発達障害の私が恵比寿で知った、誕生日が過ぎてもケーキがもらえた理由。
どうも、作家・絵本作家・画家のよりみちです。 昨年の誕生日って覚えている? 私は覚えていない。 大人になると、子どもの頃のように誕生日を祝うことも少なくなった。 そんなある日、私は東京の恵比寿にいた。 なぜ、恵比寿なのか?
渇望願望、という言葉を聞いたことがある?
「相手の渇望願望をくすぐれ」
マーケティングの本で、よく出てくる言葉だ。だから販売期間3日のみ!とか、残り5席!とか言うんでしょ、という話。希少性を作る。手に入りにくいと思わせる。渇望させる。
リクツはわかる。
そして、ある人にこう言われたことがある。
「よりみちさんは行動しすぎ。貴重性を作らないと。」
消費される、ということだ。
詳しくはこの記事を読んでほしい。
この記事を書いた数日後、私は2人の女性と会う約束をしていた。
まず、駅を間違えた。
最初に白状する。
集合場所は、恵比寿駅だった。
なのに私は、高輪ゲートウェイ駅にいた。
なぜ。
急いで向かった。電車に乗りながら、行動しすぎと言われる人間が、なぜ間違った駅にいるのかと思った。それはたぶん、関係ない。 以前、掛川と御殿場の位置を間違えた。
恵比寿駅。 駅に着いて、改札を出た。東口。
森田さんからメッセージが来た。
東口にいる、と。
森田さんも東口にいた。
正解は西口だった。
私たちは似た一族なのかもしれない。間違える方向が同じだった。2人でルート走行のように、西口に向かい、合流できた。 「おまたせ!」 そこへ、ニューヨーク警察官、いえ、颯爽と大崎さんが現れた。
西口から。
正しい出口から。
ニューヨークのパトカー刑事は、道を間違えない。
森田かえさんのこと
2人のうちの1人目、森田かえさんに最初に会ったのは、去年の11月だった。
正直に書く。
そのときの彼女の印象は、水彩絵の具を水でうんと薄めたような感じだった。
悪口じゃない。これからどうなるか決まっていない、そういう淡さ。色はあるのに、まだ薄い。そういう印象。
でも今日、改札から歩いてくる彼女を見た瞬間、私は思わず目を細めた。
変わっていた。
濃くなっていた。 そこには当たり前だが 彼女が名乗る取材ライターその人。 いや、属人性として森田さんがいた。 足の運び方なのか、目の据わり方なのか、うまく言語化できない。でもとにかく変わった。 戦友、という言葉が頭に浮かんだ。
古い言葉に「男子三日見ずば刮目して見よ」というのがある。三日で人は変わる、よく見ろという意味だ。古い言葉だから「男子」と書いてあるけれど、今はそういうくくりじゃない。人は、三日で変わる。
いや、もっと正確に言えば…
本人が「こうなりたい」と思えば、そのセルフイメージを具現化する。
それを私は目の前で見た。
そして同時に、小さな問いが生まれた。
では、私は?
