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【長嶋茂雄】M89星雲へ帰還。ミスターありがとうスペシャル「生涯ドラ1破天荒列伝」

未来永劫「4番サード長嶋」

2025年6月3日6時39分、長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督が、永い眠りについた。享年89歳。まだ梅雨入り前にも関わらず、この日は朝から雨が降り止まない

ミスター・プロ野球を生んだ千葉県佐倉市も、ゆかりが深い静岡県伊豆の国市も、自宅の田園調布も庭の東京ドームも。

サムネ画像は立川駅南口から見える、存在感抜群のビル看板だ。立川のWINS側といえば、ミスターのセコム看板と言っても大袈裟ではない。

普段は立ち止まることのない雑踏も、この日だけは全く違う顔を見せていた。雨足に打たれるミスターを疎らながらも、傘を差した行き交う人々が見上げている。これこそが本当の涙雨だ。

そして海を越えた向こうでは、ミスターの訃報を受けた大谷翔平がMLBトップに並ぶ23号アーチを叩き込む。それも試合を見る限りでは、全球ホームラン狙いだった。そんな打ち方など普段は滅多に見せない。

この件について大谷本人のコメントはないので、真相は分からないが、天晴れ過ぎる粋な計らいだ。同時に大谷翔平が自ら、新たな時代の幕開けを告げる狼煙を上げた瞬間でもある。

だからといって「4番サードといえば長嶋」と誰しも即答できる、昭和の鉄板代名詞が変わることは永遠にない。新たな「二刀流大谷」とともに、これからも「4番サード長嶋」は語り継がれていく。


スーパースター枠の頂点に立つ男

そもそもスーパースターと呼ばれる人は、当然いつの時代も一握りしかいない。大谷翔平はもちろん、サッカーならキングカズこと三浦知良、ボクシング界では井上尚弥といったように。

そんな彼らでさえ「スーパースター」と称える存在が長嶋茂雄だ。キングカズは、ミスターの訃報に「サッカー界の長嶋茂雄のような存在になりたい。何をしても華があって、サマになる。すべてが絵になる」と綴った長文の追悼コメントを寄せている。

そうした一方、ドラマや映画化で一世を風靡した野球漫画「ROOKIES」の作者、森田まさのりの𝕏ポストも絶妙だ。まさにミスターがテレビに出るだけで、みんなが笑顔になる。本当に太陽のような存在であった。

今回のタイトルに用いた 列伝 といえば、通常は複数の人を紹介する場合に使うのが一般的だ。それだけミスターは「数多の顔」を持っていた。

大谷翔平とは一線を画す、唯一無二な二刀流のエンターテイナーでもある。


華麗なるミスターチルドレンの面々

チルドレンと言っても、長男の長嶋一茂のことではない。ミスターが二度の監督時代に育てた教え子たちだ。

ダブル国民栄誉賞の師弟関係で大々的に報じられた松井秀喜をはじめ、高橋由伸上原浩治、最後の教え子である阿部慎之助ら長嶋チルドレンは数知れない。子どもというより、実際は孫に近い年齢差ではあるが。

彼らは第二次監督時代の教え子だが、初期の面々も半端ない。昭和の怪物「江川卓」、イチローが登場する前のリーディングヒッター「篠塚和典」、元祖絶好調男「中畑清」らを育てた。

こうした大器を開花させる慧眼にとどまらず、ドラフトで4球団競合の末、見事に怪物ゴジラを引き当てた黄金の右手も実は語り草だ。残念なことに、晩年は脳梗塞の後遺症により封印となってしまったが。

とはいえ左手一本でも、ミスターが国民に与えた勇気は計り知れない。リハビリに励む奮闘の日々はもちろん、国民栄誉賞の授賞式で見せた片手スイングもしかり。

第二次監督時代にストッパーとしての才能を見出した條辺剛とのエピソードは、晩年のミスターを語る上で外せない。

選手としては短命で、引退後は埼玉県ふじみ野市で「讃岐うどん 條辺」を開業。 インスタ画像の「じょうべ」は、実際にミスターが左手で書いた屋号だ。リハビリ中のミスターからサインを送ってもらい、それを暖簾用にアレンジしている。いわばミスター渾身の貴重すぎる揮毫だ。


