200年間読み継がれている小説の書き方(3)
メアリー・シェリー関連の膨大な資料を前に「そろそろまとめなくちゃなぁ…」と悶絶するじぃじです。そもそも著作権などという概念さえなかった200年前に書かれた小説が、今もって広く読み継がれていること自体が驚くべきことなんですけどね。もちろん1000年の歴史を誇る『源氏物語』のような例もある訳ですが「執筆の経緯を辿る事ができる」小説は200年ぐらいが限界なんでしょう。今回は、独断と偏見を交えて😜そのあたりを語ってみたいと思います。
18歳の少女が世界初のSF小説を書けたのは何故か?
おそらくメアリー自身は、自分の作品がのちにサイエンス・フィクションという新しい文学ジャンルを形成するタネとなることなどとは全く想像していなかったのでしょうが、(コロナ禍を経験した我々は慌てて再注目してる)『The Last Man』(『最後の人間』、あるいは『最後のひとり』)など、じぃじの世代であれば小松左京の『復活の日』を思い出させる本当に壮大なSFを書き残しています。それも100年以上前に。きっと、彼女の想像の翼は鋼のように硬質なんだろうなぁ…とじぃじは思ったりします。
小説『フランケンシュタイン』は2度改定された
ここでは小説『フランケンシュタイン』の出版歴を通して、この作品が文字通りの「怪物」小説になっていったプロセスを辿って行きたいと思います。2018年に『フランケンシュタイン』出版200年を記念して公開されたサイト「フランケンシュタイン・バリアント」によれば、小説『フランケンシュタイン』は2度改定されているそうです。
初版(1818年)
着想を得てから1年間かけて書き上げた。第2版(1823年)
夫パーシーの死去の翌年に出版された。第3版(1831年)
小説が広く知られるようになって再版された。
現在、我々が目にする小説『フランケンシュタイン』は、第3版がベースになっています。原作でよく話題なるのが冒頭部分の著者名と導入(イントロダクション)、序文(プリフェス)でして、初版では著者は無記名で導入はなく、序文は夫のパーシー・シェリーが書きました。第2版では著者名に「メアリー・シェリー」が記され、第3版では導入(イントロダクション)が追加されました。導入と序文は比較的短いのですが「作者自身が語る作品の舞台裏」ですので、この作品の研究者の間では重要なエビデンスになっているようです。
小説の着想:ディオダティ荘の怪奇談義
かの有名な「ディオダティ荘の怪奇談義」とメアリーがみたとされる悪夢は、第3版の導入(イントロダクション)で語られています。一般にはメアリーの小説家としての天分の才能を示す逸話として語られる事が多いのですが、注意深く読むと作品が書かれた200年前の時代背景を伺う事ができます。その一部をChatGPT に意訳してもらうと…
バイロンとシェリーの会話の中で、私は黙って耳を傾けていました。ある夜、生命の原理やそれが発見され得るかどうかという話題が出ました。ダーウィン博士(実際の彼の言動ではなく、当時そう語られていた内容)による「ヴァーミセリ(そうめんのようなパスタ)」が動き出す実験も話題に。死体を再生させる可能性、ガルヴァニズムによる生命の発現など、さまざまな着想が飛び交いました。
その夜、私は眠れず、夢と現実の境目にいました。目を閉じたまま、しかし心の目で、禁断の術を使う学生が、組み立てた死体のそばでひざまずく姿を見ました。機械の動作とともに、その死体がうごめき、恐るべき生命を帯びる――神の創造を模倣することほど恐ろしい行為はないでしょう。
芸術家はその「成功」に恐れおののき、醜い作品から逃げ出します。そして願うのです――この生命の火花が自然と消え、死んだままであってほしいと。しかし、彼は眠っている間に目を覚まし、カーテンを開けて、黄色く濁った目で自分を見つめている「それ」と対面する――。
私は恐怖で目を開けました。その想像があまりに鮮明で、現実に戻りたくてたまりませんでした。でも、まだその幻影は私の中にあり、逃れられなかったのです。そして思いました――この恐怖をそのまま物語にすればいい、と。
借金取りから逃れるため、破天荒で知られる貴族バイロン卿のスイスの別荘ディオダティ荘に転がり込んだメアリーとパーシー。結局、3ヶ月ほど別荘に滞在しましたが、冷夏でどこへも出掛けられず退屈していたバイロン卿の「皆でひとつずつ怪奇譚を書こう」という気まぐれに付き合う羽目になります。そもそも貴族の暇潰しなのでバイロンとパーシーはダラダラと哲学談義を繰り広げていた…と、ここまでは文学の世界では有名な逸話なんだそうです。
