空の殻|【狸の短編小説】
瞼の上には、計算され尽くした光量が注がれる。
設定された覚醒時間には一秒の狂いもなく、室温と湿度が最適な数値へと収束していく。
空気は濾過されて、清浄な分子だけが肺への侵入を許される。
テーブルには銀色の器が一つ。
今日の栄養は、焼き立てのパンとラベンダーの香りを再現する。
摂取は義務であって、その信号は脳の特定の領域を刺激する。
必ず伴う味覚という幻影。
仮想空間の書庫では、古代の哲学者と原子論を語り合って、午後からは未完の建築物の構造を再計算する。
サイクルとサイクルの間に、疲労という概念は存在しない。
思考はどこまでも澄み渡り、知識は際限なく蓄積されていく。
情報という無駄を体現した産物。
部屋のごく一部を占める窓は常に黒い。
外の世界は、予測不能な変数が満ちる領域で、思考の純度を汚染する不純物。
壁は、僕という完全な静寂を保つ守護神。
日常という変化域が一定の時間を過ごす中で、システムに記録のない微かな信号は走った。
論理回路のどこにも起点が見当たらない衝動。
右手の指先が、意思とは無関係に持ち上がる。
ゆっくりと壁面のパネルへと伸びて、何サイクルもの間、触れることのなかった一つのアイコンに触れた。
滑らかな音とともに、黒が後退していく。
初めて見る窓の向こうに広がる世界は、赤黒く濁った空だった。
ねじれた鉄骨が空を突き刺して、崩れ落ちた構造物が巨大な影を落としている。
風に舞う砂塵だけが、死んだ街をゆっくりと撫でていた。
変化の少ないサイクルは、壁の内側だけのものではなかった。
世界そのものが音を失って、停滞を好んでいた。
視線を窓ガラスに戻す。
そこに、滅びの風景を背にした、僕の姿が映るはずだった。
だが、ガラスが反射しているのは、空虚な部屋だけ。
僕が立ち尽くしているはずの中央の空間には、ただ一つの青い光点が明滅している。
視界の隅で、見慣れたはずの指の輪郭が揺らぎ始めた。
光の粒子は、ゆっくりとほどけていく。

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