【地方創生 第6弾】エイサー班の美しい企画書が「現実」に変わる恐怖。嵐の中に飛び出した優等生たちの目覚め
◆ 嵐の夜に届いた、一通のメール
「講義で学んだフレームワークをもとに現地を観察したことで、机上では気づけなかったリアルな地域課題や新たな発見をメンバー間で共有することができました」
台風9号が沖縄本島を強風で包み込んだ7月10日の夜。私の元に、書記担当のAさんから、一通の報告メールが届いた。
一見すると、優等生らしい非の打ちどころのない文面だ。だが、その行間から立ち上る、塾生たちの息遣いと、カチリとスイッチが入ったような「覚悟の音」が、私には聞こえた気がした。
この3行にたどり着くまでに、彼らがいかに未知の領域へ不安を感じ、戸惑いや葛藤があったのか。強風の中、地域に行くことで何を見出したのか。これは、完璧に見えた大人たちが、真のスタートラインに立つ、第2回かりゆし塾エイサー班の記録である。
◆ 安全な部屋に渦巻いていた「防衛線」
時計の針を、彼らが集まった最初の日に戻してみよう。
6月5日、第1回ミーティング。メンバーはいずれも各社で実績を積んできた、期待の人材たちだ。しかし、彼らが最初に確定させた議事録を読んだとき、私は彼らの内面に潜む「戸惑い」と「見えないプレッシャー」を瞬時に感じ取った。
彼らが掲げたチームの成功要因(KSF)には、こう記されていた。
「マイナスなことを言わない」
「プライベートを大切に。極力業務内に完結を」
これは、裏を返せば「本業だけでも大変なのに、これ以上未知の重荷を背負いたくない」という、大人のリアルな防衛線であり、本音の吐露であった。地方創生という正解のない暗闇に放り込まれたことへの不安を、彼らは「業務時間内でのスマートな処理」というルールで縛ることで、必死にコントロールしようとしていたのだ。
しかし、彼らは優秀すぎた。
不安を打ち消すように机上のリサーチに没頭し、わずか半月で、沖縄の米軍関係者約47,000人の人口データ、平均年齢28.7歳という消費マーケットとしての分析、さらには令和8年度に建設予定の「交流拠点施設」という行政計画までを完璧に網羅してみせた。
「物理的な壁はあるが、文化はその壁を越えてきた」
日米共生リーダーズキャンプ、イチャリバキョンコミケ、特産田芋(タイモ)のアップサイクルフード開発。パワーポイントの上に美しく並べられたロジックの城。彼らはその完璧な企画書を盾にして、未知の現場へ踏み出す恐怖から、無意識に身を守っていたのである。
◆ 「現実」という名の巨大な壁
7月10日、第2回かりゆし塾会場。沖縄産業支援センター大ホール。ランチ休憩。
彼らから米軍基地との交流のアプローチに関する相談を受けた。
そこで、私は彼らの「机上の城」を、生身の現実へと引き戻すための、本物のパスを放った。
「素晴らしいコンセプトだ。よし、私が個人的に繋がっている米国総領事館の担当者を紹介しよう。すぐに具体的なアプローチの場を作れるよ」
その瞬間、私に相談に来た数名は後退りした。
メンバーたちの顔から余裕が消え、視線が泳ぐ。
「あ、いえ……まずは班で持ち帰って話し合います」
リーダーを欠いたメンバーたちは、明らかに怖気づいていた。
なぜ彼らは怯んだのか。
これまでPCの画面上で「スマートに処理」していた美しいプランが、総領事館という組織体が、生々しい「現実」として目の前に現れたからだ。
もし断られたらどうする。組織の後ろ盾もない研修中の自分たちが、どうやって米軍基地と交渉するのか。
企画書を書くことと、自分が矢面に立って領事館スタッフと対峙することは、全く次元が違う。
圧倒的なプレッシャーと未知への恐怖。優等生たちが、自分たちが掲げたテーマの重みに押し潰されそうになり、激しい戸惑いの中で立ち尽くした瞬間だった。
◆ 暗闇を照らす灯火、そして15時の決断

私は机上の空論の中にいた彼らに、昨夜のフィードバック、本日午前の講義を通じてこれまでの経験を伝えた。
「『困りごと(課題)』から入るな。もし皆さんがそんな質問をした瞬間、対話は人手不足や資金不足という一般論の泥沼に沈み、相手の心の扉は静かに閉ざされる。「どうせあんたちには無理だ」と。
「よそ者の視点で、現場が当たり前にやっている『歴史・誇り・こだわり』にまず徹底的に聞き切ること。課題を特定するのはそのずっと後だ」
どう動けばいいか分からず足がすくんでいた彼らにとって、私が手渡した「情熱を引き出す3つの質問の順序」というフレームワークは、暗闇の霧を晴らす、一筋の確かな灯火となったはずだ。

