世界が愛で満ちていると思えないのは、もったいない
不満は出そうと思えばいくらでも出る。
誰だって、いろんな不満を抱えて生きている
環境
夫
妻
子ども
実家
姑
職場
近所付き合い
社会
ネットの書き込み
自分の過去
いやね。
おーつーさんがご主人について書かれているnoteを読んで、朝からぼんやり考えていたことが、なんとなく言語化できてきたので吐き出してみることにする。
文句なんか言おうと思えばいくらでも出てくる。
誰かのせいにしていいなら、不満で世界が溢れていく。
他人に求めるハードルを上げまくって自分に甘くする人生だってアリかもしれない。
でも、わたしはそういう大人になりたくなかった。
社会に出て、とりとめのない不満を漏らすひとの多さに気づいたからだ。
夫の稼ぎが少ない
同居する姑が口うるさい
隣の奥さんがごみの分別をちゃんとしない
兄弟がカネの無心をしてくる
雑談のような振りをした不満と愚痴のオンパレード。
大人になるって、そんなに窮屈で楽しくないのかしら?
20代の前半、人生に行き詰まったわたしは、このまま大人になっても楽しい未来なんかひとつもないのだと思っていた。
ゾンビみたいな顔の大人ばかりが周りにいたからかしら?
紆余曲折を経すぎて、今のわたしは四十路目前。
有り体に言えば、30代最後の歳だ。
子どもも夫も仕事もあって、オンライン・オフラインに友だちがいる。
全然社交的じゃないし、お金を稼ぐのもうまくはならないけれど、とても楽しい。
職場で同僚の顔を見るなり芸能人の悪口を言うようなおばさんにはなっていないはずだし、夫を人前で口悪しく罵ることもない。
近所の噂話で盛り上がったりもしないし、ママ友グループで悪口を言い合うこともない(付き合いが悪すぎて立ち話する相手もいないとも言う)
思ったより人生は悪くないんじゃないか?
わたしがなりたくない大人は今も身の回りにたくさんいる。
挨拶しても無視するとか、喧嘩腰でしか会話ができないとか。
やってもらったことにありがとうも言えないとか。
いい大人が顔見るたびに怒鳴り合うとかさ。
え、まって、そういう大人にわたしなってないよね?
大丈夫だよね?
殊更、いいひとになりたいわけじゃなく。
なりたくない人物像を避けてきたら、偽善的でうさんくさい今のわたしが出来上がった。
つまらないかもしれない。
攻撃的になったほうが楽なのかもしれない。
わかんないけどさ。
他人を責めるに値する人間なのかを考えたとき、大体の場合、必ずしもそうとは言えないはずだ(この日本的な言い回しが好き)
肯定するのも、否定するのも自分次第。
感謝するのも、もっと求めるのも自分次第。
夫の作ってくれたご飯をありがとうと受け取るのか、まずいからもっと頑張ってと言うのか、みたいなやつ(どんなやつ)
ひとって、みんな必要とされたいんだと思う。
自分の存在意義とか、承認欲求を他人に求めるのは、自分ではない価値観や人格に必要としてもらいたいからだ。
自分軸が叫ばれる現代でも、完全に個と集を切り離せる人間なんかいない。
だから発信するし、家族をつくるし、社会とつながろうとする。
「ありがとう」は何回言われたって嬉しいし、他人の役に立てたら見返りなしで嬉しい。
それが家族とか大切なひとなら、なおさらに。
「誰かのため」に生きるから「自分のため」に生きられる
自分を大切にして、自分じゃない誰かを大切にできてはじめて、世界は愛で満ちていると思えるのかもしれない。
大いなる詭弁だろうか。
詭弁でもいいや。
別に胡散臭くたって、水素水を売りつけたりはしない。
謎の電波がとか電磁波がとか、似非科学的な思想を売りつけるほど厚顔無恥でもない。
むしろセールスのセンスと才能がなさすぎてどうにかしたい有り様だ(多分一生無理)
・感謝する
・他人を責めない
・否定しない
・楽しむ
・嫌なもんは見ない
・科学的根拠のないものを過度に信じない(塩梅がむずかしい)
子どもに言って聞かせるけど、大人の方ができてないやーつ。
たまに自分を振り返って落ち込むけど、大人だって完璧じゃない。
完璧である必要もない(ムリムリ)
不満を多く言えば、そういう顔になっていく。
感謝してたら福々しくなれるかしら?
ノーテンキな顔をしている自信はあるけれど、福々しい自信はない。
ここから5年。
福々しい顔になるのを目標に生きていこうかな。
大丈夫。
世界は愛で満ちている(はず)
断捨離できない義母と興味ない子ども世代
手紙に心を預ける時間は豊かだった。
受け取ってくれる相手がいることに感謝しかない。
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