本を書こうと思います。【手神さまへの手紙⑱】
本を書こうと思います。
それをわざわざ記事でお伝えさせていただくのは、noteがあったからこそ「書きたい」という氣持ちにたどりついた……そういう本であるからです。
昨年9月に、「姿勢の配達屋さん」という活動を始めました。
ご希望のあった方のところへ、姿勢指導をお届けする試みです。
あらためて数えたら、この間、40人を超える方々に姿勢をお届けしておりました。
記事を読み、信頼して「配達」を申し込んでくださった皆様には感謝しかありません。
なかには、はるばる飛行機や新幹線に乗って、姿勢指導を「受けとり」にきてくださった方々もいらっしゃいました。この場をお借りして深謝申し上げます。
わたしの姿勢指導は、3~4時間ほどかけて全身をととのえ、楽な立ち方や座り方、日常動作を体感してもらうものです。
ご本人の筋肉や呼吸の力をお借りしながら、全身をひと通りととのえさせてもらうと──指導をしたわたし自身がびっくりするほど、みなさんお体が変化します。
たとえば、側弯症の方の背骨がまっすぐになりました。
側弯症は、正面からみた背骨が左右に湾曲する症状で、一般的には自然に治ることはない、とされています。子どもの頃から装具などで矯正しても治らなかった……という方も多い症状ですから、たったいちどの姿勢指導ですっきり背筋が伸びたときには、わたし自身が驚きました。
その後、何人かの同じ悩みを抱える方のお体に向きあい、改善の理由が驚くほどシンプルなところにあるのだと氣づいたとき──それを本にまとめてみたいと思いました。
わたしの活動はあくまで「姿勢の配達」であって「治療」ではありません。
ですから何かを「治す」つもりでみなさんのお体に向きあってはおりませんし、「治る」ことをお約束する指導でもありません。
けれど、側湾症の改善例のように、結果的にみなさんの体のお悩みが、あっさり解決することがあるのも実感であり事実です。
それは、少なくとも、「姿勢という視点を持つ」ことで、体の不調が改善する可能性があることを示している……といえるのだと思います。
外見的には、ウエストが細くなるのも、わたしの姿勢指導の特徴です。
極端なことをするわけではなく、「腹筋の素直な使い方」をお伝えさせていただき、その腹筋を呼吸にあわせて誘導していくだけなのですが……それだけで多くの方に、5~7センチほどのサイズダウンがみられます。
そうしてウエストが細くなるころには、みなさん、楽に呼吸ができるようになっています。
腹筋が動く過程で肋骨が緩み、その中にある肺に、空氣が自由に流れ込むようになるからです。
そんなふうにコツさえつかめれば、体をととのえるのは決して難しいことではないのですが、だからといって、数時間分の指導の内容すべてをその場で頭に入れてもらうのは簡単ではない……ことも感じています。
ですから、全体像をまとめて伝えられる本があるとよいなあと思うのです。
「姿勢の配達」を受けてくださった方には、その内容を振り返っていただけるように。
そして「配達」を直接お届けできない方には、「素直に体を使う」コツと視点をお伝えできるように。
これから数か月、本の形にまとめていきたいと考えています。
そしてその間、思い切ってnoteをお休みしようと思っています。
しばらく、書くことに専念します。
いまのところ、本を出してもらうあてがあるわけではありませんので、ご興味を持ってくださる版元さんがいらしたら、ぜひお声をかけていただけたらと思いますが、そうでなくても、いまは自分で自由に本を出せる時代。
しっかりまとめて、みなさんにみていただけるよう努めたいと思います。
もちろん、「姿勢の配達屋さん」の活動は続けていきます。
本を書くための燃料ですからね。引き続き学びたいと思っています。
ご関心のある方は、どうぞいつでもご連絡くださいね!
