「子どもらしい」って、何を指す?
前回、グリットとは
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土壇場の瀬戸際でもあきらめず粘れること。
打たれても打たれてもへこたれないで立ち上がる強さを保っていること。
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だと書きました。
そして、グリットを育むためには
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子どもらしい子ども時代を送ること。
その年齢でしかできない経験をいっぱい積むこと、いっぱい感じること。
そして、ひたすらたくさん、遊ぶこと(お友達を作って一緒に、という意味も含む)。
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が大切ではないか、とも。
それでは、子どもらしいって、一体どんな状態のことを指すのでしょう?
諸説ありますし、人によって捉え方は異なるだろうと推察する中で、私が最も腑に落ちた子どもらしいの定義は、時間がゆったり流れることでありました。
翻って、生成AIの台頭は、教育の在り方を否応なく変えつつあることが、こちらの記事で縷々述べられています。
AIを受け入れて共存する前提であれば尚更、絶対的に必要なのは、皮肉にも極めてアナログで泥臭い余白だとおっしゃる点に、とても共感いたしました。
時間がゆったり流れる子どもらしい子ども時代にひとときどっぷり浸ることは、大人になって目眩くAI全盛期をサバイブするためのアナログな余白を産み出す原資の1つとなりそうに思えます。
すごい速さでどんどん変わりゆく世を生き延びるに際して、時間がゆったり流れる子どもらしい子ども時代は、親から子へ変わらず与えてやれる普遍のものではないかと私は考えております。
