"Both Sides, Now" (Joni Mitchell) 歌詞和訳
Both Sides, Now は, Joni Mitchell 2枚目のアルバム, 1969年5月1日リリースの Clouds に収録された, 同アルバム最後の曲。作詞作曲は Joni Mitchell だが, この曲は「青い眼のジュディ」("Suite: Judy Blue Eyes" by Stephen Stills, CSN) こと Judy Collins が 先にスタジオ録音してリリース(1967年10月リリースの彼女の6枚目, 既に6枚目!のアルバム Wildflowers に収録)している。1967年10月, Judy は28歳, Joni はまだ23歳。
1943年11月7日生まれの Joni Mitchell は Both Sides, Now を既に 1966年11月17日 に ライヴで演奏しており(同日 ラジオ放送でオンエア, エアプレイされている), 遅くとも 23歳になったばかりの頃には同曲を仕上げていたものと思われる(*)。もっとも, 名曲ではあるものの, 歌詞の内容と相俟ってこの歌から感じられる瑞々しさ(愛や人生を語りながらも醸し出される青春の「青さ」「瑞々しさ」)を想えば, 仮に joni がこの曲を十代の頃に書いていたとしてもそれは驚くことではないのだが。
*日本語版ウィキペディアには「1967年3月」に「書き上げた」と記されている一方で, 英語版ウィキペディアには .. This shows that Mitchell wrote the song before the 1967 year of composition cited in .. とある。後者は上記の この音源を根拠にしており, であれば前者(日本語版)の記述は誤りということになるのだが, 矛盾する Joni 本人のインタヴュー記事もあるようで(本人の記憶違いなどもあり得そうだが)諸説あるのが現状かもしれない。
因みに, Both Sides, Now の邦題は「青春の光と影」。この曲が収録された Joni Mitchell のアルバム Clouds の邦題も「青春の光と影」。異なる英語の原題に全く同じ邦題, これじゃ邦題上はいわゆるタイトル・トラック。まぁ Both Sides, Now の歌詞の中で Clouds が "I've looked at clouds from both sides now" と歌われているわけだし, タイトル・トラック扱いはそこまで突飛な感じがするものでもない .. かな。一方でこの邦題そのものは, 1960年代から70年代にかけての外国の歌や映画の邦題として, いかにも, の感あり。ただ, 歌詞の内容など踏まえればそこまで酷い邦題ではない .. かな。何はともあれ, 今日はこの曲の歌詞の和訳を!
Both Sides, Now 〜 歌詞和訳
"Both Sides, Now" from Joni Mitchell's 1969 album Clouds, 歌詞和訳
Joni Mitchell 本人曰く, いやここに転載すると孫引きの類になるので, ウィキペディア曰く(「ウィキペディアによれば」)になってしまうけれども,
Mitchell has said that "Both Sides, Now" was inspired by a passage in Henderson the Rain King, a 1959 novel by Saul Bellow.
I was reading ... Henderson the Rain King on a plane and early in the book Henderson ... is also up in a plane. He's on his way to Africa and he looks down and sees these clouds. I put down the book, looked out the window and saw clouds too, and I immediately started writing the song. I had no idea that the song would become as popular as it did.[2][3]
とのこと(例えば 次々節「Both Sides Now, リリース前のライヴ音源」にリンクを載せる 4番目のクリップ, 1967年放送のラジオ音源で, Joni Mitchell 本人が上記同様のことを語っている)。
なお, 上のウィキペディア転載部分(これはそもそも Los Angeles Times - Dec. 8, 1996 記事 からの転載, 因みにこの記事には “Both Sides Now,” which she wrote in 1967 when she was just 23 と記されているが, Joni はこの曲を既に1966年11月のライヴにおいてほぼ完成形で歌っており, LA Times 記事の当該箇所は不正確と思われる)の脚注[3] からすると, 件(くだん)の小説 Henderson the Rain King の中に "We are the first generation to see the clouds from both sides." "... more likely 'And I dreamed down at the clouds, and thought that when I was a kid I had dreamed up at them, and having dreamed at the clouds from both sides as no other generation of men has done, one should be able to accept his death very easily.'" という件(くだり)があり, この1959年の小説, この箇所における Both Sides は, 具体的には文字通りの雲の「(上下の)両側」を指している表現であるようだ。曰く「私たちは雲を両側から見る最初の世代」「私は(飛行機の中で, ということか)雲を見下ろし夢を見た, そして子供の頃には雲を見上げて夢を見ていたことを思い出した」云々。
さて, 1966年ごろ, 22-23歳の頃に書いたと思われる, Joni Mitchell の「(当時の)今, 両側」とは?