偉業だらけのミスター劇場


ナベツネ伝説

初めてスポットライトを浴びた條辺を見届けるような形で、ミスターはこの2001年シーズンをもって監督を勇退している。そして野球チンプンカンプン男で名高いナベツネこと渡邉恒雄の一声により、ミスターは読売巨人軍終身名誉監督の就任が決定した。

読売新聞グループ本社の主筆にして、政界フィクサーの異名をとったナベツネは、ユニフォームを脱いだミスターについて「長嶋監督は英雄であり神様だ」とコメントしている。

野球に関しては「唯一まともなナベツネ発言」と大きな反響を呼んだ。もちろんナベツネから神と呼ばれた人物は、ミスターを置いて1人もいない。

なにせナベツネは超が付く毒舌の御意見番で、生涯辛口を貫き、最後の独裁者と呼ばれたほど。裏を返せば、それだけ重みを含んだ言葉でもある。

幻の大リーガー1号

そんなナベツネも認めるミスターには、まだまだ伝説が尽きない。大谷翔平のセコムCMで知られる、まだ若かりしミスターが実はMLBからオファーを受けていた、という件だ。

オファーの話は1966年にドジャースから持ち掛けられたもの。ところがアメリカでは、この4年前からミスターに注目していたという。

ミスターは1962年に俳優の石原裕次郎とアメリカへの正月旅行に出かけ、MLBのホームラン記録を更新したロジャー・マリスとの対面を果たしていた。

それでも結局は「自分が抜けたら巨人が勝てなくなる」とオファーを拒否。その際には「平凡な中距離バッターで終わってしまうだろう」といった趣旨のコメントも残している。

野球界初の文化勲章

文化勲章とは、90年近い歴史を有する文化人の最高名誉。その名の通り、絵画や陶芸といった文化芸術の分野を中心に、これまで約380人が授賞している。特にスポーツの分野は、ミスターを含めて3人と異様に少ない。

2008年にスポーツ分野の第1号として門戸が開かれ、2021年のミスターで2人目。過去には俳優の高倉健、映画監督の黒澤明、現代アートの女王こと草間彌生らも文化勲章に選ばれている。

まさに昭和を代表するビッグネームと並べても、まったくミスターは引けを取っていない。時流を経て、いわば成るべくして成った野球界の巨星だ。


ミスターゆかりのパワースポット

この寺院とミスターの関係性は、あまり知られていない。埼玉県飯能市に鎮座する能仁寺で、スポーツ寺とも呼ばれている。先代の住職が、かつて報知新聞社の巨人軍担当記者をしていたことから、これまで多くのジャイアンツ選手と深い交流を続ける寺院だ。

その面々も王貞治・長嶋茂雄のONコンビはもちろん、彼ら巨人V9戦士を率いた元祖「野球の神様」こと川上哲治監督といったレジェンドクラス。知る人ぞ知るジャイアンツ伝統のパワースポットである。

2016年に先代住職が亡くなられた際には、ミスターが通夜に参列したほど。レジェンド女子プロゴルファーの岡本綾子も、能仁寺ゆかりの著名人として知られている。

ちなみにラッキーアイテムも

能仁寺とは別に、実は黄色いテントウムシのピンバッジがミスターお気に入りのアイテム。正式名称はキイロテントウで「幸せを運ぶ虫」といわれ、実際に目にできれば「支援者を得る前触れ」との言い伝えも。

