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ないものは作る 第1話「試験——付き合いで受けた資格が、すべてを変えた」

あらすじ
情報セキュリティ管理者の柏木陽介は、ある会社の「ないものは作る」という哲学に憧れ、二度受験するも不合格。その言葉を胸に、今の会社でISMSやVASEC認証を維持しながら、仕組みを作り続ける。
しかし、仕組みは人を超えて残る一方で、評判の悪さや孤独が彼を追い詰める。逃げ道を探すために資格を取り、転職を試みるが、すべてがこの会社で使われてしまう。
やがて彼は、組織を与えてもらえないなら、自分で機能を作る道を選ぶ。ないものは作る。自分で作ったものは、自分で直せる。その言葉が、彼の行動原理になっていく——。


ないものは作る 第1話 「試験」


「一緒に受けない?」と三島が言い出したのは、確か金曜の夕方だった。
管理棟二階のインフラ部門の島で、僕はスイッチの設定書を睨んでいた。北条工場の第三製造ラインに新しいネットワークセグメントを切る作業が来週に控えていて、アドレス設計を詰めているところだった。VLANの割り当てを間違えると製造管理システムが止まる。止まると車が作れない。車が作れないと取引先が怒る。怒るどころでは済まない。だから金曜の夕方だろうが帰れない。
「受けないって、何を」
「情報セキュリティスペシャリスト。秋の試験」
三島は僕の隣の席で、自分のモニターを見ながら言った。彼はセキュリティ部門の所属で、僕とはフロアが同じだが部署が違う。昼飯を一緒に食べる程度の仲だった。
「なんで僕に声かけるの。インフラの人間だよ」
「一人だと勉強しないんだよ。付き合ってよ」
理由がそれかよ、と思った。
三島は悪い奴ではないが、要するにペースメーカーが欲しかっただけだ。僕は走るのが目的ではなく、隣で走ってくれる人間として選ばれたに過ぎない。
断る理由を考えようとして、特に思いつかなかった。受験料は自腹だが、国家試験だし、持っていて損はないだろう。何より、断るほどの情熱もなかった。情熱がないから断れないというのは、考えてみれば妙な話だ。
「いいけど、僕は土日の午前しかやらないよ」
「十分十分。駅前のカフェでやろう」
こうして僕は、日曜の朝からカフェでセキュリティの参考書を開く生活を始めた。


北条市の駅前には、チェーンのコーヒーショップが二軒ある。一軒は混んでいて、もう一軒はそこそこ空いている。空いている方を選んだ。席についてアメリカンを注文し、参考書を開く。三島は向かいの席でテキストにマーカーを引いている。僕はマーカーを引かない。読んで、わかったら次に進む。わからなかったら読み直す。それだけだ。
参考書には、知っていることと知らないことが半々くらいの割合で載っていた。
暗号技術の話は知っている。ネットワークを組む時に、VPNやSSL証明書の設定は日常的にやる。ファイアウォールのルール設計も、プロキシサーバーの構築も、インフラの仕事そのものだ。
一方で、情報セキュリティマネジメントの話——ISMSの運用だとか、リスクアセスメントの手法だとか、組織的な管理策の話は、知識としては薄かった。僕はあくまで技術屋であって、管理の枠組みを作る側の人間ではない。少なくとも、その時はそう思っていた。
三島はセキュリティ部門にいるだけあって、マネジメント系の知識は僕より持っていた。僕が技術系の問題を解説し、三島がマネジメント系の考え方を教えてくれる。カフェでの勉強会は、意外と悪くないバランスで回っていた。


