短編69「変態観測 〜変態は運動不足の所為にしたがる〜」
あらすじ
変態エッセイスト鶴野は、スポーツの秋にテニスコートで練習する千賀の姿を観測する。彼は物理学の視点から千賀の動きを分析しつつ、ちらりと見えるアンダースコートにセクハラ発言を連発。千賀は、彼の変態的な観察の裏にある真理に気づき始めて……。
あの変態がいきなり変なことを言い出すのはいつものことだ。
それは別にいい、最近慣れてきた。仕事だし。
――でも、真理とはなんなのか。彼はなにを考えているのか。それはずっと、分からない。
「やっぱ秋なんだし、飛び散る汗とか、アンダースコートとか、そういうのを題材に書きたいじゃない?」
「鶴野さん、下心が時速250キロで空飛んでますよ?」
エッセイスト、鶴野 光。この人は有名な学者で、世界的なナントカ賞も貰ったらしく、いまも大学で登壇しているぐらい実績のある人だ。そんな彼は、いまは大人気エッセイストという肩書も持っている。
どういうわけか、鶴野がまたいきなり変なことを言い出した。
「スポーツの秋だし、テニスをしよう」
そんなわけでいつも通り私の日常は侵食され、テニスウェアに着替えさせられてコートに立たされていた。
「僕はね、ユーモアを一番大事にしたいんだよ」
鶴野は、いつもそう言っている。
ユーモアとテニスになんの関係があるのかは、分からなかったが。
鶴野はテニスコート脇のベンチに座りながら、カバンから取り出した双眼鏡を覗いていた。辺りを見回して、なにかを観測している。たぶん、テニスを楽しむ女性たちの身体を観察しているのだろう。
彼は白髪混じりの髪を丸坊主にして、真っ白なテニスウェアの上下を着ている。しかしプレイする気配はなく、その痩せた身体つきは単なる観客としても浮いて見えた。
「真面目なだけじゃ人の心には届かないからね。千賀ちゃん、分かるかな?」
ここは秋晴れの屋外テニスコート。千賀はサーブの練習に励んでいた。ネットを越えるボールの乾いた打球音が、快晴の空の下に鋭く響き渡る。
千賀は汗を拭きつつ、ラケットを構える。ぴたっと身体に密着した白いポロシャツとスコートは、豊満な胸と引き締まった腰、そして激しい運動で揺れるお尻の肉感的なラインをいやというほど強調して、一挙一動のたびに挑発的な美しさを見せていた。
「真理は、もっと深いところにあるんだよ」
鶴野が双眼鏡を覗いているのを無視して、私はサーブの練習に入った。
「いつも思うんだけど、千賀ちゃんのお尻いいよね」
「空気を吸うようにセクハラするの、やめてください。ていうか、夏に私の水着姿を見たじゃないですか」
「セクハラじゃないよ。これは『運動エネルギーと慣性の関係』への素直な感想」
「それをセクハラって言うんです! あとその双眼鏡、女性をいやらしい目で見るために使ってません?」
私はため息混じりにそう返してから、改めてもう1回ため息をついた。
……この人は、いつもそうだ。
数年前、鶴野のマネジメントを千賀が担当することになった。『なるべく若くて美人の女子』という直球の要望に、彼女が選ばれてしまったのだった。いまの時代によくそんなこと言えるなと千賀は思う。
「そういえばさ、千賀ちゃん。テニスボールのフェルトって、なんであんなに毛羽立ってるか知ってる?」
「……え? 知らないですけど、なにか理由があるんですか?」
「空気抵抗を増やすためなんだって。抵抗がないと時速250キロくらいで飛んで行くんだって。ギューンって」
「ぶっ」と千賀が激しく吹き出した。彼女は笑いのツボが独特な上に、スイッチが入ると止められない。肩を震わせてぶるぶるしながら笑い続けている。
もちろん、鶴野はそれを分かってやっているのである。
「千賀ちゃんいいね。相変わらず、いい笑い方するよね」
言って鶴野は、そっぽを向いていた双眼鏡を千賀に向けた。たぶん私のおっぱい見てんな、と千賀は思った。
「……そしたら千賀ちゃん。テニスボールをコートに強く叩きつけると、ほんの一瞬、地球の自転が止まるって説があるの知ってる?」
