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永徳の娘と金泥の図(第一章)

#創作大賞2026 #ファンタジー小説部門
作品名:「永

徳の娘と金泥の図」作者:仁科源五郎

お凛(5歳)の記憶。
1580年9月、永徳が己の矜持に従いお雪のために描いた屏風。謙信公へ献上した春日山城金泥の図
(柘榴で作った金泥と茉莉花の香る屏風、本物の金泥の図)、
道満丸と愛香が所持も屏風の行方は不明。
安土山の図の金箔を用いない金泥の図。
1582年1月、京都市中で安土山之図屏風の展示会、永徳(39)と弟子のお凛(7)・信長(49)。
2月、一つは遣欧使節団がバチカンへ。永徳は制作総指揮も、自ら手を入れていない。
2つ目の信長献上用の屏風もすべて永徳の弟である宗秀や門弟らの作品。
(その後2つとも焼失)



・小野小町から端を発したザクロとジャスミンの香りの力が、
800年の時を超えて34代目のお雪に受け継がれる。お雪がある絵師との出会いで、香りの力と金泥の色が混ざり合い、その黄金律の屏風が安寧の世界を築いていく物語。
ONONO KOMACHI LIFE-825-900 - YouTube

◆目次
第一章 宿命の香りと金泥の図
第二章 二通の遺言
第三章 柘榴と茉莉花の系譜
第四章 道満丸とルイス・フロイス

第五章 ダンディとエル・グレコ
第六章 道満丸の受洗、帰国と愛香との再会
第七章 永徳の遺言書
第八章 妙徳院からの文
第九章 玉姫の黄金律
第十章 明暦の大火、金泥の図再び
※暫定・太字は原文進行中
(タイトル、各章の内容、最終章は推敲により変わります)

「永徳の娘と金泥の図」の年表(825ー1658)

1600年、関ヶ原決戦前、細川屋敷炎上、ガラシャとお蝶

◯西暦*出来事・時代背景・登場人物の動きと血脈の継承◯
★【胎動:小町一族の血と禁断の香り】★
・825:小野小町の誕生
 
征夷副将軍でもあり文人でもあった小野みねもり(778)を祖父にもち、その子小野たかむら(802)を父とする、小野小町(825)が誕生。仁明・文徳・清和天皇に宮女・歌人として仕える。武術にも秀でており身丈は6尺という大柄の女性だった。生涯独り身という説もあるが、近衛府の佐々木少将と熱愛し娘をもうけていた。時を超え1544年に生まれたお雪は小町の34代目の末裔。800年にわたり柘榴と茉莉花の香り袋を継承していた。
・1544~1563:絶世の美女・お雪の誕生
明智光秀(1528)の義妹であり、小野小町(825)の血を引くお雪(1544)が誕生。永徳(1543)と相思相愛となる。永徳は信長への面従腹背を誓い、愛するお雪の面影を「香る金泥」に封じ込める密かな戦いを始めた。
1563年:永徳とお雪が出会う二人だけで祝言。永徳、お雪が中国古代の西施の生まれ変わりと思い込む。永徳は密かにお雪が題材の「西施沈魚」を描く。信長が永徳の才覚を認めるも、お雪を側室にしようとする。お雪は信長の横恋慕を拒絶し、死を覚悟して小町の歌を詠んで愛を貫く。

1562年、京都、永徳とお雪


1563年、お雪と永徳
1563年、お雪


同年1563年:ガラシャ誕生
1564年:永徳、信長から臣下の娘を正室に強要させられる。
1565年、義輝からの依頼で洛中洛外図を描きあげる。
・同年、足利義輝殺害される。(永禄の変)
香りの継承と宿命の誕生】★

1567年、お雪から永徳へ


・1567:永徳とお雪の娘・愛香誕生
。お雪は持っていた柘榴と茉莉花の匂い袋を形見として永徳に遺す永徳は後年それを愛香に引き渡す。最愛のお雪の死で悲しみに明け暮れる永徳は、柘榴と茉莉花を調合し、香りの放つ自然の金泥の色を編み出す同時に補色との均衡でお雪のイメージを作り出す究極のものだった。それは安土城の絵図には使わせず、この技術はその後弟子となる凛(1575誕生)だけに遺言として残す。偽りの二つの屏風はすべて弟子たちに作らせた。真の金泥の下図はその後、道満丸と愛香に引き継がれ、凛は永徳の遺志を継ぎ、奥絵師をしながら生涯永徳の指南書と記憶をもとに、下図を完成させる目標を抱く。

1567年、愛香誕生
1571年、お雪を偲んで、永徳、愛香の前で「西施沈魚」を描く。


上杉景虎の嫡男・道満丸(1571)が誕生。お雪の死後、その「柘榴と茉莉花の香りは愛香に託され、金泥の図を巡る宿命が動き出す。
・1574年:愛香(7)がガラシャ(11)に匂い袋を渡す。

1574年、愛香からガラシャへ(→お蝶→お松→お玉へ引き継ぐ)、
別ルートで、1580年、愛香からお凛へ。


【激動:黄金の屏風と雪原の決死行】★
・1574年:信長が謙信に洛中洛外図を贈呈する。
・1575年:凛誕生(母は妙御前)
・1576年:密命の金泥図と許嫁の契り。
安土城築城開始(1581年完成予定、永徳は総指揮、宗秀に現場の指揮を任せる)
信長の命で愛香と道満丸が許嫁となる。信長からは祝として安土山之図屏風の下図(目録・完成後は寄贈予定)が贈られる。その後信長の死で下図だけに終わる。献上された安土の屏風の下図とは別に永徳は本物の春日山「金泥の図」を下描きしていたものを持参した。絵具に練り込まれたお雪の香りは、幼き二人の体と記憶に深く刻まれる。永徳が愛香を連れて謙信(1530)と対面、義兄弟の契を結ぶ。春日山「金泥の図」はお雪のイメージで西施の伝説を題材にした、柘榴と茉莉花の絵具で香りのする屏風であった。翌年濃越同盟は事実上破綻。