Both Sides, Now from Joni Mitchell's second studio album Clouds, released on May 1, 1969
英語原詞
https://jonimitchell.com/music/song.cfm?id=83 (*9)
天使の髪が 列を為して流氷のよう (*1)
それに 空に浮かぶアイスクリームのお城
そして 至るところに 羽根の峡谷
私はそんなふうに 雲を見てきた
だけど今や, 雲はただ太陽を遮るだけ
みんなの上に 雨や雪を降らせるの
すごくたくさんのことができたはずなのに
雲が 邪魔をするからできないんだ
私は 雲を両側から眺めてきた
上からも下からも, それでもなぜか
私が思い出すのは 雲が描いた幻影だけね
雲のことなんて, 本当には何もわかってない
巡る月と 6月と, 観覧車 (*2)
めまいがするほど踊ってるように感じる
おとぎ話が現実になるたびに
私はそんなふうに 愛を見てきた
だけど今や, 愛はただのショーに過ぎないの
去る時には みんなを笑わせておかなくちゃ
気になるのなら, 彼らには気づかれないようにね
自分をさらけ出したらだめなの (*3)
私は 愛を両側から見てきた
与える側からも 受ける側からも, それでもなぜか (*4)
私が思い出すのは 愛の幻想だけね
愛のことなんて 本当には何もわかってない
涙と恐れと, 誇りを感じること
「愛してる」と声に出して言うことに
夢と計画とサーカスの群衆 (*5)
私はそんなふうに 人生を見てきた
でも今は 旧友たちの振る舞いがおかしくなってる
首を横に振って, 私が変わったって言うの (*6)
確かに何かを失ったわ, でも何かを得たんだ
毎日を生きるなかでね
私は 人生を両側から見てきた
勝つことと負けること, それでもなぜか
思い出すのは 人生の幻影だけ
人生のことなんて, 本当には何もわかってない
私は 人生を両側から見てきた
上からも下からも, それでもなぜか
思い起こすのは 人生の幻影だけ (*7)
生きることの意味なんて, 本当には何もわかってない (*8)
…… ♫ …… ♫ …… ♫
訳注 および 解説(歌詞解読)
*1 Rows and floes of angel hair … ネット上の複数の歌詞サイトで Rows and flows of angel hair となっているようだが, Joni Mitchell の公式サイトの歌詞ページでは Rows and floes of angel hair である。
"flows" は「流れ」なので, その方が日本語にしやすかったのだが, floes は "floe" の複数形で, "floe" はなんと 地学(!)の用語でもあるようだけど, その意味は, 各種のオンライン辞書から拾うと「氷盤(可算)」(ice floe と同意)もしくは「浮氷(氷盤から分離した氷の塊)」あるいは「(しばしば複数形で)[海上に浮いている] 氷原, 浮氷」, 「[氷盤が壊れた] 浮氷片, 浮氷」, 「[流氷・浮氷原などの] 氷盤」などで, また "floe" と同意である "ice floe" は「海面に浮かび, 潮流や風で大きな塊から小さな片まで漂う海氷」といったイメージで「流氷」と訳すことができる旨の説明もあった。
なお, この歌詞における(最初のラインであるところの)Rows and floes of angel hair は A and (B of C) ではなく (A and B) of C の構造とみて間違いないだろう。つまり, 逐語訳的に訳しつつ, その日本語の表現にこの構造を示すための括弧を付すなら 「列と(天使の髪の流氷)」ではなく「天使の髪の(列と流氷)」である。
しかしこれを上記の括弧を外して「天使の髪の列と流氷」「天使の髪の列と氷塊」等と訳してしまうと, それが「(天使の髪の列)と流氷」なのか「天使の髪の(列と流氷)」なのかが判然としなくなり, むしろ, (of angel hair は明らかに floes にもかかっている, それにもかかわらず)このラインが 前者つまり「(天使の髪の列)と流氷」であるかのように読まれる可能性が大きくなるものと思われる。ここはシンプルな逐語訳にした方が読む場合のリズムは心地よいものになるのだが(ただし意味が伝わりにくい硬い表現にはなる), しかし意味上の誤読の可能性は避けたく, かつ意味が(多少とも)分かりやすい言い回しにしたく, 結局, 「天使の髪が 列を為して流氷のよう」とすることにした。
「天使の髪が列を為して流氷のよう, それに空に浮かぶアイスクリームのお城, そして至るところに羽根の峡谷, 私はそんなふうに 雲を見てきた」と言う(歌う)Joni Mitchell, 彼女は人一倍 感性が鋭いかもしれないが, しかし似たような経験は多くの人がしているのではないかと思う。というのは, おそらく「感性」人並み程度に違いない筆者も, 子供の頃など特に, 雲を見て「そんなふうに」想像力を働かせた思い出があるくらいだから。例えば, 夏に見る雲などは 大海の大波, 巨大な波に見えたりして, 自然の脅威いや驚異を感じたりしたものだった。
春夏秋冬, 雲は確かに, 見る者の想像(想像力)を掻き立てる。

*2 Moons and Junes and Ferris wheels … 「観覧車」だけでなく, 「月」も「6月」も複数形。だから接頭辞的に「巡る」を付した。
以下は 些か 深読み気味の長い注釈。
因みに June, 6月は日本では梅雨(つゆ, ばいう)のイメージも強い月だが, 一方で日本を含む北半球では 1年のうちで最も昼間の時間(日の出から日没までの時間)が長くなる夏至がある月だ。
西洋世界では(鬱陶しい「梅雨」の雨の印象が重なる日本などとは違うようで!)長い冬が明けて花々が咲き更には昼間の時間が長く明るい時期からなのか, どうにもこうにも開放的になるようで(笑), 夏至の風習として例えば,
北半球では、性欲をかきたてる日とされており、スウェーデンの民俗学者によると、夏至を祝うミッドサマーの祝日から9ヶ月後に生まれる子供が多いという。ギリシャ北部では、未婚女性がイチジクの木の下に自分の持ち物を置くと、夏至の魔法により将来の夫の夢を見るという伝承がある。ポーランドではスラブ民族の祝日、「イワン・クパラの日」の夜には、人々が恋に落ちるという言い伝えがある。イギリスのストーンヘンジでの夏至祭りは、ドルイド教に由来し、男性神、女性神の出会いを祝う意味があると言われている。シェイクスピアの夏の夜の夢もこういった恋に狂乱する人々をテーマにしている。
など, とにかく色恋沙汰, 恋, 恋愛, 愛 に関わるものが多いようだ。
雲, 愛, 人生の順に, それぞれを「両側から見てきた」と歌う "Both Sides, Now", その中で「私は 愛 を両側から見てきた」(I've looked at love from both sides now)という [Chorus] 部分につながる [Verse 3](Moons and Junes and Ferris wheels 〜 I've looked at love that way)に, June は相応しい言葉ではあるだろう。
そういえば June bride という言葉もある。日本における「ジュン・ブライド」は鬱陶しい「梅雨」の6月に結婚式を挙げるカップルが少ないことをビジネス上の障害とみたブライダル業界が 1970年代辺りから始めた「(業界が仕立てた)風習」の類なのだが, 西洋世界には確かに「6月に結婚する花嫁は幸せになれる」という伝承あるいは迷信があるようだ(あったと言うべき?今も多少はある?)。
そもそも, 英語の June は,
June is ultimately derived from the Latin month of Iunius, named after the ancient Roman goddess Juno (Latin: Iūnō). The present English spelling was influenced by the Anglo-Norman join, junye and junie. It was also written in Middle English as Iun and Juin, while the spelling variant Iune was in use until the 17th century. It displaced the Old English name for June, ærra liþa.
