だからこそ、この季節は忘れられない【18】#創作大賞2025 #恋愛小説部門
第7話 冬:別れの季節①
(小説:すれ違う季節)抜粋
昼間から鳴りっぱなしの浮田先輩専用スマホ。そして、その着信の理由も分かっている。
私が提出したプロットとは違うストーリーを描き、完成稿を送りつけたからだ。
そして今、私は戦いを挑むべく、○○出版のオフィスに乗り込んでいる。
「浮田さんとお約束しております、小林です」
受付で名乗ると、間もなく浮田先輩が血相を変えて現れた。
彼女は私を会議室に押し込むと、早速声を荒らげる。
「なんでよ、プロットと違うじゃない!この企画は雑誌の企画であって小林の小説じゃないの。そんな好き勝手出来ない」
「はい、それでも、やっぱり変更しました。二人はゴールインしません」
「は?理由は?」
「結婚=幸せって、安易すぎると思いません?」
「…わかるよ、わかるけど。でもね――」
浮田先輩が口を開きかけたところで、私は遮る。
「安心してください!違う形で幸せになってもらうんです」
そう言いながら、ラストまで執筆を終えた書面を先輩に叩きつけた。
「どうぞ、先輩。まずは読んでください。それから文句でもなんでも言ってください」
「……わかった」
何か言いたげな表情の先輩は、私が渡した書面を手に取り、仕方なさそうに席に着いた。
そして、不機嫌そうにページをめくり、読み始めると、厳しい表情で、原稿を読み進めていた。
私は自分で持参したコーヒーをテーブルに置き、ひとつを先輩に差し出す。
数十分後。
書面を読み終えた先輩は、コーヒーを飲みながら腕を組み、じっと私を見る。
「…それで、どうでした?」
先輩の言葉を待ちきれず、私は問いかけた。
「今の時代のリアル…かもしれない。でも――」
私は、またも彼女の言葉を遮り、話し始める。
「先輩、そもそも『家族』って何ですか?」
「は?」
「結婚して、子どもを産んで、一緒に子育てをして、生活を共にする。その中でお互いを知り、絆を深めて、外で辛いことがあっても『自分には愛する夫、妻、子どもがいる』って頑張れる。それが『家族』ですか?」
「まあ、それが理想の家族像よね」
「つまり家族というのは、絶対的な「自分の味方」なんですよ。それが、結婚願望の本質なんだろうって」
「うん…」
「でも実際のところ、どうです?紙切れ一枚でつながる法的な関係が、呪縛のように感じている人だっている。血がつながっている親子だって、必ずしも思い通りの関係にはならない。だからこそ、そんな縛りなんてなくても、ただ純粋に『自分の味方』だと思える相手がいたなら、それが本当の幸せだって思いません?」
「……」
「だから、この結末では結婚はしません。でもその代わり、ホンモノを手に入れるんです。最高でしょ?」
私は興奮しながら、自分の物語の結論を語り続けた。
私自身がそうでありたかったように、登場人物たちも同じように幸せを見つけるべきだと思ったからだ――。
浮田先輩は深い溜息をつき、コーヒーをもう一口飲んだ。
「小林の考え、理解はできる。でも読者がどう思うかは、また別の話よ」
「それは分かってます。でも、こうしないと嘘になるんで」
「……わかった」
先輩はゆっくりと立ち上がると、机に置かれた書面を手に持って言う。
「最終的にこれで進めるかどうかは、編集会議で決まるけど、そのまま押し通してみる。でもボツったら文句言わずに書き直しなさいよ」
私は思わず笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、先輩」
その瞬間、浮田先輩が小さく笑ったのを見逃さなかった。
「まあ、小林らしいわね、本当に」
そう言い残し、彼女は会議室を後にした。
私は一人、その場に残り、手元のコーヒーを見つめながら深く息を吐いた。
「これでよかったんだよね…」
小さな声で呟いたその言葉は、自分に向けた問いかけだった。誰かに認められるためじゃなく、自分の“痛み”に向き合って書いたラスト。
――たった一人でも、自分の言葉に頷いてくれる誰かがいれば、それでいい。
少しだけ、心が軽くなった気がした。
オフィスのドアを開けると、冷たい夜風が一気に頬を打った。もう空はすっかり暗くなっていた。夜が長くなり、一段と寒くなってきた。乾燥した冷たい空気が鼻を抜けたとき、ふと、思う。
――ああ、これが冬の香りか。
通りにはクリスマスのイルミネーションが灯り、ひときわ大きなクリスマスツリーが飾らていた。その周りには、たくさんの人たちがツリーを背景に写真を撮り合っている。枝には短冊のような紙がいくつも吊るされていて、それぞれに願い事が書かれていた。誰かの未来への希望が、光に照らされて揺れている。
