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私的D/s分類学②|私は本当にサブミッシブなのか?

こんにちは、棗です。

前回の記事では、

「D/sは人類全員に存在するのではないか?」

という仮説を立て、
崇拝型と尊敬型という二つの派閥をもとに、
私自身や周囲の人たちを
当てはめながら検証を進めてきました。

しかし、人を分類すればするほど増えていくのは「答え」ではなく、新しい疑問たち。

元パートナーはどこに分類されるのか。

私は本当にサブミッシブなのか。

そもそもドミナントとサブミッシブは、
生まれ持った性質なのか、
それとも環境によって形成されるものなのか。

仮説を立てては崩し、また立てては崩す。

そんなことを繰り返していたら、
気づけば私は他人を分析するどころか、

自分自身の正体まで
分からなくなっていました。 

前回の続きを簡単に。

……というわけで今回は、前回の続きを。

【前回のあらすじ】

D/sには「崇拝型」と「尊敬型」が
存在するのではないか??
という仮説を立てた私。

そこから、

・D/sを持つ人と持たない人がいる説
・D/sは全ての人に存在する説
・SMを行う人だけがD/sを持つ説

など様々な仮説を立てては検証し、
立てては崩しを繰り返した結果、

「もしかしてD/sは人類全員に存在するのでは?」

という考えに辿り着きました。

しかし、その仮説だけでは
説明できない事例がいくつも出てきます。

元パートナーはどこに分類されるのか。

マスターとは何故ぶつかるのか。

そして何より――

私は本当にサブミッシブなのか?

そんな新たな疑問が生まれたところで、
前回は終了しました。

今回は、その続きを一緒に
考えていきたいと思います。

仮説をさらに積み重ねながら、
「私は何者なのか問題」
真正面から向き合っていこうと思います。

なお、今回も例によって結論は出ません。

でも、だからこそきっと面白い。

答えを探すというよりは、
一緒に迷子になりながら読んでいただけたら
嬉しいです。

ではさっそく、どぞ!



仮説4:D/sは人類全てに当てはまり、かつ、SMを行う人たちの中で稀に強く影響があるもののみ、ドミナントorサブミッシブになる

いわゆる仮説2と仮説3の複合型だ。

これは今までの中で一番考え方に近い。

ここでは人類全てに当てはまるD/sをドミナント(小)とサブミッシブ(小)と仮定する。
(小の人たちは一般的なSM嗜好のない方と同じ感覚の人たちだ)

また優先順位という前提を追加してみる。

SMとD/sには相互関係がある旨は
他の記事でも挙げたことがあるが、

SM界隈のD/sたちは皆、
SMもしくはD/sのどちらをより優先するかで、
また分類が分かれるのでは?という考察だ。

この記事では優先すべきものを
前に置き、補足的な関係性を後ろに書く事とする。

例えば元パートナーの場合は
ドミナント要素が少なくSが強いので、
崇拝型SD

マスターの場合は
ドミナント要素が強くSもあるので、
尊敬型DS

私、棗は、
Mの方が強く出ているがサブ?らしいので
尊敬型Ms

・・・ふむ。悪くない?悪くないぞ!

元パートナーの立ち位置はほぼ決まった。

私と元パートナーは
どちらもSM優位で惹かれ合うが、
崇拝と尊敬の派閥分かれで決別した説である。

しかしここでまた疑問が出てきた。

じゃあ、マスターと変な喧嘩をするのは何故?


この仮説だけでは、
私的には疑問が解消されない。

次の仮説を立てることになったが、
何かそもそも
追加要素が足りないのではないか?

私は再度大好きな人たちに
一斉送信を行った(いい加減にしろ?)

そこである人から、

結局幸せを感じる比重がgiveなのかtakeどちらが優勢なのか(ここまで一般的に生きている人全員に当てはまる)と、
それが性的欲求に当てはまるか、の二元ある話だと思うんだよな。

棗が言う、崇拝型っていうのはtakeで幸せを感じる人、尊敬型はgiveで幸せを感じる人だと思ってて。

もらわないと安心できない、幸せを認識できないタイプが崇拝型。
与えてその反応で幸せを感じる事が出来るタイプが尊敬型になるんじゃないかね。

人は余裕がないと何も与えられないから、
生活環境とか金銭環境いろんな要素が複合的に混じり合って、その上性欲まで絡んできて、
ようやくカテゴライズされるし、

その上「自分は本当にそれで満たされてるのか」みたいな自認と真実の齟齬まで起きるから、考察のしがいはまだまだあるんじゃないかね?って気もした。

・・・・勘弁して!魔窟か!?

