短編131「バニーガールとシャッター音」暴走バニーはみんなをハッピーにする#11 〜商店街創生編〜
あらすじ
消えゆく街を「死化粧」として撮り続ける孤独なカメラマン・美智子。暴走バニーのニーナは彼女をカフェへ連行し、写真展を強行する。住民の記憶を呼び覚ます写真とニーナの躍動が……。
栄門町に静かな日差しが注ぎ始めた、いつもの午後のことだった。
商店街にアリスの画廊がオープンしてからというもの、この古びた商店街には少しだけ変化が起きていた。大きなカンバスを抱えた美大生や、一眼レフを首から下げた若者が時折姿を見せるようになったのだ。
「ふーっ! 今日のデリバリーも完璧。栄門町のみんなの胃袋に、ハッピーとカロリーを!」
ニーナは『Lop-Ear Café(ロップイヤーカフェ)』のロゴが入ったデリバリーバッグを背負い、軽快なステップで路地を駆け抜ける。
いつものバニーガールの衣装にパーカーを羽織り、網タイツの足でアスファルトを蹴る。彼女が通るたび、重力に逆らうような熱気が道端の枯葉を舞い上げた。
カフェへの帰り道、『魚辰鮮魚店』の角を曲がったところで、ニーナは不意に足を止めた。
ゴミ捨て場と古い倉庫の間に挟まれた、日の当たらない薄暗い路地裏。
そこに、黒いパーカーを深く被った人物が、地面に這いつくばっていた。
「ちょっと、大丈夫!? 救急車呼ぶ!?」
ニーナが喚きながら駆け寄り、背中に手をかけようとしたそのとき。
「しっ、静かにして。あと、どいて。光が遮られる」
低く、しかし鋭い声がパーカーの中から漏れ出てきた。低めの声ではあったが、それが女性であるとニーナは気づく。
地面に伏していたのは、三十代半ばほどの女性。手には使い込まれた一眼レフカメラ。
レンズの先には、腐りかけた木箱の上で丸まって寝ている、片耳に切り込みの入った、老いたさくら猫がいた。
彼女はニーナの存在を完全に無視して、ファインダーを覗き込み続ける。数秒の沈黙の後。猫が「ふにゃあ」と大きなあくびをした瞬間、乾いたシャッター音が凄まじい勢いで何度も響いた。
「……よし」
彼女は立ち上がりながら小さく呟いて、膝と腹についた泥を無造作に払う。
「あのう、お姉さん……何か事故かと思った。心臓止まるかと思ったよ」
「……勝手に止まってれば。私は撮りたいものを撮ってるだけだから」
ここで始めて、女性はニーナの方を向いた。ただまっすぐな瞳で見つめている。
その瞳は、冷めているようでいて、深い海の底のような静かな熱を孕んでいた。
「お姉さん……何者?」
「……私は美智子。この町で生まれ育ち、フリーランスのカメラマンをやってる。あんたは?」
「私はロップイヤーカフェのニーナ。他になにを撮ってるのか、見てもいい?」
「……いいけど、見ても面白くはないわよ。私が見たいものは泥臭いゴミ溜めや、生活感の溢れる光景だけだから」
ぶっきらぼうにカメラの液晶画面を操作する美智子。
彼女の言う通り、彼女が撮っているのは華やかな広告写真でもなければ、映える観光スポットでもない。
ただ、木箱の木目の優しさ。
老猫の髭に反射する僅かな光。
そして背景にぼやけて写る、商店街の古い看板の錆。
毎日ニーナが走り抜けているはずの『いつもの街』が、まるで遠い異国の聖地でもあるかのように、圧倒的な存在感を持って切り取られていた。
ニーナは思わず彼女を見つめて、それからもう一度液晶画面を見つめる。それからまた、彼女の瞳を見つめてしまった。
「すごい! これ、生きてる。商店街がドクドク動いてる音が聞こえる!」
「……音? 変な子ね、写真は静止した記録でしかない。それに、この景色もどうせ……すぐに消える」
美智子は自嘲気味に笑って見せる。それにニーナは言葉をうまく返せないでいた。
「私はずっと、この町で見てきた。かつて自分が愛した遊び場が消えたり、再開発の名の下にあっけなく撮り壊れるのを、何度も。私にとって写真は、愛する人が消え去る前の『死化粧』のようなもんさ」
言って彼女は顔を上げた。傾きかけた太陽を見据えて、その眩しさに少し瞳を細めて。
「……どうせ、誰も見向きもしない。街が変われば、記憶なんてゴミみたいなもの」
寂寥感を隠そうともせず、美智子はそう呟いた。
「……うん、よし。決めた。美智子さん、カフェに来て!」
「は? なんで私が……ちょっ、引っ張らないで!」
美智子の抗議を完全に無視して、ニーナは彼女の細い腕を掴んで走り出す。
「はあっ!?」
普段からダンスと配達で鍛えているニーナの筋力は伊達ではない。機材を抱えたままの美智子は、暴風に巻き込まれた木の葉のように、ロップイヤーカフェへと連行されていた。
「というわけで! この美智子さんの写真がすごすぎるから、展示会をやりたい!」
カフェに到着するなり、ニーナは大声を張り上げた。カウンターで伝票整理をしていたレナが、なんとも言えないため息をつく。カウンターに座っていたアリスも、不思議そうな瞳でニーナを見つめていた。
「ニーナ、展示といっても、スペースの確保や法的責任とか、考えなきゃいけないこと、たくさんあるわよ?」
