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藤原京|奈良を生んだ都──何もない世界遺産から始まる旅

飛鳥・藤原、その先の奈良へ|第1回

世界遺産登録をきっかけに、私が知っている奈良から、その始まりへ向かって、
少しずつ時間を遡ってみようと思う。

最初に歩くのは、藤原京である。


世界遺産登録の日

世界遺産登録、おめでとうございます。

韓国・釜山で開かれている世界遺産委員会で、「飛鳥・藤原の宮都」の登録が決まった。

この日を目指して長い年月を重ねてこられた世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会をはじめ、
研究者、行政、地域の皆様に、深い敬意を寄せたい。

私はその瞬間を、千葉県流山市の自宅で迎えた。
YouTubeで配信されていた中継を開き、画面の向こうの会場と同じように、登録決定の知らせを待っていた。

奈良を離れて、十五年以上になる。
それでも、その知らせは遠い場所の出来事には感じられなかった。

登録が決まったとき、最初に浮かんだのは、石舞台でも高松塚古墳でもなかった。

奈良公園からさらに南へ向かった場所に広がる、藤原宮跡の風景だった。


奈良公園から、さらに南へ

今回、世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」は、一つの寺院や遺跡だけを指すものではない。

橿原市、桜井市、明日香村に点在する宮殿・官衙跡、仏教寺院跡、古墳など、
十九の構成資産から成っている。
飛鳥と藤原という二つの宮都を通して、日本に中央集権的な国家の仕組みが形づくられていった時間を伝える、一つの世界遺産である。

奈良と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、東大寺や興福寺、鹿のいる奈良公園の風景だろう。

そこから近鉄電車を乗り継ぎ、一時間ほど南へ向かう。
大和西大寺を過ぎ、橿原へ入るころには、車窓の空が少しずつ広くなっていく。
その先には、飛鳥がある。

大和三山に囲まれた藤原京は、その途中にある。

私たちがよく知る平城京の奈良から、その一つ前の藤原京へ。
そして、さらに古い飛鳥へ。

今回の旅は、ここから始まる。


何もない世界遺産

藤原宮跡を初めて訪れた人は、少し戸惑うかもしれない。

そこには、往時を思わせる大きな宮殿も、朱塗りの門もない。
広い草地と田畑があり、その向こうに畝傍山、耳成山、天香久山が見える。

春には菜の花、夏には蓮、秋には一面のコスモスが咲く。
花の向こうには山があり、その上には、遮るもののない空がある。

世界遺産と聞いて思い浮かべる景色とは、少し違っているかもしれない。

けれど、しばらくそこに立っていると、何もないことが、かえってこの場所の広さを感じさせる。
大和三山はそれぞれの場所に静かに収まり、その間を風が通り抜けていく。

千三百年以上前、この広い土地には都があった。
役人が行き交い、遠くから人が集まり、日本という国の輪郭が少しずつ形づくられていった。

宮殿も、役所も、今はその姿を残していない。

それでも、大和三山は同じ場所にある。
かつてここを歩いた人たちも、折々に顔を上げ、この三つの山を見ていたのだろう。

残っていないものを、空と山の間に思い描く。

藤原宮跡は、そういう場所である。


虹がかかった日

私が藤原宮跡の前を通るようになったのは、観光のためではなかった。

奈良に住んでいた頃、秋になると義父の契約した飛鳥のみかんの木へ向かうことがあった。
みかん狩りの日には、義父を含む三人兄弟とその家族、そして六人の孫たちが集まり、
みかん畑は一年でいちばん賑やかな場所になった。

畑は急な斜面にあった。
枝から切ったみかんを落とすと、そのまま斜面の下まで転がっていった。
足元に気をつけ、手にしたみかんを落とさないようにしながら、一つずつ籠へ入れていった。

収穫を終えた帰り道、何度も藤原宮跡の前を通った。

ある日、大和三山の向こうに大きな虹がかかった。
思わず車を止め、シャッターを切った。

あの頃は、この場所が世界遺産になるとは思ってもいなかった。
ただ、その風景を残しておきたかったのだと思う。

今、その写真を見返すと、写っているのは虹だけではない。

急な斜面に立ち、転がるみかんに気をつけながら、家族みんなで収穫した時間まで、そこに重なって見える。

私にとって藤原宮跡は、古い都の跡であると同時に、家族の記憶が残る場所でもある。


奈良を生んだ都

藤原京は、日本で初めて都全体を計画的につくった、本格的な都といわれている。

その後、都は平城京へ移った。
東大寺も、興福寺も、鹿のいる奈良公園も、その後に重ねられていった時間の中にある。

藤原京には、本(もと)薬師寺もあった。
天武天皇が皇后の病気平癒を願って建立を始めた、薬師寺の始まりの場所である。

かつては、その伽藍が平城京へ移築され、現在の薬師寺になったと考えられていた。
しかし発掘調査によって、本薬師寺は遷都後もしばらくこの地に残っていたことが分かっている。

今では、西ノ京の薬師寺は、本薬師寺の姿を受け継いで新たに造られたと考えられている。

私にとって薬師寺は、奈良で最も好きなお寺である。
だから、本薬師寺の跡に立つと、奈良へ移ったのは建物ではなく、
祈りだったのかもしれないと思う。

私たちは奈良を訪れると、すでに形になった奈良に出会う。
大きな寺院があり、仏像があり、長く守られてきた風景がある。

藤原京に立つと、その一つ前の時間が見えてくる。

奈良は、はじめから今の姿だったわけではない。
都が移り、人が動き、祈りや文化が受け継がれながら、少しずつ奈良になっていった。

飛鳥と藤原の宮都は、その後の平城京をはじめ、日本の都の形成と発展にも大きな影響を与えたとされている。

今回、世界遺産になったのは、目に見える建物の姿だけではない。
失われた都を、今も想像することができる、この土地の広がりも、その一部なのだろう。

何もないように見える場所に、奈良へと続く長い時間が眠っている。

藤原京は、奈良を生んだ都だった。


南へ、もう少し

この連載では、時間を少しずつ遡りながら、それぞれの場所に残されたものと、
失われたものの間を歩いてみようと思う。

最初に訪れたのは、藤原京。

次は、南へもう少し。

六〇九年に造られたと伝わる日本最古の大仏が、千四百年あまり、人々を迎えてきた飛鳥寺へ向かう。

飛鳥・藤原、その先の奈良へ

世界遺産登録をきっかけに、私が知っている奈良から、
その始まりへ向かって、少しずつ時間を遡る全4回の旅。

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