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鏡を砕き、眼鏡を磨く:歴史学における「理論負荷性」と対話の倫理


1.理論への拒絶と、不可避的な「眼鏡」の存在

―宮崎市定と落合淳思から見る「歴史像」の構築

 東洋史学の泰斗、宮崎市定はその名著『東洋的古代』で、「私は理論から出発して歴史を研究することを好まない。私にとって時代区分は相対的なものであり、便宜的なものであるにすぎない。」と述べた。宮崎がここで向けた切っ先は、当時、歴史学の「正解」として君臨していたマルクス主義史観、すなわち唯物史観に向けられていた。人類史は生産力の発展に伴い、奴隷制から封建制、資本主義へと単線的に進化するという決定論的フレームワークは、多様な歴史事象を特定の鋳型に流し込み、その鋳型からはみ出す「ノイズ」を切り捨てることで成立していた。
 このような「理論による歴史の歪曲」に対する嫌悪は、現代の落合淳思による『「王」の誕生』にも鮮明に受け継がれている。落合は、中華人民共和国における公式な「歴史学」が、今なお唯物史観の呪縛の下で殷代を奴隷制社会と定義し、史実を教条に適合させるよう「捏造」している様を厳しく批判する。
 しかし、ここで注目すべき逆説がある。唯物史観を激しく排撃した宮崎自身が「唐宋変革論」という極めて理論的な時代区分論を提唱し、落合もまた「ゲーム理論」という現代的な分析枠組みを、古代中国の国家形成の説明として導入しているという点だ。彼らは理論を拒絶しながらも、バラバラの史料を一つの「歴史像」として結晶化させるために、何らかの理論的補助線を引かざるを得なかったのである。

2.観測の理論負荷性と「客観性」の解体

ー科学哲学とローティーが暴く「真理」の幻想

 科学哲学において、「観測の理論負荷性」という道具立てがある。人間の観測は決して中立的ではない。網膜に映る光の刺激を「意味のある像」として認識するためには、観測者が事前に持っている概念、知識、関心という「眼鏡(理論)」が不可欠である。歴史研究においてこの理論負荷性は、史料の「選択」と「読み解き」、そして事実を語る語彙そのものに含まれる「意味づけ」という二つの局面で生じる。認識主体から完全に独立した、唯一の「客観的な歴史」などというものは、一種の哲学的幻想に過ぎない。
 こうした認識の限界に対し、素朴実在論(過去を鏡のように写し取れるという立場)に代わる地平を提示したのがリチャード・ローティーである。ローティーは、哲学の目的を「真理という鏡の研磨」から「対話の継続」へと転換させた。彼によれば、私たちが手にしているのは世界を正しく写す鏡ではなく、特定の時代や文化に制約された「語彙」の束である。ある歴史像が他よりも優れているのは、それが「真理」に近いからではなく、私たちの現在をより良く説明し、未来への対話をより豊かにしてくれるからである。

3.「対話の継続」という新たな誠実さ

―相対主義を越え、再帰的な歴史学へ

 では、全ては主観的な物語に過ぎないという相対主義に陥るべきだろうか。そうではない。歴史研究における共理解の土台として提案されるべきは、客観性という独善的な盾ではなく、「再帰的な透明性」である。歴史家は、自分がどのような理論的眼鏡(理論負荷性)をかけているかを公に明示し、その眼鏡を通じて抽出された因果経路が、論理的整合性と史料批判の手続きをパスしているかを、共同体の中で検証し続ける必要がある。
 政治学における集合論的事例研究(QCA)が示すように、結果に至る経路は一つとは限らない(多重妥当性)。複数の歴史家が異なる眼鏡をかけ、複数の因果経路を提示すること。それらが互いに批判し合い、対話を続けるプロセスそのものが、歴史学の「客観性」に代わる「堅実さ」の定義となる。
 宮崎市定が理論を嫌ったのは、それが対話を終わらせる「ドグマ」に変貌したからであった。私たちは、唯一の正解という幻想を捨て、自らの眼鏡を磨き続けなければならない。歴史とは、確定した過去の記録ではなく、異なる眼鏡を持つ者たちが、過去という広場で繰り広げる終わりのない対話そのものなのだから。


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