「嫌いになって」第1話|創作大賞2024
あらすじ
桜井由依は告白してしまったことを激しく後悔していた。
「ありがとう。そんなこと言われるなんて思っても見なかった」と笑顔で言われ、エンディングを迎えたと思った恋。
でも、はっきりと答えを貰えなかったことが由依を苦しめる。
もしかして一生このまま宙ぶらりんなのかもしれない。そんなのは嫌だ。
今まで誰も愛したことがなかった。他人に何も期待してこなかった。
だから、初めての恋で好きの終わらせ方が分からず途方にくれる。
考えた末、閃いた答えは「彼の嫌いな女になって嫌いになってもらう」だった。
イメチェンして意気揚々と彼に会いに行こうとする由依。
一方、高校から友人の里美は、依然と変わった由依にある言葉を投げかける。
第1話
「痛っ」
つい顔を歪めてしまった。
鏡越しに美容師さんと目が合う。
申し訳なさそうな表情でパッと両手を私の頭から離す。
「ごめんね。しみた?」
「ちょっとだけ。でも全然大丈夫です」
「ごめんね~。もうちょっとで終わるから」
すぐにまたぺたぺたと塗り始める。
その慣れた対応に眉がぴくりと動く。
隠すようににっこりと笑った。
ブリーチ剤がしみるなんて何百万回もあることなんだろう。
申し訳なさそうな表情も返答もそりゃあ板につく。
そんなことわかっているのにいちいち気にしてしまう自分にいらつく。
「髪きれいね~」
「ありがとうございますー」
「羨ましい~。私髪質終わってるから、ずっとショートなの。こんなきれいなストレート憧れるな~」
「えー、そうなんですか。全然わかんない。めっちゃケアしてるんですね」
「ショートだとあんまりわかりづらいかもね。ショートが好きから問題ないんだけど~。つるつるの黒髪ストレートにもちょっと憧れるな~。ずっとストレートだったんでしょ?いいな~」
えへへ、と照れている笑みを見せる。
でも心の声は違った。
どういう意味?それはもったいないってこと?それとも、がっつりイメチェンしようとしているのはなんかあったんでしょ?って、遠回しに聞いてるの?
軌道修正。
これはイメチェンのワクワクキラキラの時間なんだから、変な風に考えない。
「なんか飽きちゃってー」
と鏡に映る自分に愛想笑いをする。
×××
「じゃあ、このままちょっと待っててね」
はーいと雑誌を見ながら返事をする。
ガラス張りの店の窓の外から視線を感じて顔を向ける。
通りを歩いていた女の子がこちらを見ていた。目が合い一瞬どきっとする。
すっと目を逸らす。首を傾けてもう一度外を見ると、女の子の姿はもうなかった。
多分、窓を見ながら前髪でも整えていたんだろう。
正面の鏡に向き直ると、髪をぺったりとラップで包まれた自分の姿が映っていた。
一瞬でもこんな姿を見られたと思うと、少しむっとした。
美容院の施術中ってあまり見られたくない恰好なのに、なんでわざわざ見える形にするんだろうか。
万が一、先生がそこの通りを通ったら……。
こんな間抜けな恰好絶対見られたくない。
でも、できあがった姿は早く見せたい。
先生が苦手な明るい髪に派手なメイク、ボディラインのはっきりした服にぎらぎらのアクセサリーをたくさんつけて、先生の前に現れる瞬間を想像する。
どんな顔をするだろうか?ひきつった顔をするだろうか?困った顔をするだろうか?
どぎまぎとしている先生の前に自信たっぷりに立つ自分の姿を思い浮かべる。
口角が上がる。咄嗟に雑誌を持ち上げて隠した。
楽しみで仕方ない。早く終わらないだろうか。
早く彼に嫌われたい。
「ありがとう。そんなこと言われるなんて思っても見なかった」
本当に嬉しそうに笑うからそれで満足してしまった。
嫌われていなかった、迷惑でなかった、その時はそれでよかった。
自分でこうなるようにしてしまった。
先生に好きな人がいるのは最初から知っていたし、私を好きになることがないことも分かった上で告白した。
私が好きだと言ったら、先生は心底びっくりしていた。
本を読んでいる時のような難しい顔をして、その場をうろうろと歩き出した。
しばらくして立ち止まって、照れ臭そうに頭を掻きながら、
「やっぱり分からないや。僕のどこがいいの?」と、笑って、また難しい顔で考え出した。
その顔がいつもと変わらないから安心した。
こんなにも私のことを考えてくれるじゃないか。やっぱり告白は正解だった。
私の頭の中ではエンディングが流れていた。
この話は一旦の終わりを迎えて、日常に戻っていった。
そこから終わらない日々が始まってしまった。
告白した後も先生は変わらず話してくれて、私も変わらず彼に話しかける。
でも、この後は何があるの?この時間の意味は?
