鬼足袋工業【東の鬼足袋】と呼ばれた会社の物語 (上) (大森西特別出張所) ~ #78
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はじめに
現在の
静岡県磐田市福田町 (ふくでちょう) は、
江戸時代後期から
織物産業が深く根付いた場所です。
日本の近代化と共に技術を革新し、
全国的な産業の一大拠点へと
発展していきました。
コーデュロイ全国シェア90%以上
今でも
別珍・コーデュロイのふるさととして
歴史を紡ぎ続けているこの地で、
後の「鬼足袋」へと繋がる技術と基盤が、
どのように築かれていったのか。
その黎明期から
国産コールテンの発明までを、
紐解いていきます。
鬼足袋の父 寺田一族の系譜
「鬼足袋工業」の成功は、
創業者である
初代・寺田淳平 (じゅんぺい) と
その家族の物語でもあります。
彼らの詳細な生没年は不明ですが、
静岡県の遠州福田地方の
織物産業に深く関わり、
後の大成功を導きました。
二代目 寺田淳平(壯一:そういち)
初代淳平の長男として、
1892年 (明治25年) に生まれます。
慶應義塾大学を卒業後、
1915年 (大正3年) に家督を継ぎ、
父の築いた事業を発展させました。
寺田たゑ
初代淳平の娘。
府立第一高等女学校を卒業し、
後に鬼足袋工業の専務取締役となる
富永茂吉と結婚しました。
寺田春雄 (はるお)
初代淳平の息子。
早稲田大学を卒業後、
鬼足袋工業の社長を務めました。
富永茂吉 (とみなが しげよし)
1890年 (明治20年) 6月生。
鬼足袋工業會社專務取締役
「貧乏人のベルベット」コールテンの誕生
「鬼足袋」の根幹をなす素材、
それがコールテン (コーデュロイ) です。
その歴史は古く、
古代エジプトにまで遡ると言われています。
中世のヨーロッパでは、
「貧乏人のためのベルベット」と呼ばれ、
主に労働者の衣服に用いられていました。
しかし、
その丈夫さと肌触りの良さが
再評価されると、
ビートルズのような
有名ミュージシャンが
身につけたことで、
そのイメージは一変し、
世界中のカジュアルファッションに
欠かせない定番素材となりました。
日本では、英語の「cord」と
ビロードの和名
「天鵇(てんがじゅう)」を
組み合わせて
「コール天」と呼ばれました。
織物産業の黎明期
福田町の織物産業は、
寺田一族の技術革新から始まりました。
1831年 (天保2年) :
寺田彦左衛門が旅先で見た
「雲斉織 (うんさいおり)」の
技術を持ち帰り、
内職の基礎を築きます。
1869年 (明治2年) 頃:
寺田きみという女性が、
信州松本から伝わった
「足袋底織」の製造に専念し、
この技術を広めました。
この技術こそが、
後に全国ブランドとなる
「鬼足袋」へと繋がる
重要な基盤となります。
1881年 (明治14年) 頃:
足袋底織の工場は
30余りを数えるまでに成長し、
福田町は織物産業の町として
発展を遂げます。
国産コールテンの開発
当時、
輸入品が高値で取引されていた
コールテンの国産化に向けた研究が
福田町で始まります。
そして、岡崎町(現在の愛知県岡崎市)
からやってきた
**畔柳八十次郎 (くろやなぎ やそじろう)が、
研究を重ねた結果、
ついに
国産コールテンを完成させました。
この技術は
寺田伝吉によって同町に紹介され、
本格的なコールテン製造が
スタートします。
寺田淳平商店の繁栄
国産コールテンの技術を継承した
初代・寺田淳平は、
1905年 (明治38年) に
「コールテンの鬼足袋」
というブランドを立ち上げます。
その品質の高さとユニークな商標は、
瞬く間に全国で評判となり、
「西の福助、東の鬼足袋」
と称されるほどの
知名度を確立しました。
この成功を受けて、
初代淳平は東京・大森に
大規模な新工場を
建設する計画を発表しますが、
志半ばで死去。
鬼足袋の物語は、
二代目淳平へと引き継がれていきます。
【考察】「寺田一族」という存在
初代淳平の周囲には、
寺田彦左衛門や寺田きみ、
そして寺田伝吉など、
数多くの「寺田」姓を持つ人物が登場します。
詳細な関係は不明ですが、
個人的な見解では、
彼らは皆「寺田一族」として、
互いに協力しながら
事業を支えていたのではないかと考えています。
業界経験者が他店で技術を磨き、
大成功を収めるという流れは、
当時としては珍しくありませんでした。
福田町に明確な
繊維業の基盤があったからこそ、
寺田一族の成功に繋がったのでしょう。
もちろん、これは想像の域を出ませんが、
寺田一族の物語を考える上で、
彼らが一つの大きな力として
存在した可能性は十分に考えられます。

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出典
1.『日本別珍コール天五十年史』藤田錦司 著
2.『遠州福田地方における別珍・コール天工業の性格』 河合康夫
3.『人事興信録』データベース
後編では、
鬼足袋工業が
東京に進出してからの物語を紐解きます。
あなたの街にも、
かつて有名だったけど
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