June は 古代ローマの女神ユノ(Juno, ラテン語では Iūnō, ジュノー)に因んで名前が付けられたラテン語の 6月の名 Iunius に由来している, との由。そして, この女神ユノ(ユーノー, Juno)は,
ユーノー(ラテン語: Juno, Iuno)は、ローマ神話で 女性の生活と結婚を守護する女神。また、女性の守護神であるため 月とも関係がある。主神ユーピテルの妻であり、ローマ最大の女神である。聖鳥は鵞鳥。ギリシア神話のヘーラーと同一視される。
というわけで, 上述の June bride(「ジュン・ブライド」)は, 6月に結婚することで 花嫁が結婚生活を守護する女神 Juno の「ご加護」を得る, そんな願望・祈りを背景とする伝承だとも言える。
話, 脱線するけど(なぜだ, 宣伝だ!), 女神 Juno の夫 ユーピテル は, 英語では Jupiter で, このローマ神話の神ユーピテル(Jupiter) を語源とするのが Jupiter, つまり太陽系の惑星のひとつである 木星。
ほんと「脱 宣」, 脱線の宣伝だった。
閑話休題, Moons and Junes and Ferris wheels … 複数形の「月」と複数形の「6月」と, (複数形の)観覧車 〜 巡る月と 巡る6月と, 観覧車 〜 巡る月と 6月と, 観覧車
要するに, 月 や 6月 がここで歌われるのには, 6月 を意味する June が語源上 古代ローマの女神ユノ Juno と深い関わりがあり, 上記のように Juno は「ローマ神話で 女性の生活と結婚を守護する女神。また、女性の守護神であるため 月とも関係がある」, そして季節の上でも 6月は 1年で一番 昼の時間が長い夏至を含む月であり, 明るく, 花々が咲き誇る夏の始まりの時期でもある, そういう諸々からの発想があるのではないかと思う。
上にも書いたが, 雲, 愛, 人生の順に, それぞれを「両側から見てきた」と歌う "Both Sides, Now", その中で「私は 愛 を両側から見てきた」(I've looked at love from both sides now)という [Chorus] 部分につながる [Verse 3](Moons and Junes and Ferris wheels 〜 I've looked at love that way)に, June は(さらには Moon も), 相応しい言葉ではあるだろう。
そして 観覧車 は, 時代が回る, 時が流れる, 季節が 巡る, そんなことをイメージさせるメタファー的なものになり得る。さらに, 全てを複数形にしていることで, 季節(や「月」)の 巡りを強調する効果が 出ているように思う。
ではでは, 深読み, 穿ち過ぎの気配が見え隠れするこの注釈はこの辺にして, 次の「訳注」へ。
*3 Don't give yourself away … give oneself away は「内心をさらけ出す」「正体を見せる」「馬脚を現す」「ボロを出す」「化けの皮がはげる」「お里が知れる」といった意味で使われるフレーズ。
*4 give and take … この3語だけ取り出すと日本語の中でもよく使われる「持ちつ持たれつ」「譲り合い」といったニュアンスを想起してしまうが(実際この3語は一般的にはそうした意味合いで使われるフレーズではあるが), ここでは 〜 I've looked at love from both sides now, from give and take 〜 ということなので, この文脈を踏まえれば「私は 愛を両側から見てきた, 与える側からも 取る側からも」「私は 愛を両側から見てきた, 与える側からも 得る側からも」要するに「私は 愛を両側から見てきた, 与える側からも 受ける側からも」といった訳し方をするのが自然だろうと思う。
*5 Dreams and schemes and circus crowds …「夢と計画とサーカスの群衆」。circus は「大騒ぎ」「大混乱」「騒々しい道化芝居」「茶番劇」などの意味合いでも使われる言葉である。このラインの「サーカス」にはそんなニュアンスも込められているのではと想像する。
なお, schemes も複層的に解釈できるものと思われ, 歌詞の和訳の中では「計画」という日本語に置き換えたが, scheme が「計画」「構想」「企み」「悪巧み」「陰謀」など 文脈により色々な意味合いになる言葉であることを踏まえると, この歌詞の中の schemes はそんなふうに様々に解釈できるものとしてこのラインの中にあるものと考えていいように思う。
*6 They shake their heads … head はもちろん「頭」だが, shake one's head は, 日本語で言うなら「(否定・拒否・不賛成などの意思を示すために)首を 横に振る」。
なお, 「首を 縦に振る」場合は「頷く」「首肯する」と同様に, 「首を 横に振る」とは逆の意, 要するに賛成や同意を示すことになるわけだが, この歌の歌詞の中では「首を振って」だけでも上記の意味が十分伝わるだろう。それに「横に」を外してシンプルにした方が「詩」(詞)的な語感が出る。そういうわけで迷った。
迷った結果, 筆者は結局, 「首を振って」に対して 首を 横に振り(笑), この歌の 〜 They shake their heads, they say I've changed 〜 は「首を横に振って, 私が変わったって言うの」と訳すことにした。
因みに, 「脱線」話題だが, ジェスチャーはもちろん国によって色々な違いがある。例えば インドやパキスタン, スリランカなどでは, 日本などとは反対に「首を横に振る」のは肯定の意思表示である。
*7, *8 It's life's illusions I recall, I really don't know life at all … 「思い起こすのは 人生の幻影だけ」, 「生きることの意味 なんて, 本当には何もわかってない」。
この歌 Both Sides, Now は clouds(「雲」), love(「愛」), life(「人生」)をそれぞれ both sides(「両側」)から「見てきた」と言っていて, [Verse 1] [Verse 2][Chorus] で clouds について語り, [Verse 3] [Verse 4][Chorus] で love について語り, その後, life については [Verse 5][Verse 6][Chorus] と続けた後で, [Chorus] をもう一度繰り返している。