1576年、永徳、春日山城へ、愛香が道満丸の許嫁に。


・1578年:上杉謙信死去。(椿御前も殉死)
1579年:御館の乱・阿賀北への集団逃亡
父である三郎景虎は華御前と共に自害。凛(4歳)は母・妙御前と共に、愛香、道満丸、そして下絵と画道具を担いだ永徳の弟子たちと共に加地城へ。
二十五里の雪路を越え、謙信の妹・鳴海院(1538・夫の加地春綱は他界し子息の秀綱が城主)に救われたこの決死行が、春日山「金泥の図」と次世代の命を守り抜いた。1580年、凛は鳴海院の計らいで永徳に弟子入り(愛香から分けてもらった匂い袋を持参)、亡きお雪の香りと同じ香りに永徳は驚く。凛は別れ際愛香から匂い袋を分けてもらっていた。

1576年、永徳、春日山城で愛香に祝いの金泥の図を捧げる。


【流転:海の彼方の洗礼と奇跡の再会】★
・1582年:本能寺の変
により安土城の偽の屏風は焼失。一方、道満丸はフロイスの後押しで「春日マイケル」の名で渡欧(1582)。一五八五年、ローマ教皇への謁見を果たしバチカンにて受洗もう一つの偽の屏風を渡す(地図の間に飾られるも同年謎の焼失)。異国の空の下、彼は故郷の香りと信仰を胸に刻む。

1582年、2月、道満丸、遣欧使節団に同行、愛香と暫しの別れ。


1585年、グレゴリウス教皇に挨拶ご、献上の屏風が謎の焼失、バチカン地図の間で。
1585年、道満丸とダンディ


・1587年、加地城が景勝・兼続軍との最終決戦で落城。愛香は従者と越後山中で潜伏する。妙徳院は鳴海金山の近くの寺に出家。
・翌年、ガラシャ、長女のお蝶、次女多羅が受洗

1588年、ガラシャ、長女お蝶、次女多羅受洗


1590年:再会と愛香の受洗
バチカンから帰国(8月)した道満丸は、「母お雪の香り」に導かれ、山中で隠れキリシタン信者たちと潜伏していた愛香と涙の再会を果たす。道満丸(19)の帰還を受け、愛香(23)もまた密かに洗礼を授かる。禁教の嵐が近づくなか、二人は同じ信仰と香りで結ばれた。

1590年、9月、帰国した道満丸と愛香が越後の山中で再会。


同1590年:師・永徳の最期(10月)
凛(15)は師・永徳の臨終に立ち会い、その金泥の図の完成の遺志を受け継ぐ。永徳にすればそれは安寧への祈願と、お雪への永遠の想いそのものだった。

【開花:お玉の誕生と安寧への祈り】★

1600年、ガラシャの悲劇


・1600-1632年:血脈の継承と「お玉」の誕生
ガラシャの死後、その香りと誇りはお蝶(1579)、お松(1600)を経て、お玉(1632)へと受け継がれる。お松は死の間際、一族の誇りである「匂い袋と遺書」を、戦国最後の希望としてお玉に遺した。
・1615年:妙徳院から凛へ最後の文が届く・・・道満丸と愛香は金泥の絵図を守りきり、越後の地で名を変え農民に帰して庄屋になったとのことだった。ふたりとも仲間と共に隠れキリシタンとして生涯を閉じるということであった。凛の真の金泥の図が世に出ることを祈願していたという文だった。

1615年、お凛に最期の文を書く。
1615年、妙徳院からの文を読むお凛


1648年:安寧画塾の邂逅

1648年、安寧画塾を訪ねたお玉。


 
奥絵師を引退した凛(73歳)の前に、十六歳になったお玉が現れる。お玉の身から溢れる圧倒的な芳香が、自分の持っていた匂い袋と同じだった。お玉のその筆先に宿る才気を見た凛は、お玉が生誕日に受洗させられたことを知りつつ、彼女を養子に迎える。お玉に三十三年前の妙徳院の文をお玉に見せる。お玉にはこのとき凛や愛香との想いがひとつであることがわかった。
1657-1658年:大火からの新生と江戸の安寧

1658年、お玉、お凛と江戸大火復興の祈願で屏風を描く。


明暦の大火ですべてが灰となるも、凛とお玉は再び立ち上がる。若き絵師・菱川師宣(1618)が協賛し、かつて永徳が夢見た「真の金泥の図」が、柘榴と茉莉花の香りと共に、平和な江戸の街に甦る。
(注)※ガラシャ(伽羅奢)の受洗は1587年で本名は明智珠(たま)。主人公のお玉とは同名なので、あえて生誕日からガラシャ名にしています。
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★<初めて読まれる方へ>
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【第一章 あらすじ:宿命の香りと金泥の図】    
 時は一六五八年・万治年間。かつて幕府の奥絵師を務めた凛(りん)は、齢八十を前にして江戸の端で「安寧画塾」を開き、門下生を育てていた。その一年前の明暦の大火(振袖火事)により、娘と十年かけて描き上げた「金泥(こんでい)の図」の屏風を焼失するという悲劇に見舞われながらも、凛と養子の娘は再びその再現に執念を燃やしていた。
 凛の記憶は、戦国の荒波へと遡る。彼女は御館の乱で自害した上杉景虎の側室を母に持ち、幼き日に命からがら越後へ逃れた。一行を阿賀北の地で匿ったのは、上杉謙信の妹であり加地城に嫁いでいた鳴海院(なるみいん)であった。この逃避行を共にしたのが、許嫁の道満丸と狩野永徳の娘・愛香(あいか)である。彼女は、永徳が信長と謙信の同盟の証として描いた二つの屏風の下図を命懸けで守り抜いた。一つは「安土山之図」、もう一つは金箔を使わず黄金色の光沢を放つ、柘榴(ざくろ)と茉莉花(まつりか)の香りを封じ込めた秘作・春日山の「金泥の図」である。お雪の持っていた匂い袋は死後永徳に、そして愛香に渡った。それが、凛とガラシャにも受け継がれる。
 この「金泥の図」誕生の裏には、美しくも哀しい確執があった。永徳の想い人であり愛香の母であるお雪は、実は小野小町の一族の血を引く、明智光秀の義妹であった。永徳には西施の沈魚を彷彿させる、その類まれなる美貌は織田信長をも虜にし、信長はお雪を側室にしようと執拗に迫った。しかし、お雪は死を覚悟した小町の歌を詠んで永徳への愛を貫き、信長の誘いを拒絶する。この一件により、永徳と信長の間には深い軋轢が生じた。永徳は信長に面従腹背を貫き、あえて安土城の図を弟に任せる一方で、自らの魂と、お雪・愛香・ガラシャへと受け継がれる「宿命の香り」を「金泥の図」に結晶させたのである。
 ある日、凛の画塾にお玉という十六歳の娘が現れる。彼女はガラシャの血を引く気高く逞しい美貌の持ち主であり、その身からは「金泥の図」と同じ芳香が漂っていた。凛はお玉の筆致に、当代随一の絵師・狩野探幽をも驚愕させるほどの非凡な才能を見出す。探幽からの書状によれば、お玉の父は、娘を凛の養子として預けたいと願っているという。
 お玉は、自らの祖先が小野小町の一族であることを示唆する母の遺言の真偽と、香りに秘められた「金泥の図」の謎を解き明かすため、幼馴染の絵師・菱川師宣に相談へと向かう。再建された画塾で一人待つ凛。宿命の香りに導かれた老婆と少女の出会いが、失われた黄金の屏風を巡る新たな物語の幕を開ける。
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<原文>