入社したのは、もう十年以上前のことになる。
前の会社を辞めた理由は、特に劇的なものではない。将来への漠然とした不安と、今の仕事を続ける意味への疑問。どこにでもある理由だ。転職活動をして、いくつかの会社を受けた。
一社だけ、心が動いた会社があった。
面接の待合室に、額縁に入ったフレーズが飾られていた。
「ないものは作る」
それだけの言葉だった。でも、その五文字に、僕は痺れた。既存の仕組みに乗るのではなく、足りないものは自分で作るという姿勢。それが会社のコンセプトとして掲げられていることに、何か清々しいものを感じた。
面接は、手応えがあった。少なくとも僕はそう思った。
不採用通知は、一週間後にメールで届いた。
理由は書かれていなかった。書かれないのが普通だ。でも、あの言葉だけは残った。「ないものは作る」。行けなかった場所の哲学が、なぜか僕の中に居座り続けた。
今の会社に入ったのは、消去法に近い。他に受かったところがここだった。北条工場のインフラ担当。地方の部品工場の、地味なポジション。でも、仕事そのものは嫌いではなかった。ネットワークを設計して、機器を設定して、テストして、動く。目に見えないけれど、確実に動くものを作る。それは僕の性に合っていた。


入社して最初の大きな仕事は、北条工場の第二棟の建設プロジェクトだった。
工場が増築されるとき、建物だけ作っても仕事はできない。ネットワーク、電話、セキュリティカメラ、入退室管理。インフラのすべてを新たに設計し、構築しなければならない。僕はそのプロジェクトのメンバーとして参加した。
右も左もわからない状態だった。図面を引いたことがない。ケーブルの敷設ルートを建築業者と調整するのも初めてだった。サーバールームの空調設計なんて、教科書でしか見たことがなかった。
でも、やるしかなかった。他にやれる人間がいなかったから。
先輩と呼べる人はいた。本社のIT部門から来た技術者が、月に一度だけ北条に来て指示を出していく。それ以外の日は、僕が現場で判断するしかなかった。わからないことはメーカーに電話して聞いた。マニュアルを読み漁った。夜中まで残ってテストした。
第二棟が完成したとき、僕のところに拍手は来なかった。当たり前だ。インフラが動くのは「当たり前」であって、誰もそこに感謝しない。ネットワークが繋がることに「すごい」と言う人間は、この工場にはいなかった。
でも、自分が設計したネットワークの上で、製造ラインが動き始めたとき、僕は少しだけ誇らしかった。目に見えない仕事は、動いている限り誰にも気づかれない。気づかれないことが、正しく動いている証拠なのだ。
その後、南陽工場の建設プロジェクトではインフラのリーダーを任された。北条で学んだことを、南陽で再現する。今度は図面も自分で引いた。ケーブルのルートも、サーバールームの設計も、自分で決めた。前回より速く、前回より的確にできた。それは「成長」と呼ぶには地味すぎるけれど、確かに前に進んでいる実感があった。
社内システムのクラウド移行プロジェクトでは、リーダーとして全社展開を指揮した。オンプレミスのメールサーバーをクラウドに移す。言うのは簡単だが、工場ごとに環境が違う。北条と南陽と日向で、微妙に設定が異なるメールシステムを、一つのクラウド基盤に統合する。
日向工場は、この時から手がかかる拠点だった。
移行手順を共有しても、その通りにやらない。独自の設定を勝手に入れる。問い合わせてくる内容が、手順書の三行目に書いてあることだったりする。電話口で「手順書を読んでください」と言いたいのを堪えて、もう一度説明する。二回目の説明で理解してもらえることは稀で、大抵は三回目が必要だった。
それでも、移行は完了した。全工場のメールがクラウドに移り、オンプレミスのサーバーを停止したとき、僕はサーバールームで一人、電源ボタンを押した。十年近く動き続けた機械が、静かに止まった。
誰も見ていなかった。こういう仕事は、いつも一人で終わる。