最後の繰り返しの [Chorus] での歌詞の原詞上の違いは, I've looked at life from both sides now, from win and lose「私は 人生を両側から見てきた, 勝つことと負けること」が, I've looked at life from both sides now, from up and down「私は 人生を両側から見てきた, 上からも下からも」に変わったことだけなのだが,
その最後の繰り返しの [Chorus] を締めくくる, つまりこの歌を締め括る 〜 It's life's illusions I recall, I really don't know life at all 〜 に関し, この歌の中でずっと「思い出す」と訳していた recall を 最後の繰り返しの [Chorus] では「思い起こす」とし, 一方, [Verse 5] および 直後の([Verse 6] の直後, 繰り返しの前の最初の)[Chorus] で「人生」と訳していた life については, 繰り返しの [Chorus] の方では 〜 I've looked at life from both sides now, from up and down and still somehow, It's life's illusions I recall, I really don't know life at all 〜「私は 人生 を両側から見てきた, 上からも下からも, それでもなぜか 思い起こすのは 人生の幻影だけ」「生きることの意味 なんて, 本当には何もわかってない」として, 訳し方を変えてみることにした。
*唐突ながら, ここで数行分の「脱線」話を(この歌や歌詞の和訳作業に直線的に関わるものではないという意味での「脱線」)。「生きることの意味」というフレーズが思い浮かんだ時に同時に頭にあったものではないのだが, 和訳にこのフレーズを入れて程(ほど)なく, 文字通りに同じ言葉ということから, 高史明(コ・サミョン, 1932年1月17日 - 2023年7月15日)の 1974年の著作『生きることの意味』を思い出した。筆者(この note の筆者)と同世代なら, 記憶に残る書名ではないかと思う。
さて, 話を歌詞の和訳作業の方に戻します。繰り返しの [Chorus] の受け取り方として, シンプルにメッセージが強調されるというだけであってもいいと思う。ただ, 強調されているという事実を多少とも重くみるのであれば, 例えば recall を, 繰り返しの前の [Chorus]まで使っていた「自然と思い出す」にも「意識的に思い出す」にも(そのどちらにも)なり得る「思い出す」という日本語から, 同じ「思い出す」行為でもより意識的に, 過去の事象から掘り起こして記憶などを蘇らせるニュアンスが出る「思い起こす」という日本語に変え, 併せて, life の訳(日本語への置き換え)の方も, 直前のラインまでの「人生」から, よりその意味を考えるニュアンスが強められる「生きること」とし 〜 I really don't know life at all 〜 を日本語で表現するに際し「の意味」という言葉を補って, 「生きることの意味なんて, 本当には何もわかってない」と訳すことにした, というのが, 和訳に表現上の変化を持たせたことの, そのココロです。
オンライン辞書を引いても「思い出す」「思い起こす」の両方が日本語訳として記されている recall は もともと「(意識的に)思い出す」ケースでしばしば使われる言葉であり, 「人生, 一生, 生涯」「生活」等を意味する life は英英の辞書でも "the period between birth and death, or the experience or state of being alive" と説明されていて, 上述のように「生きること」という日本語に置き換えることは特に過度の意訳に当たるものでもないだろうと思う。
この歌においては 歌詞の最後で [Chorus] が繰り返されるということそれ自体で既にメッセージが強調されているわけで, 和訳(日本語への置き換え)をした場合も, 訳はそのままの繰り返しで同様に強調のニュアンスは出る。だから和訳(日本語への置き換え)上の表現を変化させる必要があるわけでないのだが, ある言語からある言語に訳すに際しては, とりわけ詩や歌詞などの場合, 文化的な背景が異なり, 言わば逐語的に(一言一句のそれぞれで)等しい意味の語に置き換えることが不可能である以上, その訳における表現に変化を持たせることがあっても構わないとは思う。どちらをとるかは, 都度, 迷うところ。
上記の件, この歌 Both Sides, Now の歌詞の場合は どちらがいいのか。これは訳者(筆者)としてかなり微妙で, その件について「私は 和訳を 両側から見てきた」〜 I've looked at Japanese translation from both sides now, from up and down and still somehow, it's translation's illusions I recall, I really don't know translation at all 〜 「私は 日本語訳を 両側から見てきた, 上からも下からも。それでもなぜか, 思い出すのは 翻訳の幻影だけ。翻訳のことなんて, 本当には何もわかってない」あるいは「私は 日本語訳を 両側から見てきた, 上からも下からも。それでもなぜか, 思い起こすのは 翻訳の幻想だけ。歌詞を訳すことの意味なんて, 本当には何もわかってない」(笑)。
それ言ったら身も蓋もない, いやそういう意味ではなく含蓄はある, いや, 今のは ただのジョークさ(Rod Stewart かよ)。
何はともあれ, 筆者(訳者)は, 上に縷々述べた件に関し Both Sides, Now「今, 両側」の, その中間にいます。でも「両論併記」ならぬ「両側併記」は回避したく, 結局, 本章前節のような和訳にしたわけです。
…… ♫ …… ♫ …… ♫
*9 この歌 Both Sides, Now, 英語の原詞 を一度読んで(朗読して)みることをオススメします。とにかく綺麗に, 見事に, 繰り返し繰り返し, 韻を踏んでいて, "There Goes Rhymin' Simon" ならぬ "There Goes Rhymin' Mitchell",
「ほら, ミッチェルが また韻踏んでるよ」「ミッチェルが 韻を踏みながら行っちゃったよ」という感じ。
でもそんな誉め方したら, ボブ・ディランを ディスる(いいぞいいぞ!)くらいの Joni Mitchell なら, 案外「ポール・サイモンの二番煎じみたいに言うのはやめてよね」とか言うかも。でもまぁ, ジョニさん, ポール・サイモンのことはなるべくディスらないでほしい(笑)。
ではでは!
