🗾 📖 やんごとなき不敬罪。番外編「自分の場合 ― 天皇制にハマっていた20代」
👩🦰 母になって思ったこと
25歳で息子を産んだとき、心から思いました。
「この子のために、いい日本を未来に残したい」
それまでは私はずっと一人で、
生きる意味も見えず、何度も自殺未遂を繰り返していました。
「死んでもどうでもいい」――そう思っていたのです。
でも、子どもが生まれた瞬間、すべてが変わりました。
「もし戦争が来たら、この子をどう守れるのか」
「絶対に送り出したくない、でも戦争になったら送り出さなきゃいけないかもしれない」
👉 送り出せない。
👉 でも、送り出さざるを得ないかもしれない。
その二重の恐怖が、母になった私の心にずっと居座りました。
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👴 おじいちゃんの思い出
私のおじいちゃんは、若い頃に満州へ行っていました。
でも幼い私に話してくれたのは戦争のことではなく、
「おじいちゃんはな、服部半蔵と友達でなぁ〜」という、
孫を楽しませるための優しい嘘でした。
本当の戦争体験はほとんど聞けないまま、
私は19歳のときにおじいちゃんを亡くしました。
もし生きていたら、本当の気持ちを聞きたかったと今でも思います。
📘 ゴーマニズム宣言との再会
子育てで本から離れていたある日、
デリヘルの仕事で訪れた一人暮らし男性の部屋で
『ゴーマニズム宣言』を見つけました。
私:「あ、私ゴーマニズム宣言好きやねん。最近読んでないけど…」
男性:「もう読んだから、あげるよ」
久しぶりに手に取った『ゴーマニズム宣言』。
その中の戦争論を読み返したとき、再びアハ体験が訪れました。
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📗 自虐史観からの脱出
当時の私は
「日本が戦争してすいません」
「おじいちゃん世代が戦争したから悪かったんや」
と思っていました。
でも戦争論を読んで、初めて多面的な見方を知りました。
「時代背景の中で、日本が戦争に突入するのは避けられなかったのでは」
「今の価値観だけで断罪してはいけないのでは」
その視点に触れたとき、私は初めて
「日本を見直す」という気持ちを持てたのです。
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⛩ 靖国神社と勉強会の時期
・靖国神社で教育勅語を買い、額縁に入れて飾っていた。
・「英霊の言の葉」を全巻集めて読み、特攻隊の最後の言葉に涙した。
・当時の夫がOi punk(愛国パンクというジャンル)で、ケンカは日常的なことより近代史や主義主張のことが多かった。
・その流れで話があっていたので一緒に、雨宮処凛が所属していた右翼団体「民族の意志同盟」の勉強会にも何度か足を運んだ。
👉 今振り返れば、それは「戦争にハマった」というよりも、
「天皇制という仕組みにハマっていた20代」でした。
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🎭 まとめ
母になる前は、生きる意味もなく
「もうさっさと死にたい」と思っていた。
でも母になってからは、
「子どもの未来を守りたい」
「戦争に送り出すなんて耐えられない」
という強烈な思いが芽生えました。
偶然の再会から『ゴーマニズム宣言』を読み直し、
私は改めて「本当の歴史を知りたい」という渇望に火をつけられたのです。
👉 子どもの未来を考えるからこそ、
歴史と天皇制を直視した。
それが私の20代の原点でした
正直、ここで説明しきれる話ではありません。
1話から読んだら、たぶん伝わると思います。
日本の歴史OSをどう見直そうとしているのか、
その入口として書いたのが、この第1話です。
あわせて、本文中に挙げている参考資料・参考noteもどうぞ。
私の「生きなおし」はここにある。
子どもが私を生かせてくれた。
それでも、子どもと私の生活の中で
どうしようもないこと、大変なことがたくさんあった。
それも誰かの参考になれば幸いです。
私が『ゴーマニズム宣言』を読む以前、
その前身である『おこっちゃまくん』が、宝島に2ページ掲載されていた時代から、私は小林よしのりの作品を読んでいました。
当時はバンドブームの真っ只中。
私は中学3年生から高校1年生、15〜16歳の頃です。
その頃から読んでいたため、
久しぶりに手に取った『戦争論』は、
「今、こんなことを書いているのか」という距離感を持って読むことになりました。
『戦争論』が賛否両論を呼び、
一次資料にならないという批判があることも承知しています。
それでも私にとってこの本は、
何かを考え始めるきっかけになった一冊であったことは事実です。
当時、『戦争論』は大ベストセラーでした。
東京・お台場で行われた「ゴーマニズム大パーティー」にも足を運びました。
また、その時代に
雨宮処凛さんと知り合うきっかけにもなりました。
雨宮処凛さんと私は同世代です。
ここは、
その「時代」と「距離感」を記録として書き残しておきたいと思います。
雨宮処凛さんとの出会いや、当時のことは、また機会があれば書きたいと思います。