永徳の娘と金泥の図

第一章 宿命の香りと金泥の図

(凛の回想)
 島原の乱が(1638年)終えて十年が経ち、家光様の世は安寧の治世にござりました。このときすでに齢七十を超えたわたくしは、狩野探幽率いる奥絵師をやめ、美しい娘を養子に迎えております。
 それからまた十年が過ぎ家綱様の治世になり、今では娘とともに、絵師を目指す門下生を相手に安寧画塾を開いております。一年前は明歴の大火(1657年)で江戸の大半が焼け野原になったのでございます。
 ある日花見帰りにある寺小姓への想いが断ちがたく、病に伏せていた齢十六の娘お珠が、その寺小姓の振り袖と同じ柄の絵を縫い付け、一月十六日に亡くなってしまいました。
 お珠の母親はその古着屋に持っていき、それを齢十六の娘お銀の母親が買ってきて、娘にその振り袖を通したのですが、同じ一月十六日に病気で亡くなりました。お銀の母親は縁起が悪いと思い、急ぎ振り袖を質屋に持っていき売ってしまいました。それをお質という娘の親がその振り袖を手に入れました。そしてまた齡十六のお質は同じ一月十六日に病死したのでございます。 
 本妙寺の和尚はこの振袖には祟りがあるということで、一月十八日に供養のため護摩の火にその振袖を投げたところ、そこに突風が吹き、本殿に火が移り、江戸の殆どが大火にみまわれてしまいました。この安寧画塾も番長の外れにありましたが、火の手が及び全焼してしまいました。そして足掛け十年で娘と描き上げた金泥の図の屏風も焼失したのでございます。幸いにして娘の義兄の後ろ盾もあり、寺子屋も再開はしたものの、焼けた金泥の図の屏風は全焼してしまい、また新たにその屏風に取り掛かっているところでございます。
 あれから幾年経ったことでございましょうか。わすれようにも忘れられませぬ。1615年大阪夏の陣で豊臣家が滅亡の後でも、しばらくはまだ安寧の世は遠くに感じておりました。
 一族を亡くしたあとも秀頼殿のお子は捉えられ、国松様は生き延びることはできなかったのでございます。もう一人のお子は千姫様の養子となり出家して尼になりもうした。
 それから、上杉の三郎景虎様が御館の乱で華御前様とともに自害され、残る二人のお子も亡くなられました。側室だった母上は三歳の私を背に、齡八歳になられたばかりの道満丸様と四歳上の愛香(あいか)様を引き連れて、命からがら逃げ延びたのでございます。永徳殿の弟子二人に誘導されて、母上とわたくしたち四人は、考える間もなく、何度も倒れながらも阿賀北の地で匿っていただきました。景勝様が春日山城を占拠しても、越後の国衆には三郎景虎様を支持する勢力がまだ多ございました。その加地城には謙信様の妹である鳴海院(なるみいん)様がおりました。二十五里(100キロ)はあったでしょうか。母上もさぞ苦しい思いをしたことでございましょう。
 愛香様は四尺の箱に収めた二つ屏風の下図を背に担ぎ、弟子に柘榴と茉莉花の染料と香料そして絵の具を持たせ、道満丸様の手を握り必死に疾走していたのでございます。二十四枚の屏風の色どりの下図と絵図は青苧と丈夫な和紙で覆われておりました。下図は永徳様が愛香と道満丸様のために描いた未完の図でした。信長様も拝見した六曲一双の安土山之図の他に、もう一つの屏風は、金箔を使わない黄金色の光沢と、青紫の対比で構成された屏風の下図と聞いております。その図は亡き謙信様や椿御前、愛香様と道満丸様、母上以外誰も見ておらなかったと聞いております。母上は永徳様と謙信様が夜通し酒を酌み交わしながら話していたと聞いております。傍らに愛香様と道満丸様が寝ているのを尻目に、椿御前様と母上はともに屏風の下図をみていたと聞いております。その金泥の図からは柘榴と茉莉花の香りが放たれておったと母上から聞きました。永徳様と愛香様の持ち運んだ麗しい匂い袋。その香りはお雪様から受け継いだものでしょう。それがお雪様の従姉妹ガラシャ様にも受け継がれていたのです。それは謙信様が愛された椿御前様も好まれたのでしょう。その香りは母上と鳴海院様にも乗り移ったのです。そして真の金泥の図にも。わたくしは今でもその匂い袋を手にしています。
 濃越同盟は1572年から5年ほど続いておりましたが、信長様はその折織田方から人質を差し出しており、同盟破棄でも1576年には機を見て、永徳様の娘である愛香様を道満丸様の許嫁にしてしまったのでございます。
 足利義輝様が1559年、永徳様に描かせた洛中洛外図の屏風は約2,500人の人々の姿がありました。それを1574年に信長様は謙信様にお贈りになられたのです。
(回想終わり)