Both Sides Now, リリース前のライヴ音源
Joni Mitchell, 1966年から67年にかけての Both Sides Now ライヴ音源, Joni が 23歳の頃の「青春の光と影」。
1) Both Sides Now, Live on November 17, 1966
"Both Sides, Now" appears in the album Joni Mitchell: Live at the Second Fret 1966 (2014, All Access Records, AACD0120), a live performance on November 17, 1966, from The Second Fret in Philadelphia, which was broadcast live by WRTI, Temple University's radio station. This shows that Mitchell wrote the song before the 1967 year of composition cited in the Los Angeles Times article quoted above, and precedes the first Judy Collins release in 1967.
以下はその,
2) Joni Mitchell: Live at the Second Fret 1966, a live performance on November 17, 1966, from The Second Fret in Philadelphia, PA, which was broadcast live by WRTI, Temple University's radio station
だけど これは (Complete Bootleg) として YouTube アップとの由。
で, 聴いてみると …
21分過ぎには(後に Buffy Sainte-Marie が スタジオ録音して 1967年6月に自身のアルバムに収録, 同時にシングルでもリリース, そのヴァージョンが 1970年の映画 The Strawberry Statement, 邦題「いちご白書」のサウンドトラックにもなり, 作詞作曲者の Joni Mitchell 自身も 1970年4月リリースの4枚目のアルバム Ladies of the Canyon に収録することになる)The Circle Game を 早くも Joni Mitchell 本人の声で聴くことができ, さらに,
26:13~ Both Sides Now を歌う Joni, そしてその同曲演奏の音源の後, 一瞬 録音が切れ, さらに,
31分過ぎに Joni Mitchell が Both Sides Now の曲が出来た背景を説明する語りが流れる。その後, 32分過ぎに彼女が "This is the song called Both Sides Now" と確かに言うのだが, その直後に彼女が歌う歌は Both Sides Now ではない。いや, その直前の曲紹介は "This is the song called From Both Sides Now" と "From" が聞こえるような気もするし(*1), もしかして 'From Both Sides Now' なんていう, Both Sides Now と似たタイトルの, しかし曲作りの過程で出来た(インスピレーションの元は同じながら)別の歌があるとか? なんか不思議な録音だね。いや, 俺は音楽好きとはいえ Joni Mitchell に詳しい人間では全くないので, 何か文字通りの頓珍漢になってもいけない, 此処では深入りはこの辺で! … いや,
謎が少し解けた。Youube クリップの下の, あるコメント(及びリプライ)曰く(*2),
This tape is truly wonderful but also truly weird. Absolutely tremendous, but nothing to do with the setlist published above. At 17.32 Joni announces Eastern Rain , which we've already heard, but the song she then does is Morgantown. Later, she introduces Both Sides Now but the song is a wonderful Urge for Going (which tragically then fades out!) (BTW that wonderful Eastern Rain has a middle eight I'd never heard before, and I suppose Fairport either didn't know it or chose to omit it from their momentous version on Holidays in 1969, they were great early champions of Joni.) What a pity that wonderful Little Green is missing the opening - I didn't know Joni sang this so early on in her life, and she seems to sing the name she gave her daughter. (And what the heck happens at 1.12.27???) Superb stuff but way too chaotic - seems to be from 2 different sets/shows , and I'll have to make my own version of it. Countless thanks anyway, MojoPaw!!!
I know it's 2 years ago so you're probably done with this now, but just to let you know you were right. As far as I can tell, this is a mishmash of songs from two different Joni gigs at The 2nd Fret in Philly - one in November 1966, the other in March 1967. Selections from both gigs appear on Joni Mitchell: Archives Vol. 1. (1963-1967). You're also right that despite its somewhat haphazard nature and the presence of glitches here and there, the recording/upload is still something to be thankful for!
