「嫌いになって」第3話|創作大賞2024
昔から私には何もなかった。夢中になれることも自分の意見も家族や友人への愛情も。
家族はたまたま同じ場所に住む人達だし、友人はたまたまその時出会った人達。
必要以上に好きになることも憎むこともなかった。
人間関係は適当に相槌をうってなんとかしていた。
何かに打ち込んでいたわけでもなかったから、もしかしたらつまらないやつだと思われていたのかもしれない。
友人が誰かと喧嘩したという度に疑問に思った。
「怒って何が変わるんだろう?」
納得できないと嘆いていても、当たり前だと思った。
みんな自分が正しいと思っているんだから、納得するはずがない。それになぜ気づかないんだろう。
中学まではなんとかなっていたけど、高校でそれまでのやり方が崩れた。
高校の入学式が終った後、教室の自分の席に座っていたら後ろの席の子に話しかけられた。鞄につけてるマスコットキャラクターがかわいいというするどい切り口から会話が始まり、どこの中学出身かとか家族はいるのかとかお互いを探っているともう2人仲間が加わってきた。そうして、たまたま近くに座っていたクラスメイト3人とグループになった。
適当な話題でやり過ごせて、適当に時間を過ごせていて、居心地は悪くなかった。
それなのに、ある日、そのなかの2人の中が険悪になってしまった。
きっかけはささいなことだった。
そもそも合わないところがあったらしい。日頃の鬱憤が溜まっていたみたいだ。
私ともう1人は、代わる代わる2人の話を聞いた。
「自分から誰がタイプか聞いといて、答えたらそれはないって、まじうざくない?別にそいつのこと好きじゃないし」
「興味ないのに漫画押し付けてきてさ、忙しくて読めなかったって返したら不機嫌になるの意味わかんなくない?」
「おすすめって教えといてさー、そのパン私の目の前で取るのやばくない?最後の1個ってみたらわかるじゃん」
「ぶりっこ過ぎて無理なんだけど、あいつ。男の前であたしのこと下げてくんだよね」
そっか。それやばいね。あの子ってそうなんだ。ありがとう、気をつけるよ。
どちらの言い分もどうでもよかったから、適当な相槌でやり過ごしていた。
幸い、どちらが正しいとも間違っているとも思わなかったから、苦にはならなかった。
いつか終わるだろうと思っていた。
ところが、もう1人はこの状況に疲れ切っていた。
おとなしい子で真面目に2人の言い分を聞いて、どうにかする方法を一生懸命考えていたんだと思う。
最終的にどうしようもないと思ったみたいだ。
彼女は2人にこう言ったんだろう。
「由依って八方美人だよね」
噂でしかきいていないから本当の所は分からいけれど、多分合っていると思う。
効果てきめんだったみたいだ。
いがみ合っていた2人は共通の敵を見つけて、すぐに仲直りした。
結束は高まり、いつもの日常に戻っていった。
私を除いて。
×××
昼休み。
チャイムが鳴ると一斉に生徒が動き出す。
みんないつものように顔なじみで集まり、自分たちの場所を作っていた。
私はお弁当を持って、教室の扉へと向かった。
友達だった3人はすでに集まって談笑している。
横を通り過ぎる私には目もくれない。すっかり慣れたもんだ。
3人に無視され始めて1週間。
私はお昼の定位置を決められないでいた。
なかなか居心地のいい場所がないのだ。
聞こえるように悪口を言われたり、ごみを机に入れられるぐらいは別にそこまで堪えないんだけど、昼食ぐらい何も気にせず食べたかった。
あいにくその日は雨で場所が限られていた。外は使えない。
屋根のある場所を思い出そうとしていると、窓の外に見覚えのある姿が見えた。
ちょうどいい昼食場所のアイデアもなかったし、考えるのも面倒だったのか、なんとなくその姿のあとを追っていた。
目的地は校舎裏だった。校舎の影になっているし、曇っているから光も入らない。
そんな薄暗い場所で、重そうな扉の前の階段に腰かけて本を読みながらパンを食べている里美を見つけた。
里美は人の気配に気づいたのか顔を上げた。
里美と目が合った。一瞬びっくりしているようだった。
追いかけてきておいていざ顔を合わせたら何と言おうか、別に考えていなかった。
考えた末、正直に話してみようと思った。
私は、傘を持ったまま里美に近づいた。
「望月さん」
「はい」
「いつもここで食べてるの?」
「まあ、だいたいは」
「そっか」
「……」
「あのさ、私ちょっと今教室居づらくてさ」
「そうなんですか」
淡々と答える里美。
少しだけむっとなる。確かに陰湿で目立たないやり方ではあったけど、周りが全く気付かないものではないと思っていた。
