守られなかった子どもが、関わり方を選べる大人になるまで
時系列はうまく整理できなかったのですが、
愛着障害やアダルトチルドレンという問題にまつわる実体験の記事をまとめました。
親とは何か
守る人、育てる人、世に送り出す人、私にとって父は、そのどれでもなかった。
この世に生み出す役割は担ってくれた。命はもらった。それが、父から確かに受け取ったものだ。
幼い日の温もりの記憶
私は3歳になると親族の家に預けられた。
3つ下の妹も同じように3歳で親族宅へ移ってきた。なぜか離れて暮らす家族。そして厳しすぎる育ての親。
それ以前の記憶は少ないが、父に公園でブランコを押してもらったことやシーソーで遊んだこと、手をつないで歩いたこと、肩車をしてもらったことと、その嬉しかった気持ちは覚えている。
そのわずかな温もりの断片が、長い間、私を縛っていたのだと思う。
壊れた家族を元に戻したいという想いは、そこから生まれていた。
母の死と父の変化
母が癌で亡くなったのは、私が11歳、妹が8歳のときだった。あっという間だった。
父は、母が生きている間は一度も浮気をしなかったが、その後は常に相手がいて途切れることがなかった。母を引きずっているらしく、籍を入れることは一度もなかったが、大抵、相手は常にいる状態。
母の死から2〜3年後、母の生命保険は、その時付き合っていた女性とその子どもたちにすべて使われたと聞いた。そのことを父は、笑いながら自慢のように話すことがある。
妹と私、それぞれの環境
妹は小学生までは私より成績が良かった。
それでも私たちが育った家では、褒められることはなく、3つ年上の私と比べられては怒られてばかりだった。
妹と同じ歳のはとこは妹より要領の悪い子だったが、そのことを理由に、その子の母親からも強くあたられていた。
私はその理不尽さを常にかわいそうに感じていた。と同時に、なぜか苛立ちも覚えていた。
子供の私は妹を守れなかった。
当時の私は余裕がなく、厳しい環境で必死に生きていた。
むしろ自分を守るために、妹を盾にしたこともあったと自覚している。妹が怒られれば私は怒られないから。
苛立ちと言うのは、妹に対してではなくて、守れない自分に対してだったのだと、今となっては思う。
姉妹の道の乖離
大人になるにつれて、妹を守れなかったことへの罪悪感が強くなった。
「私が助けなければ」という気持ちは年々大きくなったが、思えば思うほど、妹からは「お姉ちゃんとは違う」と距離を取られた。
彼女は「優秀じゃないから」と自分を下げ、私を拒絶するようになった。
私は反骨心から有名大学に進学していた。
妹は高校をやめ、家を出てその後も生活に苦労が続いていた頃だった。大学生の私には、これ以上何をしてあげられるかわからず、なす術がなかった。
妹が見た父
妹は13歳から15歳まで父と暮らした。
その間、父には妹と同世代の子を連れた相手がいて、家族ぐるみで旅行に出かけたりもあったようだし、父が夜に帰ってこない日も多かった。
妹はそれを当事者として直近で見ていた。
当時、高校生〜大学生の私は離れて暮らしていたが、その様子が断片的に親戚づたいで耳に入ってきていた。
心が壊れていくような気持ちだった。
家族修復への執着
3歳以下の頃にあった温もりの記憶と、成長してから見聞きする父の姿の落差は大きかった。
「元に戻せるはずだ」という思いが、私を長く縛っていた。
父と小さい頃に一緒に過ごせなかったことで、父に父性が育たなかったのだろうと考え、なぜか自分を責めた。親と一緒に暮らしたいと言わなかった私がいけないんじゃないかと考えていた。
そして、なぜか私が家族を修復しなければならないと思っていた。
自分の傾向を知る
私には混合型の愛着傾向がある。
相手に近づきたい気持ちと、傷つく前に距離を取ろうとする気持ちが同居している。
行動はアダルトチルドレン的で、相手の問題まで背負い込み、変えようとしていた。
妹や父を救いたいといった考えが、そもそもアダルトチルドレン的なのだった。
今の関わり方
父を変えようとは思っていない。
ただ、最期には満足して笑って人生を終えて欲しいと思っている。
それが、私が後悔しない関わり方だと考えている。
数年前に父が癌になったとき、父がそのまま亡くなったらどう感じるかを想像した結果、この結論に至った。
だから何も求めないけれど、後悔のないように関わっていきたい。もちろん近づきすぎれば、自分が傷つくから、その境界線ギリギリで。してほしいことがあるなら、してあげたいと思う。
妹に対しても、今は変えようとはしない。
NLPを学べば役に立つのではという思いはあるが、本人が望まなければ意味はない。
私には苦しそうに見えても、それが本人にとっての幸せかもしれない。
そもそも救いたいということ自体が上から目線なのだ。
だからこそ、私に何かあったときに少しでも財産を残せるようにと考え、今は働いている。
これらもまだアダルトチルドレン的なのかもしれない。
NLPとの出会いと変化
31歳でNLPを学んだ。
それまでの私は、過去の出来事と自分の反応を切り分けられず、「性格」や「宿命」として抱え込んでいた。
感情のパターンや人間関係の反応は、長年染みついたもので変えられないと思っていた。
NLPを学ぶ中で、自分が無意識にどんな前提や信念(ビリーフ)を持ち、それが行動や感情の選択にどう影響しているのかを理解できるようになった。
「私は守られない存在だ」という前提や、「私が何とかしなければならない」という義務感が、どのように形成され、どんな場面で作動してきたのかが見えるようになった。
それらは単なる性格ではなく、過去の体験から作られたプログラムだった。
そしてプログラムである以上、書き換えることもできる。
安全や安心を感じられる記憶を呼び起こし、新しい反応パターンを体に覚えさせる。
これを繰り返すことで、以前なら無意識に選んでいた緊張や自己犠牲ではなく、別の選択肢を取れるようになった。
私にとってNLPは、「相手を変えるための技術」ではなく、「自分を選び直すための技術」だった。
愛着の穴を、誰かに埋めてもらうのではなく、自分で満たす方法を知った。
その変化が、父や妹との距離感を冷静に選べる今の私を作っている。
最後に
過去や他人は変えられない。
けれど、自分の反応や関わり方は変えられる。
使い古された表現だけれど、これが1番ぴったり。
もし、これまで諦めていた関係や、繰り返してきた感情のパターンが、自分で選び直せるとしたらどうだろう。
私が今、父や妹とどの距離で、どんな姿勢で関わるかを選べているのは、その学びがあったからだ。
NLPは、その選び直す力を誰にでも与えてくれる。
NLPで得た「自分を選び直す力」は、今の私の仕事にも大きく生きている。
人間の仕組みを深く理解できるようになり、人の成長や変化に関わるあらゆる場面で役立てられるようになった。
コーチングという限られた場面にとどまらず、企業向けの研修や組織開発でも成果を出せている。
人を変え、組織ごと変えることも可能な、万能なスキルを手に入れたと思っている。
そして今では、どんなにハードな環境にいる人の相談でも、揺らがずに向き合える。
本当に強くなったなと、自分でも思う。
著者プロフィール:
Effica株式会社 代表取締役
全米NLP協会認定トレーナー
柳下早紀
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