喋りすぎる俳句
ゴホン…
こころ在る ヒトが作った 機械な文章
ちょっと一句詠んでみました。
短歌とか俳句の違い、そういう基本すら私は知らない。
季語とかもあんまり知らない。
だから、今の句は間違えてるはず。
そういう私の不勉強は今回、棚上げして置いといて…
短歌・俳句・散文とかの文字列は、あえて説明しすぎない、「含みを持たせる余韻」が大切なはず。
そういう表現の創作だと思う。
あんまり説明しすぎると、せっかくの余韻を潰すことにもなるかもしれない。
でも、説明不足だと、難しくて何を言ってるか伝わらない。
私が作った、さっきの俳句は大した意味がないから、説明しすぎても問題ないと思う。
作者自らの解説。
まずは表記の説明。
”こころ” をひらがな表記にしたのは、純粋な感覚を出すため。
”在る” は物理的に証明する感覚。「存”在”証明」みたいな連想。
”ヒト” は生物図鑑的な感覚。「”ヒト”科目」みたいな連想。
”作った” は子供っぽい純粋さ。「図画工”作”」みたいな連想。
”機械な文章”、はダブルミーニング…
それで、この句の意味は何なのか?
御存知の通り、最近はAI生成の作文で溢れてる。
それ自体は別にいいと思う。
AIに効率を求めたり、不安の解消、慈善活動、いろいろ事情があると思う。
ただ……AIに書かせてそのまま公開するような、見慣れた記事は、少し多過ぎる。
そのことを詠んだ句。
『こころ在る ヒトが作った 機械な文章』
私は、記事を書くときには、非効率だけど自分で書く。
AIは使わない。
何故って簡単。
楽しいから。
ただの好みの違い。
でも、私は不勉強だし、変わったモノが好きだから、少し歪な文章になってしまう。
だから
『こころ有る 人が創った 奇怪な文章』
これが私の作風……
と言ってしまうと、俳句に詳しい先生に怒られるかも…
「ほんの少しのイタズラ心だったんです…」
という言い訳。
そして、読んでるあなたは共犯者。
(アルゴリズムでうっかりバレる事もあるから気を付けてね)
結局、今回の私の句はどうなんだろう。
一般的には、俳句といったら季語だと思う。
それが無いのが問題かもしれない。
でも……
そもそも季語って何だろう?
『春夏秋冬 遷ろう季節に 感じる心象』が季語?
たまには調べてみるか…
ネット検索「季語とは何か?」
(もしかしてだけど、私の思いつきの短歌も、知らない内に季語が紛れ込んで、勝手に成立しちゃってたかも…)
そんなご都合主義は、よろしくないはず。
実際はどうなのか…
え~と、どれどれ…
ネットで調べまして…
…?
……季語がどうのより、重要な事が発覚した。
『無季』と言う、季語を入れないで詠む俳句もあるそうな…
またか…
例外はどの道発生する。
研究が進んで、勝手にジャンルに入る。
それなら、何をどうやっても同じ?
楽しんだ者勝ちってこと?
私は素人だから、ルールを守った方が無難なはずだけど…
もし「あえてですよ、あえて。知ってたけど、とぼけただけです」とか言ってしまったらどうなるんだろう?
最近は時代の変革期。(常にだけどね)
一年単位の心情や風情では弱いのかもしれない。
心やコダワリは、AIに簡単に押し流されてしまってるみたい…
季語に頼ってる場合じゃない。
だから、時代にあわせて、あえてルールを変えた。
(そしてあなたは共犯者)
「心が無いなら機械も同じ
約束事はプロンプト
量産歯車、
海へ沈んで澱になる」
これは俳句じゃないと思うけど……
散文?
良く分からない。
語感だけで、ぶつ切りにしても、さすがに評価は上がらないはず。
風情や心情って分かりにくい。
文字だけだからかもしれない。
「百聞は一見に如かず」
たまには目を使うのも、いいかもしれない。
ファインダー越しに世界を覗いてる人もいる。
言葉が無くても想いは在り得る。
切り取った情景に、話も詠める
今回はカッコつけた感じがするけど……
ポエムって、こういう感じじゃないのかな?
以上が『喋り過ぎる俳句』としての棚卸し。
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俳句じゃなくて、純文学でも同じような感じになった。
AIで文字を作るのは、確かに便利。
文字だけなら、量産も効率的。
そんな話を創作記事にした。
