なぜ日本の野球は、成長するほど人を排除してしまうのか?「裾野を広げる人」と「絞り込む仕組み」のズレ
裾野を広げても、人が減っていく違和感
今、日本の野球界では、未就学児や小学生向けに「野球体験会」や「普及イベント」など、裾野を広げるための素晴らしい取り組みが各地で熱心に行われています。
しかし、どれだけ入り口を広げても、年齢が上がるにつれて野球人口は確実に減っていきます。
「子どもたちの野球離れ」が叫ばれて久しいですが、現場を見ていると強い違和感を覚えます。子どもたちが野球に飽きて辞めているというより、「構造的に排除されている」ように思えるのです。
情熱をもって裾野を広げる人がいる一方で、なぜ上の世代に行くほどプレイヤーが減ってしまうのか。その理由は、現場の人の悪意ではなく、日本の野球が「年代が上がるほど自然とプレイヤーを絞り込んでいく仕組み」になっているからです。
年代ごとに「運営組織」が分断されている
本来、スポーツへの入り口や継続の機会は、どの年齢・どのレベルであっても等しく用意されているべきです。
しかし日本の野球は、小学校(学童)→中学校(部活・クラブチーム)→高校(高野連・部活)と、年代が変わるごとに運営組織が完全に分断されています。
そして、多くの地域において、年齢が上がったときの選択肢は「一律の大会(甲子園など)を目指す学校部活や強豪チーム」という単一のハコになりがちです。
ここで勘違いしてはいけないのは、「チームが絞り込み(選別)を行うこと自体が悪い」わけではないということです。
例えば、甲子園などの頂点を目指すエリートチームが、有限のリソース(グラウンドや指導者のキャパシティ)の中で強さを追求するために定員を設けたり、選手を選別したりするのは当然の権利であり、スポーツとして極めて健全な価値観です。
問題なのは、「選別を行うチーム」が存在することではなく、それ以外の選択肢(誰でも歓迎の受け皿)が地域から消えてしまうことなのです。
もしも街の「焼肉店」が野球界と同じだったら?
この構造の歪みは、身近な「焼肉店」に例えてみるとよく分かります。
本来、街には多様なニーズに応じたお店が存在します。
手軽にお腹いっぱい食べたい人向け: 安くて楽しめる「食べ放題のお店」
店主のこだわりを楽しみたい人向け: 地域に愛される「個人経営のお店」
特別な日のため: 最高品質を提供する「高級店」
さらに、それぞれのお店の中にも「特上コース」や「お手軽コース」といった選択肢があり、利用する人は自分の予算や目的に合わせて自由にお店を選べます。
しかし、今の日本の野球界をこの焼肉店に例えると、どうなっているでしょうか。
小学生のうちは「食べ放題のお店」もたくさん用意されています。しかし、高校生になると、なぜか街中に「高級店」しか存在しなくなるのです。
そしてさらに問題なのは、すべての店が一律で「最高の味とサービス」だけを競う巨大なミシュランの審査(トーナメント大会)に出場させられているような状態になっていることです。
「みんなでワイワイ焼肉を楽しみたい」という予算や目的のチームであっても、勝ち上がるためには高級店と同じ土俵で、同じルールで戦わなければなりません。限られたリソースの中で「高級店のクオリティ」を求められれば、当然ついていけないプレイヤーは店(現場)から溢れ落ちて(排除されて)しまいます。
「排除」ではなく「クラブ内での階層化」をつくる
では、どうすれば広げたすそ野を殺さずに、上の世代へ繋げていけるのでしょうか。
「誰でも歓迎するクラブ」をつくったとしても、人が多く集まれば当然、全員が同じ試合に出て同じプレイ時間を分かち合うことはできません。実力差も出てきます。
だからこそ必要なのは、プレイヤーをクラブの外へ追い出す(排除する)ことではなく、同じクラブの中に「レベルに応じた階層(ピラミッド)」をつくることです。
「誰でも歓迎」の多世代型クラブであっても:
人数が集まればレベル別にチームを分け、それぞれの階層でしっかり試合やプレーの機会を用意する。「勝利を目指すエリート」クラブであっても:
定員から漏れた選手を即座に切り捨てるのではなく、内部に下の階層(セカンドチームなど)を保持し、そこで成長や復権の機会を与える。
上手い人だけを残して下手な人は去ってもらうという切り捨てではなく、同じクラブという枠組みの中で階層をつくり、誰もが自分のレベルに合った場所でプレーし続けられる仕組みが必要なのです。
裾野を広げる活動と、未来の「ハコ」を一致させよう
現在の「学校単位の部活」では、指導者や設備のキャパシティ制限もあり、一校の中でこのような「複数の階層を作って全員にプレー機会を提供する」運用をするのは極めて困難です。
だからこそ、年代ごとにぶつ切りになった学校単位のスポーツから、地域の中で多様な階層を抱えられる「多世代型・地域クラブ」への移行が不可欠になります。
これは、これまでの部活動や甲子園文化を否定する話ではありません。勝利を目指してストイックに打ち込む熱量も、野球というスポーツの素晴らしい魅力です。
私たちが目指すべきなのは、その熱量を残したまま、「勝利を目指す道」以外の選択肢も同じ地域の中に共存させることです。
普及活動によって「野球を始める人(裾野)」を増やす情熱と同時に、広げた人たちがずっと野球を続けられる「階層を持った受け皿(ハコ)」を地域に作っていくこと。
この2つの思考が一致したとき、はじめて日本の野球は「一度削ぎ落とされたら終わりのスポーツ」から「誰もが一生楽しめるスポーツ」へと変わっていくはずです。