咳ばらいをして気を取り直す。
「そうなの。だから、いい場所探しててさ。迷惑でなければここでごはん食べてもいいかな?」
「え」
少しだけ躊躇していた。
やはりこんなところに来るぐらいだから、人がいるのは嫌だよな。諦めて違う場所を探すと言おうとしたら、里美が口を開いた。
「別にいいですよ」
「え、いいの?」
「はい」
「ありがとう」
私はほっとして、里美が腰かけている階段の屋根の下に入った。傘をたたんでいると里美が困ったような声で言った。
「でもいい場所ではないですよ」
私は里美の顔を見た。冗談で言っているみたいではなかった。
それから昼休みはここで過ごすようになった。
×××
里美は毎日校舎裏でごはんを食べていた。
私は毎日行くわけではなかったから本当のところはわからなかったけれど。
大抵先に里美が来ていて、私が後から合流する。一緒に行くことも、行こうよと話すこともなかった。
「おつかれ」
私が声をかけると里美が軽く会釈する。
そしてごはんを食べて、その後はそれぞれ気ままに過ごす。里美はいつも本を読んでいたから、そんなに会話することはなかった。でも、私が話しかけると相槌を打ってくれたし、何かしらの返答も返してくれた。
里美に用事がある時以外は、私が先に教室に戻っていた。
教室に戻った後は、会話をすることは全くなかった。
里美は友達がいないみたいだった。
教室のクラスメイトはもちろんのこと、他のクラスにも里美と仲良さそうな子はいなかった。同じ中学の知り合いはいたかもしれないけれど、中学でもあの調子だったら友達ではないんだろうなと思った。
勉強ができる方で成績がいいのは知っていたけれど、それ以外はあまり知らない。
授業以外は本を読んでいるから、多分本が好きなんだろう。この間、何を読んでいるか尋ねると「小説」とだけ答えてくれた。
おしゃれにも多分あまり関心がないんだろう。髪型はいつも同じで、極力セットが簡単で済むようにショートカットにしているみたいだった。
制服は規定のもの以外着ないし、鞄にマスコットなども付けていなかった。もちろんメイクもしていない。
周りの視線とか全く気にしないんだろう。その無関心さが心地よかった。
その割には疑問に思うところがあった。
「なんで教室で食べないの?」
「なんで?」
「教室でもいつも1人じゃん。わざわざここ来る理由あるのかなって」
本から顔を上げて私の顔を見る里美。
しまった。反応が薄いからストレートなものいいになってしまった。
「つまり、望月さんはあんまりまわりのこと気にならないって感じだから、教室でも本読めるんじゃないかなって思ってさ。移動するの面倒じゃない?」
失言したと悟らせないようにさらっと言った。
「……こっちの方が静かだからかな」
里美は少しだけ考えて、そう呟いた。そして再び本を読み始めた。
それ以上は何も聞かなかった。
×××
無視が始まって1か月がたっていた。
期末テスト前で気が立っているのか、いつものいやがらせが2割増しぐらいになっていた。
かくいう私も苛立っていて、ささいなことが気になるようになっていた。
いつも通りごはんを食べた後、スマホを何を見るわけでもなく見ていた。
ふと、いつも通り本を読む里美の姿が視界に入った。
出会った時から変わらない本を読む姿だった。
私は独り言のように言った。
「どうしてみんな感情的になっちゃうんだろう」
「どういうこと?」
「他人に怒ったり、期待するの、無駄じゃない?他人なんだから、自分の思い通りになんかならないじゃん。だから諦めればいいのに」
「桜井さんは、諦めたの?」
「うん。だってその方が楽だし」
「そうなんだ」
「そうだよ。望月さんもじゃないの?」
里美は答えなかった。これは予想外だった。里美と私は同じ考えだと思っていたからだ。
「どうかな」
それだけ言うと、また本を読みだしてしまった。
なぜだか無性に気に障った。
「どうしてもっと人のこと考えられないんだろう」
私は大きくため息をついた。
「考えてると思うよ」
里美が本から目を離さずに言った。
「考えてたら、怒ったって無駄ってわかるじゃん」
「無駄じゃないから、そうするんじゃない」
理解ができなかった。何より里美があちら側の人間と同じ考えをしていたのに、むかついた。
「本ばっかり読んでてさみしくないの?」
あからさまにとげのある言い方になってしまった。
里美はすぐには何も言わなかった。
沈黙が里美を傷つけてしまったんじゃないだろうかと思わせた。
里美が顔を上げた。少し身構える。
里美は目の前の草むらを凝視していた。持っていた本を置いて、立ち上がった。