そういえば――まだみんながサンタを信じていた頃、私はすでに知っていた。誰にでもサンタが来てくれるわけじゃない。愛されるものだけにサンタが訪れること。
それでも、私は来ないサンタにすがるようにして、心の中で強く願った。
――ユウタと家族になりたい
その願いを込めたのは、川沿いの草原に立つ、大きな木の下。ユウタが家族とクリスマスを過ごしている間、私はひとり、夜の空に向かって願った。
ユウタと私は、いつもその木の下で秘密基地のように遊んでいた。子どもの頃の私たちにとって、その場所は、世界で一番“特別”だった。
それから十年以上の月日が経った、高校3年のクリスマスイブ。突然、ユウタから告げられたのだ。
「俺、関西の大学を受けることにしたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、胸が痛んだ。
当たり前に傍にいると思っていた存在が、遠くへ行ってしまう。その現実に、どうしようもなく動揺した。
同時にユウタに依存していた自分の弱さが、醜く思えた。だから、私は、涙をグッとこらえて笑った。
「そっか…。ユウタ、頑張ってね」
すると、ユウタが言い出したのだ。
「なあ、リコ。タイムカプセル、埋めない?」
翌朝のクリスマス。私たちはそれぞれ手紙を書き、大切に缶に入れて、あの木の下に埋めた。
「いつ開けるの?」と私が聞くと、ユウタは少し考えてから笑って言った。
「4年後以降。俺たちが今よりも、もっと幸せになっていたら、一緒に開けよう」
それは、何気なく笑いながら言った言葉だった。でも、私にとっては――あの日の空気ごと、胸に深く刻まれていた。
ユウタが言う「幸せ」って、何だったんだろう。どんな未来を願って、あの言葉を口にしたのだろう…。
そして、私は。
あの時、自分が何を書いたのかすら、もう思い出せない。
今もまだ、あの缶は開けていない。そっと土の中に眠ったままだ。
――ユウタは一体、何を書いたのだろう…
***
スコップを手に、私は木の下に立っていた。
ユウタと数えきれない時間を共に過ごしたこの場所は、今では雑草に覆われ、どこか荒れ果てているように見える。
まるで私が「忘れていたこと」を責めるかのように、冬の風が音もなく吹き抜けていく。
私はそっとスコップを地面に差し込み、掘り始めた。
落ち葉の下、乾いた土の下、あの朝に埋めたはずの缶を求めて。
だけど――いくら掘っても、タイムカプセルの缶は出てこない。
「…どうして?」
あの日、確かにユウタと一緒にこの場所に埋めた。木の形も、根本の石も覚えている。なのに、何度掘っても、そこには何もなかった。
もしかして――ユウタが先に掘り返した?
もしそうなら、タイムカプセルは今どこに?
ユウタは中身を読んだのだろうか?
胸の奥に、見つからない缶以上の“空白”が生まれていく。
また私は、大切なものを手放したままなのだろうか――
そう思った時、ポケットの中のスマートフォンが震えた。
一瞬、出るのをためらったが、私は通話ボタンを押した。
「はい、もしもし」
「小林…。やっぱり、アレ、ボツになっちゃった」
「…」
「書き直して。ちゃんと二人は向き合って、結ばれるラストに」
私は、しばらく何も言えなかった。何かが、パラパラと風で流されていく…。
「小林、聞いてるの?」
「…ああ、はいはい。やっぱりそうなると思ってました。了解です。王道で、書き終えます」
通話が切れた後、私はもう一度、木の下を見下ろす。
荒れた土、見つからないタイムカプセル。
何を期待したのか…。ユウタの言葉も、手紙も、過去の想いも――私が救われることなどない。
でも、それでいい。私は、ユウタを忘れない、変わらない。救われなくても、ちゃんと前に進む。それが、私の選んだ生き方だから。
この空白を、この痛みも、抱えたまま進む。
――ユウタを上書きなんてできない。
これは、一瞬の幻。変らないし、変わってはいけない。絶対に。
***
(5年前・カイ視点)
リコの部屋に漂う甘いアルコールの香りが、いつも以上に濃く感じられる夜だった。リコは俺の隣で静かにグラスを傾け、そのたびに小さな音を立てる氷が心に妙に響く。
「ペース、早くないか?」
軽く声をかけてみたものの、リコは少し微笑むだけで何も答えない。その背中はどこか寂し気で、薄暗い照明の下ではまるで影に溶け込むようだった。
何かあったんだろうか。でも俺はその理由を尋ねることができない。リコが言いたくなるまで、俺は待つしかない…。