が、その二人の話題に登っている「ダーウィン博士」とは、進化論のチャールズ・ダーウィンの「偉大すぎるおじいちゃん」エラズマス・ダーウィンのことですし、「ガルヴァニズム」とはイタリアの物理学者ルイージ・ガルヴァーニが発見した「生物内で電気が発生し、またその作用によって生体の筋肉組織が収縮・痙攣する」現象のことです。つまり、二人は19世紀初頭の最先端科学について議論していたことになります。メアリーにとって初めて聞く話だったのかもしれませんが、一説によれば貴族の御曹司であったパーシーは若い頃当時の高等教育を受けており、家庭教師が試みたガルヴァー二の再現実験にも立ち会った経験があったとか。メアリーを悪夢に誘うには十分過ぎるリアリティのある話だったのではないか?とじぃじは考えてます。

エラズマス・ダーウィンは、蒸気機関で有名なジェームズ・ワットなども所属したルナー・ソサエティ(Lunar Society of Birmingham)なるコミュニティの一員で、彼らは19世紀初頭の英国の産業革命の勃興を支えた事業家たち、歴史の教科書ではエンライトメント(啓蒙主義者)として登場する人たちです。エラズマスは内科医であり高い教養を持っていたことからコミュニティの指導者的立場にありました。著書『ズーノミア』の中で、ガルヴァニズムなどから想起される「生命を単なる受動的な機械的な存在」と考える「生物機械論」に対して「内部に変化する能力や欲求を持つ有機的な生成的存在」と捉える、後のチャールズの進化論に通ずる視点を提起しています。
このエラズマスの「内部に変化する能力や欲求を持つ有機的な生成的存在」という捉え方は、現在のAIでも確認されている(?)創発現象を示唆しているように思えて、じぃじには非常に興味深いのですが…バイロンとパーシーのディオダティ荘での談義がそこまで深い内容だったか?確認できる術は無さそうです。ただ(前提知識の無いはずの)メアリーがこう言った科学的な議論をすっ飛ばして「そのような人造物(クリーチャー)が、もし自我を持つに至ったら?」と想像したことにはパーシーはさぞ驚いたことでしょう。
小説の執筆:英国パースとマーラウでの隠遁生活
残された手紙によると、メアリーとパーシーがスイスから帰国したのは1816年9月。敢えて借金取りの待つ英国に舞い戻った理由はただ一つ。『フランケンシュタイン』の出版が目的だったと思われます。人目につくロンドンは避けて、まずはバースに居を構えました。が、その翌月には前回お伝えした義姉ファニー・イムレイの失踪・服毒自殺事件が起きました。さらに12月にはパーシーの妻だった、ハリエットも自殺。特にメアリーにとって幼い時から長い時間をともに過ごして来た姉、その引っ込み思案を幾度となく揶揄ってきたファニーの本音を知ったメアリーの驚きは大きかったと思いますし、何より常々どちらかといえば軽く見ていた彼女を失った時の自分自身の狼狽や自責から、彼女の存在の大きさに気づいたことに大きな衝撃を受けたのだろう…とじぃじは想像しています。小説『フランケンシュタイン』では「見捨てられた存在」の慟哭が様々な形でクリーチャーに投影されたことは容易に想像がつきます。
じぃじが、ふと思い出すのは「ウェルズの法則(Wells's Law)」です。これはメアリーからほぼ100年後に登場した英国のSFの大家HGウェルズが語ったとされる、SF作品の執筆の極意「ただ一つの不可能、ただ一つの驚異を導入し、それ以外はすべて現実的に描写する」という原則で、その後の著名なSF作家、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、レイ・ブラッドベリなどに大きな影響を与えました。
1940年代〜1950年代から活躍し始めた彼ら、20世紀の「SFのゴールデンエイジ」の作家の多くは第2次世界大戦での従軍経験があり、復員後にSF作家として広く認知されるようになったので、男性上位の価値観に安住していた面々も多かったのです。当時、メアリーは「大衆演劇の定番演目の原作を書いた一発屋」程度にしか認識されていませんでした。おそらく彼らは、彼女が100年以上前に登場した最初のSF作家であったという事実は認めたがらなかったことでしょう😛
ともあれ、100年以上前に「人造人間」という科学の驚異を梃子にして、実在する「見捨てられた存在の慟哭」を描いた…というのが小説『フランケンシュタイン』の本質なんじゃないか?とじぃじには思えてなりません。この本質について、夫のパーシー・シェリーは自信たっぷりに、次のように書き残しています。
この物語の基礎となっている出来事は、ダーウィン博士やドイツの生理学者たちによって、完全に不可能とはされていません。とはいえ、私自身がそのような想像を真剣に信じているとは思わないでください。これは空想に基づく作品ですが、単なる幽霊や魔法の物語ではありません。
この作品の中心にある出来事は、物理的に不可能ではあっても、新たな状況を提示することにより、人間の情熱をより広範かつ力強く描き出す視点を提供してくれます。
