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『バッド・バニーの真実』 ①その軌跡

昨年11月に行われた満席のイベント『プエルトリコのお騒がせ男、バッド・バニーの真実』のレポートです。2月1日のグラミーの発表、2月8日のNFL・ハーフタイム・ショウに際し「バッド・バニーって何?」と思われた方、「グラミー賞ノミネートのアルバム『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』はどんな作品?」と思われた方などに、お楽しみ頂けたら。

(追記)と書いてたら、グラミー賞最優秀アルバム賞とっちゃいました。
メイン3賞の内最も重要な賞の受賞で、それだけでも快挙ですが、なにせ米国の音楽賞で全面スペイン語の作品でって、前代未聞。
バッド・バニーって何なのか?アルバムは何が魅力なのか、お楽しみください。

話し手:
岡本郁生(司会) :音楽ライター/番組制作者/プロデューサー/DJ
伊藤嘉章 :
音楽ライター/DJ(プエルトリコ在住5年)
高際裕哉 :
スペイン語圏文学・文化研究
Ayako :Mucho Mucho Mambo(DJイベント)オーガナイザー
    /Diablo Marino(プエルトリコ音楽”Bomba”のグループ)のメンバー

(左から)岡本、伊藤、高際、Ayako

1.バッド・バニーとは?

――では「緊急開催」ということで始めたいと思います。
 
ここに集まっていらっしゃる皆さんには、改めて言う必要もないかと思うんですが、Bad Bunnyがあれだけヒットして話題になっているのに、日本じゃほとんど知られないところがあります。私も音楽ライターやFM番組制作をやってる中で、2026年2月に行われるアメフトNFLの決勝戦のハーフタイムショーに出ることが話題になり、少しずつ関心を持つような人も出てきた。
 
彼はプエルトリコ人ですが、彼のアメリカでの活躍を話題にするときに、「プエルトリコ移民」とかっていう言葉を使っちゃう人がいるんですよね。「移民」っていうのは基本的には別の国に移住するということなんで、アメリカの市民権をもつプエルトリコの方々は移民ではないわけです。「移住」とか「引っ越し」になるわけですよね。
 
今のトランプ大統領になるときの選挙のイベントでも、あるコメディアンが「プエルトリコというゴミの島がある」みたいなことを言って大ヒンシュクを買いましたが、あれも、プエルトリカンは移民だろう、みたいな。
 
要はアメリカ人もそうだし、日本人も分かってないっていうか、理解しようともしてない、知らない人もいっぱいいるということもあり、これだけ話題になっていることを改めて考えてみようということです。
 
今日の話者をご紹介したいと思います。
 
まず司会の岡本です。音楽ライター/番組制作者/プロデューサー/DJをやっています。そして、音楽ライター/DJの伊藤嘉章さん。プエルトリコに5年在住経験があります。ちなみに伊藤さんと私は、『ゼロから分かるラテン音楽』(世界文化社)という本を先日出しまして、バッド・バニーの紹介も書いています。

 

伊藤:先日もう一冊、『都市のリズム』(鹿島出版会)という本も出しました。いろんな都市とその街で生まれた音楽のことを18人の筆者が書いたものです。

『都市のリズム』(鹿島出版会)

どちらの本も、「エルポップ」(eLPop)という、岡本さんや自分も含め10人のラテン音楽の文章を書く人が集まったグループのメンバーにも寄稿してもらっています。本屋さんで見かけたら眺めていただけたら嬉しいです。
 
――で、隣はスペイン語圏文学・文化研究の高際裕哉先生です。今日は早稲田の授業から自転車で駆けつけていただきました。よろしくお願いします
 
高際:よろしくお願いします。
 
――そのお隣は、DJイベント「Mucho Mucho Mambo」を主催し、またプエルトリコ音楽の「ボンバ(Bomba)」を演奏・ダンスする日本唯一のグループ、「ディアブロ・マリノ」のメンバーのAyakoさんです。プエルトリコには何度も行かれています。