1人になると同じ事をずっと考えてしまうようになってしまった。
なんて不毛なことをしてしまったんだ。
身体の底からぐわーと何かがせりあがってくる。
いたたまれなくなって、枕に顔をうずめて「あー」と叫ぶ。
私が告白した後も、先生は好きな人にも変わらず接している。
その姿を目の当たりにするときの気持ちの重さが以前とは違った。
私の気持ちを知った上で、あんな風に笑うんだ。
暗くて重いものが私の中で大きくなっていく。
重さに耐えきれなくなってきていた。
手元にある雑誌を床にたたきつける。
このままではいけない。はやくこの日々から抜け出したい。
そう思っていると、投げつけた雑誌の開いたページに目が留まった。
「今度こそ垢ぬけたい!地味目女子から一気にチェンジ!読者改造企画」
地味な見た目の女性読者モデルたちが、あらゆる手段で華やかな姿に変わっていた。
いかにも納得してなさそうなBeforeの顔から、輝く笑顔のAfterへ。
これだと思った。
私は、一番派手な変貌に目をつけた。
先生は、華やかな風貌の女性が苦手だった。
だから、化粧っけが少ない、上品な服ばかり着ているあの女が好きなのだ。
ならば、その逆を行こう。
このまっすぐの黒髪も決して化粧していることを悟らせないナチュラルメイクも地味な色のふんわりひらひらした服もやめてやる。
彼が嫌いな派手な女になって、嫌われてやる。
そしてこの恋を終わらせてやる。
やっとの思いで玄関に着いた。
両手に買い物袋をいくつか持っているし、歩き疲れていたので、乱暴に靴を脱ぎ捨てる。
部屋の真ん中に袋を置いて、すぐにクローゼットの扉を開ける。
服を次々と掴んで段ボールの中に放り投げる。
上品なひざ下丈のスカート、ひらひらのレースのついたブラウス、自然派っぽいワイドパンツ、きれいな形のコート、身体のラインを出さないふんわりとしたワンピース。
バッグも靴もアクセサリーもメイク道具も、彼と出会った後に買ったものは全部段ボールの中に放り込んだ。
一通り詰め込んだら、段ボールを閉じてクローゼットの奥にしまった。
全部終わったらメルカリで売ろうかな。
一息ついて、袋から買ってきたメイク道具を取り出す。
雑誌の端折っていたページを開いて、メイクの手順を読み込む。
メイクは練習しないことにはうまくいかない。
気合を入れて、慎重にアイラインを引いていく。
今までとは全然違う顔に書き換えていった。
先生の授業は楽に単位が取れるというので有名だった。
できるだけ単位は1・2年次に取っておいた方がいいという助言をサークルの先輩からもらい、おすすめの授業を教えてもらった。
いくつかある中で、1番スケジュールに合っていたというだけで選んだ。
大半が先生の話をまともに聞いていなかったと思う。
それは、後ろの席から教室全体を見ていたからすぐにわかった。
スマホで時間をつぶしたり、別の授業のレポートをやったり、談笑したり、それぞれが自由に時間を有効活用していた。
ほとんどの人が話を聞いていいないのに、先生はいつも本当に楽しそうに授業をしていた。
授業というか、単純に好きなことについて話すのが楽しいみたいな感じだった。
将来の夢もない平凡文系大学生の私は、彼の姿が気に障った。
期待していたほど大学という場所が面白くなかったというところもあったからかもしれない。
時折暇な学生が面白がって先生に絡みに行くことがあった。
彼らの軽口や皮肉も興味深そうに聞いているこの先生が目障りだった。
前期も中盤に差し掛かった頃、授業が始まるとすぐに先生が言った。
「今日はこのテーマについてみなさんの考えを書いてください」
出席者からは口々に小さな声で「えー」「めんどくさ」「ふざけんなよ」「課題やろうと思ったの」と非難の声が出た。
「内容で減点とかないよ。最低文字数とかもないから。思いついたこと書いてみて。書き終わった人から今日の授業終わりでいいから」
最後の言葉を聞いて、みんな表情が変わった。
プリントが配られて、5分もたたない内に続々と人が教室を出ていった。
出口に向かう人の中から「ラッキー」「運良すぎ」などの声が聞こえた。
私は、ペンをくるくると手で回しながら、先生を眺めていた。
先生は椅子に座って本を読んでいた。難しい顔をしたり、時折くすっと笑ったりして、出ていく人達の方には見向きもしなかった。
この教室はそんなに大きくない。
声を抑えて話しているつもりでも、会話は聞こえるし、ニュアンスもなんとなくわかる。
そう思うんだけれど、先生は全く気にする素振りもなかった。
私は、プリントに視線を落とした。
テーマは『愛について』だ。
こんなことについて書けなんて、よくもそんな恥ずかしいことが平然と言える。
煩わしく感じて、ペンを置いてため息をついた。
愛とは何かと私が聞きたい。
今まで彼氏は何人かいたけど、好きだったかはわからなかった。
私から告白した人はいなかったし、つきあったのも暇だったからだ。
それなりに楽しい時間が過ごせればそれでよかった。