それでも、俺が今リコにできることと言えば、これくらいしかないのだ…。
「リコ」
彼女の名を呼び、そっと抱きしめる。リコは少し驚いたように目を見開いたが、何も言わず、俺の体に手を伸ばし、俺の腕の中に体を預けた。その温もりに、俺は自分の鼓動が高鳴るのを感じる。
触れるたびに、いつもとは違う感情が胸を満たしていく。これまで注意深く避けてきた感情が、抑えきれなくなって溢れ出していた。
「リコ」
「カイ」
初めてだった。俺の名前を呼んで返してくれる。
俺は名前を何度も呼びながら、彼女の声を聞き、抑えられない感情が溢れ出す。
彼女の体にキスを落とし、そのたびにリコが少しだけ声を漏らし、かすかに震える。その反応が愛おしくて、どうしようもなかった。
触れる指先、交わす息遣い――すべてがこれまでよりも濃厚で、深く、愛に満ちていた。俺はただリコに夢中で、彼女を包み込むように抱きしめ続けた。
そして俺は、リコの唇に目がいく。つい、体が唇に近づいていく…。その瞬間、リコの頬を伝う涙が目に入り、動きを止めた。
「リコ…」
リコはすすり泣きながら微笑み、ぽつりと言う。
「カイ、続けて…。もっと気持ちよくして…」
この言葉に心が締め付けられる思いだった。自分の存在が、リコを苦しめている…。
やっぱり彼女は、今日も涙を流している。それでも、俺はリコを手放すことなんて、できない。その夜、思うまま彼女を抱き続けた。
すべてを終えると、いつもならリコはすぐに俺の中に身を委ねて寝ているが。その夜は違った。
彼女はそっとベッドを抜け出し、キッチンの方へ歩いて行った。
俺はリコの背中を見送るだけで精一杯だった。
煙草に火をつけ、窓の外を見つめるリコの後姿には、言葉にできない孤独が漂っていた。
――その孤独に寄り添えたら、何か変わっていただろうか
それでも、ただ傍にいることしかできなかった。
***
それから、リコに会えていない…。
「あら、カイちゃん。最近よく来てくれるわね」
カウンターの奥から、ルイが顔をのぞかせる。
「まあな…。リコは?」
「最近見ないわね。ま、前にもあったでしょう?急にふらっと消えて、異国の地から戻ってきたこと」
「…」
ルイはカウンター越しに身を乗り出して、俺の顔を覗き込む。
「な、なんだよ」
「リコちゃんと、なんかあったわね?」
「…ないと思いたい。けど…、なんか聞いてたりするか?」
ルイの黒い瞳が右上を向き思い返しているが、ピンと来ていないようだ。
「なにも?」
「思い当たることとかは?」
「どうかしら…。いろいろありすぎてわからないわ」
「いろいろとは…?」と聞けるほど、おそらく軽い内容でないことは、なんとなくわかる。
表面上明るく取り繕っていても、リコが抱えている痛みは、重く深いものだと。
そして、俺もリコの負担になっている。
「俺、避けられているのかもしれない」
「あら、やっぱり、何かしちゃったのね?」
「…。多分、した」
「あらまあ、何をしたのか言ってみなさい」
ルイに促され、俺は一週間前のことを思い出す。
あのリコの表情は鮮明に覚えている。
リコと抱き合い、俺はリコの瞳をジーっと見つめながら、思った。セフレという関係は、縮まることのない、分断された世界だと。
次の日、リコはいつも通り過ぎるぐらいの笑顔だった。怖いぐらいに。俺の醜い心を見透かされたのかと怖かった。
だから嫌な予感がして、その日から俺は毎日バーに通っている…。案の定、リコには会えていない。
「俺の気持ちに気づいてるかもしれない」
「それって、カイちゃんがリコちゃんを女として好きってことかしら?」
「…うん」
ルイは、頷く俺を見て、困り果てた顔をしている。
「それって、だめなのかしら?」
「だめだろ…。セフレなんだし」
「面倒くさいわねー。あーもうイライラしちゃうわ!」
「…どうしたらいいんだよ」
「相手がリコちゃんじゃ。無理もないわよね…。でも、今のカイちゃんに言えることは…。自分の気持ちに嘘をつかないこと、だわ」
ルイは別の客の注文を取りに行こうとした瞬間、俺は思わず声を上げた。
「自分の気持ちを押し殺してでも、そばに居たいと思ったら…。それが、リコを苦しめてたとしても、そばに居たいって思ったら、いけないのか?」
ルイは一瞬足を止めて振り返った。その顔は驚きとともに、少しだけ悲しげな表情が浮かんでいた。
「そうね…。でも、嘘の気持ちでそばに居られたら、相手はどう思うかしら?」
言葉の重みが胸に響く。
彼女が何を言いたいのか考える暇もなく、ルイは何事もなかったかのように別の客の対応に戻った。
俺はしばらく動けず、揺れるグラスの中の氷をじっと見つめた。
