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『静かな生活』 今更レビュー|伊丹監督を偲ぶ午後十三時の映画祭⑧

映画監督としては遅咲きながら、『お葬式』の鮮烈デビューから『マルサの女』シリーズ等へと続き10本の優れたエンタメ作品を世に出し続けてきた伊丹十三監督。その発想から演出まで何もかもが新鮮に感じられ、楽しく、そして洒脱だった。

伊丹監督が早逝してから、もう30年近くになる。今の日本社会をみて監督だったら何を題材にしてどのように料理するのか、つい思いを巡らせてしまう。

そんな伊丹十三監督作品を、一気通貫に今更レビューしてみたい。(このページはAmazonアソシエイトの広告を含みます)

『静かな生活』

公開:1995 年  監督:伊丹十三
時間:121分  製作国:日本
勝手に評点:★★☆☆☆2.5

©1995 伊丹プロダクション

『ミンボーの女』まではエンタメ路線をひた走っていた伊丹十三監督が、翌年の『大病人』からやや路線を変え、続く本作は、文字通り静かで派手さはなく、監督のフィルモグラフィでは異質な作品となった。

原作はノーベル文学賞作家・大江健三郎の同名小説。本作では音楽を担当している、大江健三郎の実子・大江光をモデルに書いた、両親の渡航中に起こる知的障害者の兄と妹の、波乱に富んだ日常を描いたドラマである。

川端康成以来、日本では二人目のノーベル文学賞作家となった大江健三郎の原作映画化というと小難しそうで身構える。

だが、大江と伊丹監督は愛媛県立松山東高校の同級生であり、親交があったのみならず、大江健三郎は伊丹十三の妹と結婚したため、二人は義兄弟となっている。

なので、伊丹監督が大江原作で映画を撮るのは、実に自然な成り行きと思える。一方の大江の小説の中でも、伊丹がモデルと思われる人物は、何度か登場しているし。

大江健三郎の父子を投影した5人家族の物語。主人公は絵本作家を目指すマーちゃん(佐伯日奈子)。名前と関係なく、子供の頃、毬のように頭が小さかったからそう呼ばれている。

©1995 伊丹プロダクション

作家であるパパ(山崎努)と家族を束ねるママ(柴田美保子)、大学入試を控えた優秀な弟のオーちゃん(大森嘉之)、そして音楽の才に恵まれながら知的障害者である兄のイーヨー(渡部篤郎)の5人家族だ。

生まれてから何も言葉を発せず、鳥の鳴き声のレコードをひたすら聴いていたイーヨーが、山歩きするパパの背中で鳥の声を聞き「クイナです」とアナウンサー口調で初めて喋った。

その感動をパパが講演で語るのだが、これこそ映画向きなエピソードであり、回想映像で観たかった。

ある年、家の下水の詰まりを直そうとして失敗したパパは、家長としての自信を喪失する。偏狂的に下水修理に燃える山崎努の姿は、見慣れた伊丹映画のそれである。

それまでも精神的に崩れそうな予兆のあったパパは、折から招かれていたオーストラリアの大学へ講師に行くことを決め、ママも同行することとなった。

留守を引き受けたマーちゃんが、イーヨーたちの面倒をみるのだが、そこに次々と騒動が巻き起こる。

イーヨーは暴れたり叫んだりしない、気性の落ち着いた青年だ。勃起もするし、異性に関心もある。近所で幼女に性的な悪戯をする痴漢犯罪が勃発し、近隣住民はイーヨーを疑い、マーちゃんさえ、兄の潔白に自信を持てなくなる。

このような知的障害を持つ男性にまつわる風評被害は、なかなか映画においては取り扱いに気を使うのだろうが、本作は当事者家族である大江健三郎が書いているだけあって、遠慮なく題材にしている。

健常者とは少々異なるが、周囲の心配をよそに、クラシック音楽をはじめ、好きなものだけに純粋な興味を寄せるイーヨーの言動は、古くは『レインマン』のダスティン・ホフマン、近年では『梅切らぬバカ』の塚地武雅を思い出させる。