どこに行ったとか何をしたとかは覚えているんだけれど、何を話したかどんな人だったかは、ほとんど覚えていなかった。
家族への愛というのもよくわからなかった。
父と母は、私のことをよく育ててくれたんだと思う。愛してもいると思う。
でも、私が2人を愛しているかはわからなかった。
大学の友達で、父親と友達のように仲良しの子がいた。大学生になった今でも2人で休みの日に出かけたりするそうだ。ツーショットの写真を見せられたことがある。家族で話すのがとても好きらしい。
なんで写真なんか取る必要があるんだろうか、全然わからなかった。
私と父親の会話なんか、他人のそれとほぼ変わらないものだ。
自分が自分の家族と友達のような関係性になる姿が想像できなかった。
私には、愛という感情がないのだろうか。
ふと、里美のことを思い出した。
里美はなんて書くんだろう。
里美は本の虫だから本への愛について書くんだろうか。それとも、猫?
口数の少ない里美がプリントびっしりに好きな本と猫について書いているところを想像して、小さく噴き出してしまった。
提出し終えて、近くの通路を通っていた人がちらっと見てくる。
咳払いをしてごまかした。
無表情と熱量の高いプリントの差に耐えられなかった。そんなに言いたいことあるなら喋れよとつっこんでしまいそうだ。
でも、決して押し付けようとはしないから、里美と一緒にいるんだけど。
ふと、先生の方に視線を向ける。相変わらず本を読み続けている。
里美と先生は何が違うんだろう。2人は似ているけれど、違った。
里美がこの先社会人になって、仕事で人前に出ることになっても、あんなに楽しそうに話す姿を想像できない。
環境が変わればできるようになるんだろうか。そもそも根本的に性格が違うんだろうか。
2人はどんな話をするんだろうか。
一通り考えてみたが、少しして頭を横に振って、机に向かった。
そんなことよりこれをどうにかしないと。
1度置いたペンを握って、プリントを睨んだ。
×××
ぱたんと本を閉じる音が聞こえた。
顔を上げると先生がスマホを見ていた。
教室には、私のほかに数名だけまだ残っていた。
先生が残った人たちに向けて、
「呼び出されたので少し外します。皆さん、出来上がったら提出して帰ってくださいね」
そういうと小走りで教室を出ていった。
廊下から離れていく足音が聞こえる。
先生が教室を出てからすぐに私以外の残っていた最後の人プリントを提出して、教室を出ていった。
教室には私だけだった。
この後、特に予定もない私は、どこ何をしようか考えるのも面倒だったので、適当にここで時間をつぶそうと思っていた。
しかし、誰もいなくなってしまっては、なんとなくここに居づらい気がする。あと、面白くない。
先生が戻ってきた時に「まだ書いてたの?」と思われるのもなんか嫌だ。
肝心のレポートの中身はどうなっているかというと、うまくまとめ切れていなかった。
単位に影響しないって言ってたし、もういいか。
念のため文末に『以上です。』と書いて、締めといた。
荷物を持って教壇に近づく。
机の上の提出箱に入れようとして、ふと好奇心が湧いた。もしかしたら、なるほどと思える答えがあるかもしれない。
遠慮がちに一番上のプリントをめくってみた。
『愛の形は人によって違うと思います。』
最後まで考えてこれかい。ため息がでてしまった。
いや、よそう。私だって、この人より長いこと考えた上で、まとまっていないんだから。
『愛するとは相手を守りたいと思うこと。』
『尽くすもの。』
『夢とか妄想とか嘘とか、本当は存在しないもの。』
『自分とは違う人間性に惹かれることが多いし、こうありたかった自分を好きになるんじゃないかと思う。結局は全て自己愛。』
『本能。ムラムラしたら愛。』
特にピンとくるものはなかった。だいたいがどこかで聞いたことがあるような気がするし、本気で書いている人なんていないんだろう。
「あ」
教室の入り口から声が聞こえた。
プリントをめくる手がびくっと震える。しまったと思いながら、振り返る。
ばつの悪そうな表情の先生が立っていた。
「あ」と声が漏れる。気まずい。
とりあえず謝ろうとするも、謝ると不正をしたと思われるのではと考え、毅然とした態度で、「写してません」と言ってしまった。
余計疑わしくなった。普通に見たくなっちゃって~とかの方がまだよかった。
私を見て、面倒そうに頭を掻く先生。教壇の方に歩いてくる。
やってしまったと肩を落とす。私はいたずらがばれた子供のようにのろのろとプリントを片づけて提出箱に入れた。
1番上に自分のプリントを入れて、「失礼します」と言って、帰ろうとしたところ先生に呼び止められた。
先生は私のプリントを手に取り読み始めた。先生の視線が上から下に流れていく。
私はぎょっとして、窓の外に視線を向けた。口元を尖らせたりしてせわしなく動かして、恥ずかしさをごまかす。
先生が小さく笑った。
「うん、わかった。もう大丈夫です。お疲れ様」
私は固まっていた。
なんか笑われた?
