見出し画像

5.組織論 インタラクティブミュージックは技術があれば可能、という神話、あるいは、セクショナリズムを超える必要性

この記事は「インタラクティブミュージックについての12の神話」連載の、5つ目になります。インタラクティブミュージックを略して「IM」とすることがあります。


前の記事「インタラクティブミュージックをやるには技術力が必要、という神話」と対になる形の本項。
相互に矛盾するようなタイトルになっているが、
前項が「技術が高い必要はない(誰でも技術的にはできる)」という話だったのに対して、
本項は「技術があっても出来るとは限らない(文化的・政治的な課題がある)」という話をする。

やりたくても出来ないインタラクティブミュージック

IMに限らない広い話を少しだけする。

完成したゲームに対して、こうしたら良いとかあーしたら良いとか、言うことはできる。

しかしながら、ゲームを開発している中の人が同じことを言うのは難しい。なぜだろう?簡単な話だ。彼ら(私達)は開発中に一度たりとも「完成したゲーム」を見ることは無いのだから

当たり前だが、すべてのプロジェクトがそうだ。我々は完成させるためにプロジェクトを行うのであって、その間は常に「未完成のプロダクト」と向き合い続ける。完成した後になってようやく、本当はこうしたかったのではないか、というコンセプトが輪郭として見えてくる。コンセプトをシンプルな言葉で表せば終わりだと思っているならそれは甘い。言葉はショートカットでしかない。実際に遊べるようになってようやく、コンセプトの内実というものが開発者たちにも伝わってゆく。

もちろん、「だから作ってる最中は何もわからない」と言ってしまうのはそれこそ甘えだ。プロなんだから、完成形を想像して動くべきなのだ。しかし、「プロだから自分で想像しろ」という根性論に任せるのもまた怠慢である。未完成のゲームからは不確実な想像しか生まれない。仕様変更を繰り返すプロジェクトであれば尚更だ。では、どうすれば不確実なゲーム完成像に対して、適切な音楽演出をデザインできるのだろうか?


ゲームが決まるのが先か、音楽が決まるのが先か

ゲームが完成してから、IMによる音楽演出を提案することは容易い。

しかしながら、開発中にそれを見越してゲームと音楽を同時に設計していくことには、想像以上のハードルが存在する。もちろん、それを皆頑張って乗り越えているからIMが今や当たり前と言われているわけだが。技術が一般化した今、むしろこちらの問題のほうがクリティカルとなっている。

わかりやすいように、図にしてみたのだが……

理想的には、完璧に完成形を想像できる仕様が先にあって、それを元に音楽を設計・発注できる場合。

しかし実際には、仕様が固まるには(そして、それが想像可能な成果物として見せられる状態になるには)相当の開発期間を要する。

そして、現実には予算も期間も限られているために、最後に作曲(や、サウンド全般)の作業がものすごい勢いで圧縮されていく

こうした光景は驚くほどありふれていて、ゲームサウンド(や、後工程に回らざるをえないセクション全般)の開発で昔から起こっている。

CEDEC+KYUSHU 2019 ゲーム音楽演出を進化させる
「インタラクティブミュージック」と「音楽的ゲームデザイン」
より
これを発表した時なぜかここで拍手が起こった

もちろん、そうならないように、日々サウンドの開発は効率化の工夫をしたり、ワークフローがスムーズになるように調整したり、といった対策を講じている。

しかし、最近のゲーム音楽はDTMで完結するわけでもなくてオーケストラで収録していたりもするから、そうなると効率化というのも限度が出てくる。いくらでも期間を延ばして収録を何度もできるような予算が潤沢なプロジェクトは例外的だ。

いや、待てよ。なぜ音楽を作るのにゲームデザインの「完成」を待つ必要があるのか?同時並行で作るのが当然ではないか。それはその通りだ。だが、ゲームの時間的構造の変化が、音楽デザインに与える影響というものは想像されている以上に大きい。


音楽の構造に影響するゲームデザイン

端的に、10分のゲームプレイには3分の曲を余裕で入れられるが、1分ごとにゲームプレイが切り替わるならもうそこに3分の曲は入らない

そして「1つのゲームプレイ」がどれほどの長さなのかは、ゲームデザインや調整によっていくらでも変化する。

  • 同じ雰囲気のフィールドがどれだけ続くのか

  • どれだけ頻繁にサブクエストが発生するのか

  • 自分がどのくらいの速さで移動できるのか

  • 移動手段をどのように切り替えられるのか

  • 戦闘はおよそ何秒程度続くのか

  • 敵はこちらをどれくらい追い回してくるのか

  • ボスを倒すのにどれだけ時間がかかるのか

  • 会話はユーザー操作で送るのか、自動的に進むのか

  • カットシーンの具体的な長さはどれくらいか

ここで、ゲームデザインによって与えられるゲームプレイの「時間」とは、音楽にとっての「キャンバスサイズ」であると考えるべきだ。

小さいキャンバスに大きな絵を書こうとしても無理が出てしまう。適切な音楽を当てるためには、ゲームプレイが何分、何秒、カットシーンが何フレーム、といった時間情報を確定させる事が必要になってくる。


ゲーム音楽設計、どうしたらいいのか?