日本唯一のプエルトリコのボンバのグループ「ディアブロ・マリノ」

Ayako:よろしくお願いします。
  
――まず、皆さんがバッド・バニーを、どの辺から最初に知ったかってことから。ちなみに、Bad Bunny、英語的に言うと「バッド・バニー」で、スペイン語だと同じ「悪いうさぎちゃん」の意味の「エル・コネホ・マロ」っていいます。バッド・バニーの発音は、本人も地元の方も「バッド・ボニー」って言ってますね。バッド・ボニー、スペイン語関係の方は「u(ユー)」の「ア」が「ボ」になるんで、映画の「ワイルドバンチ(Wild Bunch)」っていうのも「ワイルドボンチ」みたいね・・・おさむちゃんが、みたいな感じですけど。
すいません、全然受けてないですが(笑)、じゃあ、伊藤さんから

 
伊藤:僕はプエルトリコには1995年から2000年の5年ほど住んでいて、その後も毎年1回は行ったんです。ちょうどレゲトンが盛り上がってくる頃。日本にも2003~4年にダディ・ヤンキーの「ガソリーナ」っていう曲で火が付いたわけですけど、バッド・バニーはその頃のオールド・レゲトン初期のあたりで育ってるんです。1994年生まれなので、「ガソリーナ」の時は10歳。その前後から彼は音楽にはまっていく訳です。

自分は向こう行くごとにCDとか・・・だんだん配信になりましたけど、買ってるとき、新しいアーティストの中で、2013年だったか2014年だったかまだ本当に若いバッド・バニーが出てきた。そこからです。

バッド・バニーは本名ベニート・アントニオ・マルティネス・オカシオ。ベニートとよく呼ばれてます。貧しくも金持ちでもない中流の出ですね。プエルトリコの首都の西方のバヤモン市で生まれて、近隣のベガ・バハ市で育ってます。お父さんはたしか運転手、お母さんは元小学校の先生。
地元の普通の学校も行きながら、音楽や野球なんか好きな普通の子で、高校の後プエルリコ大学のアレシボ校で学んでた事もあります。よく報道されてますが、そのころ地元のスーパー、ECONOでレジ係として働いていたり、ごく普通の、でも音楽とプロレス好きの兄ちゃんでした。

そして2015年16年くらいに音が変わってきて表に出てきて。シングル出してきた。
 
レゲトンというよりは、トラップやヒップホップに側に寄った音だったです。そして2017年とか18年の音が最高にチェンジした感じで良かったんです。そこから注目し始めて。その時、買ったのは彼の一枚目のアルバム『X 100pre』(2018)、でしたが、これすごい良かったんですね。
 

『X 100pre』(2018)

――『ポル・シエンプレ』っていうやつ。
 
伊藤:そこから注目しだした感じです。
 
――なるほど、では高際さん。
 
高際:2年くらい前に、カリフォルニアのコーチェラ・フェスがあったので、その時のショーの様子を、多分伊藤さんがSNSに流してくれて、それを見たんですよ。

それがちゃんとプエルトリコの歴史を追っている構成になっていて、ニューヨーク・サルサの話もそうだし、確かボンバとかプレーナの話もちゃんとやっていて、それを流した後に本人がバーンと出てきて、すごいなと思って見てたんですけど、ほぼここ2年くらいですね。 

――バッド・バニーの最新作だと思うんですけど、授業でいろいろ使われていると聞きましたが、どういう感じでやってるんですか? 