何時間もかけて考えて書いたわけではなかったから傷ついたわけじゃないけど、なんか引っかかった。先生はどこを読んで笑ったんだろう。
軽くお辞儀して帰ろうと思ったけれど、だんだんイライラとしてきた。
踵を返して先生に向かって聞いた。
「先生、さみしくないの?」
提出箱を持った先生がきょとんとした顔でこちらを見た。
「さみしい?」
首を傾げる先生。
口に出した後で後悔する。
「いや、えっと……」
逡巡していると、先生の表情が興味深々になっているのに気づく。
できるだけソフトな言葉を選んでみる。
「授業中ずっと、一人で話すのさみしくないのかなって」
自分が変なことを言っているのに気づいて、どんどん小さな声になっていく。
先生は首を傾げた。
「さみしいかと言われても、授業ってだいたいそんなものだからなぁ」
「まあ、そうですよね」
「君、心理学科?」
「いえ、教育学科です」
「そっか。じゃあ、そういうこともあるって覚悟しておいた方がいいよ」
「はあ」
つまらないことを聞いてしまったと後悔した。早くこの場から立ち去りたい。
「それとも、僕の話すことに興味ない人に話し続けるのはさみしくないかってこと?」
ぎくりとした。ごまかそうとしたけれど、笑い方が硬かったみたいだ。
「大丈夫だよ。わかっているから」
「そうなんですか?」
「そりゃあ、見てればね」
「……」
「この場合、さみしいかと言われると、仕方ないね」
「仕方ない?」
「だって、みんな考えることは違うから。学生たちが僕と同じものを好きになって、同じものに興味関心があれば、授業はもっと盛り上がるし、みんな楽しいかもしれないけれど、そうなるのは無理だから。悲しいね」
と笑って答えた。
「私も、そうだと思います」
「そうなの?」
「みんな同じ考えだったら楽なのに」
「楽だね」
「他人の脳内が見えるようになればいいのに」
「それはやだな」
「へ?」
不意を突かれて変な声が出てしまった。
ホワイトボートを消していた手を止めて、先生が振り返る。
「え?」
「なんでですか。だって今悲しいって言ってたじゃないですか。考えがわかれば争いもなくなるし、同じ楽しみを分かち合えるじゃないですか」
「それだと面白くなくなるから」
「誰がですか?」
「僕が」
ホワイトボートを消し終えた先生が、癖なのか、手をパンパンと叩いてよしと頷いた。
「人間の研究が好きだからね。みんな一緒だったらつまらないよ」
「おもしければなんでもいいんですか?」
先生はきょとんとした表情で当たり前のように頷いた。
私はわからなくなっていた。なんでこの人と里美が似ていると思ったんだろう。
先生は提出箱を持って楽しそうに笑った。
「これもとても面白かったよ」
顔が熱くなるのを感じた。顔を見られないように背中を向けて、スマホを見ているふりをした。
「それ、なんだったんですか?単位にも関係ないなら、何に使うんですか」
「別に使わないけど」
「え?」
振り向くと先生は先ほどまで読んでいた本を手に取っていた。
「じゃあ、なんなんですか?」
「この本早く読みたくて」
あっけらかんと答える。
「じゃあ、また」と言って、教室から出て行ってしまった。
私は呆れていた。
考えることが違うとわかっているのに、あんなにも他人のことを無視する人がいるのかと思った。
途中まで私と里美と同じなのに、なんであんなに楽しそうなんだろう。
教室の出入口を出て、先生の後ろ姿を見る。普通に歩いているだけなのに、足取りが軽そうに見えた。
好きなことがあるだけであんなに幸せそうに生きれるんだ。
いつのまにか先生の後を追っていた。
「先生」
振り向いて、立ち止まる。
「どうしたの?」
「私もレポート読みたい」
「え。僕これから本の続き読むんだけど」
嫌そうな顔をする先生に意地悪な笑顔を向ける。
つづく
