98度は『平熱』か『死』か? ― ナポレオンやナチスも恐れた温度単位のナショナリズム
はじめに
「あなたの平熱は何度ですか?」とか「あなたは何度ぐらいのお風呂が好みですか?」と質問されたときに、「98度です」とか「103度ぐらいです」と回答すると、相手は「お前、死にたいのか。ふざけるのも、ほどほどにしろ!」とブチ切れて怒り心頭でしょう。日本だと。
だけど、ところ変われば品変わるで、米国では、98度とか103度あたりの数値は市販の温度計でごく当たり前に表示されるレベルです。2026年7月上旬には全米各地を熱波が襲い、最高気温が100度超えの地点が続出し、建国250年のイベントが中止・時間変更に追い込まれました。
というのも、現在では日本を含め大半の国々では温度の単位としてグローバルスタンダードである摂氏(℃)が用いられますが、米国などごく一部の国では、現在でも華氏(℉)が常用されているのです。
温度のような単位の選択は、科学・政治・文化・民衆意識/慣行が錯綜する実に興味深いダイナミックな社会事象です。今回は、フランス、ドイツ、イギリス、米国、日本の5カ国における温度単位の変遷をたどって、そのダイナミズムを探っていきます。
華氏、列氏、摂氏、絶対温度について
まずは、摂氏と華氏、それに今では用いられることがない列氏(レオミュール度、°Ré)、理工学の専門概念である絶対温度、の4つの温度単位について振り返っておきます。
① 華氏(ファーレンハイト度;℉)
「華氏(ファーレンハイト度・℉)」は、1724年にドイツの物理学者ガブリエル・ファーレンハイトが考案した温度単位です。ファーレンハイトは、当時の技術で人工的に作ることができた最も低い温度(氷と水と塩化アンモニウムを混ぜた温度)を「0度」と決め、一方で、正常な成人の体温を「96度」(12の倍数が実用的と判断したらしい)と定めました。日本語での「華氏」表現は、ファーレンハイトの中国語表記である「華倫海特」の頭文字に由来します。
② 列氏(レオミュール度;°Ré)
1730年、フランスの物理学者レオミュールが「水の氷点=0度、沸点=80度」とする単位を考案しました。後述のとおり、18世紀のフランス国内やドイツをはじめとするヨーロッパ大陸では、この列氏が温度として広く使われていました。「列氏」表記は、中国語の表記、「列奥米爾」に由来します。
③ 摂氏(セルシウス度;℃)
日本で今現在馴染みのある「摂氏」と呼ばれる単位は、華氏や列氏よりも少し後の1742年にスウェーデンの天文学者アンデルス・セルシウスが考案したものです。こちらは「水の氷点=0度、沸点=100度」とする単位です。「摂氏」という日本語は、セルシウスの中国語表記、「摂爾修斯」の頭文字です。
④ 絶対温度(ケルビン;K)
イギリスの物理学者ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)は1848年に、これ以上低くならない温度(マイナス273.15℃)を「絶対零度」と位置づけました。ケルビン卿の時代には、分子や原子といった概念は未確立でしたが、後に、「絶対零度」とは熱力学に基づき「分子の運動が完全に止まった状態」であると整理され、この温度定義に従って表示する温度は、絶対温度と呼ばれ、単位はケルビン(K)です。温度間隔は摂氏と同じで、換算としては、ケルビン(K)から273.15を引いたら摂氏(℃)になります。
華氏や列氏、摂氏は、あくまで相対的な温度の目安でしかない(60℉は30℉の2倍の温度ではない、100℃は50℃の2倍の温度ではない)のに対し300Kは150Kのちょうど2倍の熱エネルギーを有する温度なのです。絶対温度は、物理学や半導体・材料科学などでは極めて重要な概念で、水の三重点とかボルツマン定数などの議論がありますが、日常で使用されることはないので、これ以上の深入りはやめておきます。

以上の基礎知識を前提として、フランス、ドイツ、イギリス、米国、日本の5カ国が、どのような温度単位を用いてきたのか、その歴史を辿っていきます。