高際:まず、歌の歌詞を。 

――皆さんには資料をお配りしてますが、2枚目、3枚目、4枚目とか高際さんの資料を付けているので、後で見ていただければと思います。 高際:新しいアルバム『Debi Tirar Mas Fotos』のアルバム、これまだCD流通してないですよね。配信でみんな聴いてるんだと思うんだけど、YouTubeにバージョンがツーパターンあって・・・1つが、今ミュージックビデオで本人が出ている。 (下記例:"La Mudanza")

もう一つは映像の代わりにコラムがついてる。それが全曲用意されているんですね。
そのコラムのタイトルを、1枚目裏のレジュメに書いてあります。そしてレジュメの3ページ目には「絶滅の危機にあるプエルトリコの固有生物」というコラム(下記例:"Lo Que Pasó a Hawaii)をスペイン語と日本語の両方のせたんですけど、これは学生たちが授業で訳したんですよ。教材として。

その各曲についてのコラムはちゃんとプエルトリコ出身の歴史学者の人(Jorell Meléndez-Badillo)が書いている。やつで、長さもちょうど読解にすごく良いんですよね。出てくる語彙も、社会科学とか歴史の用語があるから、僕みたいな、人文畑の人間のスペイン語は、これ読むとかなり伸びるんです。すごく面白いです、このアルバムは、その楽曲のコラムが熱いんですよ。それに夢中になっていたんで、今日イベントに呼んでもらえたんだと思うんですけど(笑)
 
――アヤコさんは、さっき「ムチョ・ムチョ・マンボ」というイベントの主催・・・というふうにご紹介したんですけど、その一方で、ディアブロ・マリノっていうボンバ・バンドのリーダーということで・・・リーダー、実質リーダーですよね? やられてて、何度もプエルトリコに行かれているんですけど、バッド・バニーとの出会いと、その思いを語ってください

日本で唯一のプエルトリコ音楽の"ボンバ(Bomba)"のグループ「ディアブロ・マリノ」

アヤコ:にわかファン代表みたいな感じで今日は来てまして(笑)、本当にバッド・バニーで意識したのは、このアルバムからなんですよね。もともとサルサを踊っていて、六本木にもすごく通っていたので、レゲトンを聴くことはありましたが、一所懸命聴こうと思ったことはなかった。なので、今日はすごくお勉強をと。

あと、このアルバムがプエルトリコで今すごく流行って、プエルトリコでのバッド・バニーの1ヶ月間連続したコンサートに、私が知っているボンバ・ファミリーの方々がものすごくたくさん出演していて。なので、世界配信されたのは、涙が出る思いで見た、みたいな感じですね。

Cary Martínez Cepeda 
Rafael Cepeda Jr.

伊藤:アヤコさんはプエルトリコで、いろんなボンバのユニットで習ったり、お友達も持っていて、その中で、セペダ・ファミリーという重要なファミリーととても親しいんです。そこのセペダ・ファミリーの、すでに亡くなってしまいましたが一番の偉人、元祖の大親分みたいな人(ラファエル・セペダ)から3代目の世代が今、大活躍している。キャリー・セペーダとか、ラファエル・セペーダ・Jr.とかが、ガンガン踊ってましたよね。
 
アヤコ:あと、ボンバとの関わりっていうことで言ったら、一番最初にプエルトリコに行ったのは、たぶん2000年か2001年だと思うんですけど、その時に、サルサのレッスンの一環でボンバを習ったんです。私の先生はボンバが好きだったんで、それで習った授業がありまして、その先生の息子が今回のライブにも出てて、一番最初にソロを取っているんですよ。そういうのも、すごいいいなって思って。
 
伊藤:バッド・バニーがボンバとい伝統的な音楽を、今の世代の人たちと共に、彼の音楽へと作り上げているところもぐっときます。
 
――ということで、お三方、語っていただきましたけど、私もレゲトンを聴いている中で、2017年に、ビクトル・マヌエルっていうプエルトリコのサルサ・シンガーのアルバムにバッド・バニーが入っていて、サルサを歌っているんですよね。
それを聴いて・・・別にサルサを歌えばいいっていうわけでもないんだけど・・・若い子がレゲトンに行っている中で、若いやつでもサルサを歌えるやつがいるんだなっていうのをね、ちょっとそれ、伊藤さんと語ったような覚えがあるんですけど、でもこんなにすごいスターになるとは・・・という言い方も変ですけど、レゲトン・トラップ・シンガーとは、ちょっと彼の場合、別の道を歩んでいるような気がしてそれも面白いなと思うんですが。

