生
■小林リコ(30) 恋愛小説家・林ミコ
■浮田先輩(35) リコの先輩であり、編集担当者
■ルイ(27) 多様性歓迎バーのオーナー
プロローグ①
――最後に見たいと思った顔が、親でも婚約者でもなく、あいつの顔だった。
朝は苦手だ。いつものように、仕事用の恰好に身をまとい、重い足取りで駅へと向かう。半分夢のような状態で朝の光に目を細めながら、まるで冬眠から覚めるように、ゆっくりと意識が浮上していく。目の前の横断歩道が青に変わり、人々が一斉に歩き出す。道行く人々の雑踏に紛れ、その流れに身を任せる。
――はあ、今日も同じ憂鬱な一日が始まる。
と思っていた矢先、突然、けたましい車のクラクションの音が耳をつんざいた。
反射的に顔をあげると、眩しい黄色の帽子をかぶった小さな影が道路に飛び出している。
考えるよりも早く、体が動いていた。アスファルトを蹴り上げ、子どもの黄色い帽子を目掛けて、全身の力を振り絞って駆けだす。子どもの細い腕を掴み、自分の後ろに庇うように引き寄せた瞬間、視界の端に猛スピードで迫る車の影が見えた。
「ああ、これはもうダメだな」
そう悟った。これが自分の最後の瞬間なのだと。
急ブレーキの音と共に視界が一気に白く染まり、音も何もかもが遠のいていく。
同時に、あの場面が頭の中を駆け巡る。
酔っぱらったリコが、イスを抱きしめて真剣な顔で何かを語っていた。
なぜかその光景が、走馬灯のように脳裏をよぎった。
「なんで、よりによってそこなんだよ……」
もっといい思い出があったはずだろう?
カフェで見せたあの笑顔、バーで語った夜のこと、涙を流していたあの日のこと…。
それなのに、よりによってイスと語り合う場面を最後に思い浮かべるなんて。喉の奥に小骨が刺さったような気持ちだ。
「ああ、俺、勝手に死ねないのに…」
そう思った次の瞬間、意識は深い闇へと沈んでいった。
***
まだはっきりとしない意識の中で、白い天井がぼんやりと視界に入る。鼻腔を刺激する消毒薬の匂い、そして、鈍く響く痛み。腰と腕が、まるで鉄槌で打ち砕かれたようにズキズキと疼く。
「……痛っ、…、…ふっ、笑えるな」
自嘲的な笑みがこぼれる。
あっさりと人生は終わりを告げるものだと悟ったはずが、案外人は簡単に死なないらしい。意識が次第にクリアになり、突如、聞きなじみのある声が聞こえてくる。
「カイ!よかった、ほんとに、ほんとに…。だ、だ、大丈夫なの?頭は?打ってない?私のことわかる?」
見慣れた顔が、蒼白く歪んでいた。
ミカだ。彼女は、まるで溺れるように俺の手を握りしめ、必死に何かを訴えかけてくる。彼女は、本当に俺のことを心配して、真っ先に駆けつけてくれたのだろう。
だが、ずっと彼女に抱いていた後ろめたさが、腰と腕の痛みよりもずっと重く胸が苦しくなった。もう、彼女の気持ちを全面で受け止める自信がない…。
俺は、ミカの瞳をしっかりと見つめた。
「ミカ、別れよう。…ごめん。」
彼女の言葉が途絶え、静まり返った空気に、心臓が鼓動を早める。手を握る彼女の手は力を失い、彼女の瞳は驚きと悲しみが入り混じっていた。
俺は、点滴の針を抜き、痛みを堪えながらベッドから起き上がる。病院の冷たい床が、足の裏に突き刺さる。
俺は振り返ることなく、まっすぐ前を見て歩き進めた。そして、スマホを取り出し会社に電話をした。
「急ですが、今日で仕事、辞めさせてください」
無機質な受話器から、自分の声が響く。そして、スマホを握り潰すようにゴミ箱に投げ込んだ。
***
焼けた真っ赤な色の空は、気が付けば星も見えない暗い空だった。人でごった返すオフィス街のこの場所も、真夜中になれば静まり返り、スーツケースを引きずる音だけが、虚無の中に響き渡っている。
俺は路地に入り足を止める。そこには、あの時と変わらない、ポツンと小さな看板が明かりを灯している。
【多様性歓迎バー】
ここに来るのに5年かかった。
あの日、リコと別れてから、俺の時間は止まったままだった。まるで、あの日の後、俺は生きていなかったかのように。
