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「森平太郎の原点」一六饅頭 (大森西) #54

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すべての原点となった 台北の「一六軒」

実業家 森平太郎 (もり へいたろう) の生涯

1869年 (明治2年) 11月23日-1946年 (昭和21) 年1月
佐賀市北山村 (現在の佐賀県佐賀市富士町) 出身。

幼いころに
森源兵衛の養子となります。

25歳の時、森エイと結婚しました。
 ※作家の北方健三は彼の曾孫にあたります。

彼らは日本統治下台湾に渡り
事業を大きく拡大します。

後に創業した新高製菓
成功を収めます。

その経験を「逆輸入」する形で
日本に戻り、
近代製菓業界革新をもたらし、
国内TOP3の会社にまで
押し上げた人物です。


日本の西洋菓子の歴史

日本の食文化に
西洋菓子が本格的に定着し始めたのは、
明治時代後期のことです。

その立役者の一人が、
現在の森永製菓
創業者である森永太一郎です。

彼は米国西洋菓子の製造技術を習得し
日本国内への普及を目指しました。

1899年 (明治32年) 8月15日
赤坂溜池に「森永西洋菓子製造所」を開業。
これにより日本の菓子業界は、
本格的なスタートを迎えました。


渡台への野望と一六軒の開業

佐賀県の北山地区で
菓子屋を営んでいた森夫妻は、
1902年 (明治35年) 
 (1895年という説もある)
日本統治下となった
台湾という新天地で、
商売を始めたいという野望を抱きました。

親友の原口善太郎から30円を借りて、
夫婦で台湾へ渡ります。

現地では、先に台湾に渡っていた
同郷の合瀬清繁から
さらに資金を借り受け、

故郷で親しまれていた
一六饅頭」を売るために、
台北に「一六軒」を開業しました。


事業の大きな転機

事業が進む中
転機が訪れました。

キャラメル工場の
閉鎖と共に工場を譲り受け、
キャラメルの製法も取得しました。

このことが大きな分岐点となり
妻に「一六軒」を任せ、
平太郎は
「新高製菓商会」を設立しました。

機械で大量生産でき、
日持ちする洋菓子の開発に
注力しました。

その後「一六軒」
繁華街の本町に移転し、
新高製菓と共に
発展を遂げていきました。


多角化する店舗

本店以外にも
台北市新起町支店
南門市場内に販売店を展開。

昭和時代には、
本店2階を「新高喫茶店」、
3階を宴会場に改装。

1928年 (昭和3年) には
西門町市場八角堂2階に
食堂と喫茶部もオープンし、
食事や菓子、コーヒー、
ビールなども提供していました。

1930年 (昭和5年) 5月
当時の拠点は
以下のとおりであった。

東京営業所 東京市神田區一ツ橋通町20
第一工場 臺臺北市古亭町
第二工場 大阪市西淀川區傳法町
第三工場 東京府大森町富士見通
第四工場 大連市靑雲臺
練乳工場 千葉縣岩井驛前
一六軒本店 臺臺北市本町
出張所 名古屋 福岡 小倉
特約店 内外各地 四百五十一店
従業員 千餘人 [⁶]

ー事実寄りー
第三工場の住所表記から見る
通り名の変遷


新高製菓があった場所は
現在の東邦医大通り
かつては
「鬼タビ通り」
呼ばれていたが、
昭和5年当時は
まだその呼称が
一般化していなかったことが
史料の住所表記から読み取れる。
地名や通り名の変遷を記すことで、
史料の時間的文脈が
読者に伝わりやすくなる。


太平洋戦争での敗北

1945年 (昭和20年)
太平洋戦争で敗戦国となると
台湾の第一工場は接収され、
古著愚」という
人物の手に渡ったとされています。

一六軒」の詳細な記事は
見当たりません。
2017年2月まで
当時のビルは存在していましたが、
取り壊されてしまったようです。[²]

Googleストリートビュー
「一六軒」の本店があったとされる
台北市重慶南路一段103号付近を探索してみました。
2017年に解体されたままのようです。

出典1. 一六軒と森平太郎
   
台北市本町1丁目14番地
  (現在の重慶南路一段103号)
  2. 林小昇之米克斯拼盤
  3. Wikipedia 新高製菓
  4. 台湾に渡ったアジアの製菓王、故郷・佐賀へ帰る 平野久美子
  5. Googleストリートビュー
  6.菓子店経営の繁昌秘訣 サトウツタヱ 著 新高製菓奉仕部 1930
ヘッダー写真
  AIによる生成

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