先月配達を受けとってくださった、ゆたんぽさんの記事も、こちらにあわせてご紹介いたします。↓↓↓
さて、お休みに入る前に、どうしても書いておきたいものがあります。
「#手」の企画へご参加くださった方たちの記事紹介です。
昨年2月の募集締切から、一年以上の月日が経ってしまいました。
これまで53の手記を心を込めてご紹介してきましたが、最近わたし自身の投稿数が減っていることもあり、まだ掲載できていない記事があります。
それをこちらで紹介させてください。
ご投稿から時間が経ってのご紹介となり、お待たせしてしまった皆様には大変申し訳なく思っていますが、「姿勢の配達屋さん」を始める決心をした経緯には、皆様の記事が多分に影響しています。
それまで氣がつかなかった「手の力」を発見し、信頼し──その手で体を癒し、ととのえていきたいと考えるようになったのも、手について、ひたすら真摯に考え続けたこの時間があったからです。
「手神さまへの手紙」シリーズ、皆様への感謝とともに締めくくらせていただきますね。
素敵な11の手記、引用とともにご紹介いたします。
あひろさんの、「ぢっと手を見る」
じっと自分の手を見てみたのでありました。
(中略)
不思議に思われました。
(中略)
自分のものとは思えません。
作った記憶もありません。
神さまにより齎されし
他のような自――、
これが手なのでありました。
手とは、「他のような自」。
なるほどなあ……。
こんなに自分と一体なのに。
自分と切り離すことができないのに。
どこか自分のものと思えない……「自分以上のもの」とすら感じられる手。
手への敬意と憧れは、もしかしたらわたしたちの創造の原動力かもしれない──そんなことを感じさせてくれる記事でした。
shirohanaさんの、「じっとこの『手』を見る…そして何度「診て」もらったことだろう…それから今は…」
私の「手」は
今一度
「手」となる
(中略)
そこに「在る」だけでいい
じっとこの手を見つめながら
「ありがとう」と
そっと呟く
これは、長年手の不調や痛みと向きあっていらしたshirohanaさんの、手術後の言葉です。
そこには、痛みを乗り越えていらした方にしか書けない説得力と、誰にも負けない手への感謝があふれていると感じました。
そこに「在る」だけでいい。
自分の手に、自分自身に──わたしもそんな言葉を向けられる人でありたいな。
ようかんさんの、「その『両手』に思いを馳せる」。
彼女が両手をじっ~と眺めているんですよ。
(中略)
手から目までの距離は数センチ。
その『数センチ』の中に彼女の生きてきた数十年の重みであったり、「生命のはじまり」を幾度となく受け止めてきた助産師としての矜持であったりのいろいろなものが存在していて、無限の宇宙のようなものを形成しているようにその時の私には見えたんです。
「彼女」とは、ようかんさんの大切な奥様──通称「ママ」。
そのママが、夜中に「自分の両手をじっ~と眺める」姿を不思議に思いつつも、それを「神々しい」と尊ぶようかんさん。
ママへの信頼と愛情が……いつも読む人の心を温める、ようかんさんの記事です。
きむみ23さんの、「手の中に宇宙」。
手を望遠鏡みたいにして、
月だけ覗いたら、私だけの月みたいに
私の手の中ですごく輝いていた
合わせた手の中の僅かな空間を
宇宙みたいに無限に感じる時がある
(中略)
赤く光る星も一緒に私の手の中に
入れてみた
望遠鏡にした手の中に月をおさめたら、自分だけの月になった──。
それはなんて、嬉しく美しい眺めでしょう。
わたしたちは宇宙の中にいるけれど、ときどき、宇宙はわたしたちの中に存在するのだと──感じることがあります。
ご自分の手の中に宇宙を創ったきむみさんも、もしかしたら同じことを感じていらしたかしら……なんて、想像を巡らせました。
ひいろさんの、「私には何もない。そんなときには。」
私には何もない。
そんなときには。
思い浮かべて。
(中略)
その文字は小学一年生で習う
一文字です。
手帳を書くのだって
noteを書くのだって
いつも傍にいてくれたから。
「手」
ひいろさんは、独特の視点で世界をやわらかく切り取る達人。
「手」がこんなふうに表現された文章を読んで、「手」自身が自分を再発見したような喜びを……まるで自分が「手」になったような氣持ちで味あわせてもらいました。
いつも傍にいてくれるわたしの手、ありがとう!
極夜さんの、「その手の温度のワケは。」
10代のわたしの手はいつも冷たかった。
(中略)
おとなになり、大切なひとができた。
……あの人をわたしの手であたためたい。
20代になりわたしの手はあたたかくなった。
わたしの中で、準備ができたのかしら。
きっとそれは、
誰かを愛しなさい というメッセージ。
大切な人を自分の手であたためたい──。
そんな思いが手をあたたかくするなんて……なんて素敵な捉え方なのでしょう!