草むらに向かう里美の後ろ姿を目で追う。
草むらの前でポケットから何かを取り出した。パカッという音が鳴る。
里美の向かい側に何があるのか見ようと身体を傾けていると、里美がくるりと振り返り戻ってきた。
慌てて顔を逸らす。
里美は何事もなかったように、階段に腰かけた。
里美がこちらを見ていないのを確認して、草むらの方をよく見てみた。猫缶にがっついている猫が1匹いた。
「猫」
思わず声に出していた。
里美の方をちらっと見る。表情は見えないけれど、笑っているような気がした。喜んでいるところを見るのは、初めてだった。
しばらく黙って猫の食事風景を眺めていた。
猫は餌がもうないとわかると、すぐに立ち去ってしまった。
里美は本を手に取り、開いていたところからまた読み始めた。
「さみしくないよ」
と、本から目を離さず、静かに言った。
私はすぐに立ち上がってその場を離れた。
なんだ、私とは違うのか。どんどん早歩きになっていく。
あちら側の人間に理解があって、自分の居場所も、夢中になれるものもある。一緒かもと少しでも思ってしまった自分が馬鹿だった。
いつの間にかあの場所から逃げるように駆け出していた。
×××
期末テストが終わった後、いやがらせが止まった。
そして、3人の内のおとなしい真面目なあの子が声を掛けてきた。
「今度○○高校の男子と遊びに行くんだけど、来ない?」
それとなく話を聞いてみたところ、強気な子の1人がインスタでその高校の男子と少し前からいい感じのやりとりをしていて、今度会おうという流れになったらしい。その中で、私を入れた4人で会いたいとお願いされてみたいだ。
つまりは、こうだ。
夏休み前に彼氏ができるチャンスが到来して喜んでいた彼女は、困り果てた。
私の写真をそのままにしていたから、まだ友達だと思われている。
「仲いいんでしょ?実は、俺の友達が気になってるみたいでさ、頼むよ。」と言われ、つい得意げに連れていくと約束してしまったらしい。
しょうがないから友達に戻ってあげよう、ということらしい。
話を聞き終わり黙っていたら、来てほしいと懇願された。
「もういいよって言ってたから、謝らなくていいと思うよ」
優しい笑顔で慰めるように言ってきた。
面倒だった私は安堵した表情を見せて彼女に笑いかけた。
「そっか……!ありがとう」
久しぶりに適当にやり過ごす時間が戻ってきた。
×××
夏休み前の学校は、浮足立った雰囲気だった。
先生の真面目な話や面倒な話題は、右から左にすり抜けていった。
私は4組デートでどこに行くか3人が意見を交わしているところに適当に相槌を打ちながら、教室を見渡した。
里美の姿がなかった。居たら居たで馴染はしないんだけど。
あの場所に行かなくなって1週間。
私は適当に理由をつけて教室を出た。
外は一歩外に出ただけで、照り付ける太陽にじりじりと肌を焼かれてすぐに汗が出てきた。
日陰に入る道を選んで歩いて行く。
影があるとはいえ、さすがにこの時期の屋外はまずいのではないかと考え、少し足早になる。
あの場所にはやはり里美がいた。
いつも通り本を読んでいる。
近づいていくと、里美がぱっと顔を上げた。表情が少し怯えていた。
「おつかれ」
私はできるだけ前と同じように振る舞った。
里美はほっとして、小さく会釈した。
「はい」
と、持っていたジュースを渡した。さっき来る途中に自販機で買った。
里美は怪訝そうに缶を見つめて、顔を上げた。
「飲み物持ってるよ」
「ぬるい水かお茶でしょ?ちゃんとミネラル取らないとぶっ倒れるよ」
無理やり押し付けて、階段に腰かけた。
自分用のジュースの蓋を開けて、ごくごくと飲む。思わずはーっと声が出る。
里美は少し躊躇っていたけれど、私の姿を見て、やっと蓋を開けて一口飲んだ。
そして、開いたページに目を落とす。
「今日猫来た?」
雑談のつもりだった。里美の本を持つ手がぴくっと動いたのが視界に入った。里美の方に少しだけ首を傾ける。
「猫はいません」
開いたページを見ながら答える里美。
「残念。猫缶買ってみたからあげてみようと思ったの。まあ、教室に忘れたから、いいけど」
「猫はもう来ないかもしれないです」
「え、なんで?」
身体を起こして、しっかりと里美を見る。
里美は一瞬逡巡していた。
「この間、保健所の人が来てたから」
ページに視線を落としたまま、小さな声で答える。
「そっか」
私は言葉に詰まって、何も言えなくなってしまった。
なんとなく草むらの方を見やる。草むらの向こうは真っ暗で何も見えなかった。
「さみしいね」
話しかけたようで独り言みたいなその言葉は、快晴の空に吸い込まれていった。