大のミスターファンで有名な徳光和夫も、このピンバッジを愛用している。


「笑える」伝説の長嶋語録

やはり、ミスターに辛気臭い話は似合わない。上記の画像にある迷ボキャブラリーを振り撒き、常に国民を笑わせてきた天然キャラの元祖だ。

徳光和夫が実際に体験した回顧によると、近くにいた記者に突如として「鯖って(字)どう書くんだっけ」と質問してきたことがあったという。その記者が鯖の字を書いて見せると、ミスターは「魚偏(うおへん)にブルーか」と返してきたそうだ。

さすがはミスター。ただものではない。

もう1つのエピソードは、前述を遥かに上回る。知り合いの結婚式に招かれたミスターが、急な発熱により断らざるを得なくなった時の話だ。

乾杯の挨拶を頼まれていたミスターは、律儀にもタキシード姿で知人の前に現れ、断りの旨を伝えたという。この後日談として、徳さんから「どのくらい熱が出ていたんですか?」と聞かれたミスターは「3割7分8厘」と答えたそうだ。

恐るべし長嶋語録。まだまだ氷山の一角だが、以下の迷語録も、なかなか読み応えがあるぞ。


ミスターならでは仰天エピソード

上記は、水泳のバサロで一時代を築いた鈴木大地の𝕏ポストだ。兎にも角にもミスターは、何をしでかすか分からない行動力の持ち主でもあった。一般に広く知れ渡っているエピソードでは、監督時代の通称「代打ジェスチャー」だ。

球審に代打選手を告げる際、同時にバントのジェスチャーまで見せてしまうので、相手に当然バレバレ。そのまま本当にバントを仕掛けてくるから、完璧に見破られてアウトになる。

以下の巨漢マルティネスも、それに似たパターンの1つだ。

「代打マルちゃん」

球審に「代打、マルちゃん」と伝えた際、ミスターは自身の腹の前で大きな円を描くジェスチャーまで見せた。敵チームにはもちろん、一発でマルティネスと分かる仕草だ。

結果は見事に凡退。普通の監督なら、決して許されたものではない。盟友の王貞治もミスターの訃報を受けて語っていたことだが、まさに「長嶋さんなら何でも許される不思議な存在でした」に尽きる。

それとは別に、マルちゃんといえば元祖ドミニカン。今でこそドミニカ出身の助っ人は当たり前のように重宝されているが、当時は比にならないほど少なかった。後述の巨人史上最強助っ人右腕に上げられる、ガルベスもドミニカ出身だ。

いわば彼らが日本の道を拓いたと言っても過言ではない。

マッキー完全試合事件

槙原寛己といえば、第2次長嶋政権の投手陣を支えた先発右腕の1人。平成唯一の完全試合を達成した投手で、異名はミスターパーフェクトだ。このパーフェクトゲームが懸かった試合中に、ミスターはやらかしてしまう。

いよいよ完全試合が現実味を帯びてきたゲーム終盤、ミスターは円陣を組んだ際「いいか、パーフェクトなんて言ったら槙原が緊張するから絶対に言うんじゃないぞ」と大記録達成を気遣う。

ところが、円陣の中には当の槙原本人も加わっていた。それで達成してのけるのだから槙原はもちろん、ある意味でミスターの神がかったマジックともいえる。

実はこの前年、シーズンオフにFAの権利を取得していた槙原。わざわざミスターが、バラの花束を持参して槙原の自宅を訪れたエピソードも有名だ。その際に「お前が、来年必要だ」と情熱を注がれ、槙原は残留を決意している。

ミスターが監督でなかったら、マッキーの偉大な記録も達成されていなかっただろう。

ビートたけし「ゴルフ誘われたのに」

前述の徳さん同様、ビートたけしもミスターの大ファンで知られる1人。たけしは、ミスターのファン層が最も多い団塊世代だ。世界の北野が、ミスター長嶋を「神」と崇めるのも無理もない。

そんな2人のエピソードは、たけしがフライデー事件を起こした半年後のこと。ミスターに「たけしさんは僕のファンだから」と言われ、ゴルフに誘われたいう。

ところが当日、ゴルフ場に到着した「たけし」は強烈な天然パンチを浴びることに。

たけしを見るや否や、ミスターが発した第一声は「あ~たけちゃん、誰とゴルフですか?」だ。たけしは、絶句して戸惑う。しかも、そのまま通り過ぎているから手が付けられたものではない。

