豊かさとは「たくさんあること」ではない。岐阜の隠れ宿で気づいた「ちょうどいい」の心地よさ
思い立ったが吉日
〜早期退職夫婦のロングバケーション③/全5話〜
「道はつながってるから。」
夫の言葉に背中を押されるように、
私たちは再び車を走らせた。
次に向かったのは、
郡上八幡のお蕎麦屋さん。
旅先で食べるご飯は、
どうしてあんなにおいしいのだろう。
一口食べて、
夫と顔を見合わせる。
「えっ。」
「お蕎麦って、こんな食感なん?」
透き通るようなのどごし。
今まで食べてきたお蕎麦とは、
まるで違う。
「今まで私たちが食べてたお蕎麦って、
何だったんやろね?」
二人で顔を見合わせて、
笑ってしまった。
本場の味、
恐るべし🤭
旅先で出会う、
「初めての味」。
それもまた、
旅の楽しみの一つだ。
お腹も心も満たされたところで、
次に向かったのは飛騨大鍾乳洞。
中の気温は、
なんと16℃。
真夏の外気との温度差に、
思わず驚く。
ひんやりとした空気の中を、
ゆっくりと歩いていく。
何万年。
何十万年。
気の遠くなるような時間をかけて、
つくられた景色。
その前に立つと、
人の一生は本当に短い。
私たちは、
つい急いでしまう。
早くしなきゃ。
もっと頑張らなきゃ。
早く結果を出さなきゃ。
でも、
鍾乳洞は急がない。
一滴一滴。
気の遠くなるような時間をかけて、
少しずつ形を変えていく。
その静かな景色を見ながら、
「急がなくてもいいよ。」
そんな言葉を、
鍾乳洞から受け取ったような気がした。
そして、
いよいよ今回の宿へ。
夫が選んだ、
中尾平さん。
口コミを見て、
私も楽しみにしていた。
そして、
実際に訪れてみると
口コミ通りだった。
いや。
口コミ以上だった。
ここは、
豪華すぎない。
でも、
不足もない。
部屋には、
ゆっくりくつろげる場所があり、
窓の外には森がある。
そして、
温泉がある。
食事も、
派手な豪華さではない。
ひとつひとつ、
丁寧に作られている。
「これでいい。」
いや、
「これがいい。」
そんな気持ちになった。
ちょうどいい。
それは、
決して妥協ではない。
何かが足りないのではなく、
必要なものが、
必要なだけある。
そんな感覚だった。
露天風呂は、
森の中にある家族風呂。
山の中で、
誰かに気を遣うことなく、
自然を感じながら、
ゆっくりと湯につかる。

温泉に浸かりながら、
森を眺める。
湯気の向こうに、
木々が揺れている。
鳥の声が聞こえる。
時間が、
ゆっくり流れていく。
呼吸が、
少し深くなる。
そんな安心感に包まれていた。
部屋は広く、
隣の部屋の声も聞こえない。
宿泊できるのは、
わずか6組。
6つの家族風呂。
たくさんのお客様を受け入れるのではなく、
家族でおもてなしできる人数に絞っている。
その分、
価格は決して安くはない。
でも、
過ごしてみると、
その理由がわかる気がした。
必要な時には、
さりげない心配りで声をかけてくれる。
でも、
こちらが静かに過ごしている時には、
そっとしておいてくれる。
家で過ごすような安心感。

それでいて、
近すぎず、遠すぎない距離感。
その絶妙なバランスが、
とても心地よかった。
豪華すぎない。
でも、不足もない。
そんな「ちょうどいい」心地よさの中にいると、
呼吸が、少し深くなる。
夕食を終えた時、
夫が言った。
「明日も泊まれたらいいのにな。」
その言葉を聞いて、
私は空室を調べてみた。
すると……
満室。
私は、
「やっぱりね。」
と、思わず笑った。
布団に入ってからも、
私は宿のことを考えていた。
そう考えていると、
いつの間にか「豊かさ」について考えていた。
私たちは、
いつから「たくさんあること」を
豊かさだと思うようになったのだろう。
たくさんのお金。
たくさんの物。
たくさんの人とのつながり。
たくさんの仕事。
たくさん。
たくさん。
たくさん。
もっとあれば、
もっと増えれば、
もっと多くの人に知られれば。
そうすれば、
もっと豊かになれると思っていた。
でも、
この宿で過ごしていると、
「もう、十分だな。」
と思えた。
静かに心地よく過ごせる。
ゆっくり眠れる。
おいしいものを食べられる。
大自然の中で温泉に入る。
誰にも急かされない。
誰かに遠慮することもない。
それだけで、
心は満たされていた。
たくさん持っているから、
豊かなのではない。
たくさんの人に知られているから、
満たされるのでもない。
自分にとって必要なものが、
必要なだけある。
そして、
「これで十分。」
と思える。
その時、
すでに持っているものの中に、
豊かさが見えてくるのかもしれない。
そう思うと、
私の人生には、
もうたくさんの宝物がある。
朝、
目を覚ますこと。
夫と一緒に、
「今日はどこへ行こうか。」
と話せること。
旅先で、
「おいしいね。」
と顔を見合わせること。
知らない景色に、
心が動かされること。
そして、
「また来たいね。」
と言える場所に出会えること。
それだけで、
十分に幸せだと思えた。
翌朝。
いよいよ、
夫が楽しみにしていた
新穂高ロープウェイへ向かう。
夫は、
北アルプスの絶景を見る気満々だった。
私も、
どんな景色が待っているのか、
楽しみにしていた。
ただ。
この時の私たちは、
まだ知らなかった。
その日、
私たちが目にすることになるのは、
予定していた絶景とは、
まったく違う景色だったということを。
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