私は人間性の基本原理の「真実性」を損なうことなく、そこに新しい組み合わせを加えることをためらいませんでした。ホメロスの『イーリアス』、ギリシャ悲劇、シェイクスピアの『テンペスト』『真夏の夜の夢』、そして何よりミルトンの『失楽園』も、この原則に従っています。最も卑小な小説家であっても、その精神を借りて散文小説に応用することは、決して僭越ではありません。
これは『フランケンシュタイン』の初版の冒頭にある(パーシーによる)序文の冒頭部分ですが「1817年9月 マーロウにて」と記されています。この序文が書き上がった時点では、彼はメアリーの可能性を信じて疑わない「ただひとりの人物」だったようです。
第2版:父ウィリアム・ゴドウィンの支援
1818年、『フランケンシュタイン』初版の出版を見届けると、すぐさまパーシーとメアリー の逃避行は再開されました。今度はイタリアに旅立ちます。その後、メアリーが再び英国に戻るのは1822年。天候不順による海難事故で、パーシーが亡くなってしまったからです。
パーシーの実家のシェリー家は準男爵の地位にある裕福な地方貴族でした。パーシーの父である当主のティモシー・シェリーとパーシーとは反目する間柄でした。保守的なティモシーにとって、ハーバード大学在学中に無神論を訴えて退学処分になり、その後も反体制思想へと傾くパーシーは、ティモシーにとってまさしく眼の上のタンコブのような存在だったようです。メアリーとの駆け落ちも、両者の関係をさらにヒートアップさせる出来事だったに違いありません。何故なら、彼女は英国では急進的思想家として著名なウィリアム・ダドウィンとメアリー・ウルストンクラフトの間に生まれた娘だったからです。急進的思想に憧れ、自由恋愛を嘯き、予測不能で無軌道な振る舞いを繰り返す息子に父親は激怒していたに違いありません。ですが、そんな両者の絆がなんとか保たれたのは、パーシーがシェリー家の唯一の跡継ぎだったからでした。
未亡人となってしまったメアリーは、既にこれ以上ないほどに関係が拗れていた夫の実家と、息子パーシー・フローレンス・シェリーの地位や養育を巡って難しい交渉をせざるを得なくなりました。シェリー家には、後継者であるフローレンスの扶養を義務づけられていましたが、その経済的支援の見返りとしてメアリーには様々な制限が課しました。例えば、パーシーが書き残した遺稿の出版の禁止。世間からは反政府思想と見なされていたパーシーの言動は、シェリー家にとって存続に関わる重大事でした。こういったシェリー家が出す様々な制限を受け入れることで、メアリーはフローレンスを育てる道筋を辛うじて確保しました。ですが、パーシー存命時とはあまり変わらない「日々を暮らしていくにも苦労する経済状況」にメアリーはありました。そんなメアリーを影で懸命に支援したのは、父ウィリアム・ダドウィンだったようです。彼も著名な急進派思想家として広く知られていたのですが、その内情(経済状態)は似たようなものでしたが、自ら出版事業を営んでいたコネクションをフルに活用して、メアリーが女流作家として独り立ちできるようにお膳立てをしたとじぃじは考えています。
パーシーの死の直後、メアリーはイタリアに居ながらシェリー家との難しい交渉を進めていました。パーシーだけでなく、彼との間にできた子供を何度も失っていたメアリーは、最後に残されたフローセンスだけは守り抜く決意で、その為であればどれほどの忍従を強いられても耐え抜く覚悟を固めていた…おそらくその時の彼女にはそれしか考えられなかったのでしょう。手紙で娘のその覚悟を知った父は、かつてその娘を身籠った時の妻メアリ・ウルストンクラフトが結婚を懇願したことを思い出したことでしょう。若き日、革新的な論客として名を馳せたゴドウィンは結婚制度も古い因習と公言して憚りませんでした。ですが、我が子の行く末を思う母親の思いを目の当たりにして考えを変え、世間からの嘲笑を覚悟してウルストンクラフトとの結婚に踏み切りました。ゴドウィンは妻ウルストンクラフトを終生敬愛しましたが、亡き妻の面影を色濃く残す娘からも、ふたたびその思いに接するとは…ゴドウィンは今度は娘の思いを叶えるため精一杯努力することを決めたのでしょう。
1823年春に出版された『フランケンシュタイン』第2版。実は父親のウィリアム・ダドウィンの監督下で改訂作業が進められた史実が残っています。誰もが疑問に思うのは「メアリーが英国では不在だったこの時期に、何のために?」という事でしょう?もし「何らかの目的があった」と仮定すると「水面下で舞台化の企画が進行していた」という面白い推測が成り立ちます。一般には、同年に舞台劇『Presumption; or, the Fate of Frankenstein(推定、あるいはフランケンシュタインの運命)』が公演された事を契機に需要が高まり第2版の出版へと繋がった…と説明されることが多いのですが、実はさまざま文献から第2版が出版されたのは舞台劇の初演の5カ月前だった事がわかっています。ゴドウィンは若い頃劇作家を生業としていた時期もあり、舞台『Presumption』を企画した劇作家リチャード・ブランズリー・ピーク(Richard Brinsley Peake)と何らかのコネクションを持っていたと推測できます。ですから、ゴドウィンの働き掛けでピークが舞台化の企画を立ち上げたとまでは言えなくとも、舞台化の企画が進行していることを内々に承知していたゴドウィンが、舞台化に先駆けて第2版の出版(事実上の増版)を大手出版社のホイッタカー(G. and W. B. Whittaker)に持ちかけた可能性が高いとじぃじは考えてます。事実、ピークの舞台『Presumption』は次のように興行的に大成功を収めました。
