[16]【昨日とは違う、崩れなかった朝】人生が終わった日も、朝のコーヒーだけは飲んでいた。-新聞配達編-
■この物語は筆者の実体験をもとに執筆しています。
・正直、極限まで恥をさらしています。
・僕が生きてきた記録(ノンフィクション)です。
・ほぼ毎日更新を目指しています。
【昨日とは違う、崩れなかった朝】
午前1時。
コーヒーをいれる。
湯気が立つ。
カップを両手で持つ。
昨日までと
何も変わらないはずなのに、
今朝は少しだけ違った。
一口飲む。
うまい、とは思わない。
でも、苦い気がした。
ほんの少し、
味が戻った気がした。
気のせいかもしれない。
それでも、その気のせいに
少し救われた。
地図を開く。
昨日も見た。
一昨日も見た。
契約の切れた家。
新しい家。
入り組んだ道。
分かりづらい表札。
不安は、まだちゃんとあった。
また間違えたらどうしよう。
また誤配したらどうしよう。
その考えは消えない。
でも今朝は、
ただ怖がっているだけじゃなかった。
表札を見る。
番地を見る。
地図を見る。
確認してから入れる。
頭の中で、
何度も順番を繰り返す。
自信なんてない。
でも、やることの順番だけは決めた。
それだけで、
呼吸が少し浅くならずにすんだ。
販売所に着く。
いつもの匂い。
いつもの明かり。
いつもの空気。
皆、普通だった。
社長も宮本さんも、
もう一昨日のことを
引きずっている感じはない。
それなのに僕だけが、
まだ少し置いていかれていた。
新聞を揃える。
チラシを挟む。
昨日ほど手は震えない。
でも、慎重すぎるくらい慎重だった。
一枚。
確認。
もう一枚。
確認。
宮本さんが横で見ながら言った。
「固い、固過ぎるな。」
怒ってる感じじゃない。
いつもの声だった。
「はい。」
「まぁ、ええわ。
慌ててまたミスするよりマシや。」
そう言って、
自分の作業に戻っていく。
その言葉で、
少し肩の力が抜けた。
慌てるな。
今日の僕に必要なのは、
たぶん速さじゃない。
まずは、
崩れないことだ。
配達に出る。
まだ暗い。
空気が冷たい。
バイクを止める。
表札を見る。
番地を見る。
地図を見る。
新聞を入れる。
次の家。
また同じことをする。
また次の家。
また同じことをする。
遅い。
自分でも分かる。
でも、今日は
ただ遅いだけだった。
一昨日みたいに
頭が真っ白になることはない。
昨日みたいに
ポストの前で固まったまま
動けなくなることも少ない。
怖さはある。
でも、その怖さを
順番で押さえ込んでいく。
表札。
番地。
地図。
確認。
投函。
子供に言い聞かせるみたいに、
頭の中で何度も繰り返す。
分かりづらい家の前では、
やっぱり一度止まる。
暗い。
表札が見えにくい。
でも今朝の僕は、
止まったまま焦らなかった。
一歩下がる。
街灯の下で地図を見る。
番地を確認する。
もう一度、家を見る。
合ってる___。
そう思ってから入れる。
ガタン。
小さな音がして、
胸の奥で固まっていた何かが
少しほどける。
速くはない。
スマートでもない。
それでも今日は、
昨日みたいに
自分で自分を追い詰めていなかった。
走りながら思う。
怖くなくなったわけじゃない。
慣れたわけでもない。
ただ、
怖いまま動くやり方を
少しずつ覚えてきただけだ。
たったそれだけのことなのに、
今の僕にはそれが大きかった。
ふと空を見ると、
星が広がっていた。
冷たい空の上で、
それだけがやけに遠くて、静かだった。
いつからだうろう。
星空を美しいと思うようになったのは。
星空が応援してくれている気がした

配り終えて、販売所へ戻る。
今日も電話が鳴るたび、
身体は少し反応する。
クレームかもしれない。
誤配かもしれない。
その考えは、まだ消えない。
でも昨日ほど、
心臓を掴まれる感じはなかった。
社長がまた
パソコンを見ながら言う。
「昨日よりいいじゃん。」
それだけだった。
大げさに褒めるわけでもない。
でも、その一言が
妙に胸に残った。
宮本さんも言う。
「その調子でいい。
慣れたら速くなる。」
僕は
「はい。」
と返した。
昨日と同じ返事のはずなのに、
今日は少しだけ
声が前に出た気がした。
自信がついたわけじゃない。
もう大丈夫だと
思えたわけでもない。
明日の朝になれば、
また不安になるかもしれない。
それでも___。
今朝の僕は、
怖さの中で
ちゃんと手順を守れた。
昨日と同じ道を走ったのに、
昨日と同じ自分ではなかった。
前に進んだ、
なんて大げさな話じゃない。
ただ今日は、
昨日みたいに崩れなかった。
それだけだった。
でもその
「それだけ」
が、今の僕には
十分すぎるほど大きかった。
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4/21更新
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「人生が終わった日も、朝のコーヒーだけは飲んでいた。」
【第一章・失踪編】
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【第二章・新聞配達編】
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