(一六四八年春、齢七三で凛が「安寧画塾」を開講した日。お玉との出会い)
(凛は、門下生を集めて画塾を開くが、柘榴染めの着物に茉莉花染めの帯を締めたお玉の姿と、彼女の身から漂う麗しい香りに戦慄する)

「そなたら、安寧画塾へ良う参られたな。十人ほどしか入れぬ寺子屋じゃが、修行するのには丁度よい。しかと励むのじゃぞ・・・」
「はい・・・」
「先生、聞いた話ですけれど、金泥の図ってどういうものなのですか?何が描かれていたのでござりますか?」
「なぜそのことを。誰から聞いたのじゃ」
「屋敷に出入りしている挿絵職人の菱川師宣さんです。その絵図の話が楽しくて・・・」
「あんた、どこぞの娘さんじゃ。武家のお姫さまではござらぬのか。お付きの侍が大勢おるが・・・
「番長屋敷の叶五郎左衛門の娘にございます。以後お見知りお気を・・・」 
「名はなんと申す?」
「お玉と申しまする・・・」
「お玉とな。どこかで聞いたことのある名じゃな」
「曾祖母はガラシャ夫人と聞いておりまする。先生は戦国の世のお話に詳しいとか父上から聞き及びました」
「そなたは絵になる貴人じゃ。しかし、美しい顔で他の門下生が講義に専念できぬではないか」

(凛はこの娘の美しさが得体の知れない奥ゆかしさと香りを放っていたのに気がついた。はて、この香りは・・・。かつて母上が永徳様に弟子入する際に身に着けていた匂いう袋と同じだった・・・)

「心配されまするな。次回からは思い切り顔にシミとソバカスをつけて参りますゆえ、それに顔に泥を塗りまする。今日のところはお許しくださりませ・・・・」
「この老婆は構わぬがな、まぁそう気張らずともよい。普通でよいのじゃ。好きになされませ。ここは誰もが門下生になれる寺子屋じゃ。だだ・・・」
「ただと言いますると・・・」
「お付のお侍は・・・・。それに門下生は皆元服前の年頃の子ばかりじゃ・・・。気が散るではないか・・・」
「今日だけでござりまする」
「姫君様・・・この齢七十三の奥絵師の目はごまかせませぬぞ・・・」
「先生には、そういう深刻なお顔は似合いませぬ。お前たちもうよい。下がりなさい。父上には私から申しますゆえ・・・」
「しかし、姫君、拙者らの立場が・・・」
「わたくしにまかせなさい。門下生がたじろんでおるではありませぬか」
「そういうことなら」
「先生、これでよろしゅうございまするな・・・」
「そなたは、相当な御転婆のようじゃ。そなたたちはもう帰りなさい。今日はもう挨拶だけでよい。親御さんが心配するでな。日をあらためて来るがよい・・・」
「そなた、たしか叶殿の姫と申したな」
「はい、そうでございます。祖母は前野様の側室で離縁させられ、その前の年に身罷りました。母はその娘にございまする」
「すると、やはり曾祖母はガラシャ様のようじゃな・・・」
「父からはそうお聞きしておりまする」
「そなたとは話があいそうじゃ。齢はどのくらいじゃ」
「明けて十六になりまする・・・」
「それにしても・・・」
「なんでござりましょう、先生」
「そなたは6尺ほどもあろうな。麗しき大きな姫君じゃ。美しい顔立ちぞ。それに逞しい。胸の隆起は甚だしくこぼれ落ちそうじゃ。腰の張りも見事じゃな。骨は丈夫で筋肉は恐れるほどついておる・・・。それに仕草といいい声の透明感といいガラシャ殿の血を受け継いでおるのじゃろう。これでは殿方が放ってはおくまいて・・・」
「先生は絵師ですからよく人の身体を観察なされるのでございまするか。そういうふうに見つめないでくださいますな。わたくしめはまだか弱き齢十六の娘ですよ。恥ずかしいです・・・」
「わたしは衣を脱いで絵を描かせろというのではない。褒めておるのじゃ。そなたが子を産めば未来の日の本を動かす者となろうな。どのような安寧な世になっておろう。とりあえずは、家光公の世では島原の騒動が終わって十年経つが、虎視眈々と世を争乱の渦に巻き込もうとする輩が多いと聞く。そなたは誰に教わっておるのじゃ・・・」
「先生・・・」
「言わずともわかっておる。さては新陰流の柳生の道場じゃな。歩き方や仕草や目の走りでわかったぞ・・・」
「鋭き眼、恐れ入りまする」
「三厳殿、いや柳生十兵衛殿は江戸に戻られたのか」
「一年ほどになりまする」
「無理もあるまいて。柳生宗矩殿が上様の指南役に付き合わせたものの粗相を働いて、修行に出されておったのじゃ。逞しくなったであろうな」
「刀を抜かずに人を斬る・・・新陰流の極意でございましょう。むろん、剣の指南は厳しきことでございまするが・・・」

(凛は永徳様が日頃話してくれていたことが脳裏に蘇っていた)

「そなたの曾祖母はガラシャ様だがその母の妹はお雪と申してな・・・」
「それがなにか・・・。」
「いや、話が長くなる。やはりやめておこうかの・・・」
「聞きとうござります。わたくしと先生になにやらあるのではないかと・・・」
「そのお雪様は狩野永徳殿の想い人であったのじゃ。ご正室にはなれなかったが」
「意味がわかりませぬ」
「信長様も幼き頃からいたくお雪様にご執心であっての。あの美しさは戦国一といっていいほどじゃ。そなたもその血を継いでおるようじゃ」
「この小娘には殿方のご心中はわかりませぬ。おなごに情の世界は難しゅうござりませぬか」

(お玉が何かを感じたかのように凛の横顔をじっと見つめる)

(凛はふと脳裏をかすめた、その時を思い出していた)