ではどうしたらゲーム開発期間内に音楽設計ができるのだろうか?

理想を言えば、

インハウス(社内)のコンポーザーが、ちゃんとゲームの仕様を読んで会議にも出て開発途中のビルドも触って、適切な音楽デザインを探っていく。

つまり、ゲーム制作と音楽制作が分かたれた状態ではなく、音楽を作る人もゲーム制作に入り込んでいく形。任天堂とかは明らかにこの形態である。

作曲・編曲担当の仕事の魅力は、自分がこだわり抜いて作った音や演出を、世界中のお客様にお届けできることです。しかも、プログラマーやデザイナーなど、職種の異なるスタッフと隣り合った席で働いていますので、密に連携しながら曲作りができるのも大きな魅力です。細かなコミュニケーションを積み重ねられるからこそ、細部まで磨き上げることができ、妥協のない曲作りができるところもまた、任天堂でのサウンド業務の大きなやりがいになっています。

しかしこれは理想論であって、どの会社もこの体制が取れるわけではない。なぜなら、既にインハウス(社内)でコンポーザーを抱えるという形態がほとんど老舗のゲーム会社にしか残されていないからだ。あるいは、非常に小さいインディーのチームとか。作曲というのはそれだけで膨大な努力と才能を必要とするものであって、その上さらにゲーム開発の環境についていけるというのは貴重な能力なのだ。

ゲームのサウンドクリエイターは多くが独立しており、そうした「外注先」のサウンドチームに制作を依頼するパターンが多くなっている。さらに作曲者ともなると、ゲーム音楽とその他音楽の境目がはっきりしなくなって久しい昨今、ゲーム音楽が専門とも限らない外部の作曲家に「ちゃんとゲームを遊んで仕様書も読んで考えてください」といった事は夢物語になる。

この壁を超える方法も実はあって、「先に社内でBGMの設計指示書とデモBGMを作って、それをもとにアーティストにその構造のまま作ってもらう」というものだ。「Devil May Cry 5」ではそれが出来ている。

――そういったインタラクティブミュージック的な取り組みをされているとのことですが、今回の戦闘曲は海外のアーティストとコラボレーションで制作されていますよね。アーティストとのやり取りで大変だったことはありますか。

鈴木:それに関しては正式にお願いする段階で入念な発注書、あるいは設計図のようなものを作っていました。「ネロ」の戦闘曲については、依頼前に社内でデモを作っていまして。インタラクティブなBGMを構築するには、音楽をパーツごとに作る必要があるのですが、デモもパーツごとにバラバラに作りました。

 そのデモをアーティストにお送りして、「こういう形で納品いただきたいです」とお伝えしました。それでお渡しした設計図を元に納品していただいて、その音源をゲームに入れて、そこからさらに音源をアーティストと何度もやりとりさせていただいて、作り上げた感じです。

小池:実際には大体1年ぐらいかけましたもんね。

『デビル メイ クライ5』はサウンドがより“スタイリッシュさ”を演出? 
サウンドチームに聞いてみた|Real Sound|リアルサウンド テック

たしかに不可能ではない。が、なかなか出来ることではない。社内のコンポーザーが「説明のためだけに仮のBGMと資料を作成」するコストがかかるし、しかもそれをゲームデザインがほぼ確定した状況で行う必要がある。Devil May Cryという確固たるイメージを持ったシリーズでなければ、ここまでの覚悟を決めた作り方は出来ないんじゃないか。


社外からIM演出を提案する難しさ

逆に、社外のコンポーザーでも積極的にIM演出をやりたいという声も私の元には多く届くのだが、社内の開発チームがそうした要望に対応できない、といった場合も多い。端的にやったことが無いからわからないという場合もあるだろうが(その場合は一つ前の記事を出して「やれば出来るから!」ということで何かの助けになれば良いのだが)、コストが読めないというのも一つの理由だろう。