*1 "From" が聞こえるような気もするし(*1), の件, これはヒアリング的に正しかったもよう。なぜなら, Joni Mitchell 公式サイトの歌詞ページによれば 〜 © June 19, 1967; Gandalf Publishing Co. (as "From Both Sides Now") 〜 とあり, 後に世界的に有名な曲となる Joni Mitchell の Both Sides Now の当初のタイトルは "From Both Sides Now" だったものと思われるからだ(因みに June 19, 1967 は著作権登録?の期日であり, この歌が書かれた時期を示すものではない)。
*2 下掲 4) のクリップの箇所に書いたことと合わせると, やはりこの(上掲の)"1966年" "Bootleg" 音源には, 実際には 1966年の音源と 1967年の音源が混在しているものと思われる。
ではでは, 次, Both Sides Now をもう一度, いや, もう三度。
3) Both Sides Now (Live WTRI-FM Broadcast 1966) by Joni Mitchell 〜 聴き比べると, このクリップの音源は 上掲 1) および 2) 26:13 からの Both Sides Now と同じものであることがはっきりする。
4) Both Sides Now (Live WHAT-FM Broadcast 1967) by Joni Mitchell 〜 このクリップの音源は, 最初聴いていて 前年1966年の上掲 3) の音源と同じではないかと思った。何しろ演奏後の Joni の短い語りも(イントネーションまで含めて)同じに聞こえるのだ。ところが, 驚いたことに, その短い語りを終えるのと同時に聞こえる Joni が爪弾くギターの音が明らかに違う。その部分, 1) 2) 3) で Joni が爪弾くのは高音弦なのだが, この 4) では低音源なのだ。というわけで, 筆者が最初 Joni Mitchell 公式アカウントによる間違いではと勘違いしてしまったこの音源の "1967" 年表記の件, しかし結局, これはこれで 3) とは別モノの音源であり, となると, これはやはり 1967年のもので間違いない, ということになるのだと思う。そのうえで, 上掲 2) の 31分過ぎに入っている Both Sides Now の曲が出来た背景を説明する Joni の語りは, この 4) のクリップのもの(演奏前の Joni の語り)と同じであるようだ。より厳密に言うと, 以下のクリップにおける Both Sides Now 演奏前の Joni Mitchell の語り(同曲 作詞作曲の背景説明を含む)は, 上掲 2) のクリップの 30:48 ~ 32:05 の部分の Joni Mitchell の語りと同じなのだ(ただし後者では続けて別の曲のライヴ演奏が収録されてしまっているのだが)。したがって, 上掲 2) の "1966年" "Bootleg" 音源には, 実際には 1966年の音源と 1967年の音源が混在しているのではないか, そんな推測が成り立たつということになる。
5) Both Sides Now, Live on October 27, 1967
では, 次は,
50代半ば過ぎの Joni Mitchell の「青春の光と影」へ。
"Both Sides Now" from Joni Mitchell's 2000 album Both Sides Now
Joni Mitchell が 2000年2月にリリースしたアルバム, その名も "Both Sides Now"(邦題「ある愛の考察~青春の光と影」はいくらナンでもやり過ぎでは?)に収録, オーケストラを従えたヴァージョン。
Both Sides Now, the title track on Joni Mitchell's seventeenth studio album released on February 8, 2000
https://genius.com/Joni-mitchell-both-sides-now-orchestral-version-2000-lyrics
Joni Mitchell, 56歳の時にリリースした Both Sides Now, 邦題「青春の光と影」。「青春」を振り返る, あるいは人間, いくつになっても「青春」だ? .. Joni は頬づえをついてる。
なんて言ってられないよ。
つべこべ言わず, 聴きましょう。Joni Mitchell を!
では, 次は, あらためて,
1969年の「青春の光と影」, 1969年の「雲」を。
Clouds 〜 Joni Mitchell's 1969 album
アルバム丸ごと, 鑑賞。
Clouds, Joni Mitchell's second album released on May 1, 1969
Side one
1. Tin Angel
2. Chelsea Morning
3. I Don't Know Where I Stand
4. That Song About the Midway
5. Roses Blue
Side two
1. The Gallery
2. I Think I Understand
3. Songs to Aging Children Come
4. The Fiddle and the Drum
5. Both Sides, Now
…… ♫ ……. ♫ …… ♫
Joni Mitchell と CSN と Judy Collins 〜 Both Sides Now
最初に書いておくと, CSN とはもちろん, Crosby, Stills & Nash のこと。
さて, Joni Mitchell 作詞作曲の Both Sides Now(Joni の 1969年リリースのアルバム "Clouds" に収録された時は "Both Sides, Now", 彼女の 2000年リリースのアルバム "Both Sides Now" 収録のオーケストラ付きヴァージョンは "Both Sides Now" でカンマ無し, Judy Collins の 1967年のヴァージョンもカンマ無し, 些細な?話だけど, 本章では「面倒」を避け カンマ無しで記します), 長い括弧内だね, ともあれ, この Both Sides Now を, Joni Mitchell 本人よりも先にスタジオ録音して自身のアルバムに収録した(そしてその翌年シングル盤としてもリリースした)のが Judy Collins で,
その Judy Collins は CSN の Stephen Stills と一時「恋愛関係」になり結局は別れる(Judy が Stephen を振る)のだが, その恋愛と別れの経験にインスパイアされて Stephen Stills は 1969年リリースの CSN のセルフタイトルのアルバム "Crosby, Stills & Nash" に収録された Suite: Judy Blue Eyes や Helplessly Hoping(後者の歌詞和訳はこちらで)を書いている。
一方, Joni Mitchell は CSN の David Crosby と短期間ながら「恋愛関係」にあった(Joni の 1968年リリースのデビュー・アルバム "Song to a Seagull" をプロデュースしたのは David Crosby である)。二人の「恋愛関係」の終わりは, Joni が David Crosby を振ることで訪ずれるのだが, その際, Joni は彼に別れを告げる歌を書き, なんと David Crosby 本人を含む友人達の前でその歌を 披露している, しかも彼が一度で理解しない可能性を懸念して二度も歌っている(このエピソードは BARKS の 記事 や rockin'on の 記事 でも取り上げられた)。この別れの曲は, Both Sides Now("Both Sides, Now")が エンディング・トラックとして収録された Joni の 1969年リリースの 2作目のアルバム "Clouds" に同じく収録されており, その LP の A面4曲目の "That Song About the Midway" がその曲である。
“She came in and she was kind of different,” Crosby told Howard Stern on SiriusXM recently. “She's like, 'I've got a new song,' and we were all there, and we all said, 'Oh, fantastic, a new Joni song!' And she starts to sing it, and it's plainly a goodbye to me. And then she sang it again in case I didn't get it the first time – unbelievable! Everybody in the room was going, 'Oh.' Everybody. ... It's hysterically funny.”
つまり, Joni Mitchell に振られた側の David Crosby 曰く「そりゃもう, みんなで 大笑いしちゃうくらい 面白かったよ」。
それはまるで, Both Sides Now の 歌詞 にあるような光景!