イーヨーを演じているのは渡部篤郎。本作で日本アカデミー賞新人賞と優秀主演男優賞をダブル受賞している。本作の出来は、彼の演技力によるところが大きい。

妹役で主人公マーちゃんを演じた佐伯日菜子は、デビュー作『毎日が夏休み』(金子修介監督)に続き本作に主演。まだホラークイーンの座に君臨する前の時代だ。

海外にいる両親に代わり、子供たちの保護者代わりなのがパパの友人の団藤さん(岡村喬生)と夫人(宮本信子)である。音楽家の団藤さんはイーヨーを目にかけるし、何かにつけ「●●の女」ばりに熱弁をふるう夫人もまた温かい。

宮本信子は伊丹作品としては珍しく、本作では脇役だ。ただ、その存在感は十分にある。

いつも常連の伊丹組俳優で映画を組み立てる伊丹十三監督だが、今回は佐伯日菜子に渡部篤郎と、馴染みのない若手をメインに持ってくる。津川雅彦が登場しない伊丹作品は、初めてではないか。

「イーヨーに障害がなかったら、面白い男に成長しただろうに」と彼の音楽的な才能を買っている団藤さんがつい口を滑らせると、マーちゃんがそれを窘める。

「うちの家族はみんな、そうは考えないんです」

音楽的才能は、イーヨーの障害と密接不可分であり、それも含めて兄の個性であると、家族はみんな思っているのだ。だから、タラレバの発想はない。これはきっと、大江健三郎の心の叫びに違いない。

©1995 伊丹プロダクション

さて、中盤までは、周囲をやきもきさせる言動をするイーヨーにマーちゃんたちが振り回される展開が続いたが、後半に流れが変わる。

マーちゃんがイーヨーを連れていったプールで、パパの昔の知り合いだという新井君(今井雅之)が、イーヨーのコーチを買って出てくれるのだ。新井君の指導の腕は良く、水を怖がっていたイーヨーが、泳げるようになっていく。

新井君はいかにも水泳コーチ然とした健康的ナイスガイで、イーヨーに彼の大好きなテレビの天気予報のお姉さん(緒川たまき)まで紹介してくれる。ここまでは順風満帆。マーちゃんも、新井君に好意を寄せるほどだ。

©1995 伊丹プロダクション

ところが、その話を耳にしたパパが、オーストラリアから電話で娘に警告する。「新井君には、けして一人で近づかないように」

ここから徐々に浮かび上がる、新井君のもう一つの顔。真っ赤なポルシェに不機嫌そうな女(阿知波悟美)を乗せて、マーちゃんたちの家に上がり込もうとしたり、自室に連れ込もうとしたり。もう、怪しさ満点の男に変貌するのだ。

今井雅之の怪演がいい。彼の途中からの豹変ぶりと、叫ぶ佐伯日菜子の組み合わせで、本作は終盤からホラー濃度が急上昇する。

20年以上前の作品とはいえ、伊丹十三監督も、大江健三郎も、そして若くして今井雅之までもが、すでに鬼籍に入ってしまったかと思うと、寂しい。

新井君の自室に兄のイーヨーと招かれたマーちゃんは、新井君に襲われそうになったところをイーヨーに助けられ、命からがら逃げだしてくる。

雨の中、マンションの外で泣き喚く彼女に、新井君は忘れていったカバンを放り投げて部屋に戻る。

新井君は、過去に自分が遭遇した殺人事件について、その話を打ち明けたパパが勝手に小説に書き、自分が社会的に迫害されたことを根に持っている。

だが、だからといってマーちゃんを襲っていいことにはならない。この一件は、イーヨーが身を挺して妹を守ったことだけがクローズアップされ、新井君の犯行が泣き寝入りになってしまう点が釈然としない。

そして、「パパはもう立ち直ったから」と、ママが帰国することになるところで映画は終わる。子供たちの直面した危険に対して、オーストラリアに逃げたパパは家長として何の役にも立っていないところがもどかしい。

お葬式(1984)
タンポポ(1985)
マルサの女(1987)
マルサの女2(1988)
あげまん(1990)
ミンボーの女(1992)
大病人(1993)
静かな生活(1995)
スーパーの女(1996)
マルタイの女(1997)

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