本格動画第 4 弾。自作曲「旅路の果てに」を添えました。
本格動画第 4 弾です。前回は後付けで自作曲をサウンドトラックに
配置したため、曲調に応じてシーンを延長しなければならなくなり、
ストーリー性がもともと希薄な場面転換がやや冗長なものになった
かもしれません。
今回は過去の自作曲「旅路の果てに(1979, 2019)」を最初にサウンド
トラックに置き、曲の小節線通過にあわせて動画素材の長さを切ったり、
BGM が主体となる工程をとりました。
それはそもそも大元となる 2023 年 08 月中旬の「自作曲を広めるための
手段として AI 描画に偶然遭遇した」に立ち戻ることでもありました。
そしてその後、自作曲の MV 制作という形で、AI 描画 / 動画化の
技術修練とともに歩んで来たものでしたが、それでも楽曲世界と
動画によるイメージの具体化がうまく馴染まない楽曲も少なくなく
一旦は原画の描画、動画化技術の試行錯誤の片輪のみを磨く時期が
長らく続きました。
その意味では久々にその黎明期の意図に立ち戻った実感があります。
まだ軽音楽スタイルでの作曲を本格化(1981 年)する前にカセット
LL レコーダ(英会話練習用に教材音声トラックの半分を消して自身
の声を録音出来る、アナログ・オープンリール・4トラックレコーダ
が 3 桁万円した時代の唯一のオーバーダビング機器)と黎明期の
単音シンセサイザ Roland SH-1 を使って手弾きの 2 声で 1979 年に
録音を遺して置いたものを、その時代の青年にとっては夢のまた夢
クラスに機材が充実した 2019 年に甲斐も意義もない理不尽な関東
幽閉生活から解放された後、自宅で制作完成したものです。
足かけ 40 年ですか…。執念と表現しても浅い感じがします。

ただ今回は楽曲が短く、1 分 28 秒しかないために各シーンのつなぎは
やや慌ただしくなったかもしれません。この再生時間では縦型の
ショートムービーになってしまいました。
(再生時は設定で最も高画質を選択ください)
自作曲「旅路の果てに(1979, 2019)」から想起されるイメージとは
異なっているかもしれません。一方、人類の歩んだ未来がここに見えると
いう解釈なら、作曲当時の目論見とは異なるものの、それほど乖離
したものでもないかもしれません。これは鑑賞者側の解釈に委ねます。
さて次回の本格動画に沿える自作曲はどうしたものでしょう。
「着想自体は若かった時代の素材を近年に扱った比較的、録音水準
が高い楽曲」としての最適な 2 曲を使ってしまいました。
suno.AI に頼ったサウンドトラック制作は気が進みません。
何故ならあれは当方が作った音楽には決してならないからですし、
また他者作品との比較においてそれを利用することは作品が没個性側
に倒れるだけのことですから。
仮に自作曲「旅路の果てに(1979, 2019)」や「長い夢から
覚めて(1981,1989, 2021)」を当方が断片的なアイデアだけを
suno.AI に投入してこの水準の楽曲が生成されるなら、きっと
共同作曲者(半世紀、それを人間に求めましたが甲斐なく終わり
ました。関東アンダーグラウンド・プログレの雄、Raphy 氏や
Presto 率いる白井氏との前世紀末でのメールベースでの長いご縁
は結局はニアミスに終わりましたが貴重な体験ではありました。)
として扱ったでしょうが、suno.AI にはそんな創造力は決して
ありません。suno.AI からはそれらの水準の楽曲は決して得られ
ません。
加齢のためか TPO 問わず一挙に末端枝葉までを天から授かるかの
ように楽想を得る体験は今はもう無くなりましたが、そんな過去
における自身の作曲能力を今の suno.AI が超えない限り、当方は
それを使う気にはなりません。
当方にとっては、それは所詮「おもしろツール」であって、現在
使っている多くの AI 描画ツール群のように「自身の内なる表現
能力を活かし拡張する魔法の松葉枝」には至っていないと考えます。
(….と表明して楽曲枯渇の尻ぬぐいを suno.AI へ安易に依存しない
よう自身に釘を刺しておきます。辛辣までに追い込んでいるのは
今一度の自身の創造能力に対してなのでした。)
ご覧いただきありがとうございます。
(2026/03/14 執筆)