まず誰が実装(インプリメント)をするのか?ADXでもWwiseでも、社内にそれが使えて音楽もわかる人がいれば良いのだが、いないと難しい。

CRI ADX
Audiokinetic Wwise
こういうツールを作曲者が自ら使いこなせたら、可能性はうんと広がる。

じゃあADXやWwiseを社外のコンポーザーが自分で使います!という場合、今度は開発環境構築の問題が出てくる。実際にゲームに組み込むバイナリを提出するとなると、それが動かなかった場合や、バージョンアップが必要な場合、デバッグが必要な場合など、ほぼ社内と同等のサポート体制を構築できなければ問題が起こったときに無視できないコストが発生してしまう。

それもやります!と言うと今度は、セキュリティ的な意味で万全な環境構築が出来なければ、外部の方に開発ツールを渡すことはできない、といった事情も出てきたりする。

もちろん作曲家が情報漏洩するという意味ではない。どんな手段か知らないがゲームのリーク情報を漁って流す奴らがいるから、そのリスクを受け入れられない大規模開発では思った以上にフットワークに制限が出る。ゲームのリーク、ダメ、ゼッタイ

音楽演出の「コスト」は見えるが「売上」は見えない

作曲や収録自体のコスト増もある。もし契約が1曲いくら、とか1分いくら、といった契約であれば、IM対応で多数のブリッジセクションを作ったり、あるいは多数のレイヤーを分けて納品した場合、それらはどのように曲数や分数にカウントすべきなのか?もし、単純にそれらが加算されるのであれば、企業にしたら意図しないコスト増になってしまわないか?そうした不安から、気軽に提案できない、という事になってしまう。

※ここらへんは、私が契約発注周りを全然知らないだけなので、普通にこうしてます、という情報があれば、こっそり教えて頂けるとありがたいです。

そんなこんなで結局コストがかかるから、「IMをやったらいくら売上が伸びますとか、経営層にも届く説得材料が必要だ」という嘆きもある。

が、私としては、それには断固「いやそんなの必要ない」という事は言っておきたい。ゲーム開発の要素なんてどれ一つとっても、「その機能単体でいくら売上が伸びるか」なんて試算は絶対にされることがない。それは端的に不可能だ。すべては他の要素との関係なのだから。

丁寧にIM演出を実現している作品、そのチームやクリエイターに共通するのはたった一つ。これをやらなければゲームの体験が大きく変わってしまう、というクリエイターの信念でしかない。そして、その信念を開発チームに熱意をもって波及させられるかどうかだ。


信念がチームに波及する瞬間

FINAL FANTASY XVにMAGIを導入した時、私には確固たる信念があった。これがなければ、このゲームのボス戦をまともにカッコつけた形で終わらせることは出来ない。今までのFFシリーズでは滅多に無かった挑戦だけど、これをやるかどうかでゲーム体験が変わるという確信があった。

しかし、最初に開発チームにプレゼンした時の反応は芳しいものばかりではなかった。見たことがないものは想像がつかない。そんな中で、私に「やってみよう」と背中を押してくれたチームの方々には今でも感謝しかない。

FF15のミュージックプランナーをされていた小山内さん。
大変お世話になりました。

それが一度、とあるボス戦にMAGIによる音楽遷移を入れた所、空気が一変したのを覚えている。「こっちのボス戦にも入れましょう」「ここもMAGI対応入れましょう」と、逆に開発チームからどんどんオファーが来るようになった。IM対応が入る前と後という変化を体験すると、その威力が絶大であることに誰もが気づく。そのような信念がチームに根付くことで、FF15の音楽演出はチーム全体で協力して作り上げることができた。

だから、そうした信念が、作曲者のみならず、ゲーム会社のさまざまな層の方々や、ゲーム業界外の方たちにまで波及することで、「やるしかないだろう」という状況を生み出す力になればと思って、こうしたnoteも全部無料で書いて公開している。そして、その効果はたしかにあったと思う(し、逆に「何でもいいからIMをやろう」みたいな間違った圧力も出てしまった気がするので、それを打ち砕いていくための神話連載である)。


任天堂のチームが持つ「技術」ではなく「信念」がすごい

任天堂贔屓かよって思われそうだけど(それは好みとして否定できないが)、Splatoon3のサイドオーダーの音楽演出、っていうか、音楽との連携を自然にやっている事が、マジですごいと思ってて、この意味を伝える準備がようやく整った、と思う。

まずこの演出の何がすごいかって……いう前に、これは「技術的には」別にすごくない(というのも違うけど)、少なくとも「こういう事がやりたい」と言われたら、私(のような、普通に知識をつけたサウンドプログラマー)なら、実装はできると思う

