感じないことで生き延びてきた私が、怒りを許した日
ふとした瞬間に、
忘れていたはずの記憶がよみがえることはありませんか。
それは、「ただの思い出」ではなく、
これまで心の奥に押し込めてきた大切な感情かもしれません。
今回は、私が「怒り」という感情を
取り戻した時のことをお話ししたいと思います。
それは、大きな感情の波に襲われるような、
衝撃的で心理的にもつらい出来事でしたが、
それでも、避けることのできない過程でした。
忘れていたはずの記憶がよみがえった日
セッションを始めて少ししてから、
私は掛け持ちで近所の雑貨店で働き始めました。
父の会社の仕事だけでは、
経済的にも精神的にも
自立できそうにないと感じたからです。
その日は、午後からのシフトで、
早番のスタッフは昼休憩に入り、
私は一人店内で、細々した作業を行っていました。
新しく入った商品のポップを書いたり、
ラッピング用のリボンを作ったりしながら、
カウンターでのんびりと作業をしていました。
お客さんも少なく、静かな時間帯でした。
それは何の前触れもなく、やってきたのです。
私は突然、ある出来事を思い出しました。
母が、私のカバンを焼いたあの事件です。
思い出した瞬間、身体中から力が抜けて、
冷や汗が出てきました。
「こんな大事件を、なぜ忘れていたんだろう?」
「いや、母親がそんなことをするはずがない」
「…きっと私の記憶違いだ」
頭の中に、さまざまな言葉が駆け巡ります。
あまりに現実離れした出来事に、
私の理性は追いついていけませんでした。
しかし、心は、
「あれは本当にあったことだ」
と訴え続けていました。
初めて「怒り」を感じた瞬間
そんな問答を自分の中で繰り返して、
「どうやら、この記憶は捏造ではなさそうだ」
という結論に落ち着きました。
そして、徐々にその感情は、
驚きから怒りへと変わっていきました。
「あんなことをされて、
なぜ私は泣き寝入りしたのか??」
「なぜ私は、あんな扱いを
受けなければならなかったのか??」
「父は見ていたのに、
なぜ何も言わなかったのか??」
そこまで考えて、私はようやく
過去の出来事に対して
「怒り」を感じることができました。
私は、母に対して怒っていたのです。
そのとき、私は思いました。
「この怒りを、自分に許可しよう」と。
怒るだけの理由も権利も、自分にはある。
そう認めたとき、
ようやく自分の感情を
受け入れることができました。
今まで押し込めてきたものが、
一気にあふれ出して、
どうにかなってしまいそうでした。
私は一度休憩を取り、
ダメ元でヒプノセラピーの先生に電話をしました。
ありがたいことに電話は繋がり、
状況を話すことができました。
呼吸法や簡単なワーク等の応急処置を教えてもらい、
なんとかその場を乗り切ることができました。
念のため、自分の記憶違いではないか確認するために、
帰宅してから、妹にもその話をしてみました。
妹は、その出来事をしっかり覚えていました。
逆に、忘れてしまっていた私に驚いていました。
…残念ながら、
それは記憶違いではありませんでした。
カバンは母に焼かれ、
私は、その記憶と感情を自分で消していたのです。
本来その場で感じるはずだった感情を、
私はどれだけ見送ってきたのだろうか。
そう思うと、今でも恐ろしくなります。
この「記憶や感情を失うこと」以上に怖いことを、
私はまだ経験したことがありません。
「感じてはいけない」と思ってきたあなたへ
もしあなたが、怒りや悲しみを
「感じてはいけないもの」として扱ってきたのなら、
それは、あなたが弱いからではありません。
そうせざるを得ない環境の中で、
心を守るために選んできた反応です。
でも本当は、その感情はずっと消えていません。
ただ、置き去りにされていただけです。
すぐに感じられなくても大丈夫です。
怖いままでも大丈夫です。
「本当はどう感じていたんだろう」と、
少しだけ自分に問いかけるところから
始めてみてください。
すぐに受け入れられなくても構いません。
ただ、「怒ってもいいのかもしれない」と、
ほんの少しだけ可能性を残してあげてください。
あなたのその感情は、
なかったことにしなくていいものです。
「今なら感じられること」が
あなたの中にもたくさん眠っているかもしれません。
\ マガジンでまとめて読めます /
\ こちらの記事もオススメ /
いいなと思ったら応援しよう!
お読みいただき、ありがとうございます。
もしよろしければ、活動をサポートしていただけると励みになります。
サポートのお礼に、限定のつぶやきをご覧いただけます。