光波の女神
「瀬織津姫」を御祭神とするのは、奈良県では高見山(1248.4m)山頂の『高角(たかすみ)神社』。
大和盆地からも、麓からも、遠い場所です。
「二本杖で歩く車椅子ユーザー」でも参拝できるのは、
『鴨都波神社』『大神神社』などの祓戸神社。
祓戸神社とは、「気づいていない罪穢れも祓って清浄な状態にするため、本社参拝前に参拝する神社」で、御祭神の一柱が瀬織津姫なのです。
「祓戸神社に記された名」の写真は、以下の記事内。
【記録◆2025年8月19日】
本日は、「祓戸神社ではない所」を巡ります。ほとんど知られることなく「中央構造線へ向かう清流」の傍に並んでいる、と気づいたので。

「林道のような県道」を走っていると、植物より明るい色が動きました。

東から流れてくる細い川の水を飲みに来たのでしょうか。
しばらくは、「心底を見極める」というような眼差しを向けられます。
正面から撮った写真もあるのですが、保護の対象ではない子鹿の暮らしは厳しいと判る容貌だったので、それが判りづらい写真を……。


一昨年まで、「隠された女神」が主祭神になっている神社は知らなくて、『投石の瀧』に行ったときも(2023年4月28日)参道入口の「水分神社」に祀られているのが「瀬織津姫」だと気づかなかったのでした。
ふとおもいついて、各地の祭神を調べたときの日記が以下。
2023年10月7日 日記
起床後、いままでに行った瀧や清流の傍にあった神社の祭神を調べたら、おおかたが白い龍の女神だった。
「高龗大神」
「罔象女神 みつはのめのかみ」
「市杵島姫命」
「弁財天」
「天照大神」
以上は、同一の神だという。すべてが「瀬織津姫」だと。
『投石の瀧』だけ「瀬織津姫」の名が使われていたから驚いた。
「罔象女神(みつはのめのかみ)」を祭神とする『丹生川上神社中社』は、とりわけ美しい川に面しています。
清流の神なら、「光波(みつは)」が良いのでは………
「大和の祭祀王」も、わたし個人は、「日巫女」と書いています。
「太陽の女神を祀る姫巫女」だから、学校で習った文字は使わないで。
なぜ、「水の神社の主祭神」が、「体外に出ると間を置かず腐敗が始まる体液から生じた」とされているのでしょう。
有用微生物は逆の作用をすると、発酵文化の国でも意識はされませんが、
「無意識に、この国土に在る者なら逆の作用を思い浮かべる」と計算された出自なのでしょうか。単純に「隠された女神」を穢すためではなく?
「30年前、乳牛70頭がいる牛舎を微生物で消臭した話」は、以下の記事内。
「3年3ヶ月の間、腫瘍からの排出物を無臭にした話」は、以下の記事内。
◇◇投石(なげし)の瀧◇◇

「行こう」と感じた所へ行くときには、「行き方」だけを調べます。
その場で感じることを、知識が妨げないように。
今回は、「白龍や白蛇が瀬織津姫」と知った後だったため、社殿の模様がそのように視えてしまうのでした。