それでもハッとしたのだろう。踵を返し慌てて戻って来たミスターは「あっ、ごめんごめん。誘ったのは僕だったけ」と最後は平謝りで終わったという。

ガルベスにブチ切れるも丸坊主

最後は、珍しくミスターが鬼の形相になった一幕だ。際どい投球判定に、次第に不満を募らせていったガルベスが遂に爆発。元から超絶短気な男だ。被弾でマウンドを降ろされた腹いせに、あろうことか球審に詰め寄ってしまう。

さすがのミスターも、これにはカンカンだ。ミスターが、ガルベスと球審の間に入り、強制的にベンチまで引き下げる。ここから、ガルベスが球審を目掛けてボールを投げつける、もうひと悶着があった。

まさに球史を汚した、前代未聞の乱闘騒ぎだ。ミスターは翌日、頭を丸めている。それでも向けられたマイクには「暑かったから」と長嶋節は揺るいでいない。


実は「89星人」だったことが判明

プロ野球のペナントレース元年といえば1936年。4月下旬に開幕戦を行っているが、この2カ月前にミスターは産声を上げている。

ちなみに、ミスターの誕生日にまつわるエピソードも、人間離れした国宝クラス。それは第一次監督時代の1976年5月下旬、王貞治のバースデーアーチで試合に勝利した時のこと。

試合後の監督インタビューで、ミスターは「いいなぁ。ワンちゃん凄いな。僕はね誕生日にホームランというものを打ったことがないからね。なんで打てなかったんだろう」とコメント。

その場を取り囲んだ番記者陣をフリーズさせたという。

そりゃそうだ。ミスターの誕生日は2月20日、まだオープン戦すら始まっていないのだから。

話を本線に戻すと、鳴り物入りで入団した、1年目のシーズンオフに東京タワーが開業。高さ333mの東京タワーに対し、背番号3のミスターは惜しくもトリプルスリーと三冠王を逃すデビューイヤーだった。

ミスターのトリプルスリーと三冠王については、以下の記事でも解説してある。

まだ当時は、ドラフト制度が始まる前。もしドラフトが導入されていたら、それはもう断トツ1位指名で間違いない。なにせ当時は東京六大学野球の方がプロを凌ぐ人気で、その渦中にいた超目玉選手がミスターだ。

六大学のホームラン新記録を打ち立てた(当時)ことで、さらなる人気に拍車をかけている。

大学時代は長嶋フィーバー、プロ入り後はミスタージャイアンツ、現役引退時には「国民的英雄」と大衆が涙を流し、2度の監督時代を経て「野球の神様」だ。

晩年はメディアに登場する機会も徐々に減っていったとはいえ、一瞬でもミスターがテレビに出ようものなら忽ち話題になる。こうして時代毎の注目度を振り返ると、ミスターの人生は常にドラフト1位でしかない。

今年はペナントレースの設立から89年で、ミスターも89歳。なおミスターが旅立った前日の6月2日は、大学1年生の時に亡くした父・長嶋利氏の命日でもある。

奇しくも6月3日は、国民的長寿番組「開運!なんでも鑑定団」の人気企画、出張鑑定団でミスターの故郷「千葉県佐倉市」が放送されていた。

長男の長嶋一茂は、ミスターの最期について「父・長嶋茂雄は野球の星に帰りました」というコメント文で結んでいる。これこそ言い得て妙だ。ミスタープロ野球は、まさにウルトラマンのような人であった。

気まぐれなミスターのことだから、たまには大好物のフカヒレ姿煮そばでも食べに、はるばるM89星雲から帰って来てくれるに違いない。


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ドラ穴「ドラフト89アナザー」 松井稼頭央がPL学園時代に打ち立てた「大阪大会の奪三振記録」は未だ破られていない。