というわけで、
私には高度すぎる「二元の問い」は置いておいて、なるほど。ギブアンドテイク理論か。

これは使えそうだぞという事で、
次の前提条件を追加してみる。

崇拝型Dはtake、崇拝型sはgive
尊敬型Dはgive、尊敬型sはtake

いいじゃない、いいじゃない。

ちなみにここで言う、give&takeの関係は
あくまで「最初のアクションが」と言う意味である。

例えば崇拝型ドミは先にtakeするが、最終的にtakeを続けるために、大量の時間とエネルギーをgiveしてるわけです。

なので、最初のアクションがそうであって、どちらかが一方的にgiveやtakeをする関係性は存在しない、というわけである。

一方的なgiveもしくはtakeな関係は、もはや成り立つ場合が殆どないと思われるしね。

私と元パートナーが最終合わなかったのは、
私も彼も初期アクションがtakeだった、という考え方だ。

先ほどの仮説4でたてた
派閥違いだけにフォーカスすると、

そもそも元パートナーはD要素少ないのに
なんでそこで別れに直結するの???

という疑問が解消できないが、

この前提を足すと
初手がどちらもtake同士だからなのね!
納得感があるからである。

どちらもが「先にお前が渡して当然だ!(だってこっちも相応のものを渡すのだから)」という思いと、

「こんなにいつも先に渡してるのに!(いつもあの人は先にくれない)」という

気持ちのせめぎ合いで
疲弊したのかもしれない。

しかし私の疑問である、
マスターとの関係性の問いは
クリアできていない。

私とマスターは同じ尊敬型、
SMもあっており、D/sもあっている。

勿論会話もできるし、
マスターの事も慕っている。

そんな時チャットで話していた
自認がサブミッシブの人に
こんな事を言われた。

「棗さんって、ドミナントじゃないですか?」

なるほど。そっちを疑うのもアリか。
という事で次にこんな仮説を立ててみた。

仮説5:棗がサブミッシブではなく、ドミナントである(?)


だんだん仮説とは?となってきたが
一旦スルーしてほしい。

時に前提条件を疑うことは大切だ。
私は、Mに関しては完全に自認している。

理由はここに挙げた通りだ。


しかしサブミッシブに関しては
そこまで自覚なく、ここまできてしまった。

強いていうなら、
私の事をよく理解しているはずのマスターが、私の事をサブミッシブ(しかも強め?深め?のサブ)と言っていたからという理由が大きい。

しかし私の性格は
一般的によく見るサブミッシブとは
少し外れている部分が多い。

勿論全てが当てはまる人がいないというのは
当たり前のことだが、

ブラットの性質が入っているからか、
トップ側をからかうのが好きだし、
少し変わった性癖もある。

この性癖が発揮されるのは、
マスター以外の基本的に崇拝型のことが多い。

昔この理由としてマスターは
「俺は棗にとって悪い事をしていないから」と語っていたが、

そんなに単純なものなのだろうか?という
疑問は持ちつつ過ごしてきた。

でも今考えるとこの性癖は
ドミナントゆえ起こるものなのではないか?

なるほど、もし私がドミナントだとすれば
マスターのような
ドミナントが強く出るタイプとは
本来相性が悪いという事なのだろうか?

ということで、何人かの人に
「私ってドミナントかな?」と聞いてみた。

結果はそこそこな人が「そんな感じはあるよね!」と答えたのだ。

なるほど、私って、ドミナントなのかぁ。?

勝手に納得しつつあったが、
少し冷静になって、また考えてみる。

そうすると、

「私がマスターと同じ尊敬型Dだとすれば、マスターのようなgiveは出来ているだろうか?」

という疑問が出てきた。

マスターと私が同じタイプか?
と聞かれると、
答えは完全にNO!だ。

なぜならやはり、
私はどこまでいってもtake側の人間なんだ。

先に渡すなんてことはしたくない。

だって裏切られたくないし、
利用だってされたくない。

傷つきたくないし、
与えられないと私を大切にしてくれるか
分かんないと思ってしまうのだ。

だから私は仲良くなるとき、
「自分にどれだけの時間を使ってくれるか」を
重視しがちな傾向がある。

例えば私を知るために
このnoteを読み尽くしてくれたり、
私の解像度を上げるために
毎日私にかまってくれたりする行為だ。

ちなみにマスターは当時私と主従を結ぶ際
私が元パートナーのことを思って
書き連ねたXを

全て見た上で
私を過去ごと受け入れようとしてくれた。

私にはそういうgiveが、先に必要な人間なのだ。

もらって初めて、
相手を信用できるとも言える。

というわけで、
私が尊敬型ドミである可能性はなくなった。

では逆に同じ
take側のドミナントはどうだろう?