詳細は、この後読み進めていただくとして、全体の概要を先に図で示しておきます。

フランスにおける温度単位の変遷
フランスは、温度単位に関して独自の歴史を持っています。
(1)18世紀前半:「列氏」の誕生
1730年、フランスの物理学者レオミュールが「水の氷点=0度、沸点=80度」とする単位(いわゆる「列氏」(レオミュール度、°Ré))を考案しました。そして、この単位がフランス国内やヨーロッパ大陸で大流行します。
(2)1790年代(フランス革命):「摂氏」への大転換
フランス革命時にメートル法を策定する際、フランス科学アカデミーは、合理主義の精神でありとあらゆる単位を「10進法」で統一することを決めました。そのため、80分割の「列氏」を廃止し、スウェーデン発祥の100分割の「摂氏」を国家の公式単位として採用しました。
もっとも1789年のフランス革命後に政府が半ば強制的に推し進めようとした「摂氏」への移行策には、「列氏」に慣れ親しんでいた一般市民や商人の間で強い拒絶反応が生じ、ナポレオンはハードランディング(急激な移行)を断念し、古い単位の併用を認める妥協策をとりました。
政府が「摂氏」を導入してから50年が経過した1840年代になっても、当時の新聞の天気予報では「列氏」と「摂氏」の両方が併記されているか、あるいは列氏のみで書かれている状態だったようです。
ドイツにおける温度単位の変遷
(1)18~19世紀:「列氏」の普及
18世紀から19世紀にかけて、ドイツを含む中央ヨーロッパやロシアで最も広く普及していたのは、「華氏」でも「摂氏」でもなく、フランスの物理学者レオミュールが考案した「列氏」でした。ドイツの家庭や気象観測、醸造分野では、長らく「列氏」が主役でした。
(2)19世紀後半:「摂氏」へ統一
1871年にドイツ帝国が統一されると、国家として単位の標準化が進められました。1870年代以降、ドイツは科学や公式な基準として「摂氏」を本格的に導入し始めました。
1900年代(20世紀初頭)までには日常的にも「列氏」から「摂氏」への移行がほぼ完了し、第二次世界大戦(1939年〜1945年)の時点では、すでに現在と同じ「摂氏」が完全に定着していました。
(3)ドイツで、自国研究者の提唱した「華氏」が使用されなかった理由
ファーレンハイトが「華氏」を完成させた1720年代、ドイツ(当時は神聖ローマ帝国)は小さな領邦国家に分裂しており、新しい単位を国全体に普及させる基盤がありませんでした。考案者のファーレンハイトはドイツ系ですが、「華氏」を熱狂的に受け入れ、国家の標準として世界に広めたのは大英帝国(イギリス)です。
19世紀〜20世紀前半のドイツのナショナリストや国粋主義者にとって、「華氏」は「ドイツの誇り」ではなく、むしろ「宿敵であるイギリス(アングロサクソン)の単位」、あるいはアメリカの単位という認識でした。わざわざ敵国の象徴のような単位を導入する動機は無かったようです。
ちなみに、ナチス・ドイツは、ゲルマン民族の伝統や誇りをアピールするために数々のナショナリズム政策を行いました。ナチスは当初、ラテン文字(一般的なアルファベット)を排除し、伝統的な「フラクトゥーア(亀の子文字・ドイツ文字)」という独特の書体を大々的に推奨する文化的なナショナリズム運動を推進しました。
他方で、19世紀後半のドイツ帝国誕生以降、1930年代のナチス政権期は、「科学技術の近代化」や「工業規格の統一(合理化)」を国力増強の最優先事項としていました。科学の分野において、10進法をベースにしたメートル法や「摂氏」は圧倒的に合理的でした。どれだけナショナリズムが高まろうとも、軍事や工業の効率を落としてまで、計算が極めて不便な「華氏」をあえて導入するメリットがドイツにはなかったようです。
イギリスにおける温度単位の変遷
(1) 18世紀〜1960年代:圧倒的な「華氏」の時代