改めてですが、Bad Bunnyがどういう人かというと、1994年生まれなので、例の大谷翔平と同じ年でございまして・・・
2016年に<ディレス>、これで大注目を浴びました。

            (”Diels”(映像なし))

伊藤:いわゆるレゲトンっていうよりは、トラップっぽい
 
――そうですね、トラップっぽいですね。
この年ぐらいに、「アオラ・メ・ジャマ」って確か、カロル・Gと共演のビデオも結構再生されたと思います。(2026.1現在 YouTube10億回再生)


2018年には、<I Like It>ですね。カーディ・ビー、J・バルビンとの。この時はですね、まだ坊主で、チンピラっぽい感じのね。

伊藤:これが流行ったおかげで、アメリカ・マーケットのリスナーが理解しやすくなった
 
――カーディ・ビーはニューヨークのドミニカン&トリニダードでしたね、この方ね。J・バルビンはコロンビアの大スター。なので、そこにいきなり新人で抜擢されるっていうのね。これもなんかすごいなと思ったんですけど。
 
伊藤:2018年って彼にとってはすごいエポックメイキングで、プエルトリコって、「バンコ・ポプラール」っていう銀行が毎年12月に年末用の音楽CD/DVD出すんですけど、大物に加え必ず旬のニュー・スターを取り上げる。2018年のバージョンにはやっぱりバッド・バニーが登場してるんです。子供時代の彼をテーマにした曲。2020年のアルバム『YHLQMDLG』に繋がる曲でもあります。


なので、やっぱり2017年から18年って、彼、やるじゃんって思われた年。まだアルバムは1枚目を出す前で、自分でいっぱい出していたシングル、コラボ作品が、良くて人気が上がって来たんですよね。
 
――「I Like It」は、さっき、伊藤さんの話もあった全米No.1ですね。まだまだチンピラっぽいのがいいなって思って。
 
伊藤:チンピラっぽいですよね(笑)。
 
――で、あと僕、思ったのはいい意味でデレっとしてるじゃないですか。1994年生まれで、さっき言ってたダディ・ヤンキーの「ガソリーナ」の大ヒットは2004年。なので、ちょうど10歳くらいの時のレゲトンのブーム。で、いろいろ読むと、ダディ・ヤンキーとやっぱりエクトル・ラボーが大好きだったって書いてある。このデレっとした感じって、エクトル・ラボーに似てるなって僕はすごい思ってるところと、あとやっぱりその辺がヒバロっていうところに繋がりもすごい感じるところがあるんですけど、どうですか?

エクトル・ラボー

伊藤:そうですね、やっぱりプレ・レゲトン最初期って、いわゆるダンスホールから出てるわけなんですけど、プエルトリコに渡ったら、すごくそれがハードエッジな音になった。イビー・クイーンとか、ベイビー・ラスタ&グリンゴとか。いわゆる「アンダーグラウンド」の時代。丁度僕が向うに住み始めた頃。だけど、2000年初ころのダディ・ヤンキー以降はすごい歌謡性がすごく増してきた。

 (レゲトンが形になりつつある時代(1997)のイビー・クイーンのステージ)


そこの中で育ったから、一番ゴリゴリのハードなところっていうのは彼、直接通ってない。そしてお父さんはやっぱりサルサみたいのが大好きだったので、やっぱりそれらの音楽の中で彼の個性っていうのは出てきた。
 