半年前の私と、今日の私。濃くなっているか。薄まっていないか。
「消費される側」という言葉が、ここで重なった。
大崎 沙織さんのこと
2人のうちの2人目、大崎さんは、私が連れてきた人だ。
今年の1月、あのセミナーの場で、私は森田かえさんに「仲間が必要なんです。」と。
そのときに現れたのが、大崎さんだった。
最初に会ったとき、思った。この人は止まらない、と。
あれもこれも、常に動いている。考えながら次の手を打って、打ちながらまた考えて。まるでニューヨークを疾走するパトカーの敏腕刑事みたいに動く。サイレン鳴らしながら、でも確実に目的地に向かっている。
その大崎さんが、ある日、私に言った。
「よりみちさん、忘れ物!」
私がお店に置いてきたバッグを、ママチャリで届けてくれたのだ。
ニューヨークのパトカー刑事が、ママチャリで。
この人のことが、私はすごく好きだ。格好いいところと、そういうところが、同じ人の中に同居している。
読んでいる方、ツッコんでいいです
「よりみち、あなたは何をしているの?」と。
作家で絵本作家で画家のよりみちが、駅まで間違えて、平日の昼間に恵比寿で会合している。行動しすぎと言われたくせに、また会いに行っている。貴重性を作れと言われたのに、また動いている。
そう、その通り。
でもここで、少し過去に戻る。それは…
私はこれまで、どうやって今の場所に来たのか。
よりみちの、生き方の話
2026年1月。私は初めての有償セミナーを開いた。
初めて、だ。有償で、だ。
それが、満席になった。
森田さん、大崎さんをはじめとする運営陣が動いてくれた。私一人では、絶対に満席にできなかった。彼女たちが仲間になってくれたから、できた。
ではなぜ彼女たちが仲間になってくれたのか。
出会いがあったからだ。
問いをかけた。会いに行った。ご縁が生まれた。仲間になった。何かを成した。
これが、私の生き方だ。
マーケティング的に正しい行動ではないかもしれない。渇望願望をくすぐってもいない。希少性を演出してもいないかもしれない。
でも、これで動いてきた。
岡本さんとの話
もう一つ、こんな話を聞いてほしい。
2025年7月。私はXで、ある編集者に出会った。岡本さん、という方だ。
その出会いが、1冊の商業出版につながった。
『発達障害のよりみちが、それでも生きる理由。』
計画して動いたわけじゃない。Xで問いをかけていたら、ご縁が動いた。岡本さんが現れた。そこから書籍化になった。
完璧な計画より先に、ご縁が動く。
私はずっと、そうやって発信してきた。
そして先日、5月29日。書籍の出版記念スペースで、岡本さんと話した。
そのスペースの中で、岡本さんは私をこう評した。
「天の邪鬼」
天の邪鬼は、翌日、5月30日には商業絵本『よりみちが生まれた日』のサイン会した。
「行動しすぎ」
「貴重性を作れ」
「消費される」と言われる私が、天の邪鬼。
なんだろう、と思った。でも、なんかわかる気もした。
みんなが「希少性を作れ」と言う方向に行くとき、私は「会いに行く」と言う。みんなが「待て」と言うとき、私は動く。みんなが「計算しろ」と言うとき、私はご縁に従う。
天の邪鬼で、いいのかもしれない。
初めて、見せた。
食事の前に、もう一つ大切なことがあった。
私はさなえさんと一緒に、ある商品を開発している。
その商品を、この日、さなえさん以外の人に初めて見せた。
森田さんと大崎さんに。
2人とも、興味を示してくれた。それぞれの意見を言ってくれた。
ありがたかった。
3年以上、発信してきた。イベントを主催してきた。その中で骨身にしみていることがある。
商品は、独りよがりにしてはいけない。
自分がいいと思っても、届ける相手がいる。その相手の目で見てもらわないと、独りよがりになる。自分の熱量だけでは、人には伝わらない。
だから今日、見せた。
2人の反応が、正直だった。
それだけで、来た意味があった。
事件は、食事の後半で起きた
3人で、お店に入った。
約束していたお店だった。食事をして、話をした。
「そこでさ…」と私が得意げに話す。まさに、どこかの大統領のように。
そのとき、店員さんがテーブルに来た。
ケーキを持ってきた。 そのケーキには花火がついている。 夏祭り? ちがった。
よりみちの、誕生日ケーキだった。