But now it's just another show
You leave 'em laughing when you go
And if you care, don't let them know
Don't give yourself away
だけど今や, 愛 はただのショーに過ぎないの
去る時には みんなを 笑わせておかなくちゃ
気になるのなら, 彼らには気づかれないようにね
自分をさらけ出したらだめなの
そして, David Crosby はこんなふうに言っている。
Crosby added that “it's not just me – I don't think Joni gets along with any of her exes. … I was very happy when she went with Graham [Nash]. Graham was, I think, the best of us for her. The best experience she had with a guy was with Graham.”
その通りだったようで, その後, Joni Mitchell は(CSN の David Crosby と別れた後), 同じく CSN の Graham Nash と「恋愛関係」になり, 同棲する。そして, この時期, つまり Graham Nash が Joni Mitchell(と Joni の2匹の猫)と一緒に ロサンゼルスの Laurel Canyon にあった Joni の家に住んでいた時期に, 彼が Joni のピアノ伴奏により 1時間で書き上げたのが, Crosby, Stills, Nash & Young(CSNY)1970年3月リリースのアルバム "Déjà Vu" に収録された "Our House"(彼が Joni と同棲していた Laurel Canyon にあった Joni の家, それが「僕達の家」, "Our House")である。
因みに 同じアルバム "Déjà Vu" に収録された曲 "Woodstock" は Joni Mitchell 作詞作曲の歌で Stephen Stills が リード・ヴォーカル, さらに 同曲は 同年すなわち1970年4月リリースの Joni Mitchell の 3作目のアルバム "Ladies of the Canyon" にも収録され, 同アルバムのエンディング・トラックである "The Circle Game" には CSN つまり Crosby, Stills & Nash が The Lookout Mountain United Downstairs Choir という別名のクレジットによりコーラスを 付けている。
"Both Sides Now" の 歌詞 より
Moons and Junes and Ferris wheels
The dizzy dancing way you feel
As every fairy tale comes real
I've looked at love that way
巡る月と 6月と, 観覧車
めまいがするほど踊ってるように感じる
おとぎ話が現実になるたびに
私はそんなふうに 愛 を見てきた
But now it's just another show
You leave 'em laughing when you go
And if you care, don't let them know
Don't give yourself away
だけど今や, 愛 はただのショーに過ぎないの
去る時には みんなを笑わせておかなくちゃ
気になるのなら, 彼らには気づかれないようにね
自分をさらけ出したらだめなの
I've looked at love from both sides now
From give and take, and still somehow
It's love's illusions I recall
I really don't know love at all
私は 愛 を 両側から見てきた
与える側からも 受ける側からも, それでもなぜか
私が思い出すのは 愛の幻想だけね
愛のことなんて 本当には何もわかってない
♫ … ♫ … ♫ …
余談になるが(余談じゃないかも?), CSNY(Crosby, Stills, Nash & Young)1974年リリースのコンピレイション・アルバム "So Far"(「今までのところ(は)」といったニュアンスになるフレーズ)の カヴァー・アート, つまり ジャケットの絵は, Joni Mitchell が描いたものである。
付録 〜 「脱線」 および 個人的「派生」話題
ディランをディスる 〜 ジョニ・ミッチェル曰く「ディランは盗作者よ」(LAタイムズ), 本人曰く「それは言ってない」けど, 一方で 「ディランは音楽的にあまり才能がないわね」
これです。
俺が ボブ・ディランを軽蔑していることと, 今日取り上げるジョニ・ミッチェルのディラン評, 要するに彼女のディランに関する(少なくとも言葉の上では明らかに)ネガティヴなコメントとの間には, 直接的な関係はない。
俺は ディランが嫌いだが, ジョニ・ミッチェルが ディランを嫌いかどうかは知らないし, 彼女自身に12年前の件の言葉でディランをディスったという自覚があるかどうかも知らない。ただ ..
いや, 前口上はその辺にして, ジョニ・ミッチェルのディラン評(2010年および 2013年)に関することは 以下の第1章「前説(俺が ディランを嫌いなのは)」に続く, 第2章 "ジョニ・ミッチェル曰く 〜 「ディランは盗作者よ」とは言っていない, ディランは音楽的にあまり才能がないの, 彼は借り物が多いのよ"(長い見出しだね)で, その後の章は 毎度毎度ながら本 note 筆者による「ディディ」(「ディランをディスる」の略)とその付録。
【 目次 】
1. 前説(俺が ディランを嫌いなのは)
2. ジョニ・ミッチェル曰く 〜 「ディランは盗作者よ」とは言っていない, ディランは音楽的にあまり才能がないの, 彼は借り物が多いのよ
1) L.A. Times インタヴュー記事におけるジョニ・ミッチェル曰く 「ディランは盗作者よ」が, 当時メディアを騒がせた背景
2) ジョニ・ミッチェル曰く(CBCインタヴュー) 〜 「ディランは盗作者よ」とは言っていない, ディランは音楽的にあまり才能がないの, 彼は借り物が多いのよ
3) ジョニ・ミッチェル 曰く 「ディランは本物じゃないわ。盗作者だし, 彼に関する全てがごまかし, 偽物なの」 〜 LAタイムズ(インタヴュー), ガーディアン, インディペンデント
4) ジョニ・ミッチェルが, 2013年のCBCインタビューで語ったディラン評, その要点
3. ここから先は ジョニ・ミッチェルのディラン評とは無関係 〜 俺が ディランを嫌いなのは
