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持たざる者が不利な時代に、持たざる者はどうあるべきか?

権利ばかり主張する人の危うさ

「部下の育成は上司の仕事だ」「育成できない上司は無能だ」——SNSではこうした強い言葉をよく見かけます。

ところが、こうした主張をする人に限って、「飲み会は残業代が出るのか」「残業キャンセル界隈」といった自分本位な権利主張もしているケースが多いのです。

もちろん、上司は会社から部下の育成という評価軸を課されています。しかし、それは次世代が将来の幹部に育ってほしいという、終身雇用を前提とした時代の考え方でした。人材の流動性が高まり、転職が当たり前になった現代、上司の仕事は必ずしも「育成」ではなく、リソースを活用してKPIを達成することへと変わりつつあります。

斜に構えて言いたいことだけ言い、自分の権利だけ主張して他人を変えようとしない。そんな自分本位な人は、今後ますます不利になっていくでしょう。そして大抵の場合、そうした主張をするのは「持たざる者」です。持たざる者、つまり弱者の方が自分の権利を主張する傾向がある。これは今後もますます厳しくなっていくのではないでしょうか。

上司が部下を育てなくなる時代

上司が部下を正しく指導や育成する義務はないのですよね。

転職が増えた現代、企業側から見れば育成への投資はリスクを伴います。

  1. 新卒を育てた後で他社に取られるかもしれない

  2. せっかく育てたハイレイヤー層を外資系企業に引き抜かれるかもしれない

「研修所のように人材を送り出すくらいなら、育成をやめてしまおう」——そんな考えが出てきても不思議ではありません。

加えて、ホワイトカラーの仕事はAIに代替されつつあります。エントリー・ジュニアレベルのコンサルタント、エンジニア、弁護士、税理士といったアシスタント職の能力は、すでにAIの方がはるかに高い。すでに成熟したレイヤーにいる人は、正直そこまで問題ではないでしょう。しかし、これからエントリーする人にとっては深刻です。大学を出たばかりの若者がいきなり成熟した能力を持つのは現実的ではありませんが、能力だけでは絶対に勝てない相手がいるのです。

上司の立場から見れば、育成を「しなくてもいい」選択肢が生まれています。軸を持たないのであれば、目先のこととしてAIを使ってガンガン成果を出せばいい。ただし、会社が短期的な視点ばかりに偏ると、次の世代は育たなくなります。それは困りますが、現実としてそうした選択肢が存在するのです。

こうなると、本当にできない層にとってはハードモードです。

支え合いの構造が崩れるとき

いつの時代も持つ者は強い。持つ者がさまざまな意味で世の中を動かしています。社会は富裕層や高額納税者によって支えられています。「自分も税金を払っている」と言う人もいるかもしれませんが、払っている額は桁違いです。稼いでいる人の恩恵にあずかって、私たちは生活しています。

持つ者が我慢してくれているから持たざる者は生活できている——この構造は事実として存在します。しかし、その支え合いも含めて社会なのだと私は考えています。

そんな中、弱者側が自分の権利ばかり主張していたらどうでしょうか。持っている側は不快に感じるかもしれません。もちろん、気に留めないぐらい余裕がある人もいるでしょう。しかし、あまりにも度が過ぎれば不快に感じられ、支え合いの考え方は崩壊しかねません。

そして支え合いが崩壊したとき、不利になるのは間違いなく弱者側です。

納税システムや社会の仕組みは大きく変わらないかもしれません。高額納税者の負担を今後も高める方向に進んでいます。みんな平等に票を持っているため、マジョリティである弱者側の意見が通りやすい構造があるからです。

そもそも年収900万〜1,000万円を超えていない人は、社会保障を受けている側です。それ以外の納税者に支えられているのです。

私自身、何かがあったときや働けなくなったときに支えてくれる人がいる社会は大切だと考えています。ただ、ネットの風潮を見ていると、支えてくれている側へのリスペクトが欠けていると感じることが多々あります。

国や政府レベルの話であれば規模が大きく、すぐには崩れないでしょう。ただし、時間とともに崩れる可能性がないとは言い切れません。企業レベルで見れば、崩れる可能性は十分にあります。

私は2児の親です。子どもたちが無償で医療を受けられるのも、たくさん税金を納めてくれている方々のおかげだと感謝しています。そうした方々が失望して「日本から離れよう」と考える人が増えていけば、社会保障制度はなくなってしまうかもしれません。フリーライダーだけでは、社会は成り立たないのです。

施される側の心得

それでも人を育てようとしてくれるスーパーレアな人はいます。エンジニアの世界では「ジュニアを育てる気がない人はシニアではない」という主張もあり、これも正しいでしょう。

私自身も環境に恵まれ、育ててもらいました。本当にありがたかったですし、だからこそ自分自身も次世代をちゃんと育てることに貢献していきたいのです。

ただ、ここには見落としてはならないポイントがあります。

育ててくれる人、能力がある人が他を助けている状況は、教える側の気が変われば簡単に崩壊します。受ける側がそれを当然だと思ってはいけない。社会の仕組みとして権利があることは大切ですが、当然だと思った瞬間に価値を失い、見限られてしまいます。

常に自分がテイクするだけでなく、与えてくれる人に対してリスペクトする精神が必要です。それがない人は、すぐに見限られるでしょう。

逆に、与えてもらう立場にいる人間が、施されることを当然だという態度をとっていたらどうでしょうか。与える側や施す側がその傲慢さを感じたとき、「この人にはもういいや」となってしまうのは当然です。

高額納税者が税金を払うことを当然だと思っていませんか。私は、すでに与えてくれている人たちに対して、感謝の思いを忘れたくないと考えて生きています。自分が与える立場になれるときは、しっかりと与えていきたい。

ただ、私も人間です。受け取る側が「当然だろう」という態度でいるなら、与えたいとは思いませんし、不快に感じる可能性は大いにあります。

これからの時代に価値を持つ「人間力」

「残業キャンセル界隈」「飲み会はお金が出るんですか」「プライベートと仕事は分けたい」——これらは個人の価値観であり、それ自体は問題ありません。

ただ、そう言ったときに、与える側がどんな気持ちになるか。本当に相手の目線に立って考えられているでしょうか。自分さえよければすべてよいと思っていませんか。

強者の立ち位置に常にいるなら、自分さえよければ生きていけます。しかし、弱者側、持たざる者の立ち位置にいる場合に「自分さえよければすべてよい」という考え方をしていると、周りから人が減っていきます。そして弱者から抜け出せなくなる。それを忘れてしまっては危険です。

これまでは、人間力が低くても腕っぷしが強い人やスキルがある人は、なんとかなってきた側面がありました。しかし、技術やテクノロジーの発展により、スキルの差は埋まってきています

むしろこれからは、「この人と一緒にやりたい」「この人といると気持ちいい」と思わせる人の価値が高まっています。

この人間力の高さは、年齢に関係ありません。学生でも人間力が高く、すごく気持ちいい人がいます。逆に年を取っていても、人間力が低く「この人とは付き合いたくないな」と思わせる人もいる。そこが本当にフラットに見られる時代になっています。

相手を喜ばせたい、目の前の人を笑わせたい。そう思うことができる人は、私は尊いと考えています。

持たざる者が不利な時代、技術進化により人間でなくてもできることが増えた時代。そこに人間として生きることで価値があるもの、それは「気持ちよさ」ではないでしょうか。周囲の人に「この人と一緒にいたい」「この人と付き合い続けたい」と思わせる人間力。

私は間違いなく、それを自分自身の本質だと捉えています。さまざまな価値観があって当然ですが、1つの考え方として参考になれば幸いです。

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