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なぜ日本人は、イギリス近衛兵との「距離感」を自然に守れるのか ~学校が育てる見えない力~


はじめに

イギリス・ロンドンのホース・ガーズ(Horse Guards)

近衛兵や騎馬隊が警備にあたるこの場所は、多くの観光客が訪れるロンドンの名所の一つです。

YouTubeやSNSには、そこで撮影された動画が世界中から数多く投稿されています。

その中には、日本人観光客と思われる人たちが、白線を越えず、近衛兵や馬にむやみに触れようとせず、一定の距離を保って見学する様子や、撮影前後に軽く会釈をする姿が映ることがあります。

もちろん、こうした動画だけを根拠に「日本人なら全員そうだ」と言うことはできません。

しかし私は、

その振る舞いに日本人が身につけている「距離感」が表れている

ように感じます。

では、その距離感はどこで育まれるのでしょうか?

その答えの一つが学校生活の中にあるのではないかと私は考えています。


学校は「距離感」を学ぶ場所でもある

「距離感」というと、人間関係を思い浮かべる人が多いかもしれません。

しかし、「距離感」とはそれだけではありません。

どこまで近づいてよいのか。

どこで立ち止まるべきなのか。

相手の空間や役割を尊重するとはどういうことなのか。

その場にふさわしい振る舞いとは何か。

これらの感覚も、距離感の一つです。

学校では、この「距離感」を毎日のように学んでいます。

授業の始まりには、

「起立。」

「気を付け。」

「礼。」

「着席。」

朝礼や集会では整列し、校庭や体育館では決められた位置に並びます。

廊下では他人とぶつからないよう歩き、避難訓練では決められた場所へ静かに移動します。

どれも特別なことではありません。

しかしその積み重ねによって、子どもたちは、

「今、この場ではどう振る舞うべきか」

を身体で覚えていきます。

知識としてではなく、習慣として。


「近づける」と「近づいてよい」は違う

近衛兵のすぐ近くまで行ける場所であっても、多くの人は不用意には近づきません。

馬に手が届く距離にいても、何も考えずに触れる人ばかりではありません。

そこには、

「できること」と「してよいこと」は違う

という感覚があります。

私がここでいう「距離感」とは、単に何メートル離れているかという物理的な距離ではありません。

相手の立場や役割、その場の空気を尊重し、「どこまで踏み込むべきか」「どこで一歩引くべきか」を判断する力です。

この距離感こそ、日本の学校生活の中で日々育まれている力の一つではないかと私は考えています。

他のクラスに勝手に入らない。

人の持ち物に許可なく触れない。

授業中は、先生や友達の話を最後まで聞く。

体育館や校庭では、決められた場所やルールを守って活動する。

一つ一つを見れば、どれも小さな約束事です。

しかし、その積み重ねを通して子どもたちは、

「自分ができるかどうか」ではなく、
「相手やその場にとってふさわしい行動は何か」

を考えるようになります。

これは、知識として教え込まれるものではありません。

毎日の学校生活の中で繰り返し経験することで、少しずつ身体で覚えていく感覚です。

もちろん、こうした距離感は学校だけで育まれるものではありません。

家庭でのしつけや、地域社会での経験、文化的な背景など、さまざまな要素が重なり合って形成されるものです。

しかし、子どもたちが長い時間を過ごす学校という場所がその土台づくりに大きな役割を果たしていると私は感じるのです。


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掃除も整列も「距離感」を育てている

以前の記事で取り上げたサポーターによる清掃活動。

一見すると、今回のテーマとは別の話に思えるかもしれません。

しかし、私は同じ根っこを持っていると考えています。

掃除では、自分だけがきれいならよいのではなく、みんなが使う場所を大切にすることを学びます。

整列では、自分一人ではなく、集団全体の秩序を意識します。

起立・気を付け・礼では、相手やその場への敬意を形にします。

その一つ一つは、「適切な距離感」を身につける営みでもあります。

自分を前に出しすぎない。

相手の領域を尊重する。

公共の場を自分事として考える。

学校生活は、こうした感覚を毎日のように積み重ねる場所なのです。


学校が育てる「見えない力」

学校教育は、学力だけを育てる場所ではありません。

テストでは測れない力があります。

白線を見たら、自然とその意味を考える。

近衛兵や馬に、むやみに触れない。

相手の仕事や役割を尊重する。

その場にふさわしい距離を保つ。

こうした行動は、マニュアルを暗記したからできるものではありません。

家庭、地域、そして学校生活の中で少しずつ育まれた「距離感」が、自然な振る舞いとして表れているのではないでしょうか?

掃除をすること。

整列すること。

起立・気を付け・礼をすること。

どれも学校では当たり前の光景です。

しかし、その当たり前の積み重ねが、世界のどこにいても相手を尊重し、その場を尊重できる人を育てている。

教壇に立ち続けた経験から、この「見えない力」こそ、日本の学校教育が長い時間をかけて育んできた財産の一つではないかと私は考えるのです。


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今回の記事では、日本人が自然に身につけている「見えない規範」の背景について考えました。

学校現場で生徒たちと向き合ってきた中で、私は

「目に見える行動だけでは、本当の姿は分からない」

と感じる場面を何度も経験しています。

そんな私の教育観をまとめた記事がこちらです。

📌 見えているものだけで、生徒を判断してはいけない

子どもの行動の裏側にあるものを、教師はどう見ているのか。学校現場で積み重ねてきた経験をもとに、「本当に見るべきもの」について書いています。

また、「教師の勘」は単なる経験則ではありません。

日々の観察の積み重ねが、子どもの小さな変化や成長の兆しを見抜く力につながります。

📌 教師の勘はどこまで当たるのか

「勘」と呼ばれるものの正体を、文化祭での実体験を交えながら解説しています。


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