話を戻す。
カフェでの勉強を始めて三ヶ月。最初の試験の日が来た。
会場は隣の県の大学だった。三島と一緒に朝の電車に乗り、受験票を握りしめて教室に入る。周りは僕より若い受験者が多かった。
情報セキュリティスペシャリスト試験は、午前と午後に分かれている。午前はマークシート方式の知識問題で、セキュリティの用語や概念、マネジメントの枠組みなど、基本的には暗記の世界だ。午前を通過しないと午後には進めない。午後は中文のシナリオ——あるオフィスのネットワーク構成図が示されて、そこでインシデントが発生する。原因を特定し、対策を論じる。午後Ⅰは比較的短いシナリオが複数、午後Ⅱは一つの問題に複合的な技術要素が絡み合う長文問題だ。
一回目の試験は落ちた。午前で足を掬われた。技術的な問題は解けたが、マネジメント系の問題——セキュリティポリシーの策定手順だとか、リスク対応の四分類だとか——で取りこぼした。暗記すれば済む話なのだが、僕は暗記が嫌いだった。現場で手を動かしてきた人間は、手を動かさずに覚える作業が苦手なのだ。
午後に進むことすらできなかった。
三島も落ちた。二人で帰りの電車に乗り、黙ってビールを飲んだ。
「次は受かるよ」と三島が言った。
「だね」と僕は答えた。
次の試験まで半年。僕は模試を申し込んだ。金を払って受けるからには、少しは本気になるだろうと思った。実際、それは正しかった。模試で間違えた問題を洗い出し、午前の暗記系を重点的に潰していく。三島との勉強会は続けたが、僕の中で何かが変わり始めていた。
最初は付き合いだった。でも、二回目の挑戦には、小さな意地が混じっていた。
二回目。午前は通過した。午後Ⅰの問題を開く。あるオフィスのネットワーク構成図。ここでDNSの障害が発生し、次にWebサーバーへの不正アクセスが検知され——問題の構造は理解できた。わかっているのに、制限時間内に解答を書ききれなかった。読み取るべき情報が多く、手が追いつかなかった。
帰りの電車で、三島が言った。「柏木さん、惜しかったですね」
惜しかった。惜しかったからこそ、悔しかった。付き合いで始めたはずなのに、いつの間にか本気になっている自分がいた。
三回目。午前は前回の通過で免除されている。午後Ⅰの問題冊子を開いて、僕は少し笑ってしまった。
あるオフィスのネットワーク構成図が示される。ファイアウォール、DMZ、内部セグメント。見覚えのある構成だ。そこでマルウェア感染が検知される。感染経路の特定、影響範囲の調査、封じ込め手順——これは、北条工場で僕が実際に手を動かしたのと同じ構造の問題だった。
別の問題では、VPNの設定に関する脆弱性が問われた。認証方式の選定、暗号アルゴリズムの強度、トンネルの構成。先月、南陽工場との拠点間VPNで、まさにこの判断をした。
午後Ⅱの長文問題は、一つのシナリオの中にネットワーク、DNS、アクセス制御、ログ管理が複合的に絡む問題だった。環境の説明を読み、図を読み取り、次々と出題される技術的な質問に答えていく。どの質問も、北条工場のネットワークを組んだ時に悩んだことの変奏だった。
試験というのは、知識を問うものだと思っていた。少なくとも午前はそうだ。でも午後は違った。午後は、経験を問うていた。僕がインフラの現場で七年間やってきたことが、全部ここに書いてあった。
試験を終えて会場を出たとき、妙な気分だった。受かった確信があるわけではない。でも、自分が七年間やってきたことが、セキュリティの国家試験の午後問題とぴったり重なっていたという事実に、不思議な感慨があった。
僕は知らないうちに、セキュリティの実力を身につけていたのかもしれない。インフラの仕事をやっているつもりで、その実、セキュリティの土台を作っていたのかもしれない。