ドイツ人のファーレンハイトは、自国・ドイツ内ではなく、当時、商業や科学の最先端だったイギリスやオランダで活躍していました。ファーレンハイトの作った水銀温度計は非常に高精度だったため、当時の最先端科学機関だったイギリス王立協会に認められたのです。
イギリス人は温度単位としての「華氏」を気に入り、大英帝国の公式単位として世界中の植民地(アメリカ、カナダ、オーストラリアなど)へと爆発的に広まりました。
ちなみに、イギリス人学者・ケルビン卿が提唱した絶対温度は、自国の一般ピープルには見向きもされなかったようです。ロンドンの真夏の最高気温が、例えば摂氏で26.85℃のとき、華氏80.33°Fという数値に違和感を持たないイギリス人も、さすがに300Kという数値はマニアック過ぎて受容されなかったのでしょうか。
(2)1962年:天気予報での「摂氏」併記の開始
20世紀半ばまで、イギリス人はもっぱら華氏を使用し続け、摂氏を「ヨーロッパ大陸(特にライバル視していたフランス)の単位」として敬遠していました。しかし、科学や貿易のグローバル化に合わせるため、1962年から天気予報で「華氏と摂氏の両方」を並べて放送するようになりました。
(3)1970年代以降:「摂氏」への完全移行
ヨーロッパ共同体(EC)への加盟などをきっかけに、国を挙げてメートル法への移行(メートル化)を本格化させました。これにより、公式な場やニュース、日常会話でも「摂氏」が主役となりました。
④現在のイギリスのユニークな現状
社会の制度としては完全に摂氏へ移行したものの、高齢の世代を中心に今でも「華氏」の感覚が残っています。そのため、イギリスのタブロイド紙などでは、冬の寒さは「マイナス5℃」と摂氏で不気味に煽り、夏の猛暑は「100℉(約38℃)超え!」と華氏の大きな数字で見出しを作るという、お国柄ならではの使い分けが今でも見られるようです。
米国における温度単位の変遷
米国では、18世紀にイギリス経由で華氏が温度単位として導入されて以来、現在に至るまで一貫して華氏が人々の日常生活で当たり前のように使用されています。温度計が100度を示すのは沸騰しているのではなく、摂氏換算では37.8℃ぐらいのぬるま湯です。
もっとも科学、軍事、国際ビジネスなどの分野では、米国でも標準的に摂氏が導入されており、日常(華氏)と専門分野(摂氏)で使い分けがなされています。(後日、記事化を予定していますが、長さの単位についても、米国では、メートル法への移行に挫折した歴史があります)
現在では世界中で摂氏が主流となる中、今なお米国で、華氏が日常的に利用され続けている理由として以下の事情が指摘されています。
①人間の感覚に合致している
華氏における「0℉〜100℉(約マイナス18℃〜プラス38℃)」は、人間が日常生活で体験する「超極寒から猛暑まで」の気候の範囲にほぼ収まります。米国の多くの地域では、冬でも気温が0℉(マイナス18℃)以下になることは滅多にありません。そのため、冬の天気予報でも「今日の気温はプラス20度(20℉)」のように、マイナスを使わずに表現できることも米国人にとって利点となっています。
②目盛りが細かく、小数点がいらない
華氏1度の幅が摂氏よりも狭いため、「72℉(約22℃)」と「73℉(約22.8℃)」のように、小数点をわざわざ使わなくても体感温度を細かく表現できます。ともあれ、子どもの時から、華氏に慣れ親しんできた米国人にとって、身体感覚・肌感覚として華氏単位が自明なものとして存在しており、これをわざわざ国際標準に変更するという動機が生じることがないようです。
③単位変更には膨大な社会的・経済的コストを要する
米国社会のインフラ、気象予報、家庭用オーブン、エアコン、医療用体温計をはじめ国民生活に「華氏」が完全に埋め込まれています。これらをすべて「摂氏」に書き換えるには膨大なシステム改修費用と教育コストがかかるため、「日常生活において、わざわざ大金を投じてまで慣れ親しんだ単位を変えるメリットがない」というのが一般的な国民感情のようです。
日本における温度単位の変遷