「はあ? 何言ってるんですか?」
「だって、地球の自転運動に対して、ボールを強く叩きつける運動エネルギーは、地球の質量の一部と相対的に拮抗するだろう? だから千賀ちゃん、力いっぱいジャンプしてみて。地球止まるから」
「ぶっ」と千賀が激しく吹き出した。彼女は笑いをこらえきれずに、肩を震わせてながら笑い続けていた。
「うぷぷっ……なんでそうなるんですか! そ、それより!」
千賀は両手を振り上げて、続ける。
「原稿、書けそうですか?」
「……」
私のバストを見ていた双眼鏡が、遠くの空へと上を向いていく。
静かな空気の中、遠くで響く打球音だけが辺りを包んでいた。
それから、彼が大空に向けていた双眼鏡を、ゆっくり下ろす。
しばらくの静寂が続いてから、鶴野はやっと口を開いた。
「いや、無理」
鶴野は双眼鏡を首元に下げながら続ける。
「千賀ちゃんのアンダースコートの小さな布面積と、テニスボールの質量の相対性が僕を狂わせる。なにも書ける気がしない」
「そういうの真顔で言わないでください。なんで今日ここに来たんですか? あと、それセクハラです」
「いいんだ。全てを運動不足の所為にしてしまおう」
「なに綺麗にまとめようとしてるんですか。私が編集部から怒られます。早く書いてください!」
……それから数週間して、鶴野からメールで原稿が届いた。手書きやめたんだ。どうせ読んでも分からないから、そのまま編集部に転送してしまう。
そして彼のエッセイ集「オータム真理・秋 〜スポーツマンシップと内側の質量〜」が発売された。
全国書店のランキングは初登場3位だった。
なぜ?
私は手元に届いたサンプルをぱらぱらとめくってみる。前作は1位だったが、なぜ今回は3位だったのか、よく分からない。
『アンダースコートの抵抗と、宇宙における光速の関係について』とか『揺れの周期が質量を伴うことから、自転が加速する可能性』とか書いてるけど、あの変態は一体なにを言ってるのだろうか。冷静に考えたら、スカート裾の揺れと、バストとお尻しか見てないじゃないか。
編集部の人は今回も誰も止めなかったの? 前回からなにも学んでないの?
エッセイって読まないけど、ジャンルとしてそれで合ってんの?
テニスウェアを着た美人モデルがポーズとってるとこに、謎の日本語が羅列されてるだけなんですけど? これグラビアとなにが違うの?
でも、今回はなぜ1位になれなかったのだろうか。なにが理由で1位を逃してしまったのだろうか。
タイトルがなんとなく宗教法人っぽいから? あと、タイトルの意味だけ考えると、たった8文字の中で秋って2回も言ってるよね? 編集部ちゃんと仕事して?
鶴野の言っていた「真理は、もっと深いところにあるんだよ」という言葉を思い出す。
読んでもよく分からないが、この原稿にはあのテニスコートとふざけた会話の中に隠された、なにかの真理がこめられているのだろう。
私は諦めて、なぜ3位だったのか、どうすれば良いかを徹底的に分析することにした。必ず次に活かせるように。
鶴野の本をめくりながら、自分なりの解釈をメモに残していく。例えば、光速や質量といった単語は、物理学という観点で深い意味があるのかもしれない。
その点をはっきりしておかないと、最悪の場合、マネジメントの責任にされかねない。
無事に締め切りに間に合わせたという安心感はあるが、ランキングが落ちたという事実に頭を抱えてしまう。
私のやっていることは、真理には程遠いのかもしれない。
けれど、それを理解しなければ彼のマネジメントは務まらない。
まずは自分なりの解釈から始めよう。
私はそう思って、彼の本を読み込むことにした。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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