仮説6:棗は崇拝型ドミナントなのか?

そもそもMがドミという
一般的ではない形に戸惑いは隠せないが、
それは置いておいて

私は崇拝型ドミナント、なのだろうか?

直感で感じたのは、

一般的な崇拝ドミっぽい人たちと
私を比較した時、

もし私が崇拝型ドミナントだとすれば
最高に自信がなさすぎる
と思ったのである。

他の記事でも載せた通り、この崇拝型D/sでも分類が2パターンほどありそうなので何ともだが、現状私がイメージしている2パターンだとしても、私とリンクする部分はすごく少ないように感じる。

崇拝型ドミナントは
その独特の世界観が人気である。

世界観をつくるためには
自信はかかせないもの。

彼らは自分自身への意識が高く
そしてプライドがとても高い場合が多い。

基本的には崇拝型は自分自身を軸にし
尊敬型は他人を軸にしていると考えているため、そこの感覚は結構私にも近い。

元パートナーに「棗は俺のことオナニーの道具だと思ってる節あるよな(笑」と言われたことがあるように(何てこと言われてんだ)

私は特に性的行為に関して、
人として相手を見ているというよりは
 
とにかくこの性感情から解放されたい!
みたいな気持ちが多く、そういう傾向がでがちだ。

崇拝型ドミが私のような考え方で動いてるとは正直思っていないが、

ある程度自分を軸に考え方を持っていることは確かであろうと思われる。

私はある程度自分への軸はあるし、
プライドもそこそこ高いが

自信はない。

だから、威厳とは無縁だし、
何より見ての通り考え方がブレる。

崇拝型ドミナントにしては
統一感がなさすぎるのだ。

まぁ、世界観に関しては
こんな感じなのであるといえば
あるのだろうから、

私がドミナント説は
完全に無くなってはいないわけだけど・・・。

でも正直いうと、周りにいる
色んなドミの方を見てきた私としては
自分が同じドミである感じは
やっぱりないんだよなぁ〜というのが
直感的本音。

だって普通にドミの人たちと話してるのって
楽しいなー!の連続のことが多く、

それって同族というより
やっぱり違う立場だからこその
刺激やワクワクな感じがするんだよなぁ。。。

ま、一旦はでも仮説としては不採用にして、

さて、

どちらのドミナントも違うとなれば
残るはサブミッシブ側だ。

ちなみに私の場合、優位はMだが
D/s要素もそこそこありそうなので、
どれかの要素には
当てはまっているという自認で
考察を進めている。

次の仮説にうつる前に、


結局のところ、
今回も明確な答えには辿り着けなかった。

私はサブミッシブなのか。

ドミナントなのか。

それとも、そのどちらでもあり、
そのどちらでもないのか。

でも、一つだけ確信を持てたことがある。

それは、D/sというものは

単純に「支配する側」「委ねる側」と
切り分けられるほど
簡単なものではない、

ということです。

人が何によって満たされるのか。

与えることで幸せを感じるのか。

受け取ることで安心するのか。

愛されたいのか、愛したいのか。

理解されたいのか、理解したいのか。

そういう生き方そのものが、
D/sの形として表れているのかもしれません。

そしてその形はもしかしたら
タイミングや相手、状況によって、
変化するものなのかもしれない。

私はまだ
自分のことを理解しきれていない。

だからこそ、また仮説を立てて、
誰かの話を聞いて、考えて、迷って。

その過程を過ごす中で、
また自分を知っていくのだと思います。

……というわけで、次回。

「棗は結局何者なのか問題」は、
まだまだ続きます。

果たして私は尊敬型サブなのか。

それとも崇拝型サブなのか。

あるいは、
まったく別の分類が必要になるのか。

そろそろ脳みそが悲鳴をあげていますが、
懲りずにもう少しだけ
付き合っていただけたら嬉しいです。

ぜひ私への手助けとして、
新しい視点をコメントで教えてくださいね。

(続く)


参考文献



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棗 ご無理無い範囲でお願いします。貰ったものは還元できるよう尽くします。でも本当に嬉しいのはコメントです。^^