日本の温度単位の歴史は、江戸時代にヨーロッパから伝わったところから始まります。結論から言うと、日本は明治時代まで「華氏」と「摂氏」が混在しており、大正時代に法改正で「摂氏」へ統一されました。その変遷は大きく4つのステージに分かれています。
(1) 江戸時代
江戸時代中期、長崎の出島を通じてオランダから温度計(当時の言葉で「タルモメイトル」、現在の用語では「サーモメーター」)が持ち込まれました。明和5年(1768年)、平賀源内がオランダ製を参考に、日本初の国産温度計を完成させました。この時の目盛りは、当時オランダで主流だった「華氏」が使われていました。幕末になると、蘭方医(オランダ医学を学ぶ医師)たちが患者の熱を測るために体温計を使い始めましたが、これも当時は華氏表記のものが多く使われていたようです。
(2) 明治時代(近代化のなかで「華氏」と「摂氏」がミックス)
明治維新を迎え、日本が欧米の科学技術を急ピッチで導入すると、温度単位の大混乱が起きました。というのも、日本政府が手本にした国によって単位がバラバラでした。イギリスやアメリカから導入した医学・軍事技術では「華氏」が使われ、フランスやドイツから導入した理化学や気象観測では「摂氏」が使われたため、国内で2つの単位が激しく混在していました。
(3) 大正時代:法律による「摂氏」への完全統一
大正時代になり、日本は貿易や科学の基準を世界(メートル法)に合わせるため、単位の法整備を進めました。1920年(大正9年)の度量衡法(当時の単位の法律)の改正にともない、日本の公式な温度単位は「摂氏」とすることが正式に法律(勅令)で定められました。
これにより、天気予報や学校教育、医療の現場から「華氏」が廃止され、昭和初期までには日本全国で「摂氏」への統一が完了したのです。
おわりに
今回は、フランス、ドイツ、イギリス、米国、日本の5カ国における温度単位の変遷をたどってみました。
歴史的には、「華氏」、「列氏」、「摂氏」の3つが温度単位として使われてきましたが、「華氏」はドイツ人が考案したものの、ドイツではほとんど使用されることなくイギリスで人気を博して米国に渡り、米国では現在でも日常的に用いられています。
フランス人が考案した「列氏」は、フランス、ドイツをはじめヨーロッパ大陸で広く使用されていましたが、フランス革命後にフランスが真っ先に「摂氏」への移行措置を進め、ドイツにおいても1870年代以降に「摂氏」への移行を図り、20世紀初頭までには「摂氏」が定着していました。
日本は、明治期に英米独仏から科学技術を導入した際、手本とした国の単位のばらつきを反映して、「摂氏」と「華氏」が混在していましたが、1920年代に政府が「摂氏」への移行策を強力に推進し、比較的短期間に移行が完了しました。
ちなみに、各国政府が「列氏」や「華氏」から「摂氏」への転換へと舵を切ってから、ほぼ全ての国民の間で「摂氏」が完全定着するまでの「文化変容」には、フランスでは40~60年、ドイツや日本で20~30年、イギリスで25~35年程度の期間を要しました。米国に至っては、市民の日常生活では未だに当たり前のように「華氏」が常用され続けている、という「ガラパゴス現象」が見られます。
温度のような身近な単位は、国民の生活に深く根付いた文化・慣習であり、国家が強制的に制度変容を進めようとしても、国民の反発を招き、なかなか国家の思惑通りには進まない現実が見て取れます。
このあたりは、以前の記事で取り上げた1月、2月のような暦の月表記、2026年8月1日のような日付フォーマット、あるいは単位ではありませんが、日本ガラパゴスの台風の呼び方についても、同じことが言えるでしょう。
温度などの単位選択やその普及は、科学・政治・文化・民衆意識/慣行が錯綜する実に興味深い社会事象であり、そのダイナミズムを深堀すると、様々な学びが得られそうです。
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