あと歌い方ですね。どう見ても鼻が詰まってんじゃないか(笑)みたいな、これがダラッとした感じを出しますよね。
 
――これが癖になる感じがあると思うんですよ。
 
伊藤:そうですね、最初はなんだ?といううちに、癖になってきますよね。
 
――さっき言ったね、ビクトル・マヌエルとのサルサも、サルサのマナーにちゃんとのっとってやってるのがすごいなと思って。ちょっと簡単に経歴を。
 
2018年の『X 100pre』(①)の後、2019年にJ・バルビンと一緒に『オアシス』(下記②)っていうのを出して、その後に、『YHLQMDLG/ジョ・アゴ・ロ・ケ・メ・ダ・ラ・ガナ』(2020)(③)、で、『エル・ウルティモ・ツアー・デル・ムンド』(2021)(④)、『ウン・ベラノ・シン・ティ』(2022)(⑤)、『ナディエ・サベ・ロ・ケ・バ・ア・パガール・マニャナ』(2023)(⑥)。
この辺でもう全米総合一位になってるのはね、すごいですよね。

伊藤:全然日本では伝わって行かなかったと思います、日本で雑誌で取り上げたとこほとんど、ゼロだったと。でも向こうじゃもう次から次にチャートに入ってきてるっていう。
 
――「スペイン語であるにも関わらず」って言い方もあれですけども、全米チャート。ラテン・チャートではなく全米チャートのナンバーワンと。
 
伊藤:今、スクリーンに出してる「MIA」(2018)、ドレイクってカナダのラッパーとのコラボなんですけど、彼と一緒にスペイン語で歌っているんですね。


この曲もハードエッジな曲じゃなくて、そしてこういう歌がアメリカのチャートに入って。プロモーションビデオはプエルトリコのホーム・パーティーのシーンで。

2010年代の音楽って、よく思うんですが、やはりネット経由のミュージック・ビデオの力すごく大きくて、皆さんご存知の通り、TikTokなんかでも、ダンス・コンペティションみたいなのがあるじゃないですか。2013年のファレルの"Happy"みたいな。一つの音楽が出た時に踊り方を決めて、アーティストが出すとそれを全世界が真似して、各国で地元を背景に踊ってアップするとか。

そういうことって、2010年代以降のSNSをうまく使った手法の中で広がっていくわけですが、同時に例えばスペイン圏のミュージシャンとかが、どういう背景のところで歌って踊っているのか、すごく個人がダイレクトに掴めるようになっている。「都市とリズム」って本でも書いたんですが、スマホ、SNS、海底ケーブル網おのおのの飛躍的強化、それが2010年代以降だった。
プエルトリコじゃこういうところでパーティーやっているんだ。いいんじゃね?って思った奴、結構いると思うんですよね。
 
――伊藤さんから見ても現地の雰囲気っていう・・・
 
伊藤:このまんまですね。現地ではこの後ろの方に、若者の親父達も飲んでいるっていう、ソファでグタグタやっていて、若者が表でガンガン踊っているっていう、こういう感じですよね。
 
――高際さんとかアヤコさんはどうですか?この辺は。
 
高際:僕はもう全然知らなくて。印象としては、この時期日本でヒップホップとかがアベマとかで流れ始めて、ヒップホップ甲子園みたいなのやってて、僕、地元が北関東なんですけど、群馬の大泉のラッパーとかブラジル系の方が出てきて、こんな感じの作りでやってたかなっていう印象はあります。
これ2018年くらいだったら、なんかその北関東が変化してみたいな感じの、元がこれなのかなって気もしないでもないですね。地元の印象ですけど。
 
――アヤコさんは?
 
アヤコ:パーティーの感じは本当にこういう感じで、ドミノもやってるし、ライブとかがあると近所の人が椅子持って、周りに座って飲んでるんですよね。お酒代払ってるかどうかちょっと分かんないですけど(笑)、勝手に来て飲んでて。盛り上がってるし屋外もやっぱり多い。・・・・・みたいな感じの店が多いんですよね。すごいこういう雰囲気があります。
 
――ドレイクとコラボするとか、組む相手が大物なんですよね。
 
伊藤:そうなんですよね。これやっぱり、彼の感覚の才能っていうか。いいなっていうのを取りこんだのもあるし、本人の戦略っていうのもなかなか鋭いですね。
 
――ですよね。
まだこの頃は坊主頭で剃りが入ったりしてるんですけど、この後ちょっと髪伸びてくる。あと、歌手活動の他にも、ご存知の方も多いと思うんですけど、プロレスやってるんですよ。昔、子供の頃からプロレス大好きだったということで。
 
伊藤:プロレスの映像出しましょうか、
 
――これまた笑えるっていうかね。
自分の曲で登場するっていうね。そりゃそうだろうって感じです。
 
伊藤:彼ちっちゃい頃から好きなんですよね、プロレスね。

これ何年くらいですかね?