なにを撮るときも、「撮らせてください」とお願いをしてから、
「ご無礼をお許しください」と申し上げます。

陽が当たる所は、写真だと真っ白になってしまうのが残念。
目では、美しい流れを見ることができるのに。




石段を下りて川に近づけますが、最下段の先は水の中です。
水量が少ないときに、誰かが小石を積んだのでしょうか(写真左端)。

水面(みなも)に映る空は、目では見えません。
カメラを向けると、その枠内にだけ現れます。



陽に輝く所が、時とともに移っていくので、落ち口を写せました。

「右上の岩」と「水の飛沫」が、瀬織津姫の化身のよう。

帰ろうとしたのに、「いまなら光が反射しない」と気づいて留まります。


陽が山の向こうに行ってしまうと、早い時間でも山陰は暗くなるのです。

『滝野川』は、『滝野水分神社』の後ろで『平野川』に合流します。
『平野川』は『高見川』に流れ込み、その先で『吉野川』になります。
「罔象女神(みつはのめのかみ)」を祭神とする『丹生川上神社中社』は、とりわけ美しい川に面していると、先ほど書きました。それが『高見川』。
この辺りは源流に近く、『丹生川上神社中社』は、ずっと先です。
源流に近い山間で、稲作に適した平野部が無いのに、
「どうか、水を配ってください」と祈る必要があるでしょうか?
「水分(みくまり)」の「くまり」は、「配り」の意。
少雨地帯の大和盆地でこそ、「水分神」は必要とされたはず。
しかし、古代には、ここで祈っても、大和盆地に水は届きませんでした。
別の記事で、以下のように書いています。
「大和は稲作に適した土地だったから、ひとが集まってきた」という説は、わたしには疑わしくおもえます。というのは、奈良県南部は多雨地帯でも、そこから海へ向かう水が(1本の川さえ)大和盆地を通らないから。
「吉野川の水を引く」という大事業が、300年かけて成し遂げられるまで、「少雨地帯である大和盆地」の農業は、ため池が頼りでした。
だから、古代人を惹きつけたのは、鉱物だったのではないでしょうか。
[上の文章は、以下の記事内。]
『滝野水分神社』から、『平野川』の清流とともに山間を南へ走ります。
ふたつの「水分神社」を見つけられないまま『伊勢街道』に出たため、
「印刷した地図」で目印を確認してから、来た道を引き返しました。
(スマートフォンは持っていません。ついでに書きますと、コンビニエンスストアに入ったのは、7年前が最後………。)
帰宅してから気づいたのですが、折り返した場所は、「いつか行きたい」と考えていた「中央構造線の真上」でした。
気づかないで辿り着いていたのです。
◇◇水分神社(平野水分神社 下社)◇◇
神社を取り巻くように『高見川』が蛇行しています。
近くの橋から上流を撮ったとき、「瀬織津姫」の別名を思い出しました。
それは、「八十禍津日神(やそまがつひのかみ)」。
世の穢れや悪に激しく怒って、凄まじい凶事を起こす神なのです。

この清流が濁流となって破壊した「砂防堰堤」の残骸には驚かされます。
分厚いコンクリートが裂けて、巨大な塊が川に倒れかかっているのです。
想像も及ばない力に慄くばかりで、カメラを向ける気にもなれません。
水分神社から撮った流れの奥に、大きな被害はなさそうに見えた反対側が写っていました。残骸が風景の一部となって見分けられなかったのでした。

◇◇平野水分神社 上社◇◇
鳥居はあるのですが、どこを拝めばいいのか分かりません。
しかし、「滝野水分神社」に描かれていた模様が「下社」にもあったし、ここにも描かれているので、「瀬織津姫」の神社だというのは判ります。
川が御神体なら、背中を向けることになり、祈る方角も判らないけれど、帰宅後に調べて、その理由が解りました。
ここは、高見山(1248.4m)山頂の『高角(たかすみ)神社』を遙拝する場所だったのでした。

文字が読めない石碑を撮っておいたのですが、写真だと全て読めました。
各地の「祓戸神社」以外で、「記された名」を見たのは初めてです。
この後、もういちど『投石の瀧』に寄りました。
夕方には神社へ行かないようにしていますが、この季節は日が高いので。
午後3時を過ぎたばかりだったのに、滝へ続く道だけは、真っ暗でした。
山陰が、早い夜をつくっていたのです。

それでも、暗い滝に向けたカメラは、わずかな光を明るく写します。
真っ黒に見える滝壺も。
樹齢1000年の樹の前からも、この時間には、水の流れが撮れました。

「丹生」という名を冠した神社でも、「大和(奈良県)」では御祭神は、『丹生都比売』ではなく、「水神」になっています。
「丹」は「辰砂(シンシャ)」なので、「土の神」だったら分かるけれど、『丹生都比売』と『瀬織津姫』を半分ずつ残した(消した)のか……?
「瀬織津姫」が鎮座するのは、伊勢国との県境(高見山の高角神社)。
「丹生都比売」が鎮座するのは、紀伊国との県境(犬飼山 転法輪寺)。
「数年前に様変わりした社会を、『瀬織津姫』と『丹生都比売』が鎮める」というような話を、どこかで読みました。
県境に追いやられた神々の神気が、再び、大和国に満ちるのでしょうか。
「美内すずえ」さんが、『アマテラス』という作品に書かれていました。
【『水』と『石』と『音』と『光』 すべてが神の波動】と。
そのまえに、【『石』と『水』は同じもの】と。
丹生都比売が、「辰砂(鉱石)の女神」なら、「水の女神」と同じものを統べていらっしゃる、ということになるのでしょうか?
[注:『note』の記事は、学問を修めていない者が想像した内容で、歴史や神道を学ぶ方の参考にはなりません。念のため。]
そういえば、どこかで読みました。
「水分(みずわけ)」の語源は、「光(みつ)分け」だと。
水も石も音も光もある場は、【神の波動】に満ちています。