 『そうじゃ、おぼろげながらわかったぞ。曾祖母がガラシャ様だとすると、その長女はたしかお蝶様じゃ。秀次殿に仕えておった夫の前野景定殿とは騒動の煽りを受けて離縁させられたと聞いておる。関ヶ原の決戦を前にしてガラシャ様は三成殿の人質を拒否し、家臣へ自分の死を命じて屋敷に火を放った。その年に産まれたのがお松様じゃろう。たしか生まれてまもなく叶家に嫁いでおる。その後、齢三十路でお松様は娘を産んだが病死されたのじゃ。そのとき生まれた子はガラシャ様の生まれ変わりと、今では江戸城下では有名ぞ。ガラシャ、お蝶、お松、そしてお玉か。大柄でな娘で幼少のころから剣の道に精通しておるときく。近頃は茶の道とか絵師の道も伺っているそうじゃが。さて、どのような娘子じゃろう・・・』
(脳裏の終わり)

(回想)
 これは母上からの文に書いていたことでございます。安土城の図の完成は一五八一年ですが、その下絵は手取川の戦いの一年前には既に出来上がっておりました。金泥の風雅な空間に天主の威厳と天下の安寧が宿り、山腹には帝のぬ休息所、麓には庶民が自由に出入りする姿が描かれた見事な筆運びでございました。
 もう一つの「春日山の屏風」は、永徳様が領民の安寧を願い描かれた極秘の渾身作です。画面右下にはお雪様と愛香様が、中央奥には鳴海金山が佇み、柘榴と茉莉花の配合による黄金色と青紫の対比が、壮大かつ高貴な情緒を放っておりました。  
 この二つの下図を携え、永徳様は謙信様のもとを訪れました。濃越同盟の証として、信長様の仲立ちにより当時九歳の愛香様と五歳の道満丸様が許嫁となられたのです。
 対面の折、道満丸様の記憶には愛香様が抱く母・お雪様の遺品「茉莉花の匂い袋」の香りが深く刻まれました。永徳様もまた、亡き妻を偲び、その香料を絵具に混ぜ込んで下図を描かれたのです。この香りは後に、従姉妹のガラシャ様にも分かち合われたと聞き及んでおります。


 ある日信長様に永徳様が謁見した際、明智様とご正室、そして侍女も参られておりました。永徳様は信長様に絵師としての才能を見出されていました。その侍女はとても美しく永徳様は、その後相思相愛の仲となったのでございます。その侍女こそお雪様という方で、明智様のご正室の十四歳も離れた妹ということでした。こともあろうに、それまで十人以上もの側室をお持ちの信長様もその美しさに心酔し、お雪様をも側室にしようと迫っておりました。お雪様は、信長様には逆らえないとは思いましたが、死を覚悟して、
『宵々の夢のたましひ足たゆくありても待たむとぶらひにこよも』
という歌で永徳様宛への恋文の書状を読み上げたのです。それを聞いた信長様は諦めたという話です。永徳様は信長様の調略で臣下の娘を正室に迎えてはおりましたので、お雪様の立場は正室ではありませんでした。お雪様が決死の覚悟で読み上げた歌は、代々伝わるご先祖の小野小町一族から来ておりました。永徳様と信長様はこのことで大きな軋轢が生まれていきました。
永徳様は信長様には面従腹背を貫きました。今思えば安土城の図を全面的に弟の宗秀に任せていたのには合点がいきます。
 信長様は、本来その安土の図を誰にも渡したくなかったようでございます。想い人であったお雪様とその愛娘を、永徳様の絵図を通じて抱きしめたかったのかもしれませぬ。 あまりのお雪様のお美しさが忘れられなかったのでしょう。いくら権力を持っていても女人の気持ちは変えられませぬ。 


 その後、一五七六年に北条と武田が結んだことで濃越同盟は事実上破棄されましたが、謙信様は二つの下図を契りの証として大切に御館へ仕舞われました。後年、永徳様の弟・宗秀様や弟子たちが完成させた屏風は、一つは安土城天主へ、もう一つはヴァリニャーノに託されて海を渡り、一五八五年にローマ教皇へと贈呈されました。  
 お雪様は、永徳様にとっても信長様にとっても忘れ得ぬ想い人。政のために別の娘と祝言を挙げねばならなかった永徳様の、絵筆に込めた心中はさぞ複雑でございましたでしょう。
(回想終わり)