バーの前に立ち、ようやく時が動いた気がした。リコといた5年前のあの日々があたかも昨日のことのように蘇る。それは虚しさとはまた違う、暖かなものだ。
バーの扉に目をやると、中からお客さんを見送っている女装バージョンのルイがいた。ルイはお辞儀をしてすぐ、俺に気が付き、ニコリと微笑む。
「おかえり、カイちゃん」
「ルイ、今日はだいぶ厚化粧だな」
「久々に会ってそれ、ひどいわね」
ルイに背中を押され、薄暗い店内に入ると、心地よい音量でジャズが流れ、木製のカウンターには無数のグラスが並んでいた。奥のテーブルには数名の客がおり、タイムスリップでもしてきたのかと心臓が一瞬止まる。
だがすぐに現在なのだと気付かされる。
「リコは?」
「何よそれー、会って早々、リコちゃんの話?ひどい、ひどい、ひどすぎるわー」
ルイは、カウンターでお酒を作りながら、俺を見てため息を付く。
「まあ、いいわ。来てくれたから良しとしてあげる。とりあえずいつものね」
そう言うと、ルイは、通常よりも2倍ほどの量が入る細長いグラスに、淡い黄色の液体が注がれたソルティドッグを俺の前に置いた。
5年前、カウンター席に長時間居座る俺たちを見かねて、ルイが大きいグラスにお酒を注ぐようになったのだ。
ルイはグラスを置いて俺の目を見ると、後ろにあるスーツケースを見て言う。
「スーツケースなんて…、誰かさんみたいじゃない?あら?あら、あら、あらぁ?もしかして、ようやく、リコちゃんを探す気になったのかしら?」
「ようやく…か」
「そうよ。もう10年もずっとここで、二人を待つ私の身にもなってみなさいよ…私だってね…、寂しいんだから」
「盛るな、5年な」
切ない顔をするルイを見て、俺だけが辛い思いをしていたわけではないことに、今更気が付く。バーの2階に住んでいたリコは、ほぼ毎日ここで飲んだくれいた。
俺よりもルイはリコと多くの時間を過ごしたはずなのだから。
「悪かった…。ルイは元気にしてたか?」
「まあ、そうね、相変わらずよ!最近は女装の方が多いかしら」
「それは聞いてない」
相変わらずテンポよく会話をしてくるルイに思わず顔がほころんでしまう。ここで、ルイとリコ、俺と三人でたくさんの時間を過ごした。
ここに来ては、しょうもない、くだらない話ばかり。だが帰る頃には、来週もまあ適当にがんばるかって思える。そんな日常を貰える場所だった。
「でも、カイちゃんには幻滅よ!げ・ん・め・つ!」
「な、なんで」
ルイは目を細めて俺を見る。
「婚約したんだって?」
「は?なんで」
ルイが知っていることに驚き、思わず口に入れたお酒を吹き出しそうになった。
「私の情報網、舐めないでくれる?」
「…は?怖っ」
「何年ここでバーやってると思ってるのよ!それに、婚約者は結構有名なご令嬢さんじゃない」
「……」
「何?よりにもよって、カイちゃん?金に目がくらんだわけ?どういうことなのよ!」
確かに、女嫌いな俺が婚約するなんて、金に目がくらんだと思われても仕方ないだろう…。ほぼ業務命令の婚約だった…。とはいえ、言われるがまま、流されるまま、俺は婚約までしてしまったのだ。
「ついさっき、婚約破棄してきた。仕事も辞めた」
「ええええ!上流階級への道が…もったいないわ!大変」
「幻滅したんじゃなかったのかよ…」
「ってことは、今もまだリコちゃんラブってことなのよね?」
「…、まあ、そういうことだな」
「それなら許してあげるわ!」
「で?」
「で?って?」
「ルイの情報網なら、リコの居場所ぐらいわかるだろ?」
「知らないわよ。リコちゃん、転々と放浪してると思うし…」
ルイのバーの2階に住むまでは、海外を転々としていたと聞いたことがある。
それに、リコはスマホを持っていなかったので、連絡先も知らない。
「そういや、そもそもリコがここに住んだきっかけって?」
「え?話してなかったかしら?」
ルイの話は、俺の知らなかった二人の過去だった。
■全話一覧URL
だからこそ、この季節は忘れられない 【1】プロローグ①