1823年7月にイングランド・オペラハウスで初演
上演回数は少なくとも 37回以上 記録されており、大ヒット
舞台が続演され、何度も再演されたことが記録に残っている
翌年(1824年)には再演が行われ、英国では全国規模で人気を博す
当時の新聞(The Times など)で興味深い演出や舞台効果について好意的に報じらた
とりわけ「クリーチャー(怪物)」を演じた俳優トーマス・P・クック(T. P. Cooke)の無言の演技が大絶賛され、観客に強烈な印象を与えた
舞台が話題になるにつれ、パンフレット、イラスト、クリーチャーの木版画などが販売され、グッズのような形でも商業的展開がされた
「クリーチャー」が感情を表現する様子が視覚的に面白く、視覚的ショックと娯楽性で観客を引きつけた
このように舞台『Presumption』は現在の話題の映画や演劇のようなブームとなり、原作者のメアリー・シェリーの知名度を一気に高める結果に繋がりました。ちなみにメアリー自身というと、舞台化の企画にはまるっきり関与していなかったようで、友人のリ・ハント夫人(Mrs. Leigh Hunt)に次のような手紙を書いて、はしゃいでいます😁
"But lo and behold! I found myself famous! Frankenstein had been dramatized, and was the talk of the town."
なんとまあ!私は一躍有名人になったのよ!『フランケンシュタイン』が舞台化されて、町中の話題になっていたの。
この『Presumption』の舞台、もちろんメアリーは父ゴドウィンと観劇してます。その後の友人とのやり取りでは原作との違いについて戸惑いや不満を漏らすこともありましたが、舞台化に対してメアリーは総じて好意的だったそうです。第1回でも紹介したように舞台『Presumption』の成功が、その後『フランケンシュタイン』が定番の舞台演目となった礎と考えて良さそうです。
この舞台化は「父ウィリアム・ゴドウィンのメアリー売り込み戦略」とするじぃじの仮説、今のところ根拠は見つかってないのですが、もし本当だったとしたら、ゴドウィンは現在の広報・宣伝では定番のメディアミックスやクロスメディア戦略を200年前に先取りしてやってのけたことになるので、文字どおり非常に優秀なプロデューサーでもあったということになります。
第3版:メアリー自身の手による大幅な書き直し
今日『フランケンシュタイン』の原作と広く理解されている第3版の出版の経緯は、メアリー自身の手で冒頭の導入(イントロダクション)で次のように語られています。
The Publishers of the Standard Novels, in selecting “Frankenstein” for one of their series, expressed a wish that I should furnish them with some account of the origin of the story. I am the more willing to comply, because I shall thus give a general answer to the question, so very frequently asked me—“How I, then a young girl, came to think of, and to dilate upon, so very hideous an idea?” It is true that I am very averse to bringing myself forward in print; but as my account will only appear as an appendage to a former production, and as it will be confined to such topics as have connection with my authorship alone, I can scarcely accuse myself of a personal intrusion.
