江島神社 ~ 巳の日に弁天さま詣で ~
こんにちわ、唐崎夜雨です。今年から「てらたびnote」と題してお寺巡りをしてますが、ときどきは神社にも参ります。

二月十七日、神奈川県藤沢市の江島神社に詣でる。
江の島は、近江の竹生島、安芸の厳島とならび日本三弁天のひとつ。
この日は巳の日。巳(ヘビ)は弁才天のお使いとされ、巳の日は弁才天の御縁日。まして今年は巳の年。
というわけで、いざ江の島へ。


書体は弁才天のお使いであるヘビ
縁起によると、はるかむかし何々天皇の頃に。。。と記されているようですが、それはちょいと省略。
『吾妻鏡』によれば、治承六年(養和二年、西暦1182年)四月五日に、高雄の文覚が源頼朝の戦勝祈願のために江ノ島に弁才天を勧請したとある。頼朝の祈願とは奥州藤原秀衡の討伐であり、それゆえに頼朝自身も江の島へ向かっている。そして源頼朝は鳥居を奉納したと伝える。

また同じ四月の二十六日には、文覚が21日間の断食祈願を終えて江の島を出ていることも記している。
文覚上人といえば、先月京都の神護寺にある文覚上人のお墓参りをさせてもらっている。ゆかりの地を訪れたことは、なんだか時空を超えて故人と再会するような心地です。

江の島の弁天さまが、日本三弁天の一つにまで知られるようになったのは、鎌倉に近かったからだと考える。
比較的都に近い竹生島や、近畿と九州を結ぶ瀬戸内にある厳島と違い、東国の小島は古くから信仰の島であったとしても、鎌倉に幕府が置かれるまではさして大きな存在ではなかったと思われる。
実際、平安時代の延喜式神名帳に安芸の伊都伎島(厳島)神社、近江の都久夫須麻(竹生島)神社は載るけれど、相模の国に江の島の名はない。

いま弁才天は七福神のひとつで、琵琶を抱えた天女のイメージがあるかもしれませんが、仏教の弁才天は八本腕に武器を持つ戦闘神です。武家が崇敬するのも無理からぬこと。
ことに北条家は篤い信仰だったようで、『太平記』には北条時政が江島弁才天の霊験をうけ龍の鱗三枚を得たので、家紋を三つ鱗にしたとある。

江島神社の現在の御祭神はいわゆる宗像三女神。それぞれにお宮が建つ。
陸に近い辺津宮に田寸津比賣命〔たぎつひめのみこと〕、
中津宮には市寸島比賣命〔いちきしまひめのみこと〕、
いちばん奥の奥津宮には多紀理比賣命〔たぎりひめのみこと〕
が祀られています。

弁才天は歌舞音曲の御利益がるとされ芸能関係の信仰も篤い

辺津宮の近くにある奉安殿には裸弁才天と八臂弁才天が安置されている。江島神社まで行かれたのなら是非こちらの御尊像をもお参りしてください。拝観料200円。
中津宮と奥津宮の間に海苔羊羹で知られる中村屋さんがある。


奥津宮から島の裏手の海岸に降りるとそこは岩屋(洞窟)がある。この岩屋が江島信仰の発祥の地といわれる。多くの修行者がこの岩屋で修行をしたことでしょう。
岩屋には入場料500円、手燭を持って入ります。今回は入らずに戻りました。

帰る頃には参拝客がたくさん。参道も賑わっている。寺社のこうゆう賑わいは結構なものだと思いながらも、人の多いのは疲れてしまうので急ぎ帰路へ。
そうそう江島神社は明治の神仏分離を迎えるまで、金亀山与願寺と称していた。「てらたびnote」と題しても、まんざら見当ちがいでもなさそうな。

冗談ではないようですよ

