だからこそ、この季節は忘れられない【15】#創作大賞2025 #恋愛小説部門
第5話 秋:触れたいのに届かない②
(小説:すれ違う季節)抜粋
***
朝の空気がひんやりと肌を撫で、少し肌寒いけれど、それが心地いい。大きくゆっくりと伸びをしながら、私は店の前で梶の車を待つ。
土曜日の朝。街はいつもより静かで、時間の流れが少し緩い気がした。
今日は、何も考えずに過ごせそう。だって、私にはたわわに実ったミカンたちが待っているのだから!
私の隣には、ルイ。なのに、なぜか今日は――
「なんで男装バージョン?」
それでもおしゃれなニットを着こなし、ふわりと香水の匂いが漂う姿は、まるでモデルのよう。
「そりゃ決まってるでしょうよ。果物狩り・食べ放題・秋晴れ・土曜日!となれば、男装一択よ!力入るじゃない!男の方が!」
梶が来るから、てっきり女装バージョンかと思いきや…、ルイの食い意地の方が勝つとは…。
「私も今日は男になりたい」
「ざんねーん、リコちゃんには“覚悟”が足りませーん」
「くっ…。今日だけ胃袋広がらないかな…」
そんな他愛ないやり取りをしていると、一台の大きな車が目の前に停まり、運転席から梶が笑顔で顔を出す。
「おーい!リコピん!ルイちゃん、お待たせ!」
「うす」
車に乗り込もうとすると、後部座席にはすでに二人のカップル――いや、カイと広告宣伝部にいたカイの隣にいた女の子…。
「カイちゃーん!」
ルイがすかさず反応をする。
「リコ、ルイ」
カイが私に気づき、顔を出しながら小さく手を挙げてきた。
うわ…。まさか、カイもミカン狩りとは…。梶め!だれかれと誘いやがってー!
――今日は、なんとなく会いたくなかったんだよな…
抱き着かれたあの日から、カイとは会っていない…。何というか…どうカイを見たらいいやら。カイを見た瞬間、邪念がワサーって湧いて出てくる。
なんなんだか…。
「あれ?カイとリコぴんたち知り合いなのか?」
運転席から後ろを振り返り、私たちに話しかける梶。
「まあ、ルイの店の常連でね…」
「へえ。そうだったか。後ろのふたりが、うちのインターン組のカイと金子っち。で、助手席が新人の田中ちゃんな」
みんなは私たちを見ながら軽く会釈をする。
すかさず、ルイも挨拶を入れる。
「はーい、この子は四六時中パーカー女、リコちゃんですー。私は、元カメラマン、今はバーテンダー、男女もこよなく愛す、ルイちゃんでーす!よろしくねー」
私もルイに併せて「よろしくですー」と会釈しつつ言う。
後部席に座る金子っちとカイの気配を背中に感じながら、私とルイは席に深く座り込む。
車が走り出し、窓から秋晴れの空を見上げる。風に揺れる木々の葉が、少しだけ黄色くなり始めていた。澄んだ空に太陽が眩しく、これから始まるミカン狩りへの期待と、背後にいるカイへの戸惑いが入り混じる。
梶チョイスの懐かしいBGMが流れる中、前方では梶と新人田中ちゃんが何やら私の話をし始めている…。
後方では、金子っちの楽しそうな笑い声に、カイの声が混じっているのが聞こえた。耳を澄ませば、話している内容が分かるはずなのに、なぜか聞きたくない自分がいた。
「リコちゃん、大変!事件よ。後ろの二人、イチャついてるわ」
「うん…みたいだねー」
ルイが囁いてくるが、どうでもよかった。むしろ、早くこの状況から逃れたい。
