張り付いた空洞|【狸の短編小説】
大学受験を控えた姉は、自室の鏡の前で動かなくなっていた。
私が話しかけても、鏡に映る自分から視線を外してくれない。鏡を見つめ続ける姉はただ、薄い唇の端だけを器用に持ち上げている。
その表情には何の感情も乗っておらず、まるで顔の筋肉の動かし方を試しているようだった。
私はそれを姉の新しい冗談だと思うことにして、部屋の扉を静かに閉めた。
翌朝から、姉はその表情を崩さなくなった。食事中でも、登校中でも、テレビの前でも、SNSの前でも。
常に綺麗な弧を描く唇とは裏腹に、その瞳は硝子玉のように光を宿していない。家族が気味悪がって問いただしても、姉は「機嫌がいいだけ」と、抑揚のない声で答えるだけだった。
原因はあの鏡にある。そう確信した私は、姉のいない隙を狙って、その鏡の前に立った。古びた樫の縁取りがされた鏡面には、緊張した私の顔が映っている。
試しに右手をゆっくりと挙げてみた。すると、鏡の中の私も、同じように右手を挙げる。だが、奇妙な感覚。呼吸ひとつぶん、動きが合わないようにも思えるが、決して遅延とは呼べない違和感を感じる。
まるで鏡の中の私は、私の次の動きを完璧に読み取って、先回りして演じている。私が手を挙げようとする意志を、筋肉が動くよりも早く察知しているかのようだった。
全身の皮膚を粟立たせている私が息を呑んだのと同時に、鏡の中の私はゆっくりと口角を上げた。目は氷のように冷たいままで、唇だけが歪に吊り上がっていく。
それは私の笑顔ではなく、昨日から姉の顔に貼り付いている、あの無機質な仮面そのもの。
恐怖に立ち尽くしていると、鏡の中の私の肩越しから、ヌルリと姉の顔が現れた。彼女もまた、同じ笑顔を浮かべている。
二人は何も言わず、ただ同じ虚ろな瞳と同じ貼り付けた笑顔で、こちらをじっと見つめていた。鏡の奥では部屋の景色を映すことなく、ただ底なしの闇を広げている。
やがて、鏡の中の姉と私が、寸分違わぬ動きで、こちらへゆっくりと手招きをした。


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