合格通知が届いた日、三島に連絡した。
「受かったよ」
「まじで。おめでとう」
三島の声は明るかった。自分のことのように喜んでくれた。
「三島は?」
「……ダメだった」
沈黙が二秒ほどあった。僕は何と言えばいいかわからなかった。誘ったのは三島で、付き合いで受けたのは僕で、受かったのも僕だった。この結果について、僕に責任はない。でも、申し訳なさのようなものが胸の底に薄く広がった。
「次がんばるよ」と三島は言った。
三島が次の試験に受かることは、結局なかった。
彼はその後も何度か受験したようだったが、いつしか勉強会の話題に試験のことは出なくなった。僕も聞かなかった。聞けなかった、というのが正確かもしれない。
人には向き不向きがある。三島はセキュリティの仕事を真面目にこなしていたし、知識もあった。でも、試験という形式が彼に合わなかったのか、あるいは僕のように「現場の経験がそのまま答えになる」という幸運に恵まれなかったのか。どちらにしても、結果は残酷だった。誘った人間が落ち、誘われた人間が受かる。人生は時々、こういう意地の悪いことをする。


合格から二ヶ月後、僕はインフラ部門の上司に呼ばれた。
課長の村瀬は、デスクの上に僕の人事ファイルらしきものを広げていた。僕は嫌な予感がした。人事ファイルを広げた上司の前に座らされて、いい話だった試しがない。
「柏木、お前セキュリティスペシャリスト取ったんだって?」
「はい」
「インフラにいるのに、なんでセキュリティなんだ」
語尾が上がっていた。疑問ではなく、非難だった。
「取るならネットワークスペシャリストだろう。お前の仕事に直結する資格を取れよ」
言っていることは正しい。正しいが、僕は付き合いで受けただけだ。そこまで深い意味はない。しかしそれを言うと、さらに怒られそうだったので黙っていた。
「まあいい。実は話がある」
村瀬が腕を組んだ。
「セキュリティ部門の大場さん、知ってるだろう」
知っている。セキュリティ部門の責任者で、ISMSの運用を取り仕切っている人だ。フロアが同じなので顔は合わせるが、話したことはほとんどない。穏やかな人で、悪く言えば覇気がない。最近は特に元気がないように見えた。
「大場さんが、ちょっとモチベーションの問題でな。上からも話があって、セキュリティ部門に人を入れたいんだ」
僕は嫌な予感が嫌な確信に変わるのを感じた。
「お前、異動な」
「……は?」
「セキュリティスペシャリスト持ってるんだろ。ちょうどいい」
ちょうどよくない。僕はインフラの人間だ。来週のVLAN設計だってまだ終わっていない。第三ラインの構築プロジェクトは誰が引き継ぐんだ。
でも、そういうことを言う間もなく、話は決まっていた。人事とは、本人の意志に関係なく動くものだ。少なくとも、この会社では。