「なに?気にならないの?」
「うーん、それよりも今は寝たい…」
「えー、寂しいわ、リコちゃん!じゃあ、梶さんにアプローチしちゃおうかしら?」
「それは全然。むしろ推奨」
「え?やだ。推奨?突撃しちゃうー」
「……」
あー、もう頭がぐるぐるしてきた…やばいなー。思考がうまくまとまらない…。
私はフードを深くかぶり、目を閉じようとするが、気持ち悪くて眠れない。これは、確実に“車酔い”だ…。
「ちょっとパーキングエリア寄るぞ!ニコチン切れだ!」
梶の声が、心底ありがたい…。
車が止まると同時に、私はルイに「漏れる!」とだけ言って、車を飛び出した。
ふう…。間に合った。胃の中を空っぽにしてスッキリ…というより、虚無。トイレで口をゆすぎ、顔を洗って鏡の前で自分の顔を見ると、青白い顔が映っていた。
はあ…。何やってんだろ私…。
トイレから出ると、梶が私に気が付き近寄ってくる。
「大丈夫か?ほら、これ」
差し出されたのは、酸っぱいレモンジュ―ス。そして酔い止め薬。
「懐かし。梶にはバレバレだったか。ありがと…」
「悪かった。調子悪いと車酔いするの、知ってたのにな」
貰ったジュースの瓶を手に取り、一気に飲み干す。
「車酔いにはこれなんだよね。さすが梶」
「だろ!紳士すぎるな、俺」
「ああ、はいはい」
「いけてるだろ?」
「わかったってば!」
「ちなみに、そのミカン色のパーカー。さては、リコピん。今日はミカン記録更新するつもりだな」
「毎回更新するつもりで挑んでるって!」
「ほお~、20個いくつもりか?」
「いや、今、胃の中空っぽだからね。今日は30個食べれる!イケる!」
「気合いだ、気合いだ、気合いだー!」
「気合いだー!!っておい!やらせるな!」
「ナイス発声だった!ははは」
笑ながら私たちは、車へと戻る。
田中ちゃんが助手席に手をかけたところで、梶がふと声をかけた。
「田中ちゃん悪い。リコピん、助手席な」
一瞬の間のあと、田中ちゃんと金子っちは、顔を見合わせてニヤッと笑った。
「えええ?じゃあ私、ルイ様の隣に行ってもいいですか?」
「ええ?田中ちゃん?あら私?嬉しいけど?なに?急に興味もたれちゃった!?」
「はいー、イケメンすぎて、田中とろけそうです」
「あら、やだ可愛いこと言って~!リコちゃん、さっさと前行きなさいよ。田中ちゃん、こっちこっち!」
助手席に乗り込むと、隣の梶はフンフンと鼻歌混じりにハンドルを握っている。
後ろからは、田中ちゃんが興奮気味に「推しキャラがルイ様にそっくりなんですー」と力説している声が聞こえる。ルイのノリの良い相槌が、それに拍車をかけていた。
そのおかげか、後部座席のもう一組――カイと金子っちの会話は、耳に入ってこなかった。
…それでよかったはずなのに。
ふと、バックミラー越しに、目をやってしまう。
そして、その瞬間、カイと目が合った。
一瞬で反射的に視線をそらす。
まるで、見られたくないものを見られたかのように、心臓が小さくドクンと音を立てた。
気まずさを紛らわせたくて、隣の梶に声をかける。
「インターン生同士、仲良しだね」
言ってみてから、しまった、と思った。自分でも驚くほど、声に余計な響きが混じってしまった気がしたのだ。