私の誕生日は6月5日。
誕生日のnote記事
今日は6月9日だから、少し過ぎている。でも2人は決めていたのだ。少し過ぎてしまうけど、祝おう、と。
後から聞いた話がある。
2人が最後まで悩んだのは、チョコケーキにするか、チーズケーキにするか、だったと。
ここで公言する。
どちらも好きだ。
どちらでも良かった。でも2人が悩んでくれたことが、どちらより嬉しかった。


承認欲求という自己診断について
話に夢中になっていたら、サプライズが来た。
これが、人に会うということだ。
計画していない何かが、起きる。
「人が好き」と書くと、「承認欲求でしょ?」という声が来る。外から来ることもあるし、自分の中から来ることもある。
正直に言う。その声は間違っていない。
私は人に会うとき、確かに何かが満たされる。誰かと話して、笑って、少し黙って、また話して。その時間の中で、自分が「今ここにいる」という感覚を強く持てる。それは承認欲求と呼んでいいと思う。
でも、それは悪いことなのか。
承認欲求があっても、誠実に関わることはできる。自分が満たされたいからこそ、相手を大切にしようとする。自分が嫌われたくないからこそ、相手の時間を大事にしようとする。
動機が不純でも、行為は誠実でありうる。
今日、ケーキの前でそれを確かめた気がした。
貴重性が薄れる怖さと、それでも会いたいという欲望
もう一つ正直に書く。
会えば会えるほど、人は「特別」ではなくなっていく気がして、怖い。
初めて会ったとき、人は謎に満ちている。その謎が出会いを豊かにする。でも何度も会ううちに、謎は解けていく。慣れが生まれる。
それが怖い。
だからマーケティングの「渇望願望をくすぐれ」という言葉は、人間関係にも当てはまるのかもしれない。希少性を作る。会いすぎない。そうすることで、相手の中での自分の価値を保つ。
頭ではわかる。
でも今日、私はサプライズケーキの前に座っていた。
駅を間違えた人間が、東口に立っていた人間が、貴重性を演出できない天の邪鬼が、誕生日を祝われていた。
戦略とは、まったく関係ない場所で、何かが起きていた。
生き方がヘタで、いい
「生き方がヘタ」と言われる。
貴重性を作れない。行動しすぎる。渇望願望を演出できない。駅まで間違える。
そうかもしれない。
でも私はうつから回復した人間だ。動けない時期があった。人に会えない時期があった。外に出るだけで消耗していた時期があった。
その時期を知っているから、今、動けることが、会えることが、嬉しいのだと思う。
問いをかける。 人に会いにいく。 ご縁が生まれる。 仲間になる。 何かを成す。
それが、よりみちだ。
天の邪鬼で、わがままで、生き方がヘタで、駅を間違えて。
それでいい。
怖くても自信が確実についてきている。 それが3年以上、発信してきた成果だと思う。
「また」という言葉
別れ際、3人でしばらく立っていた。
「また会いましょう」と言って、別れた。
この「また」という言葉が、今日の夜もずっと耳の中に残っている。
梅雨の湿った空気の中を、一人で電車に乗った。 その時、森田さんの言葉を思い出した。 「よりみちさんは、そのひたむきさが、みんなが応援したくなるんでしょ」 言葉がない。 ケーキの時に泣きそうになったが、泣かなかったのに。 電車で1人、頬が熱くなった。
貴重性なんて、作れなかった。 駅を間違えて、東口に立って、それでも来た。 そのひたむきさだけが、私にあるものだった。 それで、いいのかもしれない。 それで、生きていける気がした。
人生ってなんだろう? 私は貴重性を演出できないまま、間違った出口へよりみちして、笑顔で「ここにいます」と言いたい時がある。
それでいい。
私のアカウント全てが、私の説明だ。証明だ。
いや、トリセツだ。
発達障害? 絵描き? 作家?
複数の顔がある。複雑に見えるかもしれない。でも私は一色のクレヨンにはなれない。
はみ出す。混ざる。間違えた出口で誰かと笑っている。
それが、よりみちだ。
貴重性を演出できなくていい。間違った出口から出てもいい。天の邪鬼でいい。
問いをかけて、会いに行って、ご縁をもらって、また動く。
日々のクレヨン画のように。
6月14日
だから、私はオンラインで絵本のつくり方会解説会をする。
