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調布大塚駅が開業【8月19日 今日は何の日】(雪谷特別出張所) #422

※本記事は
 Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁じます。
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※史料に基づき記述していますが、
 必要に応じて
 考察が入る場合があります。


雪が谷大塚駅の歴史

1923年 (大正12年) 5月4日 
池上まで開通していた
池上電気鉄道は
初代「雪ヶ谷」駅まで延伸されました。

この時設置された
初代「雪ヶ谷」駅は、
石川台1号踏切
(南雪谷1-15-20)
の南側にあったとされています。

写真:石川台1号踏切
はるか遠くに雪が谷大塚駅が見える
撮影:かえる11号

以降、
雪ヶ谷駅は
2度の移設が行われます。

1927年 (昭和2年) 6月4日
雪ヶ谷ー国分寺線免許申請。

1927年 (昭和2年) 8月19日 
初代「雪ヶ谷駅」と御嶽山前(現・御嶽山)駅の間
現在の雪谷電車区のあたりに
調布大塚駅を開業しました。
(北嶺町46付近)

写真:田園調布 旧1万地形図
1931年 (昭和6年) 1月30日
緑線:池上線 紫線:新奥沢線
赤点:初代もしくは二代目雪ヶ谷駅 青点:調布大塚駅
出典:大日本帝國陸地測量部

1927年 (昭和2年) 12月6日
雪ヶ谷ー国分寺線免許交付。

1928年 (昭和3年) 4月4日
雪ヶ谷ー新奥沢間工事施工認可。

1928年 (昭和3年) 10月5日
免許取得した雪ヶ谷ー国分寺線の
手始めとして
新奥沢線(1.4km)が開業しました。

その際
初代雪ヶ谷駅から
蒲田寄りへ150m移設され、
2代目雪ヶ谷駅となりました。

1933年 (昭和8年) 6月1日
2代目雪ヶ谷駅と調布大塚駅が
統合されたとされます。
そして
現在の位置に移設され
3代目雪ヶ谷駅となりました。

1933年 (昭和8年) 11月18日
五島慶太が
池上電気鉄道の代表取締役に就任後
雪ヶ谷~新奥沢間(新奥沢線)の
廃止を申請しました。
その理由として、
業績不振や
国分寺線免許の失効などが
挙げられています。

1935年 (昭和10年) 11月1日
新奥沢線(1.4km)が廃止になる。

1943年 (昭和18年) 12月
雪ヶ谷駅から雪ヶ谷大塚駅へ
改称する。


調布大塚駅名の由来

所在地が
大塚古墳のあった
(正式名・鵜木大塚古墳)
調布村大字鵜ノ木の飛び地で
字大塚だったため
調布村の大塚地区で
調布大塚駅となったようです。


調布大塚駅の設置と新奥沢線敷設について(考察)

池上電気鉄道は
国分寺線の計画を進めるために
調布大塚駅を設置して
ここから
田園調布ー国分寺へと
路線を伸ばそうとしていた意図が見えますが、
目黒蒲田電鉄側との間で
その計画が実現することはありませんでした。

それは、
目黒蒲田電鉄側の五島慶太氏が
二重資本の投資で
お互いの体力が下がることを
懸念していたとも言われています。

しかし、
池上電気鉄道も
延伸計画を拒否されたからといって
免許を取得したまま
工事を進めないことを
良しとはしなかったのではないでしょうか。

だから
池上電気鉄道は
「とりあえず」
目黒蒲田電鉄や他社との調整を必要としない
新奥沢線の敷設をして見せた。

しかしその後、
目黒蒲田電鉄に吸収合併となり
五島慶太氏によって
計画は取り消されました。
これが一連の顛末なのではないでしょうか?


調布大塚駅統合と雪ヶ谷大塚駅改称時期のズレ(考察)

目黒蒲田電鉄合併前に
調布大塚駅を廃止・統合した理由と
雪ヶ谷大塚駅へ改称になるまでに
10年もの時間がかかったこと。

調布大塚駅の設置は
単なる途中駅の新設ではなく、
国分寺線が実現した場合の
その先の路線展開までを見据えた
計画の一部だった可能性も
あるのではないでしょうか。

せっかく開設した
調布大塚駅が
なぜ、
わずか数年で
雪ヶ谷駅と統合しなければ
いけなかったのでしょう?

調布大塚駅が統合・廃止されたのは
同年に、
目黒蒲田電鉄の傘下になったことも
一つの背景にあったのではないかと
筆者は考えています。

また、
3代目雪ヶ谷駅となってから
雪ヶ谷大塚駅という呼称になるまでに
10年を要したのも理由が
はっきりしていません。
雪ヶ谷駅として
10年やってきたのなら
そのままでもよかったのではないか
と筆者は考えています。

一方では
1933年 (昭和8年)
には調布大塚駅が廃止されず
数年存在したのではないかという
見解もあります。

さらに
雪ヶ谷大塚駅に改称した時期が
12月とされながら
日にちが特定されていないことに
違和感を覚えるのは
筆者だけでしょうか?

これは
合併によって見えにくくなった
池上電気鉄道の歴史になってしまったのかもしれません。

写真:雪が谷検車区
調布大塚駅があったとされる付近
「きになる電車」や「いけたまハッピートレイン」の姿も見える
撮影:かえる11号

おわりに

今があるのは
過去が存在するから
というのが
筆者の持論である。

その中で
不明な点を
独自の視点で
究明するのが
歴史を語る上で
必要な作業の一部だと
常に考えています。

Otapediaは、
調布大塚駅と
雪ヶ谷駅と
新奥沢線を
「大田区無名の呼称」
「大田区未顕彰の地域遺産」

として
調布大塚駅が開業した
8月19日を
「大田区記憶の日」
として記録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動

博物館に展示されない
大田区の歴史を
展示する資料室

私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。

その活動や
痕跡は消えても、
地域に遺された軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.『雪が谷大塚駅』Wikipedia
 2.『東急100年史』東急電鉄

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