まるで、彼らの親密さをなじるような、あるいは、それをうらやむような――そんな複雑な感情が滲んだ濁った響き。
慌てて訂正しようと口を開きかけた時、先に梶の声が返ってきた。
「そうだな。苦楽を共にするというのは、まさに同志!俺とリコピんのようなもんだ」
「はいはい、そこは“同期”でいいから」
「ははは」
「はは…」
思わず笑ってしまう。でも、心の奥のざらつきまでは、そう簡単に拭えそうになかった。
***
車がミカン畑に到着すると、風に乗って甘酸っぱい香りが漂ってきた。出迎えてくれたのは、変わらぬ笑顔の梶ハハだ。
「ども!梶ハハ!お元気そうで何よりっす」
「わぁー、リコちゃん来てくれたのね!久しぶり。見てみて、これ!」
梶ハハが、小屋の壁を指さす。
小屋中のあちこちに貼られた写真。その中にある私と梶、他の同期たちが映った一枚の写真だ。私は「本日の最高記録19個」と書かれたプラカードを誇らしげに持っている。
「懐かしい~」
「でしょー」
「梶ハハ、今日は30個食べるつもりで来てますから!」
「あらまー!期待してるわよ!」
畑の端では、梶父が黙々とミカンの手入れ中。
その傍らで、梶ハハが大きく腕を広げて号令をかける。
「じゃあみなさん、用意はいいかしら?時間制限は45分!よーいスタート!」
その声と同時に、全員が一斉に思い思いの方向へ散っていく。私は目の前のミカンの木に狙いを定め、たわわに実った一つをもぎ取った。皮をむき、口に放り込む。
「うっまー!」
甘さと酸味のバランスが完璧で、疲れた胃にじんわりと染み渡る。
隣では、ルイが木の上のでかいミカンを狙っていた。その姿はまるで、収穫の神に扮したパフォーマーのようだ。背後から、ルイのお尻に大量のミカンが詰め込まれているようなシルエットに見えて、思わず笑いが込み上げた。
「ちょっと、リコちゃん!笑ってる場合じゃないわ。あのミカン取らなきゃ!」
「近くのミカン取ればいいじゃん」
私は呆れて言う。目の前には、いくらでも手の届く場所にみずみずしいミカンが鈴なりになっているのだ。
「何言ってんのよ!日当たりの良い場所のミカンが、一番甘くて美味しいの!ネットで確認済みよ。あのミカンが、この畑でトップ・オブ・トップよ!」
ルイは鼻息荒く力説する。その目は、最高の獲物を前にしたガチハンターのように、ギラギラと輝いていた。
必死で手を伸ばすルイの指先に、すっと枝ばさみが現れた。
狙いのミカンがひょいッと枝から離れて落ちていくのを目で追うと、それをしっかとキャッチしたのは、梶父だった。梶父は何も言わず、その完璧なミカンをルイに手渡す。
「きゃあ!ありがとうございます!」
ルイの目が、さらにギラギラと輝きを増した。だがその視線は、もはや最高のミカンではなく、救世主たる梶父へと熱烈に注がれている。さすが、老若男女をこよなく愛すルイ…。
ミカンを頬張りながら、ルイが指を指して言う。
「やっぱり、あの二人、仲良しすぎるわ。嫉妬しちゃうわ。ねえ、リコちゃん?」
視線の先には、カイと金子っち。
並んで同じ木を見上げながら、楽しそうに笑っている。
ま、まぶしい…!青春かよ!最高のカップルじゃん!って…。
――女嫌いじゃなかったんかーーーい!
心の中でツッコミながら、私は黙ってミカンを剥いては食べ続けた。今は、とにかく記録更新あるのみ!時間との勝負なのだ!