――2、3年前じゃないですか。2023年とか。パンツでやってるからカルバン・クラインのCMもオッケー(笑)。パンツ似合いそうですよね。本当あの、「バッド・バニー、プロレス」で検索すると、いくらでも出てくるんで。
 
伊藤:みんな笑って見てますね(笑)。
 
――あとですね、ジェームス・コーデン(俳優、コメディアン、歌手、作家、プロデューサー、テレビ番組司会者。CBSの番組『レイト×2ショー』の司会)の「カープール・カラオケ」ってご存知ですかね。いろんな大物歌手と車の中でカラオケやるってあれにも出てて、その中で、なんでバッド・バニーって名前かっていうこととか、あとどういうアーティストなりたかったかっていうこと言ってるんですけど、なんか、「昔はその着ぐるみ着て、あんまり僕、顔を出したくないなかったんだよね」みたいなこと言ってるのも面白いと思ったんですよ。

伊藤:インスタにちっちゃい頃、そういうのをかぶらされて嫌な顔してるの出てましたね(笑)
 
――それを無理やり着せられて激怒したのが、バッド・バニーの芸名のきっかけだとかっていうね。ちなみにベニートっていう本名ですけどね。
 
伊藤:はい。
 
――あと、俳優でも結構活躍してて、ブラピの映画『新幹線/ブレット・トレイン』、これ殺し屋役で。この時って品川に来てるんですかね~?
 
伊藤:いやいや、絶対来てないと思う。シーンの看板とか笑っちゃうし、どう見てもニューヨークの地下鉄(笑)

――わお! 結構やるもんですよね。
あとなんか変なゴルフ映画とか、ゴルフ映画のキャディー役とかね。
あとね、ドラッグクイーンの役とか、結構俳優としても活躍してて、

 
伊藤:「かっこいい男」だけにしてないですよね。前にテゴ・カルデロン出てた「ファスト&フュリアス/ワイルド・スピード」、そういうやつはちょっとかっこいいとか悪いだけなんですけど、バッド・バニーっておかしな役も結構やりますね。
 
――コメディータッチもね、『俺は飛ばし屋/プロゴルファー・ギル』(原題:ハッピー・ギルモア)ていう変なゴルフ映画があるんですけど、それも最初、レストランの全然使えないウェイター役で。それって結構、プエルトリコ人を象徴するみたいなラティーノがバカにされてるみたいな。そこからキャディになって、ゴルファーになるっていう。
映画自体がめちゃくちゃな映画なんですけど、そういうのもやってたりとかね。


伊藤:そうですよね。一方でファッション雑誌、VogueとかGQとかいうところにガンガン出ている。

彼は、いろんなファッション、ユニセックス、トランスセックスな服と組み合わせを全然違和感なく着こなしてて、ファッション雑誌としてもファッションアイコンとして、どんどん前に出して行きたくなるのも分かりますね。

レゲトン創成期のマッチョでハードエッジな、ギャングスタやミソジニー、ホモフォビア色はある種のヒップホップと類似な所もありましたが、バッド・バニーは、そこは次世代。LGBTQ側な部分も作品からファッションに染み出している感じです。

『バッド・バニーの真実』 ② 躍進とプエルトリコへ 続く

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『バッド・バニーの真実』③アルバム『Debi Tirar Mas Fotos』その1へ
『バッド・バニーの真実』④アルバム『Debi Tirar Mas Fotos』その2へ

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