極夜さんの温度が愛となって、指先から、てのひらから大切な人へと伝わっていく。
きっと大切な人からも極夜さんへと、その愛は返ってくる。
温度の循環。愛の循環。素敵ですね!
花邑 灯火さんの、「手から感じるもの」。
【触覚】
もう一つ大きなものは触覚。
(中略)
手そのものがわたしの声と並ぶ、アウトプットの道具になっている。
だからこそ、ライティング時のBGMはクラシックを選びがちなのかもしれない。そう、心のなかではわたしはPCを通して鍵盤を演奏しているのだ。
「手」を、いくつかの視点から表現してくださった花邑 灯火さん。
引用部分は「触覚」からの記述。
触覚を通して、確かに手はアウトプットの手段となり、インプットの要ともなる。
パソコンのキーボードを銀盤と感じるその感覚にも、共感しながら読ませていただきました。
ヨッシャマンの、「ヨッシャマンVS気功」。
皆の持っている氣のイメージは「手からなんかパワーが出る」といった感じだと思われる。ドラゴンボールによく出てくるあれ
(中略)
しかし、実際に気功師に「氣」を出してもらい測定すると、観測できたのは微量の磁気だったそうなのである。
(中略)
「氣」とは「情報」ではないだろうか。
持ち前の探求心で、「氣」についての持論を展開してくださるヨッシャマン。
それはエネルギーそのものというより、思いや念を伝える「情報」なのではないか──。
日々「氣」に向きあうヒーラーでもあるヨッシャマンだからこその、実体験をおりまぜたオリジナル理論。
後半に語られる、ヨッシャマンの「特技」にもご注目あれ!
おはようよねちゃんの、「推手」。
最近太極拳を習いはじめました。十数年前に少しかじったのですが、すっかり忘れていました。練習する私の手の形を見て先生は言いました。
「だらっとしてるから、指先まで気持ちを入れて。指先一つ一つに光がつくように」
「指先一つ一つに光がつくように」
先生の表現が、とっても素敵ですね!
その光を、おはようよねちゃんご自身は、「身体の全体の力が、指先にまで満ちて、相手へ渡す」感じではないかと語られています。
光を相手へ渡す。これもまた、とっても素敵な表現ですね!
だれかのんさんの、「右手と左手、見てみると」。
本によれば、手相の歴史はインドから始まります。
「サムドリカ」と言う学問→人間の体つきや大きさ、形などと才能や運命を関連づけて考えるもので手相の元祖と呼ばれるモノ。
日本では、平安中期に日本へ入ってきて、江戸時代末期に失業した武士たちの間で広まったモノと言われています。
手相が、江戸時代末期に失業した武士たちの間でひろまったって……初めてききました!びっくりです。
つまり、明治維新の激動期でしょうか。
そんなところに隠された、思いがけない武士たちの物語。
ちょっと身につまされちゃいますね!
いざなぎ学長さんの、「素手でトイレ掃除する男」。
トイレの扉を開けると正面にいらしゃる
烏枢沙摩明王様に向かって柏手を打つ。
いつもの儀式だが便座の蓋を開ける前は
必ず「お退きください」を3回唱える。
烏枢沙摩明王様は蓋の上に
座っているから退いて貰うのだ!
トイレを素手で掃除すると開運する!
ご自身でもしっかり掃除に励みながら、その開運法を愉快な会話形式で伝授される楽しい記事!
個人的には、素手でのトイレ掃除に抵抗はないので、自分の手で、心を込めて大切な場所をお掃除するの、大賛成です。
引用部分は、トイレの神様、烏枢沙摩明王について。
神様は、便座の蓋の上に座っていらしたのですね!知りませんでした!

「手神さまへの手紙」の企画にご参加くださった皆様、ご愛読くださった皆様、本当にありがとうございました!
そして、ずっとそばにいてくださった手神さまへ──無限大の愛と感謝を!
皆様の「#手」の記事を収録したマガジンです。↓↓↓
皆様の「#手」の記事を紹介した、わたし自身の投稿「手神さまへの手紙」シリーズ。そちらをまとめて収録してあります。↓↓↓
体にまつわるわたしの記事、及び、「姿勢の配達屋さん」をご体験くださった方々の感想記事をまとめたマガジンです。↓↓↓