「ルイ様、あちらの木のミカンが甘くて美味しいです!」
と田中ちゃんに腕を引かれて、ルイはあっという間に連行されていく。
ひと息ついたところで、背後から声がかかる。
「リコビん。今いくつだ?」
梶の声に、ハッと我に返る。
「え?あー、多分まだ10個ぐらい…。ペース的にやばいかも」
「よし、剥いてやる。全力で食え」
「はい」
差し出された梶の手に、素直にミカンを乗せる。
***
(5年前・カイ視点)
「カイ君、このミカン、めちゃウマだね」
「ああ…」
隣で笑ながらミカンを頬張る金子の声に、俺は曖昧にうなずいた。
そのすぐ先で、無心にミカンを食べ続けるリコの姿――
目が離せなかった。
〇〇出版のオフィスで、リコを思わず抱きしめてしまってから、今日が初めての再会だった。
あの夜からずっと、胸の奥に居座っている。気まずさ。後悔。そして――リコがあれをどう受け止めたのか、わからないままの不安。
車の中でも、サービスエリアでも、そして今も、話しかけようとして言葉が詰まる。そのくせ、無意識に目で追ってしまう。今もただ黙って、ミカンを食べるしかできない。
「もしかして、あの人?」
金子の声に、現実に引き戻される。
金子には、何度か助けられてきた。社内の女性陣からの過剰なアプローチに困っていた時も、金子がズバッと声を上げて、場を収めてくれた。
「カイ君ってさ、好きな人いる?彼女いる?あの女たちうざくない?」
そう聞かれ、俺は正直に答えた。
「好きな人がいる。でも届かない人だけど。それに俺はあの手のタイプの女性は嫌い」
すると金子は、あの場にいた女子たちを一瞥してこう言ったのだ。
「カイ君は女性嫌いで、好きな人もいるので、邪魔!さっさと仕事に戻ってください。はい退場!」
見事な手際だった。礼を言うと、金子は、
「私のため。あれ、仕事の邪魔」と笑っていた。本当に頼れる奴なのだ。
「うん」
俺の返事に、金子はニッと笑って言う。
「あの人、ハムスター見たいだね」
確かに。ミカンを頬張るリコの姿は、小さな口を懸命に動かすハムスターそのものだ。無意識に口元が緩む。
「あんな、かわいらしい人と、どうやって知り合ったの?」
「まあ、ひょんなことから…」
「そう。だけど、梶課長。リコさんのこと狙ってるっぽい。ただの同期とは思えない仲の良さだね」
金子の言葉に、俺は無意識にリコと梶課長の方へ目を向ける。確かに、二人の間には、長年培われた気安さがある。だが、それだけじゃない気もする…。
「…ぽいよな」
「間違いない。で、田中ちゃんは、ルイさん狙い。ルイさんは梶課長狙い。この四角関係。ウケる。ちなみに私は、リコさん狙い」
さらっと、金子のぶっ飛んだ発言に、思わず眉をひそめる。
「は?お前、真面目に言ってんの?」
「うん。ちょっと守ってあげたくなるタイプ、小動物系、好きなんだよね。それにカイ君とリコさん、まだ付き合ってないでしょ?」
「そうだけど…」
俺の歯切れの悪い返事に、金子はニヤリと笑う。
「じゃあいいじゃん?多分あれは、どっちもいけるクチだから」
「え?どうゆうことだよ」
「わざわざ、カイ君に教えません」
金子の言葉に、俺の胸に微かなざわつきが広がる。なぜか焦りを感じている自分に、気づかないふりをした。
***
「はちきれる…」
リコの声に、思わずぴくっと反応した。でも、また声をかけられなかった…。
ミカン狩りを終えた俺たちは、梶課長の実家のリビングに集まり、各々が思い思いの場所で、思い思いのポーズで、苦しげに横になっていた。
そう…みんな、ミカンの食べすぎで、お腹が苦しいのだ。
片隅で、リコは、「はちきれそう」とお腹を押さえながら、バケツの中のミカンのヘタの数を数えていた。
「何個だ?」
梶課長がテーブルに並べたヘタに目をやりながら言った。
「こ…これは…。確実に足らない…」
「25個か…、1分間に0.5555個」
「それって、30個食べるなんて、早食いチャンピョンレベルじゃん」
「リコピんには、30個は無謀だったな。見積りがあまーい」
「…、ごもっともでーす」
「でも自己更新記録は達成だ。ははは」
「はは…」
梶課長とリコのやり取りは、どこか軽やかで、長年の空気感があった。そのうち、梶課長がお茶を持ってくると言って立ち上がる。それに続いて…