異動の日、僕は段ボール一箱分の荷物を持って、同じフロアの反対側に移動した。
物理的な距離は、二十メートルほどだ。エレベーターに乗る必要すらない。同じフロアの、同じ空調の、同じ蛍光灯の下。それなのに、空気が違った。
インフラ部門の島は、いつも誰かがキーボードを叩いていて、電話が鳴っていて、「このスイッチの設定変えていい?」「ダメ。申請出して」みたいなやり取りが飛び交っていた。活気というほどのものではないが、少なくとも動いている感じがあった。
セキュリティ部門の島は、静かだった。
大場さんが一人、自分の席でモニターを見ていた。何を見ているのかはわからない。僕が荷物を持って近づくと、顔を上げて、小さくうなずいた。
「柏木さんだっけ。よろしく」
「よろしくお願いします」
そしてもう一人。三島がいた。
考えてみれば当然だ。三島は元々セキュリティ部門の人間なのだから。僕を試験に誘ったのも、同じ部署になるための布石——ではなかっただろう。たぶん。
「柏木さん、ようこそ」
三島は嬉しそうだった。勉強仲間が同僚になった。彼にとっては自然な喜びだったのだろう。僕にとっては、付き合いで受けた試験に受かったせいで飛ばされてきた場所だったが、そんなことは言わなかった。
歓迎会はなかった。代わりに、大場さんが僕にISMSの管理文書が入ったフォルダのパスを教えてくれた。
「まずはこれを読んで。わからないことがあったら聞いて」
僕はフォルダを開いた。情報セキュリティ方針、リスクアセスメント手順書、適用宣言書、内部監査手順書、是正処置管理規程。文書の海だった。
ISMSというのは、JIS Q 27001に基づく情報セキュリティマネジメントシステムだ。要するに、組織の情報を守るための仕組みを作り、運用し、継続的に改善するためのフレームワーク。言葉で言えば簡単だが、実際にはこれを維持するために膨大な文書管理と年次サイクルがある。
リスクアセスメントを実施し、管理策を選定し、内部監査を行い、マネジメントレビューを開催し、外部審査を受ける。それを毎年繰り返す。PDCAサイクルという名の、終わりのない回転。
大場さんは、これをほぼ一人で回していた。三島は事務的なサポートをしていたが、仕組みの設計や審査対応は大場さんの仕事だった。
「コンサルは入れないんですか」と僕は聞いた。
大場さんは少し笑った。笑ったというより、口元が動いただけかもしれない。
「予算がないからね」
予算がない。この会社でもっともよく聞く言葉の一つだ。
「でも、私は逆にその方がいいと思ってるよ。コンサルに頼ると、コンサルがいないと回せなくなる。自分たちで作ったものは、自分たちで直せる」
この言葉を、僕はその時はさらっと聞き流した。


最初の一ヶ月は、ひたすら文書を読んだ。
ISMSの管理文書は、読んでいて面白いものではない。「組織は、情報セキュリティ方針を確立し、文書化し、全従業員に周知しなければならない」。こういう文章が何百ページも続く。
でも、読み進めるうちに気づいたことがあった。
この文書群を作ったのは大場さんだ。テンプレートをそのまま使ったのではなく、この工場の実態に合わせてカスタマイズされている。製造ラインのネットワークに関するリスク評価は、現場を見た人間でないと書けない粒度だった。取引先との情報共有ルールも、自動車業界特有の要件を踏まえている。
やる気がない、と言われていた大場さんだが、少なくともこの文書を作った時期には、相当な熱量があったのだと思う。一人で、コンサルなしで、ゼロからISMSの体系を作り上げた。それは、僕が一人でネットワークを設計し構築したのと、本質的には同じ種類の仕事だった。
目に見えないものを作る仕事。動いているときには誰にも気づかれず、壊れたときだけ注目される仕事。