「そういうのはレナに任せた。ほら、アリスのセンスで美智子さんの写真をプロデュースして!」
カウンターでスケッチをしていたアリスが、ぼんやりとした顔のままでニーナを見上げている。美智子の写真をプリントした束を手に取り、一枚ずつ丁寧に見つめながら、その瞳を僅かに見開いた。
「……この光の捉え方。冷たいのに、すごく優しい。私、結構好きかも……うん、この壁、ここが一番、光が綺麗だから」
アリスが直感で出す指示に従って、ニーナは写真を壁に貼り始めた。ユメはすでにSNS用の動画を撮り始めている。
美智子は呆然とした様子で、自分の写真が店内の壁に、マスキングテープで次々と貼られていく光景を眺めていた。
「おやおや、またなにかイベントでも始めるのかな?」
そこに、タイミング良く聞き慣れた声が飛び込んできた。
栄門町商店街の会長、福武である。彼はいつも通り優しく微笑みながらも、壁に貼られている写真に近づいて、何度か頷きながら眺め始めていた。
「おっ、福武会長! 良いとこに来てくれたね!」
「ほう……私はアートはよく分からんが……」
福武は、一枚の写真の前で足を止めた。
それは、夕暮れ時の商店街のアーケード。その支柱の根元にこびりついた古い錆と、そこに反射する西陽を写したものだった。
「これな……わしが若い頃、親父に怒鳴られながら磨いとった柱なんじゃよな。そうか、こんなにボロボロになっとったか……だが、いい色じゃろう。わしの人生の皺と同じようなもんじゃ」
福武の目が、少年のような輝きを取り戻すのを、ニーナたちが見つめていた。彼は嬉しそうに、懐かしそうに、そして大切ななにかを思い出したように。ただ小さく笑顔を見せていた。
「美智子さん……と言ったか。あんた、よう見とるな。わしら住人ですら忘れかけとった、街の魂みたいなもんを、ちゃんと残してくれとる」
その言葉に美智子は思わず目を見開いた。ぐるぐると頭の中を巡る思考に、なにも答えられなくなってしまう。
——自分の写真は、消えゆくものへの葬送歌だと思っていた。
だけど、この街で生きる人々にとって、それはいまという時間を肯定する力として、届いていた。
「美智子さんが切り取った瞬間に、この街は永遠になったんだ」
ニーナはそっと、しかし強く、立ち尽くす美智子の肩を叩く。美智子は照れながらも、誇り高い笑顔を、ちょっとだけ見せてくれた。
「でも、写真の中だけじゃ終わらない。いま生きてる私たちも、負けてらんないでしょ!」
ニーナは、店内のステージに飛び乗った。音楽はない。だけど、美智子の写真に写っていた生命の鼓動をイメージして、彼女は床を鳴らし始める。
トントン、という小気味良いステップ。魚屋で氷を砕く音。
シュッシュッ、と服が擦れる音は、朝早くからシャッターを開ける音。
ニーナは、写真の中にある静かな日常を、ダンスという肉体の表現に翻訳していく。美智子の写真に眠る『静』が、ニーナの体を通ることで『動』のエネルギーへと爆発する。
福武会長も「わしも混ぜろ!」と、リズムに合わせて不器用な手拍子を始めた。
「……信じられない」
美智子は、無意識に、でも夢中で、シャッターを切っていた。レンズ越しに見るニーナは、躍動する光そのもの。『死化粧』だと思っていた街の風景が、彼女のダンスによって新しく生まれ変わるための、産声に聞こえた。
「……そうね、私が間違ってた。写真が静止した記録なんて、嘘だった。こんなに騒がしく、脈動するものだったんだ」
美智子はカメラを下ろし、ニーナに向かって小さく呟く。その瞳からは、かつての冷たい諦めは消えていた。
その日の夜。商店街の寂れた掲示板に、一枚の新しい写真が貼られていた。
そこには、夕暮れの路地裏で、バニーガールの耳を揺らしながら、満面の笑みで跳ねるニーナの姿があった。
「美智子さん! また明日も撮りに来てね。街のハッピーを、全部記録するために!」
「……気が向いたらね。それに、あんたの動きが速すぎて、シャッタースピードが追いつかない。もっと高性能なレンズを用意しなきゃ」
毒づきながらも、美智子の足取りは以前よりもずっと軽やかだった。画廊の中に彼女の小さな写真館ができるのは、もう少し先のお話。けれど、栄門町の空気は、確実にまた一つ、深みを増していたのだった。
「よーし! ハッピーは永遠にシャッターチャンス。次のデリバリー行ってきまーす!」
ニーナは夜の帳が下り始めた商店街へと、弾丸のように飛び出していく。その背中には、美智子が切り取った決して消えることのない街への鼓動が宿っていた。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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登場人物紹介(最新話を元に構成・更新しています。そのため本編のネタバレとなる場合がございますので、閲覧にはご注意ください)
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