「あ、そしたら私も手伝うわー!梶さん待ってー」
「ルイ様待ってー。私も行きます!」
田中さんとルイもそれに続く。
四角関係に拍車がかかる中で、隣にいた金子も静かに動き出す。
「リコさん、これどうぞ」
金子がリコの隣にちょこんと座り、胃薬を差し出した。
「わ、胃薬!ありがとう!金子っちって、もしかしていろんなもの持ち歩くタイプ?」
「はい、リュックの中には、薬、絆創膏、飴にゼリー。なんでも揃ってます。準備満タンです」
「歩くドラえもん金子っちじゃん。一家に一台だね」
「です」
いつの間にか仲良くなってるし。金子の表情、完全に“萌え”って書いてある。
「梶課長とは、どういう仲なんです?」
「え?同期」
「それ以上の関係に見て取れますが」
「うーん?そう?というか、二人は梶の下でインターン生してるんだよね?」
「はい」
「梶って、うざくない?」
「え?」
「暑苦しいってくらい太陽キャラでしょ?アイツ」
「わかります」
「でもね。ネガティブの私は、たまに助けられてたなあ。すごいんだよやっぱり、尊敬する。ポジティブシンキングってのは、簡単にできることじゃない」
「どういうことですか?」
「人一倍努力して、努力した先に梶みたいな考え方になれる。いわゆる、超サイヤ人ブルー的な?」
「サイヤ人…?」
「私はいっつも努力が中途半端だから。梶は最強だよ。梶になろうと思うと、キツイけど、良いところだけ盗んだら、サイヤ人にはなれるかもよ?」
「サイヤ人ですか…。リコさんは、梶課長のこと、信頼してるんですね」
「苦楽を共にした同期だしね…って。さっき梶が言ってたな」
梶課長達がお茶を持って部屋に戻ってくる。その空気の変化を察した梶課長が、キョロキョロと見回す。
「何話してたんだ?」
「リコさんから、梶課長がすごいって話を…」
「リコピん!俺のこと好きすぎるな」
「ちがうから!離れろ!」
居心地が悪そうなリコは、外へと逃げだす。梶課長は楽し気に後を追う。
「おいおい照れるなって~!」
それを見ていた金子が、ふと呟いた。
「いいの?行かなくて。もしかしたら、梶課長とちゅっちゅっしてるかも。阻止すべきだと思う。あ、それとも私行こうかな?」
その言葉に、胸の奥がぐらりと揺れた。不安で堪らなくなった。思わず立ち上がっていた。
外に出ると、庭先でリコと梶課長が煙草を吸っていた。
リコの声が聞こえる…。
「今日は、25個もくってやったからな」
そう言いながら、リコはお腹を梶課長に向けて差し出していた。その手がリコに触れそうになる直前、俺は梶課長の手首を掴んで止めていた。
「カイか。どうした?」
驚いた顔の梶課長に、俺は何も言い返せず、掴んだ手を離した。
「……」
「…ははは。奇跡だな。ルイちゃんのとこの常連で、リコの知り合い。俺のところにインターン!もう、カイは俺の弟だな。ははは」
「ははは、じゃないって…」
とリコが言う。
「でも、お前ら、本当にタダの知り合いなのか?なんか…」
その問を遮るように、リコが呟いた。
「そうだってば」
「違います!」
俺の声が重なった。
「こういう仲なんで、邪魔しないでください」
気付いた時には、リコの手を握っていた。胸の奥から溢れ出た衝動だった。
一瞬、時間が止まったようだった。
梶課長は、ブツブツと言いながら、その場から立ち去った。
「…」
リコは何も言わない。
「…俺、悪いことした?」
「え?…あ、うーん?」
リコの視線は、つながれた俺たちの手に落ちていた。何も言わない…。拒否も、肯定もない。
それが逆に、怖かった。
「ごめん…」
思わず手を離して、その場を立ち去ってしまった。自分でも、何が正しかったのかわからない。
その途中、金子とぶつかった。
「カイ君、待ってって!」
「なんだよ」
「かっこよかったと思う」
「…嫌がられたし」
「どうかな?そうは見えなかった」
「それに、どうこうなりたいなんて思ったら…、いけないんだ」
金子の視線が、一歩後ろにいるリコの姿を捉えていた。リコの視線がこちらを見ていた。ハッとしたように、金子が息を飲む。
それでも、俺は、その意味に気づけなかった。