しかし、まずもって「こういう事がやりたい」という発想がどこから出てくるのか。これがサウンドチーム発案なのか、メディアアート好きのゲームデザイナー発案なのかわからないが、この案を出した時点で「普通の音楽」では実現できない事は明白である。

もし、普通に音楽を作ることに心血を注いでいる作曲者に、「曲の音符をバラバラにして、空中に配置して、それが場所によって近づいたら聴こえて、遠ざかったら聴こえなくなるんです」と説明してみたとしよう。それはつまり、「本当は聴こえるべきメロディ」とか「本当は無くてはならないドラムの音」などが、ユーザー操作によって勝手にバランスが変わったり消えたりしてしまうということだ。新しいモノ好きな人なら面白がってくれそうだが、少なくとも普通の「完成した音楽」の作り方とはまったく違う、「常にどこかが不完全な状態で聴かれる音楽」という作り方をしてもらう必要がある。つまりこの時点で、「不完全であっても、インタラクティブな事にそれ以上の意味がある」という信念が共有されているメンバーでなければ頼めない演出なのだ。

さらに、これが背景に絵としても溶け込んでいる、というのがまたすごい。

つまり、「音楽ができてから」「背景エフェクトを音楽に合わせてデザインする」という相互のやりとりが必要になる。これの何が難しいのか?問題なのはワークフローだ。

通常であれば、

という順番が想像しやすい。

しかしながら、この演出の場合

となるしかなさそうだ。

この依存関係の多さ、そしてそれが音楽から企画からプログラムから背景までループしてしまう構造。こんな事をしたら、どのセクションも自分たちの仕事がどこで完結するのかという「工程表」を出すことは難しくなる。音の数によってエフェクトの数が決まってしまう。エフェクトにどれだけ工数をかけても良いか意識しながら音楽を作るのか?それとも、単に作品が良くなるまで無限に試行錯誤するみたいな狂気で作ってるのか彼らは?

いや、任天堂の内部のことなんて一切知らないので、完全に想像で書いている。我ながら馬鹿なことだ。別にそんな大した話じゃないのでは?普通に「企画と背景と音楽とエフェクトが全部一つのチームとしてまとまっていれば」皆で話し合って協力すれば出来ることじゃないか。わかるよそれは。でもゲーム会社で働いたことのある人なら、これが決して「当たり前」ではないことは、想像がつくのではないだろうか。


セクショナリズムを超える事で見える世界

ゲーム開発は、技術が大前提だが、技術があったところでそれがすぐ使えるわけではない。

音楽演出のような、ゲームデザインにもバランス調整にもカットシーンにもあらゆる部分に関係する演出は特に、他セクションがその価値を認識して協力したりスケジュールを調整したり出来ない限り、しわ寄せを必死に受け止めてるだけで終わってしまう事がある。

ゲーム開発は常に想定通りのスケジュールでは進まないという事を肝に銘じて欲しい。だから巨大プロジェクト失敗例の書籍を読んでこんな記事まで書いたのだ。

そんな中で複数セクションが力を合わせて表現をするためには、自分だけではなく他の皆がどうやったら最大限の力を発揮できるのか。単に効率的に作るだけではなく、もっと協力したらどんな事ができるのか。その真価に気づく人が少なかろうと、それに触れる人の心を動かすことに必ず貢献するだろうという信念こそが必要なのではないか。

規模拡大に伴い、縦割りによる効率化は避けられない
セクションを超えたチーム作り
音をつけるのにも、最新の仕様を追うのが重要

任天堂のようなモノづくりをするためには、「上流工程が完璧な仕様を書いて」「下流工程がそれをスムーズに実現する」といった、機械的な縦割りで物事が進むという考え方を見直す必要がある。

任天堂のスライド冒頭でもある通り、効率化・機械化は昨今の規模拡大に伴って避けられない状態だ。しかし、そんな中でもなお、セクショナリズムを超えて、どうしたらお互いの情報をもっと密に交換できるのか。企画も音のことを考えて、音も企画の事を考えて。予算やスケジュールを奪い合う対立関係ではなく、協力的な関係で物事を進めるにはどうしたら良いのか。そのような歩み寄りの努力が欠かせないように思われる。


次の神話へ

前の神話へ


連載全体あるいは一部でも「これは有料級だ」とご納得いただけたら、こちらのおまけ有料記事をご購入いただけたら幸いです。


いいなと思ったら応援しよう!

じーくどらむす サポートいただけたら、連載への励みになります!