二ヶ月目から、実務が始まった。
僕に与えられた最初の役割は、内部監査員だった。
ISMSでは、自社の各拠点を定期的に内部監査する必要がある。セキュリティのルールが正しく運用されているかを確認し、問題があれば不適合として指摘する。三島が監査のスケジュール調整やコントロールを担当し、僕が実際に現場に行って監査をする、という分担になった。
三島は監査事務局の仕事を手際よくこなした。各拠点との連絡、日程調整、チェックリストの準備。試験には受からなかったが、こういう段取りの仕事は三島のほうが僕よりずっとうまかった。人にはそれぞれ得意なことがある。
僕は監査員として、北条を起点にあちこちの拠点を回ることになった。
最初は近場の瑞穂工場。次に矢萩工場。そして戻ってきて日向工場。一つの監査ツアーで数拠点を回る。移動日を含めると一週間近く出張することもあった。
監査に臨むにあたって、僕はまずガイドラインと規定を徹底的に読み込んだ。JIS Q 27001の要求事項、それに紐づく管理策、社内の情報セキュリティ規程。全部読んだ。読んで、理解して、自分の中に基準を作った。
それが問題だった。いや、問題だったと後から知った。
前年の監査記録を確認して気づいたのだが、大場さんが監査をしていた頃は、不適合の指摘がほとんどなかった。「おおむね良好」「継続して運用されている」。そういう所見ばかりだった。
僕はそうは思わなかった。
南陽工場の監査では、それなりの数の指摘を出した。でも、本当の衝撃は、矢萩工場だった。
矢萩工場の監査に入ったとき、僕の手元には前年の監査記録があった。大場さんが対応したもので、指摘事項は数えるほどしかなかった。
現場に入って、一つ一つ確認していく。アクセス権の管理台帳。パスワードポリシーの運用状況。情報資産の分類と取り扱い。持ち出し管理。入退室記録。教育記録。
規定と照らし合わせると、乖離があった。しかも、一つや二つではなかった。
監査が終わる頃には、僕が出した不適合指摘は五十件近くに達していた。
前年がほぼゼロだったところに、いきなり五十件。矢萩工場の現場は、当然のことながら混乱した。後から聞いた話では——いや、僕は直接聞いてはいないのだが——クレームになったらしい。「監査員が変わった途端にこれはおかしい」と。
おかしいのはどちらだろう、と僕は思った。規定があって、それが守られていないなら、指摘するのが監査員の仕事だ。前年の監査で指摘されていなかったのは、前年の監査が甘かっただけだ。
でも、そういう正論は、現場では通りにくい。人は、急に基準が変わることに怒る。基準が正しいかどうかではなく、昨日と違うということに怒る。
大場さんに報告したとき、彼は黙って聞いていた。怒りもしなかったし、褒めもしなかった。「そうか」とだけ言った。
三島にはもう少し具体的に話した。「五十件出したんだけど、多すぎたかな」
「多いとか少ないとかじゃなくて、あるなら出すべきでしょう」
三島はあっさりと言った。僕は少し救われた気がした。


その後、僕は監査のたびに同じスタイルを貫いた。規定を読み、現場を見て、乖離があれば指摘する。忖度はしない。したくてもできない。そういう性格なのだ。
結果として、会社全体の不適合指摘件数は跳ね上がった。僕が監査を担当するようになって数年後には、全社で年間一千件近い指摘を出すようになっていた。最初は異常だと思われたそれが、いつの間にか「普通」になった。
不適合は悪いことではない。見つけて、直すことに意味がある。見つからなかったら、直せない。大場さんの時代に指摘されていなかった問題は、存在しなかったのではなく、見えていなかっただけだ。
ただ、見えるようにした人間は、嫌われる。
これは後に何度も実感することになるが、この時はまだそこまで考えが及んでいなかった。


入社して間もない頃の話を、一つだけ。
あの頃の僕は、仕事以外のことにも鈍感だった。いや、仕事のことにも十分鈍感だったが、仕事以外のことにはさらに鈍感だった。
同じ部署に、一つ年上の女性社員がいた。名前は覚えているが、ここでは書かない。彼女は僕にやたらと話しかけてきた。昼休みに「一緒にご飯行きません?」と誘ってきたり、仕事終わりに「駅まで一緒に帰りましょう」と言ってきたり。
僕はそれを、「新入りの僕に親切にしてくれている先輩」だと思っていた。
ある日、彼女が妙に改まった顔で僕に言った。「柏木さん、今度の週末、空いてますか」
「空いてますけど、何かあるんですか」
「……いえ、何でもないです」
彼女は少し悲しそうな顔をして、それ以降、僕に話しかけてくる頻度が減った。
数年後、別の同僚から聞いた。「あの時、彼女はあなたに告白しようとしてたんだよ」
知らなかった。本当に、全く、気づいていなかった。
この話に教訓があるとすれば、僕という人間は、目の前にある仕事に没頭すると、それ以外のことが見えなくなるということだ。これは美点ではなく、欠点だ。ただ、この欠点がなければ、一人で工場のネットワークを構築することも、一人でISMSの文書を読み解くことも、規定と現場の乖離を五十件も見つけることも、できなかったかもしれない。
人間の長所と短所は、大抵同じものの裏表だ。


