性的なまなざしにさらされ続ける女性たち -SNS時代における共生-
この論考の続編です。
男性は基本的に女性よりも身体的に有利であり、暴力的になり得るということ、女性には妊娠のリスクがあることを自覚すべきだと思います。
それに対して女性が恐怖を感じても、それは当然のことだと思います。
男性の性的な視線に対する恐怖は子供の頃から嫌というほど大抵の女性は感じてきているはずです。
成育歴のどこかで怖い思いをしたことがある女性が大半だと思います。
しかしそれが大抵の男性にとって想像力が及ばないでいるというのは、残念なことではあります。
ところが男性は、特に若い頃は、自分の性的な関心のままに走り出してしまうということを止められないことがままあります。
およそどのような男性の場合にも一歩間違えば犯罪を犯してしまう入口に立っていたと言える時があるのが現実だろうと思います。


フェティシズム自体は男性だけのものではない。
しかし、ほとんどの女性には、見も知らぬ男性の下着や水着を、
時にはゴミ箱をあさってでも収集しようなどという衝動はないだろう。
しかし大抵の男性はそうした衝動と戦ったことがあるはず。
いわゆる「弱者男性」は、そのことに開き直ってしまっており、性的な対象として女性を眺めることを許せという方向にばかり自己主張をする傾向があります。
私は男性に対して怖い思いをした女性の援助の活動の主体は女性が務めるべきだと考えています。
しかし、私の専門とする心理カウンセリングの世界でも、女性カウンセラーの間に、そうした活動を積極的にして行こうという姿勢を持ち活動する女性カウンセラーはまだまだ少ないという印象です。
実は今日まで心理カウンセラーの屋台骨を支えてきたのは、例えば私の恩師の奥様、村瀬嘉代子先生や、先ごろ亡くなられ、実は男性教員からの激しいアカハラにさらされていた元日本心理臨床学会理事長鶴光代先生、行動療法の山上敏子先生、認知行動療法やスキーマ療法の伊東絵美先生、昨今では被害者心理臨床の大家、信田さよ子先生ですし、精神分析の世界で今日に至る影響力を二分しているのが、お互いにライバルだったアンナ・フロイトとメラニー・クライン以外の何者でもなく、我がフォーカシングの世界の屋台骨を支えてきたのも、ジェンドリン夫人で、自身がネイティブ・アメリカンの出自を持つメアリー・ヘンドリックス・ジェンドリンや、私の海外の恩師、アン・ワイザー・コーネル、メアリ・マクガイア、ジャネット・クライン、エルフィ・ヒンターコフなど、圧倒的なまでに女性指導者主導であり、日本の学界上層部の事情にそこそこ詳しい私から見ても、女性臨床家こそが日本の心理臨床の健全性を担保してきた(意外と著名男性臨床家は意識が低いことを露見してきた)と言いたくなる所ですが、その割にはフェミ二ズムを深く学ぼうという意識の女性臨床家の後進は、確かにいらっしゃるのですが地味な扱いで、日本でなかなか学会上層部に食い込む人たちが育っていない気がします。








👆メアリー・マクガイア(with前田満寿美)
私が主体的に取り組みたいのは、女性の立場を思いやり、女性の尊厳を大事にできるような女性との関わり方ができるような男性をいかに育成するかということです。

そのためには、男性自身が、まずは一人の個人として、弱さや限界のある自分自身をありのままに受け止め、女性からの承認や支持や励ましがなくても、自分で自分のことを大事にして、自分の世界を地道に築き、その中で楽しみを見いだせる生き方を見つけられるようになることだと思っています。
これは女性についても言えることですが、「お一人様」の世界で生活を充実させることができる人間だけが、異性との関係の中でお互いに依存したり支配しようとすることがないような、個人と個人としての相手を尊重する信頼関係を築けるのだというのが、私の信念です。
もちろん、異性との対人関係なんていうものはめんどくさいだけだから、自分の生活の中から排除しておきたいというライフスタイルもありだと思います。
最新のニュースによれば、今の日本の若い男性の性的経験率は40%程度にまで下がっているということです。日本で「草食系男子」という言葉が流行してもう20年になりますが、「トランスジェンダーになりたい少女たち」に記されていることに従えば、かつては性的に奔放と言われたアメリカですら、若い男女の性的経験率は急速に低下しているとのこと。これにはスマホ文化とSNS社会の進展の影響が濃いとの分析があります。
しかし、単に出生率低下が日本の人口バランスをいびつにし、若年層がますます高齢化する老年層を支えて行かねばならないという見地から、男女の交際の再活性化が必要と訴える人たちは、一つ間違うと女性を「生む機械」とみなしていると言われても仕方がないわけですね。
高年齢層の福祉の担い手の確保の問題は、AIを適用したロボットの進化などに委ねるのがまずは適切な対策であり、まずは性別、ジェンダーに関係なく、個人として成長し、互いを個人としてリスペクトする人間関係の育成がさらに進むことが大事でしょう。

それがまわりまわって、こうしてネットとAIが直接的な対人コミュニケーションに置き換わったかに見える現代においても、再度、ダイレクトでパーソナルな人と人との交流に関心を抱く「余裕」を人々の間に生み出し、結果的に普通の男女交際の末に、子供も持ってみようかな?というモチベーションを持つ層を、先進国でも復活させて行くという楽観的な予想を私はしています。
そもそも、これから20年後には、体外受精と人工子宮の形で安全に子供が生まれるところまで科学は発達してしまい、女性は「生む性」から解放されるというのが「当たり前の常識」になる時代が来るかもしれません。

それは別の意味で、そうやって人工的に子孫を生み出せるがゆえの深刻な倫理の問題を人類にもたらすでしょう。
しかし、そういう課題すらも、人類は克服して行けると私は信じています。
そして、男女が互いの身体のコミュニケーションも楽しみながら、そして妊娠や育児ならではの喜びを男女が共有しながら人生を歩んでいくというのが、生身の生き物としての人間だからこそ神から与えられた生きがいであるという認識を持つ「一定の割合の層」を、どれだけテクノロジーが進化しても生み出し続ける未来があるだろうと。