スタンダード・ノヴェルズ・シリーズの出版者たちは、「フランケンシュタイン」をその一冊として選ぶにあたり、私にこの物語が生まれた経緯について書いてほしいと希望しました。これは以前から幾度となく「若かった私が、どうしてあのように恐ろしい発想を思いつき、それを物語に広げることができたのか?」という問いを受けてきた私にとって、その問いへの総括的な回答となることから、私は喜んでこの依頼を受けることにしました。印刷物の中で自分自身について語ることには抵抗がありますが、これは過去の作品に付随する補遺のようなものであり、私の作家としての側面に限られた話題に留まるのであれば、個人的な押しつけがましさを自らに問う必要はないと考えています。
ここでは、おそらくメアリーが「押しつけがましい」と考えたであろう幾つかのトピックについて補足します。
まずは「スタンダードノベルズ」シリーズについて。このシリーズは代々出版事業を手掛けてきたヘンリー・コルバーンとリチャード・ベントリーの業務提携によって生まれた書籍シリーズで、今日の書籍の全集に相当します。それまで三巻本(スリーデッカー)でしか入手できなかった小説を一巻本にして出版した企画でした。それまで1冊あたり1ギニー半(31シリング6ペンス)していた小説が、わずか6シリングで購入できるようになり、より多くの読者が小説にアクセスできるようになったので「19世紀出版業界における画期的な出来事」とされました。彼らは自社が著作権を持つ小説を出版しただけでなく、それ以外の小説の著作権も買い取っていったため、事業の利益はすべて会社のものとなりました。シリーズ初期の配本リストは次のサイトで確認できます。
ご覧のとおり『フランケンシュタイン』は第9巻で配本されています。コルバーンとベントリーは現存作家に改訂を依頼し、ときには一巻に収めるために作品を短縮させることもありましたが、まだベルヌ条約による著作権という概念がなく出版社毎に版権が設定されている時代のことですから少々乱暴で、さながら「ちょっとダイジェストなコルバーン&ベントリー版」が現在の『フランケンシュタイン』の原作と認知されている事になります。
メアリーはこのコルバーン&ベントリー社の申し出を快く引き受け、前述の「導入」を新たに書き下ろしました。理由のひとつは「スタンダード・ノベルズ・シリーズは印税契約ではなく、原稿料(manuscript fee)として一括払いされた」ことでしょう。ChatGPTにメアリーの原稿料を推定させたところ、約 15,000〜18,000ポンド(約270〜330万円)で「一時的な生活費や家賃、子供の教育費などを数ヶ月〜1年程度まかなえる金額」とのことでした。義父のティモシー・シェリーがまだ存命だった時期ですので、メアリーはこういう方法で生活費を稼いでいたのです。
『フランケンシュタイン』第3版の改訂ではメアリーは大幅に手を入れていますが、主に主人公ヴィクター・フランケンシュタインの人物像の改変に集中しています。初版では、自らの野心で人造人間の創造に取り組み、放棄し、道徳的責任に苛まれる、いわゆるアンチヒーローとして描かれていますが、第3版では野心ではなく衝動に駆られて「思わず手を染めてしまった」ある種の犠牲者のような人物像が造形され、じぃじに言わせると分かりにくい人物になったように見えます。
前述のメアリーの導入を読む限り、改訂内容の意図は伺い知れませんし、おそらくそれは後世の研究者に託されている仕事なんだと思いますが、この作品が「スタンダード・ノベルズ・シリーズ」に採録された事実から、じぃじ流にこじ付けて見ると1831年の世相が浮かび上がって来ます。実は翌年の1832年、英国では初の選挙法改正が行われてます。その結果、大量の中産階級が出現することになるのですが、コルバーン&ベントリー社は彼らは知識欲が高いことを見越して、それまでの著名な小説を集めた「スタンダード・ノベルズ・シリーズ」を企画したんでは無いか?と推測しています。
そして、次に考えられる事は「英国は革命などの暴力的な手段を取らずに民主化に成功した」ことを意味していて、これはかつてフランス革命に憧れ、自らも共和国設立を目指した旧来の急進派の完全敗北をも意味します。両親に夫に急進派の著名人を抱え、それを世間に広く知られているメアリーにしてみれば、初版のヴィクターの狂信的な人物像は、家族の誰かを想起させる物議の種にしかならないと考えてもおかしくないでしょう。あるいは年老いて衰えていく父親を見て、世間に「寛容に見守って欲しい」と願ったのではないでしょうか?それが第3版のヴィクター・フランケンシュタインの人物造形に繋がったとじぃじは考えています。
◀️「原作者メアリー・シェリー:フェミニズム批評からこぼれ落ちる史実の断片を拾い集める」
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