異動から半年が経った頃、僕は大場さん、三島と三人で外部審査を受けた。
ISMSの認証を維持するためには、毎年、外部の審査機関による審査を受ける必要がある。三年に一度の更新審査と、その間の年次サーベイランス審査。この年は年次サーベイランス審査だった。
審査員は東京から来た五十代の男性で、眼鏡をかけた穏やかな人だった。穏やかだが、質問は鋭い。
「リスクアセスメントの見直しは、どのような基準で実施していますか」
「組織変更、システム変更、インシデント発生時、および年次レビューのタイミングです」
「直近一年間で、リスクアセスメントの見直しにつながったインシデントはありましたか」
大場さんが答えた。三島が補足の資料を差し出す。僕は隣で記録を取りながら、審査というものの空気を肌で感じていた。
審査員は、書類を確認するだけではなかった。現場を歩き、従業員に直接質問し、実際の運用が文書通りに行われているかを確かめていく。文書に書かれた美しい言葉と、現場の実態との差を、彼は見逃さなかった。
でもこの年は、大きな指摘はなかった。大場さんが作り上げた仕組みは、きちんと動いていた。
審査が終わった後、大場さんが珍しく饒舌になった。
「十年やってるけど、毎年緊張するよ」
「十年もやってるのにですか」
「十年やってるからだよ。積み上げたものが崩れるかもしれないんだから」
その時の大場さんの横顔を、僕は覚えている。やる気がない、と言われていた人の目に、確かな誇りが見えた瞬間だった。


こうして僕は、セキュリティの世界に足を踏み入れた。
三島に誘われて、付き合いで受けた試験に受かって、意図しない資格を手にして、望んでもいない部署に飛ばされて、全国の拠点を監査して回って、五十件の不適合を出してクレームになって、それでもまだここにいる。
三島は隣の席で監査のスケジュールを組んでくれている。大場さんは相変わらず静かにモニターを見ている。
僕の人生は、いつもこうだ。自分で選んだことなど、ほとんどない。
でも、選ばなかった場所で、選ばなかった仕事を、いつの間にか自分のものにしている。規定を読み、現場を見て、乖離を指摘する。それが僕のやり方になった。不本意で、不器用で、たぶん嫌われている。でも確実に、この会社のセキュリティは前に進んでいる——ような気がする。少なくとも、後ろには戻れない。
大場さんが作った仕組みを、僕が引き継ぐ。引き継いだものを、僕なりに回していく。
そしてこの先、僕はまだ知らなかった。この仕組みが、僕を守ることもあれば、僕を縛ることもあるということを。辞めたいと思う日が来ることも、辞められないと知る日が来ることも。
すべては、三島の「一緒に受けない?」から始まった。
あの金曜日の夕方、僕がもう少しだけ断る情熱を持っていたら、人生は違っていたかもしれない。
でも、たぶん、違わなかっただろう。僕はいつだって、流れに乗ってしまう人間だから。
流れに乗って、気がつけば、ないものを作っている。


(第2話「汚染」に続く)

第1話「試験」 https://note.com/fermiyuzuki/n/na521b2b9bd46

第2話「汚染」 https://note.com/fermiyuzuki/n/n67b1180590b1

第3話「孤城」 https://note.com/fermiyuzuki/n/n342102294d4c

第4話「慰留」 https://note.com/fermiyuzuki/n/nda84d333758e

第5話「作る」 https://note.com/fermiyuzuki/n/nb22e9360aea5

外伝1「越境——これは、僕の仕事なのだろうか」
https://note.com/fermiyuzuki/n/n9f7d3f22604e

外伝2「無知——なぜ、僕はこんな人間になったのか」
https://note.com/fermiyuzuki/n/nd282f05c7fec

外伝3 「配送——届かないのは、メールだけじゃない」
https://note.com/fermiyuzuki/n/n9653280e9b3e
#創作大賞2026 #お仕事小説部門

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