https://note.com/charm_nerine8394/n/n59edacba6dac
だからこそ、この季節は忘れられない 【2】 プロローグ②
https://note.com/charm_nerine8394/n/naf430315c08b
だからこそ、この季節は忘れられない 【3】 春①
https://note.com/charm_nerine8394/n/n67b082e57aa6
だからこそ、この季節は忘れられない 【4】 春②
https://note.com/charm_nerine8394/n/n62240877270d
だからこそ、この季節は忘れられない 【5】 梅雨のはじまり①
https://note.com/charm_nerine8394/n/ne59799331903
だからこそ、この季節は忘れられない 【6】 梅雨のはじまり②
https://note.com/charm_nerine8394/n/n4fc097d76999
だからこそ、この季節は忘れられない 【7】 梅雨のはじまり③
https://note.com/charm_nerine8394/n/n0dab6a1b3f4c
だからこそ、この季節は忘れられない 【8】 梅雨の終わり①
https://note.com/charm_nerine8394/n/naa8d80e76f8c
だからこそ、この季節は忘れられない 【9】 梅雨の終わり②
https://note.com/charm_nerine8394/n/n128cf22debbe
だからこそ、この季節は忘れられない 【10】 夏①
https://note.com/charm_nerine8394/n/n0c408898f573
だからこそ、この季節は忘れられない 【11】 夏②
https://note.com/charm_nerine8394/n/nc3a3be7e6457
だからこそ、この季節は忘れられない 【12】 夏③
https://note.com/charm_nerine8394/n/nd2b2f4807516
だからこそ、この季節は忘れられない 【13】 残暑
https://note.com/charm_nerine8394/n/n2d36cca91a48
だからこそ、この季節は忘れられない 【14】 秋①
https://note.com/charm_nerine8394/n/ndbba5fc34d95
だからこそ、この季節は忘れられない 【15】 秋②
https://note.com/charm_nerine8394/n/n6c5c0fe61e00
だからこそ、この季節は忘れられない 【16】 秋③
https://note.com/charm_nerine8394/n/n19f3a3f21440
だからこそ、この季節は忘れられない 【17】 秋④
https://note.com/charm_nerine8394/n/nc0b34c6ea74c
だからこそ、この季節は忘れられない 【18】 冬①
https://note.com/charm_nerine8394/n/n52f5d82d7ff3
だからこそ、この季節は忘れられない 【19】 冬②
https://note.com/charm_nerine8394/n/n38b7afcc0cac
だからこそ、この季節は忘れられない 【20】 冬の終わり
https://note.com/charm_nerine8394/n/n9c64cf960a36
だからこそ、この季節は忘れられない 【21】 春のはじまり
https://note.com/charm_nerine8394/n/n2aa8f0cc0b86
だからこそ、この季節は忘れられない 【22】 エピローグ
https://note.com/charm_nerine8394/n/n0c6a7fd25608