1) ディランのイスラエル支持ソング, その後の反省も後悔も撤回・回収もなく 〜 1982年のイスラエルによるレバノン侵略およびパレスチナ難民虐殺事件の直後の, 恥ずべき イスラエル支持ソング
2) ハロルド・ピンター と ボブ・ディラン 〜 共に ユダヤ人ノーベル文学賞受賞者ながら 雲泥の差, もちろん 泥 は ディラン
3) 「キャンセルカルチャー」とは関係ないぜ, という話
4) ディラン, 宗教および盗作問題, ほか
5) ついでに, 朝日新聞も ディスる
4. 番外編: ついでに 「痴の巨人」「知の虚匠」 ユヴァル・ノア・ハラリ も ディスる
5. 好きなジョニ・ミッチェルの曲 〜 嫌いなディランの, 嫌いではない曲(歌詞和訳)
1) "The Circle Game" and "Both Sides Now" by Joni Mitchell
2) "All Along the Watchtower" by Jimi Hendrix, and Dave Matthews Band 〜 歌詞和訳
3) "I Shall Be Released" by the Band, and Jack Johnson 〜 歌詞和訳
我が家から歩いていける公園を カミさんと歩きながら, 紅葉・黄葉を鑑賞 〜 コリーヌ・ベイリー・レイ が, ニール・ヤング に答える
以下の最終章 第2節が「サークル・ゲーム 〜 "The Circle Game" by Joni Mitchell」.. なんだナンだ, Both Sides, Now ではないのか, いや, The Circle Game だけでなく Both Sides Now も 載せている 🎶
長いなぁ, タイトルが。そのうえ, 昨日 2025年11月24日の「紅葉・黄葉」鑑賞に いろんな過去ノートのリンクを付けて「環」(わ, サークル!)にして つなぎ, サークル・ゲームのようになった今日 2025年11月25日のノート。
【 目次 】
1. 「東京に出て "紅葉・黄葉" 鑑賞」 の予定を変え,
1) 昨日は久しぶりにカミさんと東京に出て, 「寅さん」の柴又歩きと都内「紅葉・黄葉」鑑賞の予定だった
2) 今年 「東京」 は これまで 2回かな 〜 2月の絵画鑑賞の1日 と 4月のビアズリー展とクラプトン武道館の1日
2. 東京に出ての「紅葉・黄葉」鑑賞の予定を変え 〜 我が家から歩いていける公園をカミさんと歩きながら「紅葉・黄葉」鑑賞
1) 我が家から歩いて数分程度の公園で, 紅葉・黄葉を観ながら, カミさんが作った弁当で昼ご飯
2) 我が家から歩いていける公園をカミさんと歩きながら 「紅葉・黄葉」を鑑賞
3) ナンキンハゼの紅葉も観に行った
4) ちょっと脱線, 昨秋のナンキンハゼの「紅葉」 〜 "ナンキンハゼの紅葉を鑑賞したり 晩秋に咲いたユリを観たりした後, 自分自身の過去と今, ディランの断片, ポール・サイモンの今 を考え, その後, 突如 Day Tripper ♫ 〜 41年前の今日のインド・アムリトサルに 日帰り旅行して, 最後は 井上陽水「結詞」で結ぶノート"
5) 話を今年に戻して 〜 コスモス(秋桜!)と「紅葉・黄葉」鑑賞
6) コスモス(秋桜!)と「紅葉・黄葉」鑑賞の後は,
7) 昨日は一日中 「快晴」「秋晴れ」 〜 昨夜の木星の輝きは素晴らしかった
3. コリーヌ・ベイリー・レイ が, ニール・ヤング に答える
1) ハリウッドにも行った, レッドウッドにも行った, 黄金の心「ハート・オブ・ゴールド」を求めて海も渡った 〜 ニール・ヤング "Heart of Gold" 歌詞和訳
2) ちょいと脱線 〜 CSN, CSNY 歌詞和訳リンク集
3) もぅひとつ脱線 〜 近頃のニール・ヤングは「あまり」好きではない
4) 「千と千尋の神隠し」の主題歌が、ニール・ヤングの「ハート・オブ・ゴールド」のアンサー・ソングになっているという話
5) あなたの周りで人生は輝いている, すべてが輝いている, 一日たりとも逃さないで。 消えゆく星々の下, 今いる場所に 〜 コリーヌ・ベイリー・レイ "Stop Where You Are"
6) Stop where you are, under fading stars (Corinne Bailey Rae) 〜 Then one by one the stars would all go out, then you and I would simply fly away (Bread), IF 歌詞和訳
4. 幸福について
1) ギリシャ, アテネ part δ' 〜 1983年8月2-3日(写真6枚), なぜか三木清 「人生論ノート」
2) 豊かとか貧しいとか 幸せとか不幸とかについて
3) 三木清 『人生論ノート』 「幸福について」
4) カフカ 「変身」, 三木清 「人生論ノート」
5) カフカ 「変身」 〜 過負荷 「返信」
6) Say a few words 〜 サン・テグジュペリ、クリスマス、アムネスティ
7) 人生の底にいても大丈夫だった
8) カミさんに感謝!
5. サークル・ゲーム 〜 "The Circle Game" by Joni Mitchell
1) 「紅葉・黄葉」 と言えば 「秋」, 「秋」 と言えば 「読書の秋」
"秋を感じさせる曲, 秋を感じさせる歌"
"読書の秋 〜 読書のばら撒き"
2) サークル・ゲーム 〜 "The Circle Game" by Joni Mitchell
The Circle Game
今日の主題は, Joni Mitchell's Both Sides, Now 歌詞和訳 及び Both Sides, Now に関わる, 絡む, 諸々の事象。しかし結局 例によって「絡み」が多くなり 更なる辛味も加わり「環」(わ, サークル!)になって諸々がつながり, またまたサークル・ゲームになってしまった(のか?)今日 2026年1月5日のノート, (今日の)最後は,
The Circle Game from Joni Mitchell's 1970 album Ladies of the Canyon
lyrics https://jonimitchell.com/music/song.cfm?id=39
🎶
Yesterday a child came out to wonder ..
🎶
And the seasons they go round and round
And the painted ponies go up and down
We're captive on the carousel of time
We can't return we can only look
Behind from where we came
And go round and round and round
In the circle game ..