虚しくて、俯いて地面を見ていると、
「さみしくないよ」
と里美が言った。
「え?」
「だって、本があるし」
私は「はあ」と間の抜けた声を出して、里美の横顔を見つめていた。
ずっとページに視線を落としている。
でも、ページをめくる手が動いていないような気がした。里美の目には、本の文字が写っていないように思える。
ふと、教室で本を読んでいる里美の姿が頭に浮かんだ。
夏休み前、浮かれている高校生たちがどこにいこうか何をしようかそれぞれの場所で和気あいあいと話している中で、一人本のページをめくる里美を想像した。
「今度さ、猫さがそうよ」
咄嗟に出た言葉だった。里美が理解できないという表情でこちらに顔を向ける。
「いや、でも、もう……」
「まだ、わかんないじゃん」
身体が前のめりになる。
「保健所の人が連れて行くところを見たわけじゃないんでしょ?」
「そう、ですね」
「じゃあ、まだ見つかってないのかも。もしかしたら、ここよりいい餌場見つけてそっち言ってるかもしれないでしょ。でも、猫ってたしか別の野良猫の縄張りに入っちゃいけないから、あまり遠くまでいけないはずなんだよ」
「うん」
「だから、まだこの辺にいるかも。そもそも、あんまりここには来てなかったわけだしさ。ね、夏休みなんだし、探しに行こうよ」
「……」
里美は呆気に取られているみたいだった。
自分が早口でまくし立てていたことに気づいて、恥ずかしくなった。
姿勢を戻して、顔を見られないように首を反対方向に傾けた。
本を閉じる音が聞こえた。
ちらっと見ると、閉じた本を膝に置いた里美が嬉しそうな顔でまっすぐ草むらを見ていた。
「わかった。行こう」
里美の横顔をじっと見ていると、こちらに気づいて恥ずかしそうな表情になった。
私は楽しくて興奮しているのを隠すように意地悪な笑顔を向けた。
自分の世界に没頭するような私とは真逆の人間の一部を知ったような気がして、少しだけ期待した。
里美と居れば、もっと分かることがあるのかもしれない。
先生がこの時間にいつも自分の研究室にいるのは知っていた。1年ほど通い詰めていたから。
見慣れた廊下を進む。今朝は変わった自分の姿を見てあんなにうきうきしていたのに。今は足取りが重く、のろのろとしか前に進めなかった。
先生のゼミに入るまで、告白はしないでおこうと思っていたのに、我慢できなくなってしまった。
先生は同じ人を私より長い間好きでいるのに。
私も先生も他人が自分の思い通りにならないってわかっているのに、この違いはなんだろう。
なんで私は先生に告白したら、何か変わるかもって思ったんだろう。
廊下の窓に映る自分を見やる。とても自信のある顔をしているとは言えなかった。
せっかくの服もメイクも髪もアクセサリーも全てがちぐはぐに見えた。
頭をぶんぶんと振って、自分に言い聞かせる。
今日終わらせるんだ。
深呼吸して呼吸を整える。
そうだ。もう考えなくていいんだ。終わったら忘れて、めいいっぱい楽しいことをやればいいんだ。
「よし」ともう一度鏡を見て、不敵な笑みを作る。よし、美人だ。
そのまま、見慣れた角を曲がって、研究室に向かおうとしたとき、扉の前で話す先生とあの女を見つけた。
途端に身体が固まってしまった。表情が崩れているのが分かる。
2人は私に気づいていないみたいだ。
研究のことなのか雑談なのかわからないけど、楽しそうに話していた。
いつも通り上品なブラウスにきれいなひだの入ったスカートを合わせて、ストレートの髪にけばさが全くないナチュラルメイク。不敵な笑みなど絶対しないだろうし、大半の人が心を許してしまうような柔らかな笑顔で笑いかけている。
先生は、いつもの笑顔だった。
意識しすぎてぎこちない笑顔になったり、照れたりしない、自然体だった。全てを受け入れていた。
今行けば、比較対象がすぐ近くにいる分、効果も抜群だ。
でも、脚が動かない。比べられるのが嫌だった。先生が交互に見て、拒否反応を示すと思うと怖かった。
でも、本当に先生はそうするだろうか?
里美の声が蘇ってくる。
『終わりじゃないよ』
終らないの?
『先生、拒否すると思う?』
ううん。いつも通り笑ってくれると思う。
『本当にそれに意味があると思う?』
あると思ってたんだよ。
『本当に終わらせたかったら、聞けばいいんだよ。付き合ってって。そしたら、終わるよ』
わかってるよ。でも、聞いたら本当に終わるから、聞けなかったの。
気づかれないように、そっと後ずさりして廊下の角に隠れる。
振り返り来た道を戻っていくと、2人の声が遠ざかっていった。
つづく
