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神話が似ていて音階も一緒(フリジアンスケール)


日本とギリシャ。
地図の上でははるかに離れている二つの土地だが、神話や音楽に目を向けると不思議なほどの共通点が見えてくる。日本神話のスサノオは荒ぶる一面を持ちながらも、和歌を最初に詠んだ詩人でもある。その姿は、ギリシャ神話における詩や音楽の神々と重なって見えるし、北欧のオーディンとも同じ系列に並べられる。しかも彼らの背後にある音階や楽器の響きまでがよく似ているのだ。琵琶の物語性とリラの叙事詩、陰旋法とフリジア旋法──。偶然の一致というには、あまりに呼応が深い。


スサノオと世界の詩神たち

スサノオといえば、天照大神の怒りを買って高天原を追放される荒ぶる神としてよく知られている。
しかし一方で、彼は日本最初の和歌を詠んだ詩人でもある。八岐大蛇を退治したあと、稲田姫を妻に迎える際に詠んだ「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」という歌は、後世の和歌の原型とされている。
つまりスサノオは、破壊と混乱をもたらす存在でありながら、その行為の果てに詩と歌を生む神なのだ。
この姿は、遠くギリシャの神々と不思議に重なる。
たとえばディオニュソス。彼は酒と狂気の神として人々を恍惚と狂乱に導きながら、同時に歌や舞踏を生み出す芸術の守護者でもあった。混沌から芸術を生むという点で、スサノオの「荒ぶる詩人」としての側面に近い。
また、ヘルメスもまた比較の対象になる。生まれてすぐに牛を盗み、亀の甲羅でリラを作ったトリックスター。彼は雄弁と交渉の神であり、音楽と詩を媒介する存在だ。境界を軽やかに越えていくその姿は、海原を治め、根の国へと下るスサノオに通じる。
北欧神話を見れば、オーディンがやはり同じ系列に立っている。
彼は知識を求めて片目を泉に投げ出し、世界樹に身を吊ってルーン文字と詩の力を得た。犠牲と試練の果てに言葉と歌を獲得するという構造は、スサノオの「荒ぶる行為の果てに和歌を得る」姿と響き合う。そして彼の眷族はカラスだ。熊野本宮大社がまるでその事を認めるかのように、その事を神社内の説明として札が置かれていた。
また、ミトラ教の一番最初の階級はCorax(コラックス)と言ってカラスを象徴している(音までほぼ同じ)。
こうして見ていくと、世界の神話には「境界を越える神が詩や音楽をもたらす」という共通のパターンが浮かび上がってくる。
それは秩序のただなかからではなく、むしろ乱れや危機、混沌の中から生まれるものだ。
スサノオ、ディオニュソス、ヘルメス、オーディン──彼らはみな、破壊と混乱の只中から言葉と音楽を紡ぎ、人間の文化の基層を形づくった「詩神」だったのではないだろうか。

フリジア旋法と楽器の呼応

スサノオが和歌を残したように、ギリシャの詩神たちもまた、必ず楽器や旋法と一緒に語られる。
ギリシャの音楽というのはあまり日本では馴染みがないが、聴いてみればとても似た雰囲気がある。楽器については形までほぼ同じだ。似ているのは雰囲気だけではない、実際にほぼ同じ音階を使っている。そしてその名をフリジアンスケールという。またもや出てきたフリジア。
僕は音楽理論には詳しくはないが、GPT先輩によると次のようになる。
日本の伝統音楽に用いられる「陰旋法」は、Dを基準にすれば「D–E♭–G–A–C」と並ぶ。これは西洋音楽でいう「フリジア旋法」から二つの音を省いた形になっており、まるでフリジアのペンタトニック・バージョンのように見える。特徴的なのは二度の音が半音下がっている点で、この♭2が入ることで一気に哀感と異国的な色が生まれる。日本の語り物の琵琶や三味線がもつ切なさは、まさにこの音のせいだ。
一方、ギリシャの叙事詩はリラやキタラといった撥弦楽器で伴奏された。これは日本の琵琶と驚くほど機能が近い。弦を鳴らしながら物語を語るというスタイルそのものが一致しており、音階の共通性と合わせると、両者がどこかでつながっていたのではないかと疑いたくなるほどだ。
さらに現代音楽にも痕跡は残っている。いわゆる「フリジア進行」(Am–G–F–E…)は、スペイン音楽やフラメンコの核をなし、異国的・神秘的な響きとしてロックや映画音楽でも多用される。日本の民謡や琵琶法師の旋律と並べて聴けば、その親和性はすぐに体感できるだろう。
偶然の一致か、それとも古代の交流か。いずれにせよ、フリジア旋法と陰旋法の呼応、リラと琵琶の機能的共通性は、「詩神たちが紡いだ言葉が、同じ音の階段を上り下りしていた」ことを物語っている。

フリジア帽と七福神の妄想

ここで思い出すのが「フリジア帽(またはフリギア)」だ。
古代フリジア地方の解放奴隷がかぶったとされる長いとんがり帽子で、後にローマを経てフランス革命でも「自由の象徴」となった。音階や楽器に続いて、またしてもフリジアが顔を出してくる。
日本に目を向ければ、恵比寿もまた独特の長い帽子をかぶった姿で描かれることが多い。漁業や商売繁盛の神として親しまれてきた恵比寿=事代主は、七福神の中で唯一の日本由来の神だとされるが、本当にそうか?フリジア帽と同じく「解放奴隷」のシンボルだったとしたら。
七福神そのものが、もともとは多国籍の船乗りたちを象徴していたのかもしれない。大黒天はインドから、毘沙門天は中央アジアから、布袋や寿老人は中国から。そこに海の民としての恵比寿が加わる。まるで交易船の乗組員のように、異なる背景を持つ神々がひとつの船に集まっている。七福神の宝船は、古代の多民族商船なのでは?
考えすぎだろうか。けれど、一説では恵比寿はフェニキア人だったとも言われる。音階も楽器も帽子も「フリジア」に連なってしまうのは面白い(そういえばフランス大使館は恵比寿にある)。もしも古代の商人や楽師たちが本当に海を越えてやって来て、日本の人々とセッションを繰り返したのだとしたら──。その結果として「呼吸と間」を重んじる独特の日本音楽が育ったのだとしたら──。
もちろんこれは妄想にすぎない。だが、フリジア帽から七福神、共通音階もフリジアンスケールとくれば偶然以上の何かを感じさせる。僕は大概のオカルト、陰謀論好きと同じで、色々なものを比較して点と点を繋げるのが大好きだ。だが、この二つの神話と音階の共通点は点のレベルではない。面と面ぐらいに共通している。そしてこれらの起源はやはりペルシャにあるようなのだ。

11.革命の帽子とミトラ教

13.牛にひかれて善光寺と聖徳太子

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