(凛とお玉の会話つづき)
「そなたにはまだ難しかろうて。人の想いは測りかねぬでな」
「その後はどうなさったのでござりましょうや」
「お雪様と永徳様は相思相愛で愛香という娘を授かったんじゃ」
「愛香様とは?」
「そなたは知らぬであろうが、謙信様の養子で三郎景虎様と華姫様との間に道満丸という子がおっての。信長様が濃越同盟を謙信様と結んだ折りに、機を見て愛香様を道満丸様の許嫁にしおったのじゃ。」
「つまり、お雪様は私の曾祖母の従姉妹ということでございましょうか」
「そうじゃ、愛香様はガラシャ様とは従姉妹ということじゃな。四歳も齢が下であったが気丈ぶりには目を見張るものがござった。謙信様がなくなり御館の乱でこの老婆と母上といっしょに、逃げ延びたのじゃが。その少し前に、尾張ではガラシャ様と細川忠興の祝言が信長様の仲立ちで行われておった。ガラシャ様の長女がそなたの祖母お蝶様じゃ。夫の忠興殿は徳川方の東軍に付いていたので、お蝶様の母ガラシャは三成殿の人質にさせられようとしておったが、それ拒否して配下に介錯をさせ火を放たれて自害された。クリスチャンは自害が許されておらなんだからの。お蝶様の夫は前野殿で秀次殿の臣下であったゆえ、西軍を指揮する三成殿に汲みするほかはなかったのじゃろう。ガラシャ様の悲劇は東軍の士気を上がらせ勝利に導かせたのやもしれぬな」
「曾祖母様も祖母様も大変だったのでございますね」
「話が逸れてしもうたな」
「いえ、かまいませぬ。お玉には新しきお話しゆえ」
「それでな、金泥の下図は信長殿との手取川の戦いの前年に出来上がっていたという話じゃ」
「誰も見たことのない、あの安土山之図屏風でございますか」
「そうじゃ。濃越同盟の証として、永徳先生に構図を描かせたのじゃ。まだ建ってもおらぬのにな」
「なぜでございますか」
「本物の図を謙信様にお贈りしたかったのであろう。椿御前さまもたいそうお気に入りでござった。安土城ができて屏風は完成したが、一つは宣教師に、もう一つは信長様の手元においたのじゃ。その二つは永徳先生の弟子たちが総出で描いたものじゃったそうじゃ。軒猿の棟梁の娘じゃった椿御前はご新造の立場でも、謙信様の影となって内偵を怠ることはなかったそうじゃ。そのことを克明に調べておる」
「椿御前様とはいかに・・・」
「謙信様の正式なご新造様じゃ」
「表にはお顔をお出しになられなかったのでございますか」
「そう聞いておる」
「先生、いろいろとお話を聞かせていただき、痛みいりまする、お疲れではござりませぬか・・・」
「そなたと話しておると、気が若返るでな。元気になるのが目に見えてくるのじゃ。」
「それでは、奥絵師殿とお呼びいたしますれば」
「凛でよい。昔は皆にそう呼ばれておった」
「さすればお凛様。永徳様とお雪さまのお話からでしょうか。それとも、謙信様と椿御前様の極秘の想いとかなんとか。それとも愛香様と道満丸様とか・・・」
「これ、あまり先回りするでない。このしがない奥絵師をなんと心得る」
「失礼至極・・・」
「しかし、そなたのお転婆ぶりと美しさがなんとも言えぬ均衡を産んでおる。天真爛漫さは宝ぞ」
「恐悦至極に存じまする」
「ところで・・・・」
「なんでござりましょう・・・」
「そなたの身か衣からかわからぬが、麗しいその香りは何じゃ。それに柘榴染めの着物と茉莉花の帯じゃ。どこぞの香りに似ておるな。なんと申したかな、思い出せぬ・・・」
「母もいつもその香りを放っておりました・・・。匂い袋もございます」
「わかったぞ、思い出した。柘榴と茉莉花じゃ。金泥の図の香りじゃ。椿御前様に愛香様から移ったのじゃな。ガラシャ様もさぞ同じ香りを放っていたのであろう」
「わたくしにはよくわかりませぬが・・・」
「わからなくても仕方ござらぬ。さ、少し茶でも入れようかの・・・」
「あ、私がお入れいたしまする」
「そなたは茶道を嗜むのか。茶菓子はそこにある。ともに戴かぬか」
(再び凛の回想)
 亡き母の語りが未だ尚わたくしの脳裏に焼き付いて離れませぬ。御館の乱のあと、鳴海院様は幼少のわたくしを永徳様に弟子入させたのでございます。鳴海院様と謙信様は、永徳様とは濃越同盟の折から懇意にしておりました。その永徳様は1590年に過労でお体を壊され道半ばにして他界されたのでございます。
 お雪様は正室ではなくても、永徳様は妻という立場を貫いておりました。愛香様のことを亡くなる直前まで叫んでございました。私が永徳様の弟子になり十年目の十月、永楽様は身罷りました。愛香様は幼少の頃より、永徳様から表具師の手ほどきを受けておりました。六曲一双の金色を基調とした安土山之図屏風は、それはそれは大きゅうございました。もう一つの六曲一双・春日山之図屏風の下絵でも、金色の補色の青紫色を基調とした金泥の図としての存在感がありました。謙信様にお見せするため、そのまま表具師達と愛香様が屏風の再現まで昼夜を問わず、入念に貼り付けたそうでございます。柘榴と茉莉花の染料を屏風に染み込ませて、香りを恒久的に放たせるのです。下絵の数は優に二十四枚はあったでしょうか。屏風の縦は六尺(1.8m)、横は五尺に、それが二つほど並べれば二十尺(約7m)にはなりましょう。六曲一双と呼ばれるものでございます。洛中洛外図と安土山之図が本丸で並べられ、春日山の図も合わせて三つの六曲一双、それはもう、言葉では言い尽くせない世界でございました。愛香様は年少なれど永徳様にとってはなくてはならぬ娘だったのでございます。永徳様は亡くなる直前まで、春日山の金泥の図の行方を気にかけていたと、母の風の便りで知りました。
(回想終わり)

(狩野探幽からの火急の知らせで表に出るお凛)
「先生に鍛冶橋の探幽殿から書状でございます。こちらへ・・・」
「なんじゃ。与助」
「探幽様からじゃの。
『お凛殿へ。此度そちらにおるお玉殿のことでござるが、叶殿から文が参り安寧画塾でしばらく修行させよとの下知がござった。ついては、お凛殿の見立てでお玉殿の器量をお測りねがいたい。お玉殿は菱川師宣とかいう絵師と幼い時分からよく屋敷で遊んでもらっておると聞くが、茶の道にと、剣の道にと進みおるなかなかのお転婆と聞く。叶殿は凛殿にお玉殿を鍛えてくれとのことじゃが、無理でござればお玉殿にはお諦め願う。どういう娘子がわからぬゆえ、あまり期待してはならぬ。絵師としての素養はわからぬが。それでじゃ、ここだけの話じゃが、その娘の器量と気立てが気に入ればそなたの養子にと仰せなのじゃ。叶殿は勝手なお願いと殊勝なる物言いにて、拙者を介して伺いたいということじゃ。なにとぞ良しなにお願いする・・・鍛冶橋狩野探幽拝』
と書いておる。困ったものじゃなぁ。いつ三途の川を渡るかわからぬこの老婆に、海のものとも山のものとも存ぜぬ者を養子とな・・・。他ならぬ永徳先生のお孫様の頼みじゃ、無碍にはできぬが・・・」
「どういたしましょう」
「与助、とりあえず、このことはお玉殿にはしらせるな。この老婆がしばらく様子をみるでな・・・」