外を見上げれば、大型台風9号の接近に伴い、時折10メートルを超える強風が会場の窓ガラスを激しく叩いていた。夕方には暴風警報が出て、すべてのフィールドワークの窓は閉ざされるだろう。
「議論の成熟を待っていたら、間に合わない。今はトライ&エラーのフェーズだ」
指導者の言葉が、強風の音とともに彼らの腹に落ちた。
ここで動かなければ、彼らはただの「お利口なコンサルごっこ」で終わる。
15時。エイサー班のメンバーは顔を見合わせ、引き締まった表情で立ち上がった。
「アポはないけど、現場を見ないと始まらない。よし動こう」
彼らは、自分たちを守っていた”優等生の鎧”を脱ぎ捨て、強風が増す宜野湾の街へと向かった。未知への戸惑いを、確かな「覚悟」へと昇華させた瞬間だった。

◆ 覚悟を決め動いた者だけが見出せる「光明」
向かった先は、農産物直売所・ハッピーモア市場。
机上でスマートに考えた「宜野湾産の田芋を使ったバッファローチップス」を提案すべく、店員さんに声をかけた彼らは、冷酷な洗礼を突きつけられた。
「うちでは宜野湾産の田芋は扱っていません」
完璧だったはずの計画が、スタートラインであっけなく砕けちった。以前の彼られであれば、ここで落胆と不安に襲われ、立ち往生していたかもしれない。
しかし、彼らの手には午前中に学んだ「よそ者の視点による価値の再発見」という武器があった。彼らは店員さんとの泥臭い対話に踏みとどまり、食い下がった。
「では、他に面白い農産物はありますか?」
その執念が、光明を手繰り寄せる。店員の口からは、「北中城村に、沖縄で唯一蓮根を作っている尖った農家がある」「日本初のバニラ発酵特許を持つ、ソルファコミュニティのおきなわバニラが凄い」という、ネット検索では1ミリも出てこない、生きた一次情報の数々だった。
「これだ……!」
暗闇の中で、メンバー全員が同じ強烈な手応え(光明)を共有し、鳥肌が立つのを感じた。
さらに彼らは、風が牙を剥き始めた大山地区の田芋畑へと向かった。

台風の影響で増水した湧き水と、広大な泥。その生々しい光景を前にしたとき、この班のキーマンである、宜野湾市役所に勤務するメンバーの顔つきが変わった。
企画書を通じて机上で認識していた「田芋」とはまったく異なる、基地の環境汚染問題や、全盛期からわずか1〜2名にまで激減した農家の苦闘という、この土地が背負う重たい「現実」を語ってくれた。
「田芋農家さんとのヒアリングの際は、この歴史的背景に慎重に配慮しなければならない」と告げた。
「基地内外の共創」という言葉は、もはやパワーポイントを飾るための言葉ではなかった。泥をかぶり、現場の情熱と痛みに直接触れたからこそ宿った、当事者としての使命感そのものだった。
◆ 嵐の夜の誓い
18時。沖縄本島に暴風警報が発令され、オキナワは激しい嵐に閉ざされた。
それから50分後、私の元にAさんから届いたあのメールと第4回目の議事録。
そこには、現場の洗礼によってバラバラに打ち砕かれた美しいアイデアの残骸と、その代わりに泥の中から掴み取った「蓮根農家への週明けヒアリング」「田芋組合長への打診」という、生々しいタスクがびっしりと刻まれていた。
そして、彼らが自ら作成したタスクリストの最下部、来週中の期限が切られたNext Actionの欄に、確固たる言葉でこう書き残されていた。
『国際交流人材育成財団・米国総領事館へのアプローチ』
午前中、未知の恐怖に怯え、現実のプレッシャーに足をすくませて後ずさりした、あのアメリカ総領事館という名。
彼らはもう、そこから逃げなかった。
机上の空論を失った代わりに、彼らは「動いた者だけが見える景色」を手に入れた。
嵐の夜、手さぐりの大人たちが、本当の正念場(8月12日の地域資源決定)へ向けて、静かに腹をくくった音がした。
彼らはまだ、何も成し遂げていません。
ただ、嵐の夜に一歩を踏み出しただけです。
それでも私は、この一歩を書き残しておきたいと思いました。
もしこの記録に何かを感じていただけたら、スキとフォローで、そっと後押ししていただけると嬉しいです。
ではまた、来週月曜第7弾で。
📎 あわせて読みたい。このシリーズの過去記事です。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップはクリエイターとしての学びに使わせていただきます! 