(回想)
 1590年7月、天正遣欧少年使節団に同行して帰国した春日マイケル(道満丸)は、越後阿賀北に住む愛香のもとへ隠密で帰ってきておりました。
 その年10月に永徳様が身罷った折は供養できず、後に愛香様と忍びで行っております。秀吉様のバテレン追放令が厳しくなり、遣欧使節団の四人は悲劇の運命を辿っておりました。
 謙信様の椿御前様は軒猿の棟梁の娘で、時折城を抜け出し諸国の内偵をしておりましたので、母上も謙信様からも諸国の内情を知らされていたようでございます。
 椿御前様は子を産めぬ体になられて再び軒猿に戻り、仲間からは名を柘榴(ざくろ)と呼ばれました。
 失意の謙信様も時を同じくして毘沙門天の化身となったのでございます。それ以来謙信様は独り身を通された。
 わたくしも体力が衰え一時労咳に患い、徳川家の御用達女絵師としてもそろそろ筆を下ろすことになったのでございます。狩野探幽殿は亡き弟の子で今や江戸狩野家を束ねております。私が隠居を申し出ると、探幽様は画房と住居、そして「安寧画塾」といういう寺子屋を授けてくださいました。
 絵師というのは時の権力に翻弄されながらも、己の感性と筆の動きから眼を離すことはできませぬ。暗い影でも明るい部分は必ず存在して、絵の立体感を産む見えない立役者ともいえましょう。
 自然の色は無限大、絵師は時代の影であり色を添える証言者な成り得ると、永徳様は良く申しておりました。金泥の図は安寧と理想郷を描いた稀有なものとなりまする。その図の行方は知れずとも、この老婆の絵師はかつての記憶をもとに再現せねばなりませぬ。奥絵師ではなくて自由な絵師として。
 四代目となる徳川の太平の世が訪れても、今もなお戦禍の傷痕が大地に根付いておりまする。ならばわたくしはせめて子どもたちには、その金泥の図の真意を伝承せねばなりますまい。
(回想終わり)

(お凛が寺子屋に戻る)
「お玉、待たせたな、これへ・・・」
「なんでござりましょう」
「これからは、母からの、椿御前様から聞いたとされる話じゃが」
「お凛様の母上は妙徳院でござりましたですね、たしか」
「三郎景虎様の側室じゃったが、よく気にかけてくれたと聞いておる。その話はそのうちにな。そなたは江戸一番の美形じゃが、気立てはよい。ただし、悪いところは、図に乗るところ、走り出したら止まらぬ性格、潔癖症かの・・・」
「褒めて貶してその気にさせる、凛様の策略でございましょうか、ふふふ」
「戦国の世は終わったが、平安の道は険しい。絵師は皆に安寧の地に誘うことぞ。理想の世界はそう簡単には来ぬが・・・」
「わたくしめにお任せくだされ。日の本は決して沈みませぬぞ・・・」
「ほほほ、そなたは鞘にはおさまらぬ性根のようじゃ。そこが面白きところじゃ。このお凛も血が湧いてくるようじゃ・・・」
「痛み入りまする・・・」
「お玉殿、わたしの画房がそこにあるのじゃが。行ってみぬか」
「わたくしごときが、そのようなところに?よろしいのでしょうか」
「見てもらいたいものがるのじゃ・・・」
「あ、痛ツ・・・」
「どうなされた?おでこがはれとるぞ」
「なんでもありませぬ・・・」
「鴨居が低すぎるのじゃ。この老婆に合わせて作っておるからのぅ」
「すみませぬ。傷をつけてございます」
「構わぬ。この老婆も傷だらけじゃ。そなたは清らかなおでこ姫じゃな、ははは・・・」
「ほほほほ・・・」
「笑顔が天女様のようじゃな、お玉殿は・・・」
「天心爛漫様でございましょうか」
「自分で言っては世話がやけるのぅ」
「すみませぬ」
(画房のなかへ)
「ここが凛の仕事場じゃ」
「広うございますね」
「畳三十程はあるでな。ほれ、そこにおいておる」
「屏風が二つ・・・。下絵が貼ってありまするが」
「ずっとそのままじゃった。そなたが来るまではな」
「わたくしになにか・・・」
「そなたのその香りじゃ。愛香様のものと同じなのじゃ。ガラシャ様一族のな」
「一族でございますか」
「人は誰しも生まれついての宿命がある。お玉殿はまだわからぬようじゃが」
「宿命などいやでございます。美しい宿命でございますか・・・」
「そなたは、ああ言えばこういう姫じゃな。しかし、そこが良い」
「そうでございますか」
「手始めに、お玉殿、この筆で、凛を描いてみなされ。下手でもかまわぬゆえ。笑いはせぬ。破くかもしれぬがな。ものは試しぞ・・・」
「わたくしにはとてもとてもできませぬ・・・」
「しかし、そなたのこの香りは麗しいな。さ、手始めにわたしを描いてみなされ・・・」

(凛にはお玉の横顔にある種の眼光と覚悟を感じていた。白く逞しい清らかな筆使い。そこにはあの柘榴と茉莉花の香りがあった。凛は期待などしないが高みの見物という視線だった)
「さすれば、失礼を・・・。凛様、そこにお座りくださいませ。じっとしてるのですぞ・・・」

(一刻が過ぎた)
「こんなものでよろしいのでしょうか・・・」
「こんなものとはな・・・・・・・・・」
「凛様、どうなさいました。下手でございましょう?これが精一杯でございました」
「・・・・・・・・・」
「凛様、汗がでておりまするぞ。与吉さん、お呼びします。。。与吉さん、与吉さん、お医者様お呼びして、早く・・・」

(街医者が来た)
「どうなされた?そなたおでこが少し膨らんでおるぞ。すぐに引くがな。これを塗りなさい。与吉さん、こんなことで呼ぶんじゃないよ。今、大変な患者が詰めとるんじゃ・・・」
「先生、この天女さんじゃなくて・・・」
「ほう、おでこ天女ではなくて・・・こりゃいかん、奥絵師凛さんではないか。目を開けて苦しそうじゃな・・・。先が短いぞ・・・」
「先生そんな・・・」
「冗談じゃ。なんともないわ。ちょっとびっくりしただけじゃろうて。あの団子をもりもり食べておるではないか」
「先生、与吉、すまぬな。もうなんともないわ・・・」
「凛様、もう大丈夫そうですね。わたくしはもう帰ります。下手な横好きは・・・・」
「お玉殿・・・・・」
「何でしょうか・・・」
「どこで習われた?」
「何をでございますか・・・」
「そなたが凛を描いたであろう」
「今江戸で評判の菱川のお兄様は、幼少のころからよくわたくしと遊んでくれたかたです。父の屋敷によく出入りしておりましたが・・・」
「そうなのか・・・」
「わたくしが後ろを振り向いた下絵をいつも描いてはおりましたが」
「ふり返り美人じゃな・・・」
「見返りでございましょう」
「そなたはああ言えばこういう美人じゃて」
「ですからそれはもう良いですから。わたくしは落第でございましょう?」
「そなたは帰ってはならぬ」
「わかりました。凛様の身の回りのお仕事でございますね」
「そうではない」
「違いまするのか?」
「違うのじゃ・・・」
「どう違うのでございますか」
「そなたは探幽様ものけぞるほどのかきようじゃ」
「恥をかくのには慣れておるまするゆえ」
「まだわからぬのか」
「わかりませぬ」
「まぁ、よい。とにかく、帰ってはならぬぞ。ずっとここにおれ・・・」
「わかりましてございまするが、父のお許しが・・・」
「そのことはこの老婆に任せよ。ひとつ、聞いてよいか?」
「なんでござりましょう?」
「そなたの筆から香るその麗しい香りは・・・・」
「これでございまするか。母からの形見で匂い袋と振り袖の香りでございます。金泥の図とやらの書き置きがございましたゆえ、義兄(幼い頃から遊んでくれた絵師、菱川師宣)に尋ねたところ、凛様という元奥絵師に聞けと言われましてございます」
「それでそなたは・・・。このことはお父上は知っておるのか?」
「いえ、父上は誰にも話してはならぬと申しておりましたが・・・」
「お父上はお転婆のそなたにはかなわぬそうじゃ・・・」
「わが師、探幽様からの内々の書状じゃが・・・。申してもよいか迷うてはおるが・・・」
「どういうことでございましょうか・・・」
「このことはのぅ・・・・」
「探幽様からの文では仔細はわからぬが・・・」
「わたくしにも薄々は感じておりますれば。まわりの者からも噂が立ち込めておりまする・・・」
「そなたの父上がこの老婆の養子にと申しておるそうじゃ・・・」
「父上が・・・。どうしてでございましょう・・・」
「そなたの祖母はお蝶様と申してな、大変苦労されたとのことじゃ。その折に生まれたそなたの母お松殿は産後まもなく病死された。そなたの父上はなかなか鞘に収まらぬ齢十六の娘を不憫に思うたのかもしれぬ。多くの大名家からのご新造の話も多く来ておると聞いておる。美形で裏表のないそなたはガラシャ様の血をついでおると聞いておるが・・・」
「お武家様の御新造になる資格など、わたくしにはございませぬぞ」
「どうしてかはわからぬ。そなたの父上に聞くしかあるまい」
「母上も養子、私も養子・・・。父上も養子です。でも、お迎えくださる方がいらっしゃることは良きことでございましょう」
「そなた・・・、齢十五の割には肝がすわっておるな。その匂い袋には何かこう縁の糸が香っておる。ガラシャ様のな・・・」
「たしかにそう思いまするが。わたくしには曾祖母のことはよくわかりませぬが・・・」
「良からぬ話であったかのう。言わねばよかったか・・・」
「父からはそれとなく、ガラシャ様のことはお聞きしておりましたが、それだけでございます。遡った遠い話にはお玉には苦手でございますゆえ」
「それもそうじゃがな・・・」
「お凛様、しばし何日かいただけませぬか?義兄のお話も聞きとうござりますれば・・・。それと父上の真意も確かめとうござります・・・」
「それが良い。行きなされ。焦ることはないぞ・・・



(回想、安寧画塾)
 お玉が齡十四も離れた刺繍の下絵職人の義兄菱川師宣殿は、番長の叶様のお屋敷には出入りしておった。幼少のころから仲の良い遊び相手でごさったが、母の顔を知らずに育ったお玉にとっては、実の兄のように思っておったように違いござらぬ。その菱川師宣に身の振り方を相談し、その後父上に養子に出す真意を問うはずなのじゃろう。誰でも自分の生い立ちに心配すれば知りたくなるのは当然のことじゃ。どういう事情かわからねぬが、しかし十日過ぎても知らせは来ておらぬ。お玉は金泥の図のことは諦めたのやもしれぬ。この時にはそう思っておった。

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※別バージョンのあらすじ。(控え)

第一章:宿命の香りと金泥の図(あらすじ)

家光から家綱へと続く安寧の治世、齢七十を超えた元奥絵師・凛(りん)は、江戸で「安寧画塾」を開いています。凛はかつて、織田信長や狩野永徳、そして上杉謙信が関わった秘宝「金泥の図(こんでいのず)」の記憶を持つ生き証人でした。この図は、永徳が愛したお雪(ガラシャの叔母)とその娘・愛香への情愛を込め、柘榴と茉莉花の香料を混ぜた黄金色の絵具で描いた、天下安寧を願う極秘の屏風です。

ある日、塾にお玉という十六歳の娘が現れます。彼女の体からは、かつての愛香やガラシャと同じ「柘榴と茉莉花」の麗しい香りが漂っていました。お玉は細川ガラシャの血を引く名家の娘でありながら、柳生十兵衛に師事する剣の達人でもありました。凛はお玉の類まれな美しさと、直感的に描いた凛の似顔絵に宿る「永徳をも凌ぐ天性の筆致」に戦慄します。

実は、凛の師・狩野探幽を通じ、お玉の父から「娘を凛の養子にしてほしい」という密かな願いが届いていました。それは、お玉に流れる数奇な血筋と、焼失した「金泥の図」を後世に再現させるための宿命の引き合わせでした。お玉は自身の出自と向き合うため、兄のように慕う絵師・菱川師宣のもとへ相談に向かいますが、その後、塾へは戻らず十日の月日が流れます。香りが結ぶ戦国からの因縁が、江戸の世で再び動き出そうとしていました。


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★本編

第一章

第二章

第三章

第四章

第五章

第六章

第七章

第八章

第九章

第十章

★巻末資料
https://note.com/cool_arnica9767/n/nd211f86ec171
https://note.com/cool_arnica9767/n/n2181bf87ce57
https://note.com/cool_arnica9767/n/n57a8e11f9000
https://note.com/cool_arnica9767/n/n710a63305c41

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